2003-oct. メニューへ戻る

 2003-08-2
 

<3日分のたまった日記・夏休みっぽいなあ>

娘のP子が珍しくシルバニアンファミリーで遊んでいたりするのだが、どうもそれを見ていると、「片付けられない女のアパートに取材に来たクルー」のような気持ちになる。なんで机がひっくり返っていて平気なのかなあ。どうして便器の上に引き出しが乗っかっちゃうのかなあ。
「なんということでしょう!! 」
と、夫がいきなり「劇的空間・ビフォア−アフター」のナレーションを真似して、全部をがががっと寄せてしまい、
「この可動式の階段は、匠の思いやりなのです」
とやったものだから、おかしくて三人で大笑いする。熊の建築士とうさぎの施主が涙の対面をするのもあの番組の素敵なパロディーだ。P子は渋い小1なので、日曜日の夜は一緒にあれを見てから、床につくのだ。
それからしばらくしてP子が「これがまことのやさしさなのです」と、まるで仏教徒のような言葉を使って遊んでいるので、
「なんだい、そりゃ?」
と問うてみたら、
「あれ。まことじゃなかったっけ」
……それは、弟の方だろう。にいちゃんの名前だよ、たくみ、たくみ。
「ああそっかー」
いとこであった。長男がたくみ、次男がまこと、三男が……。私の弟の子供達、だんご鼻三兄弟。
我が家は固有名詞に異常に弱い。夫の家系はより顕著で、姑は私を呼ぶのに「こと、しょーこ、きこじゃなくて、ゆうこ」と、私の前に三人の名前が連なるのも珍しくない。それは当然夫にも遺伝されていたのだが、どうもウィルスではないかと思うことがある。私もめっきり、弱くなってしまったのだ。福助に至っては「ふくー」とP子や夫や私を呼ぶので、「それはお前だろう」といつも突っ込まれている。
それにしても、匠というのがP子にとって人の名前になっていたとは知らなかった。
「みんな、名字がちがうけど、たくみって名前なんだと思っていた。だから、あの従兄弟のたくみは、こういう仕事をするんだなって思っていた」
と、P子は言う。
弟よ。パソコンを持っていないのでこのHPに決してアクセスすることのない弟よ。たくみを建築士にして「なんということでしょう!」と言わせる計画はどうか? 野球選手(巨人軍)にするっていうのは、叔母の目から見て、親バカを通り越して余りにもどうかと思う。昔私の父が、ヒロノミヤに私を嫁がせたいと言った以来の衝撃だったぞ、それを聞いたとき。
さて、P子がおとなしく遊んでいるのにはわけがある。

夜中に起きちゃうほど興奮して迎えたサマーキャンプの30日、奥多摩のキャンプ場で夕方、著しい嘔吐のためすわ入院という事態に陥ったのだ。その日、私は久しぶりに会う上品な元・吉祥寺マダム(現・高井戸マダムと国分寺マダム、それに私がちとからマダム)たちと、上品な会話を上品に楽しんでいたところ、電話で呼び出された。急いで戻ってスカートをGパンにはきかえ、おんぶ要員として夫を伴い、奥多摩に向かったのだった。
真っ青な顔で点敵を打って眠るP子に最初に駆け寄ったのは福助だった。
「だいじょーぶ? だいじょーぶ?」
と、P子を起こそうとする。サマースクールのスタッフには大変良くしていただき、ドクターも看護師もいい人で安心したが、途中、帰宅後も、P子は嘔吐が止まらなかった。

昨日は一日、絶対安静を申し渡し、リビングのベンチをくっつけてベッドをつくり、そこに寝かせる。おもちゃを持ち込むものだから、子供部屋以上に散らかったリビングで、足の踏み場もなくなる。でも、テキパキ片付ける気にならない私。ああ、片付けられない女がここにも一人……。娘のことを叱れない。
昨日は福助にとっても最終日のサマースクールだったので、私にとってもサマーバカンス最終日だったはずが、病気の娘を置いて、吉祥寺で遊ぶわけにも行かない。
主婦の予定なんて、しょせんこんなモノである。
福助は五日目にしてやっと慣れたらしく、今度は全く帰ろうとしなかった。美人のお姉さんにしがみついているもんなあ。自閉症って、誰にも心を開かないんじゃないのかよ、と突っ込みたくなるほど、福助は美人好きで、美人のお姉さんにはここぞとばかりにくっついている。謎だなあ。

そして、今日。病気の娘、障害者(かもしれない)息子、腰痛のヨメを置いて、夫は一人で伊豆長岡の病院に義父を見舞いに行くことになった。義姉へのお土産を夫の鞄につめたときに、大量の紙を発見。〆切真っ最中の夫は、新幹線で描くらしい。手塚治虫みたいでかっこいい。
義父は、ここのところ39度からの熱がある。ただの見舞いならいいが、ドクターからの呼び出しがあったので、〆切を圧して行く。悪い知らせでなければいいがと思うが……。
ちとからの夏祭りは昨日から始まっているが、今日は洗濯物と布団を干したら、静かに本でも読んでいよう。鎮痛剤を飲まなくても、動かなければ腰は痛くないところまできた。娘も吐かなくなった。昨晩遅くまでドップラー効果で遊んでいた息子はまだ寝ている。(註)ピーポーピーポーと車を走らせて音がどんどん低くなり、フェイドアウトする。と、また別のパトカーが出動する。途中必ず踏み切りがあり、カンカンいう。踏み切りを越えたらピーポーのドップラー、というエンドレスな遊び。横で私が本一冊読み終えるまでやっていた。
ああ、いい天気だなあ。夏だなあ。憂いなく、遊びにいけたらいいのになあ。

 
 

 2003-08-06
 

天気・くもりのちおおあめ。

「ちゅうきこうしゅうかい」というところにいきました。
ここにいくと23000えんで、いろいろおしえてくれて、いろいろしらべてくれて、きょうかんがきをつかってやけにていねいごでしゃべってくれて、二日間でめんていがハンブンになります。

ふしぎな人たちにあいました。
じこにあったんだなあとひとめでわかる顔の人や、
ずぼんをはんぶんおろして、しましまパンツをみせている人などです。
そのひとはかん字でかっこよく、うでにじぶんの名まえを入れずみしていましたが、
かん字をよむのはにがてなようで、しけんもんだいにふりがなはふってありますかと、
先生にしつもんしていました。ハンサムなのになあ。と、ちょっと思いました。

ぜんぶちゅうしゃいはんばっかり、4回もくりかえして、ここにきたという人もいました。
「しんじられないウンのわるさ」とわらっていたので、100円パーキングにとめたらどうですかといってみたら、「ああ、そうすればいいのか」といっていました。わるいのは、うんだけじゃないような気が、ちょっとしました。

「ちこくはぜったいにダメです」とせんせいになんどもなんどもいわれたのに、
きょう、ちこくしてきたひともいました。
ライオンのたてがみのようなヘアは、きっととかすひまがなかったんだなあと思いました。
でも、マスカラがまばたきのたびにばきばきおとをたてていたので、マスカラがかわかなくてちこくしたのかもしれないと思いました。「かもしれない」でうんてんすることはたいせつなポイントです。
「だろう」ではなく、「かもしれない」でうんてんしろとなんどもなんどもいわれました。
「とびだしてこないだろう」ではなく、「とびだしてくるかもしれない」と。
でわ、「とびだすだろう」とかんがえたらどうすればいいのか、なやみました。
「ここではだれもとびださないかもしれない」とかさ。
もともと、「だろう」も「かもしれない」も、ほぼ同じいみのにほんごだと思っていたので、さいしょにそのちがいをせつめいしてほしいかったです。

いっぱいテストをやらされて、わたしわ、うんてんがへただとわかりました。
人としてだめだめ系の人かなと思っていた人のせいせきをちらっとみると、
みんなわたしよりせいせきがよく、だめだめはわたしのほうだとおちこみました。
てすとには、いちばんきけんな「せっかち」とかかれていました。
しかもほかのはだめだめなのに、
「どうさのはやさ」だけやけにすぐれていて、そのせいでイライラするらしく、
これはいちばんじこりやすいタイプなんだといわれました。
「おしゃべりにしゅうちゅうせず、うんてんにしゅうちゅうしろ」ともひょうかされていて、「なぜ知っている!? 見たんか?」と、びっくりしました。しんりテストはほんとうにすごい。
シミュレーションうんてんテストで、まわりのひとがボコボコ人をひいているのに、これまたとてもいいせいせきだったので、いっしゅんうぬぼれそうになりましたが、うんてんは「モグラたたきゲーム」とはちがいます。はんしゃしんけいだけでうんてんしていたから、じこがおきたし、いはんをしたのだ。こわいなあと思いました。
わたしわ、うんてんがへたなので、これから、いっしょうけんめいれんしゅうしようと思いました。
ひとをまちがってひきころしてしまうのと、わずか1てんしかちがわない、おもいつみの50キロオーバーを、こころからはんせいしました。じんしんじこをおこしていなくて、よかったです。これからはずーっと「もはんドライバー」をめざそうとおもいます。あと3点でとりけしの、がけっぷちです。

クラスにいた、みたこともない人たちは、とても興味深かったけれど、けっしてかれしにしたいタイプの人がいませんでした。もちろん、むこうもわたしをけっしてえらばないと思います。ほとんどだれともくちをきかない、むくちな2日間で、とてもつかれました。

 
 

 2003-08-07
 

「女は女に生まれるのではない、女になるのである」……と言ったのはボーボーワール女史だったが、私は犯罪者として生まれたのではないのに、すっかり犯罪者気分になってしまった。
東京地検は女子トイレの中に音姫(流水温で尿の音を消す装置)を含む最新型ウォシュレットを仕込むほど、税金を贅沢に使ったつくりだった。罰金が多分8万円、主婦には大金。と青ざめていたが、私の罰金などしょせんこの便器代の半分である。20階建てのこの庁舎にどれだけの犯罪者の罰金が積み重なっているのかと思いながら、福助に「ちーしちゃったらいい気持ちィ」を歌う。犯罪者気分を払拭したかった。東京地検のフロアに届けとばかりに歌っていたら、P子が注意する。
「おかあさん、しーっ。ここはさ、悪いことしたひとが来るんでしょ?」
「そーだよ。犯罪者はすべて、無垢だった子供の時代を思い出せばいいのだ」
「でも、おかあさん。怖い人がにらんでいるから……」
怖い人?!
そういえば護送用エレベータ・一般の人の使用を禁止します、が、女子トイレの横にあったな。
あわててトイレから出て帰ろうとすると、エレベータで検事さんの群れに囲まれてしまった。
「ぜぜぜ、全員がネクタイを締めているよ、おかあさん」と、P子は変なところにおびえていた。P子にとって怖い人とは、検事さん達のようであった。ああもー、犯罪者の子供は犯罪者。ということか?
お母さんを待っている間、青い囚人服の後ろ手に手錠をしたロープの男を見てしまったが、ネクタイの男達ほど怖くはなかった話を、桜田門界隈で得意げにしゃべるので、ちょっと困った。赤いレンガの合同庁舎を見ても「わあ、お城だ、お城。こんなところに住みたいなあ。でも、掃除が大変かぁ」と夢があるのかないのかビミョ−な加減で、とにかくよくしゃべるのだ。赤毛のアンと一緒に暮らしたマシュ−は、さぞかし大変だっただろうとふと思った。
弁護士さんと検事さんの違いを尋ねられたので、司法制度について子供の問題におきかえてわかりやすく解説しているうちに後楽園に着いた。夏休みの宿題は全くしないので面白いから放置してあるが、こういう興味はものすごいんだなあ。
しかし、後楽園の「おもちゃの国」(夏期限定イベント)に行ったら、もうそんなことはすっかり忘れていて、電池で動く電車のコーナーに息子は走って行き、面白そうなでっかい滑り台を挟んだブロックのブースに娘は走って行き、そこであっという間に一時間。私だったら絶対まん中のこの滑り台で遊ぶがなあ、親の心子知らず。とか、思う。
電車は小型鉄道マニアの巣窟で、パパやママも夢中になってレールを組み立て、ビデオをまわしている。私も昔、弟によく作ってやったので、福助のために「すみませんすみません」と痛い腰をずーっと折りながら落ちているトンネルと遮断機と新幹線と駅を確保、組み立ててみたが全く興味なく。福助は、ただ循環する丸い輪の上を自分のスピードで電車を前後に動かせればそれで満足なのだった。
「これ、いいですか?」
と、むしられてなくなっていく部品。意に介さない福助。高く高く、広く広く。人類の英知はこんな子供の時代から、プラスティックのジオラマにあらわれる。それが、いいことだ。ここはさながら、高度成長期の大都市のようなブースだ。取り合い、奪い合い、交渉して、競争し、力の強い者がより領土を広くとり、ある者は高くつなげて、速い電車をいくつも走らせる。それを眺めて満足そうな子供、そして、親達。
誰にも迷惑をかけず、ひっそりとはじっこの方でのろのろ遊ぶ福助の世界は、明らかに異質だ。
電池が切れた電車は子供達に放り投げられ、「もう、これダメだよ」扱いされているが、福助にはそれで十分だ。電池で走ることには興味がなく、自分の速度で動かしたい。よく走りそうな、利発な子供達を見ていて、電池の入っていない福助とはちがうなあ、と思う。
より高くより広く、インフレとともに成長した私の世代には、福助のスローな歩みがもどかしいのも事実だが、電池のないおもちゃを「これダメだ」と放り投げた子供は、自分の電池が切れたときに「ダメだ」と親から放り投げられる可能性を秘めていることにはまだ気づいていない。毎日充電して、走り続けなければならない社会に出て行くために、毎日勉強して上を目指す。P子は、フル充電するととてつもなく早く走るタイプなので、P子だけしか授かっていなければ、特急に乗り続ける旅行みたいな子育てだっただろう。合理的な計画と無駄のない観光。しかし、福助のような、歩く速度の旅もまた、旅。ということに、彼を通じて気づけたのは大収穫のような気がする。「せっかち」な私にはつらいんだけどね。
へたするとずーっと動かないので、泣き叫ぶ福助を小脇に抱えて、移動を試みる。「お子さまの集中力を養います」というおもちゃで50分。集中力、いらない。と思う。周りの人たちが次々変わって行くのに、福助はとんとん、くるくるをじーっと飽きずに見続けていた。この、ぐるぐるまわる現象に魅せられるのが、自閉症星人のある種の特色のようだ。
偶然P子の幼稚園友達・まこちゃんに会って、P子はおおはしゃぎ、勝手に遊びに行ってしまい、私は五か月ぶりに会うアキと盛り上がり(外国人でもないのにファーストネームで呼び合っていた幼稚園ママ達というのも、珍しいかもしれないなあ)、母が楽しそうにしていたら、福助はよろよろといろいろな場所に探険に行った。やっと子供らしい動きが出て、ちょっとホッとする。
アキと別れて、また電車ブースへ。そして帰りに「まだー。もちっと。じんしゃ、だいしゅきーのー」(おお、二語文だが、ひどい日本語だ)と、号泣。また小脇に抱えたが、福助は出口を出るともう電車に乗れる喜びでいっぱいなのだった。単純なやつめ。
こうして、夏のイベントが一つ、終了。一年間の無事故無違反を誓い、前科を消そうと思う。
帰宅後、御飯を食べて、すぐに爆睡した。母は。
そして、朝六時に起床し、日記を書いています。小脇に抱えるには重たい福助14キロ、右腕だけ、筋肉痛で大変です。夏の朝は大好きさ。朝方の涼しいうちに、家事をこなしてしまいましょう。さあ、がんばろー!!

 
 

 2003-08-08
 

まだお目にかかったことはない橋井さんから、エンターブレインの大場さんを経由して、巨人戦のチケットをいただく。
昨夜、我が家に持って来て下さったので、冷蔵庫に大量に冷やしてある瓶入りコーラをお出ししたが、ビーム編集部でも食玩ブームであるらしく、当然コーラ本体が残る。あまり有り難くないおもてなしだったに違いなく、大場君、ごめんなさい。編集部では余ったコーラは編集長がごぼごぼ飲んでいらっしゃるらしく、糖尿病が心配である。
チケットは巨人戦、外野席。「病気回復のお札といったところでしょうか」の一文がうれしい。ひょっとしたらお義父さんが起きだすかも知れないという意図であった。ありがとう!! お守り袋を作って、義父に渡します。
実は一昨日、後楽園に行ったとき私は、祈るような気持ちで巨人軍の応援グッズを買い込んでいた。ひょっとして、「ああ、オレが眠っている間に、阪神が幅をきかせてるか。いかんな」と、気づくんじゃないか。看護師さんたちに、「今日の巨人はまた負けましたよー」などと話し掛けてもらえるきっかけになるんじゃないかと思ってのことだった。
義父が元気ならここで何を見て、何を買ったのだろう。「一緒に来るはずだった場所」というのは、痛い。そんなことは、今までの38年でちゃんと学んで来たはずだったのに、と反省する。親孝行は思い立ったときにしなくちゃ、だめなのである。好きな人には好きだと言わなくちゃだめだし、遊ぼうと約束したら遊ばないとだめなのである。
いつか、近い将来に。
だったら、いつにするかを予定表に書き込むべきなのだ。私の手帖はくだらない予定までぎっしり書き込んである。そうしないと洗濯物を干すために階段を昇り降りしているうちに、すべきことがカラカラと落っこちてしまうからだが、主婦の日常は忙しいのだから、きちんと時間管理しなければならないと思っている。さすがに、洗濯何時からとか、夏休みの予定表みたいにはなっていないが。(あれ、実践していた人っているんだろうか?)予定表が真っ黒になるのが好きだ。それは、すべて未知の、楽しい未来なのだ。

「わが子よ、声を聞かせて」(キャサリン・モーリス著NHK出版刊)を昨日から読みはじめて、震えている。タイトルは悪いが、闘うかあちゃんのキャサリンは、その記録でたくさんの闘い方を示している。偶然、私が福助に施していた不完全な英語教育は、とても似た形で行動療法として確立されていたり、菓子類を与えずに育て、いざと言うときの切り札として調教の餌のように使う方法や、下さいと言うまで与えない方法は「あり」だったのだ。まだ途中までしか読んでいないが(二段組442ページの分量なので)、ここまでの覚え書きとして書いておこう。福助が自閉症星人なのに、一見、とてもまともに見える一因かもしれないと思う。更に追究してからきちんとまとめるが、うまくいけば、治ることはなくてもそこそこ社会とも折り合いを付けられるかもしれないと希望がわいてくる。
自閉症絡みの本は今、ベッドの脇に20冊は並んでいる。斜め読みで十分なものもあれば、一文字も落としたくないものもある。私はどうも、これについて知りたいと思うと、歯止めがきかなくなる。他の音が聞こえなくなって、集中が妨げられることに我慢がならない。……自閉症の資質は誰にでもあり、自閉症は常に「想定される」診断であり、確定できるものではない。
今までで一番嬉しかった言葉は「あなたが福助君の母親でよかったと思う」と言われたことだったが、そうだ、私は福助をとてもよく理解しているんだと、自惚れよう。

昨日は福助と一緒に歯医者と読書の日。P子は小学校へ遊びに行き、それなりに満足。夫は〆切あけで上機嫌。なんか、いい一日だったなあ。そして早寝して、今日も早起き。東京、晴れてますけど、台風はどこに行ったの? さーあ、洗濯だ。そして、久しぶりにテニスだ!!

 
 

 2003-08-10
 

我が家には地下収納庫がある。
ということを、私、忘れていました。
でね、今日入学式で着物を取りに行って以来、久しぶりに入ったら、地下室の匂いが変。
あ゛ー。いかんいかんいかん!!!
除湿を忘れていたのです。なんということでしょう。
今年は例年になく長梅雨で、ただでさえ除湿器フル稼働させなきゃヤバいのに、必ず除湿、と言われていたのに、私は本当にコロッとそんなことを忘れていたのでした。
敷いていたござ、カビで真っ青。ゴザを捨てたら、その形で床がうっすら、真っ青。もちろん、私も真っ青。このカビを吸い続けたら、抗生物質に弱い体になってしまうだろうか。などと思いながら、着物をチェック。安物でも桐のたんすは、とても頑張ってくれたらしく、とりあえず、被害はなし。でも、壁にくっつけておいておいた棚に乗せておいた革の鞄、全滅。
とりあえず洗って虫干しするが、どうしようもないやつ半分は捨てた。
地下に置いておいた布団も、全部干す。夕方には匂いも飛んで、お日様って偉大ね。
怖いので、とりあえず除湿機をまわし、扇風機をまわし、カビキラーで床を拭く。でも、カビ臭さ、とれず。ということは、どこかでまだ、青かび君がこんもり増殖しているんだよぉぉぉ。物置きを全部移動させて、壁ごとカビキラーする勇気も持てず、どうしよう。
そもそも、陽が全く差さず、歩けば頭が当たるような地下だから、ただ単に荷物を段ボールにいれたまま積んでおいたのだ。引っ越して一年以上したある日、勇気とセンス溢れる友・りえちゃんが「ここは使える。ここをこうして、ここはこう。もったいないから、片しなさい。あなたがやらないなら、私が片づけて仕事場にするから、鍵をくれ」とテキパキやっつけてくれて、しかも鍵は持って行かなかったので、一時は物置きとして半分、あいた半分は頭のつっかえない子供達のちょっとした遊び場としても機能していたのだった。持つべきものは有能な友だなあ。と、どんなに感謝してもし足りなかったはずなのに、いつのまにか「地下室」自体の存在を忘れるほどに、私のお脳は退化していた。ここんとこ、りえちゃんに会っていなかったからなあ。って、そういう問題か? やはり基本的に雑な私には、こういうなれない収納スペースは、使いこなせないのだと、落ち込んだ。りえちゃーん、カビてるみたいなんだよぉ。どーすればいいのか知ってる?……ホント、どうすればいいのか。誰か、教えて。
今日は金曜日のテニスのあおりでまだ腰がすっげー痛いのに、働き者にならざるをえなくなった、かあちゃんでした。

 
 

 2003-08-11
 

久しぶりにERを見て、立ち上がったら床の上にビデオテープが二列、数珠つなぎでずららららーっと並んでいた。
「What's this?」
背表紙の色まできっちりオレンジと緑でそろえて、これはなんですか。万里の長城ですか。それとも、この間をモーゼが通りますか?
「It's video tapes.」
何、わかりきったこと聞いてんですか、かあちゃん。という顔で、小首をかしげられてしまった。
我が家のミ二カーは、しばしば東名高速・渋滞何十キロを再現したように、まっすぐ並べられることがある。楽しそうに並べている福助をみていると、「その自閉の国のお楽しみは、ここではやめようか」というのもなんか可哀想な気がする。
誰に迷惑をかけているわけじゃないしなあ。
ところで、夫は今、一心不乱に自転車のペダルをこいで体を鍛えている最中だが、このコンビのエアロバイクは、福助に両手でペダルをまわされている時間の方が長いかもしれない。福助は隙あらば自転車のペダルを手でこぎ続ける。私としては、発電機を取り付けたいなあとは思うが、真剣に自転車を手でこいでいる彼にだけダメ出しをして、足でこいでいる夫はOKというのも、筋が通らない気がする。
「ぐるぐるまわるねー」
と、回るものは携帯とストラップでも、洗濯機でも、CDでも、バレエダンサーでも、大好きだ。そんなことで幸せになるのなら、まわらせておけ、と思わないでもない。

娘が2歳の時に児童館をきっかけに知り合った、私にとっては初めてのママ友・マリちゃんママが、福岡に引っ越してしまう。とてつもなく、さみしい。
彼女はこのHPを読んでいないので思いきって書いちゃうが、私はいわゆる「完璧に近い専業主婦の母親」と知り合って、当初、ものすごーく焦ったものだった。しかもご近所で、いつでもさりげなく力を貸してくれた。私の非礼も失礼も、いつでも微笑んで許してくれた。私がそれまでつきあったことのない人たちに、私をたくさん紹介してくれたし、そういう人たちとのつきあい方の奥義も教えてくれた。

福助が最初の子供だったら、きっと私は自分を責めたに違いない。
マリちゃんママのようにちゃんと手作りのおやつを与えるべきだ。おやつは作れないない私が悪いから、子供がビデオを並べるマニアになったに違いない。マリちゃんママのようにどんなサークルにも興味をもって参加するべきだ。ボランティアの精神と協調の姿勢がない私が悪いから、子供がぐるぐるまわすマニアになったにちがいない。……なんてね。
P子が(当時は)全く信じられないほどできすぎな2歳児だったので、周りの人から「素晴らしい教育」だの「参考にしたい躾」だのとちやほやされて、いわばとんだ勘違いに支えられて私はかろうじて母親業に自信を持ち、マリちゃんママとも対等に口をきけたのだと思う。

母親って、子供の評価がそのままダイレクトに自分の評価になるということを、私はこの7年間に痛感している。仕事を持っていれば育児とは別に得意分野の仕事での評価もあるが、「かあちゃん」専業は、子供がそのまんま、通知表だ。そこんとこがつらい。
子供が親を選べないように、親だって子供を選べない。気が合う、合わないもあれば、出来不出来もある。子供を目の中に入れても痛くないときがあれば、中指を立ててそのまま子供の目の中にねじ込みたくなるときだってある。いや、やらないですけどね。
いつしかマリちゃんママとはしっかり個人的な友達になっており、お互いにファーストネームを呼び合って、育児以外の話もたくさんするようになった。子供をきっかけにして、友達が増えるのは母ちゃん業の醍醐味だが、子供が通信簿になっているうちは、そのママ友と友情を培うのは難しいんだろうな。マリちゃんママのおかげで、私は「ママ友の作り方」を学んだ。そして彼女に、子供を介さない独立した一人の人としてつきあう面白さを、教えられた。彼女と出会えて、本当にラッキーだった。
そして、これからもたくさんの人と出会って行くんだなあ。と、しみじみ思う。特に自閉の国の妖精ちゃんを育てているママ友との出会いというちょっと特別なシリーズもありそうだし、いくつになっても成長って続くんだなあなんてことに気づく。大きくなったら、何になろうかな。

 
 

 2003-08-12
 

ハッピーバースディ、ダーリン。
40歳だってー。すっげーじじいな響きの、40代。
そんな彼のそばに、子供まで産んじゃって、どっしりと座っていられるとは、驚き。そのうち、歯槽のう漏だのが始まって、老眼で新聞を読むのがつらくなって来て、髪なんかも抜け出して、お道具も使い物にならなくなっちゃって、同じオヤジギャグを繰り返すようになっても、それでもずーっとこうやって歳を重ねる瞬間に立ち会って行けたらいいなあ。
特別なことが嫌いな夫なので、しかもまだ免許がない私には何をすることもできず、普段と全く変わらない一日だけど。

 
 

 2003-08-13
 

昨日、夫の誕生日にまつわる話。
ダリオルールという、おいしいケーキ屋さんが盧花公園駅そばにある。
この辺の奥さん方はケーキをよく買うらしく、名物ケーキ屋はダリオルールだけではないという、ケーキ好きには結構幸せな土地である。
しかし、お気に入りのこのお店も、20日に閉店だ。というわけで、昨日のお誕生日にはどーんとホールで買ってみようと思い、しかし考えがケーキよりも甘かった私は「予約」というのを忘れていて、行った時には小さいのしか残っていなかったのだった。しかもショートケーキは既に売り切れ。
自分が今、ついていない時だというのを、忘れちゃいけないなあ。
お友達がせっかくレゴブロックを持って遊びにきてくれるというのに、しかも7月にお誕生日だったという彼女にもついでにろうそくを吹いてもらおうと思っていたのに、これか? というほど、小さい。大人ならいい。でも、彼女のつれてくる育ち盛りの三兄弟と、家の家族あわせて8人で分けたら、みんなクリームひとなめで終わってしまう。イチゴも乗らない。
そんなときこの町は、もう一つのご近所にショートケーキだけ買いにいけるのね、便利だわ。と、ケーキ屋のはしごをしたが、なんとそこでもショートケーキが所定の数、ないわけです。
こういうところで「運」を使ってもな、とは思うものの、ついていない自分を改めて振り返る。
結局、バラエティーに富んだケーキを争奪してもらうことにして、帰宅したら途中で大粒の雨が。
なんでー?!
「結果オーライだ、子供はつれてこなかったんだから、被害は最小限だ」
と、言い聞かす。ケーキ守ってぬれねずみ。
「この雨で、もし友達一家がこられなくなっちゃったらどうしよう……」
このケーキを私が独り占めしたら、せっかくのダイエットが水の泡である。実は昨日も彼女とうまく連絡がつけられなくて、流れたという経緯がある。いつものように何かを用意していたわけではないのだが、今日はケーキがある。ついていない私は、携帯電話にしょうゆをこぼして、どうも接触が悪いのだ。ひょっとして、今日も? すると、一応おもてなしの心でご用意した、この大量のだだ茶豆と、大量な焼き鳥も、私が食べて太る運命?
などとやや不安に駆られながら、レゴかー。なつかしー。うれしー。とお部屋を片付けていたら、台所で子供たち二人が狂ったように焼き鳥をつまみ食いしていた。息子など、「だんごー、ぱえるー(食べる)、おいしー」などと三語文まで口にするほど興奮して、口の周りがべたべただ。
「団子じゃない、福助、これはや・き・と・り。言ってごらん、や・き・と・りって、私はサリバン先生か? てぇーい、お前たち、その食べ方は駄目です。焼き鳥食うなら、おかずにして、ちゃんとご飯も食べなさい」
と、おにぎりを作って一緒に食べさせたら、子供たちの夕食は終わってしまった。
超簡単。
でも、どうしよう。一緒にご飯でもと誘ったのに、友達と育ち盛り三兄弟にどんなおかずを作っておもてなししたらいいの? とおろおろしていたら、夫がおりてきて、ビールを飲むという。つまみのだだ茶豆と焼き鳥をおいて、ま、きたら考えようと、私もビールを飲みはじめる。
ついていない私の運は多少伝搬するらしく、そのころ、友達は道に迷っていた。
そして私が迎えにいって、再会を祝し、家に帰ってくるまでのわずか5分弱で、だだ茶豆は空になっていた。
「ええ、取り置きしてあるんじゃないの?」
と、犯人の夫は悪びれることもなく。足の匂いだの、臭いだの、昨日も枝豆だっただのいいながら、てんこもり一皿、すごい勢いで食ってるし。と、頭を抱える。
結局、友人は巨峰と桃、ピカピカのやつを持ってきて下さった上に、おかしまでつけてくれて、抱えきれないほどのレゴも置いていってくれて、持参してくれた「おかず一品」に、家にある有り合わせの材料でもう二品、手際良く15分で作り上げ、さくさくっと子供たちにご飯を食べさせたのだった。おかげで、お誕生日の夫も彼女の作るごちそうにありつけた。すっげー、働く主婦って、手際いいー!! かっこいいー。肉もおいしー。ごちそうさまでした。
私は料理はからきし駄目なのだが、ちょっとした料理のこつなども習えて、収穫が多かった。彼女はどうだったんだろう? うーん……鈴木の家は、全く気を使わなくていい。という線で落ち着いてくれるといいんだが。だめ?
家にごはんどきに遊びにきた人は、みんなみんな、自分で作ってくれる。または、作らされている。こんなんで「私は専業主婦です」と名乗っているのは、九九のできない会計士とか、イタリア語しかはなせない英会話教師ぐらいヤバい気もするんだが、こんな私とつきあってくれる人は、大変に心が広く、私には財産はないが、友達の質だけはホント、自慢だよなあ。と、しみじみ思う。
私はどっかりと座ってしゃべるだけなので、来客はいつでも大歓迎なのだった。
そして、今日。
義姉と姪二人が、今こっちに向かっているところ。もちろん、夕飯の食材を積んでくる。働く主婦の姉もまた、とんでもなく手際がいい。一緒に台所に立っていると、私は口ばっかり動かして、その間姉は手をばっちり動かし続けて、あっという間に出来上がり、夫はそのご飯を食べて、いつになくうまいと感動するのだ。
さーて、掃除ぐらいしておくかな。そろそろついちゃう気もするんだけどさ。

 
 

 2003-08-17
 

ああ、寒い。日曜の明け方、私は寒さで目が覚めた。
こんな夏って、あるだろうか。平成新山と呼ばれる洗濯物の山がきれいに片付いて、つまり屋根裏にどーんと冬物を運び入れて、義姉ご一行様を迎えた。怠け者の私がいけないとはいえ、今年の衣替えが完了したのがつい最近のことだったのに、私は今、くしゃみで目が覚めて、長そでトレーナーを屋根裏にとりにいったのだった。
くしゃみをして目覚めた時には、まだでかける格好でいた。パジャマを着ていたら、その程度で起き上がることもなかった気がする。土曜深夜から日曜朝まで徹夜の飲み会は、この夏の密かなるメインイベントだった。息子と一緒に風呂に入っても髪を洗わず、メイクも落とさず、息子を疲れさせるべくお風呂で大暴れして、ぐったりしたところに牛乳を与え、絵本を読み、子守唄を歌って寝付かせ……、そのまま一緒に沈没してしまった。

金曜の夜、娘P子が突然予定を変更して、義姉たちと一緒に田舎に行くと言い出した。今週末、娘は母・ヨシコと所沢遊山を予定していたので、それをキャンセルするのは気が重く、約束の大切さや思いやりについて説いてみた。ところが、P子自身は「お母さんが勝手に決めた予定を押し付けないで」と言いやがり、その言い方に腹が立った私は、「あなたがおばあちゃんと話し合った決めたことではないか。自分でキャンセルするなら文句なし」と窮地に追い詰めてみた。母・ヨシコ相手にキャンセルを申し出るなんて、丸腰でキングギドラに戦いを挑むようなものだ。私にはできないぞ。
すると娘は、するりと母・ヨシコに電話をし、適当な理由をでっち上げていた。
母・ヨシコは、ルーズな孫娘に、怒るのか。泣くのか。火を吐くのか。
その昔、まだ私が独身だった18年前、母・ヨシコと1時の待ち合わせしたことがあった。母・ヨシコからの「頼まれごと」のために、私は仕事を調整して新宿に急いだ。ところが15分待って、来ない。遅れる人ではないので、私は母の身を案じ、彼女の自宅に電話した後、自宅の留守電を聞いてみたところ、この世のものとは思えない罵詈雑言が入っていた。母・ヨシコが切れていたのだった。
母・ヨシコは待ち合わせの時間である1時を11時と間違えていた。そして、30分待ったが来ない私に怒って帰ったのだ。彼女は私の事情などには全く触れず(実際に遅刻は彼女の誤解だったと言うのにも関わらず)自分の都合で電話に怒鳴りつける、「約束遵守」の愛すべき唯我独尊キャラなのである。
しかしあんまりな仕打ちに震えた私は、私は文句を言うためだけに実家に帰った。タクシーで玄関先に乗りつけ、頼まれていたものを投げつけた後(この辺に、母・ヨシコからのDNAの片鱗が……)、相手の非なのか自分の非なのかを手帳を照らし合わせて証明した後、文句を言うだけ言って、待たせたタクシーで仕事に戻ったという記憶がある。それでも母・ヨシコは決して私に謝らなかった。
そんな母・ヨシコが、P子のために時間を作ったのだ。簡単にキャンセルなど、きくはずがない。
……ところが、母・ヨシコは孫に甘かった。
P子は、ウルトラマン並の武器を持っていたのか。
いや、全盛期だったあの頃より、母・ヨシコが老成したのかもしれない。
「案外素直に、いいよって言ってたよー。簡単だったー」
と、間違った日本語で事後報告する娘P子の、この約束を守れない誠意のなさに私は腹が立てながらも、「しめきり」を厳守していた私からは全く考えられない夫の時間の使い方を思えば、遺伝子には逆らえないのかもなとも思われ。いずれ男絡みで痛い思いでもすれば、見えてくることもあるだろう。

さて、P子の用意した自由研究は「くわがた」だった。私の最も苦手な「虫」である。図書館からクワガタの本を借りてきてはいたが、彼女自身全く読んでいなかったし、私としてもテーマがテーマだけに、何をどう調べてまとめるか、指導していなかった。
一年生が、ただクワガタを捕まえました。というのでは自由研究にはならない。研究が初めてである以上、それを手助けするのは親の勤めである。というわけで、「あらかじめ人に聞いて捕獲方法を知っておこう! 取材するクワガタ博士はどんな人?」とか「クワガタはどんなところに住んでいる?」「触ってみよう、どんなかな?」など、課題をいくつか書いたドリル形式のものを渡しておきたい。一緒に行けば、そんなことはその場で、口頭で説明すればよかったのに、ええい、めんどくさいなあ。と、文句をたれつつ、全身鳥肌を立てながらクワガタ図鑑を眼鏡を外して眺め、ポイントを探ってドリルを作った。そんな教育ママな仕事をしていて、金曜日の就寝が三時。
水曜日に来た義姉と姪たちと都内を遊び回って深夜まで酒盛りしていて、それなりに疲れていたこともあり(田舎の人たちはなぜ、あんなにタフなのか?)、天城が交通封鎖によって滞在は土曜日までになり、(じゃあ金曜日は一日、せっかくだからショッピングだーということで、ブックオフとユニクロとドンキホーテとダイソーとマクドナルドとオリンピックという、近隣駐車場がある施設めぐりをしました。やはりタフだと思う。)土曜日、ご一行様を送り出して、かねてから約束していた旧友に会うために吉祥寺に行き、元・地元で道に迷うわ渋滞にはまるわ、携帯も財布も忘れるわ、思えば昼間から私は、うん、とても疲れていたに違いない。
そんな女に、真夏の夜の夢・飲み会になど出る資格はなかったのだ。
ああん、もう、夏の明け方だというのに、寒いなあ。お楽しみが消えて、心まで寒々しいぜ。
顔を洗って、暖かいパジャマを着て、ゆっくり寝直そう。目覚める時間を気にせずに、疲れが布団の中にじっくりしみ込むほどに。しばらくは、朝8時には起きてきて、ぐすぐず文句をたれるP子はいないのだ。福助は、一緒に寝ると湯たんぽ代わりとして秀逸だ。毛布にくるまって、さあ主婦の休日だ。

……夫に「ごはんは?」と肩をたたかれる。「ふにゃ」とだけ答えて、三度寝のために眠りの国にとろとろ飲み込まれていったのに、朝のトレーニングなのか、夫の室内自転車をこぐ音が二階から響き渡り、私はまどろみから現実の生活に強引に引き戻された。夫は無理に私を起こしていない。思いやりからきっと、朝練をして朝食を待ったに違いない。だから八つ当たりすらできない。けれど、こんな日曜の朝っていったい……。
ささやかな報復として、油をいっぱい使ったチャーハンにする。トレーニングで消費したカロリーをたんまり受け取るが良い。健康オタクめ。
ああ、主婦にも自由を!!

 
 

 2003-08-18
 

カブトムシは、バナナをグニャグニャにしたトラップに、焼酎をかけておびき寄せる。
というのを、昨日ニュースで見た。
東京の子供たちが自然に触れあうための、森林公園や雑木林(「ぞうきりん」とキャスターは読んでいた、そんないやいや園にでてくる動物みたいな名前なのか?「ぞうきばやし」だと思っていた。「臓器囃子」と変換されて、ちょっと嫌な気分。どっちでもいいのかな)についての東京限定レポートだったと思う。
昨晩P子が電話をかけてきて、
「カブトムシのねー、雄をつかまえたんだよぉ」
と鼻息荒く、コーフンしている。バナナの話をしたら、
「そんなのなくてもね、こっちにはいっぱいいるよー。足が六本ついてて、後ろはギザギザなんだよ」
ほう。以下、延々カブトムシの観察レポートが。ああ、自然は偉大だ。ドリルなんか作らなくても、P子が面白いと思ったものが小さなお脳にしみ込むのだ。すばらしい!!
お迎えにいく時に、ぜひともカブトムシのお家を持っていき、東京につれて帰ろう。
「え゛。かぶとって、くさいんだぜー」
と、夫は言う。
「くさいって、どんな?」
「かぶとくさいんだよ。すーぐわかる」
……知らないから聞いているのだ。
「うーん、うーん、キュウリの腐ったような匂い」
「じゃあ、台所においておけば目立たないよ」
「わかるって、とにかくかぶとくさいから」
……謎だ。そもそも、私はカブトムシなんて、ペットショップでうごめいているのしか見たことがないから、当然のことながら触ったこともなければ匂いを嗅いだこともない。カブトムシの裏側はゴキブリのそれとよく似ている気がするが、両方凝視したこともない。カブトガニはタイの屋台でよく見かけたが、天然記念物を食べる勇気もなく、っていうかあの足がわらわら動くのを見たら食欲など湧こうはずもなく、素通りしていた。とにかく、カブトとは縁のない38年だったのである。そんな人は、都市部にはゴロゴロしていると思う。カブトムシの匂い、ご存じですか?
それにしても虫のいる暮らしを送ることになるなんて、ついぞ考えたことはなかった。犬ですら飼うか飼わないか、夫と検討中だと言うのに。どどど、どうしよう。土の中で、白いキチン質がぶよぶよ大きくなっていったら。げげげ、そんな風に書いているだけで鳥肌が、ぼ。カブトムシがここで繁殖なんかはじめちゃったら、教育ママな私でも、耐えられないなあ。カブトムシがどんな匂いなのか、ご対面はちょっと楽しみなんだけど。
「飼うの? いやだなー。クワガタはいいけど、カブトはくさいんだよ」
と、夫はいつまでも匂いについて語り続けている。よほど忘れがたい故郷の臭さなのであろう。
「じゃあ、この夏限定の、特別な関係と言うことでどう? せっかく捕まえたんだから、夏休みの間は蜜月。で、夏休みがあけたら、学校に寄贈しよう」
東京では、昆虫との関係もまるでリゾートの恋人のようです。

今朝も朝早く起きて、宿題をこなす小学生のように日記を書いています。私は過去、同業者には珍しく仕事は朝型だったのだけれども、きっと子供の頃の「夏休みの気持ちいい朝に宿題」というのが基盤になっている気がします。でも今日も寒くてさ、「夏」って感じが全然しないよね。
本日の予定。福助くんと福祉センターへ行く。
いつものお出かけよりは、ちょっと、めんどくさいが、電車を乗り継ぐのできっと福助にとっては楽しいだろう。そんな夏休みのイベントしか用意できない親で、すまんね。ま、冷夏だしね、プールに行く気も湧かないわ。

<おまけ>
姉のP子が田舎でカブトムシを追っかけている間、弟の福助は100円ショップで買った九九の表をお風呂で組み立てていた。一緒に入っていた夫がわー、とか、おーとか騒がしかったが、とうとうフルチンのまま風呂から飛び出してきて叫んだ。
「おい、大変だ!! 福助、入れられるぞ」
九九の表は81枚のプレートが抜けるようになっていて、数字マニアの福助が抱きしめるようにして買ったものだ。お風呂で遊ぶタイルとして使おうと思ったのだったが、福助は土台にきっちり数字をはめ込むのが好きだ。前に私と入った時には、適当にはめるだけだったので、私がそばで直してみせたことはあったが、たった一度だけだ。P子はお城を作って遊んでいるだけだし。
何か所か抜いてみる。かけ算の式と裏に答えが書かれた四角い部分を渡す。その数字を見て、たとえばそれが3×7なら、その空欄、3×6の隣、2×7の下に的確にはめ込めるという。
……それは、希望の光なのかなあ。今日、しっかり聞いてこよう。

 
 

 2003-08-19
 

何かに呪われているな。
世田谷線の山下と小田急線の豪徳寺が、福祉施設の場所です。
その目的地に行くためのルートaは、千歳烏山→下高井戸乗り換え→山下。ルートbは、久我山→下北沢乗り換え→豪徳寺、ともに所要時間は20分程度でした。
私と夫はルートaを選び、千歳烏山から京王線に乗りました。ところがこれが急行で、下高井戸を通過しやがり、いきなり明大前に着いてしまった! 反対方向を見ると各停はしばらく来ないので、ここは下北沢まで行くルートbに切り替えようと、京王線から井の頭線に乗り換えました。急行に乗り一駅で下北沢。楽勝で間に合うねといいながら、小田急線に。ここで各停に乗れば、目的地まで二駅です。
ところが乗ったのが、湘南急行というやつで、私たちは目的の駅をするすると車窓から見送り、着いたのは成城学園前でした。既に約束の時間を3分過ぎていました。
反対の上り各駅停車に乗り、あとはじっくり戻るしかない。さあ、あと一駅だというところで、「接触事故のため遅れております」のアナウンスが。
こんなこともあるんだなあ。もう、今年は何をやっても、ついていない。とことん、ついていない。
初めて行った福祉施設は、直線距離にしたら8キロ程度なのに、電車で1時間15分、ドアtoドアで2時間弱の、とてつもない遠出になりました。
でもね、遅刻のご連絡と経過報告をしたところ、とてもとても親切なの、係の人たち。
やけに明るくて、しゃべり方がアシカショーのお姉さんみたいなの。なぜか保健婦さんとか障害者施設の看護師さんや臨床検査士さんって、みんな同じ匂いがします。とても訓練されている。
「こちらに向かわれているんですね? 大丈夫ですよ、待っています。必ず来て下さいね」
と、再三念を押されたところを見ると、途中でやっぱり帰っちゃうというパターンも少なからずあるように思われました。
うーん、そうね、気持ちがわからないでもないわね。

でも、長い時間電車に乗れて、お父さんにおんぶしてもらって連れてこられた福助はノリノリで、知能テストを、最良の状態でクリアし、できるたびに父親にガッツポーズしてホームランの後の選手のように手をパチンとやって得意げでした。だからといって、必ずしも成績優秀と言うわけではなく、とほほ。ではあるんだけれど、彼自身が楽しそうで何よりでした。
結果はそのうち、別枠でコラムを一つ作ることにして、今日は久しぶりにお父さんとデートした。と言う感じでした。彼は仕事の合間なので、道中一緒というだけだったけれど、いろんな話ができて楽しかった。どこにいても、何をしていても、同じアホなら踊らにゃ損ソン。二人で昼間っから小旅行なんて、めったにあることじゃなし、せっかくなんだもん、楽しまなくちゃね。
「あ、こんなところにパン屑がついてるよ」と、まるでラブラブな二人のように唇の横のゴミをピッととろうとしたら、それは口内炎のかさぶただった。すごく痛かったらしく、結構激しく怒られた、と言うヒトコマもありましたけれども。

ER8を見たので、簡単に片づけものをしたら、後はお風呂に入って本日は終了です。ガーっと動いて、ベッドに入るときが、一番好きだなあ。
福助には福助の時計があって、ゆっくりだけど止まってはいないのだから、まあいいんじゃないかと。
ERのグリーン先生は余命幾ばくもなく、それに比べると私も夫もとても長生きしそうですし、乗り物には呪われていたけど、そのおかげで旅行気分が味わえて、とりあえず無事だったわけだし、だだ茶豆は投げ売りしていて、安くておいしいゆで加減、塩加減に仕上がったし、まあまあ今日もいい日でした。明日もきっと、いい日でしょう。「しばらくは、ついていないんだ」という自覚の元、気楽に行こうと思います。

 
 

 2003-08-22
 

「発火する前に気付いてよかったねー、強運だねぇ」
と胸を撫で下ろしたら、夫にこんな事態を強運といえる神経が分からないと言われた。
では、再び呪われているとでも言うべきなのか。
ちょうど白浜の道も崩落で通行止めだし、天城は大雨だしな。私が2キロ太ったのも、呪いだ、きっと。
山の神様にお祓いでもお願いするか。伊豆には尿もれに霊験新たかな「しょんべんかみさん」(地元語)も、いるっていうしさ。
転院に伴い、お手伝い要員の私はこの三日間で約800キロの道を走った。免許を取って4年、東京在住者が、地元しか通らない山道を、それに似つかわしくないオペルでばりばり走り続けたのである。山道で弾んだとき、どうも着地に失敗して車のおなかを石に打ちつけたのだが、それがオイルタンクの部分だったらしい。転院も無事終わり、帰路の高速道路でガソリンを入れた時、なんとフロントから煙が上がっていたのだった。
調べてもらうと、オイルが半分の量になっていた。ジャッキであげてもらうと、手負いの獣がぽたぽたと血を流すように、激しくオイルが漏れている。それがエンジンルームにも、下のマフラーにも影響して、嫌な煙を上げていたのだった。このまま高速走行すれば、オイルがマフラーにたれて引火する恐れもある。といって、じっとしていればオイルはひどくもれる。レッカー車を呼ぶのが無難ですとガソリンスタンドの人は言う。
最寄りのICまで運んでもらって一般道を行くか。家までレッカーか。夏休みの大変な量の荷物。眠っている子供たち。お土産の中には、クワガタまで入っている。各所に値段を問い合わせて、ありとあらゆる選択肢を考え、結局すぐに高速を降り、一般道をガソリンスタンドに立ち寄ってオイルをチェックしながらゆるゆる行くことに決めた。よい子のみなさんは決して真似しないで下さい。
そして、冒頭の言葉になるのだが、夫は自分が運転していればこんな馬鹿げた事故はありえないと思ったのか、免許を取ろうかなあと言っていた。持っていれば、それは大変に便利だしうれしい。けれど、ねぎらいひとつなく、このタイミングで言われた皮肉を、にこにこ笑えるほどできた妻でもないの、アタシゃ。

病院はしっかりしたインフォームド・コンセントで実にすばらしく、リハビリ病院のため、希望も見える。迷い込んだ熱川温泉郷は、千と千尋の神隠しのようでわくわくし、波打ち際のプール付き露天風呂は安かった。波が寄せてくだけ散るのを裸のまま飽きることなく見続ける子供たちの小さな背中には、確かに幸せの風景があったし、母の作ってくれたおにぎりは格別の味だった。子供たちは自然を満喫したし、いろいろな道を走り抜けるのも面白かった。そして、とりあえずクワガタ一匹を犠牲にした以外、無事に東京に戻ってきた。いい夏休みでした!!

 
 

 2003-08-25
 

劇場版・クレヨンしんちゃん「暗黒タマタマ大作戦」が流れる日曜日の夕方。これは二度目の再生だ。レンタルビデオ1本100円也。毎回たっぷり元をとっているなあ。
昼間、「千歳烏山・木工祭り」でP子と夫が駅前に出ていたときには、エンドレスで「きかんしゃ・トーマス」が流れ続けていた。
ビデオ屋さんから借りてきた時点で既に、テープがすり減っているのは明確な画像で、このビデオはいったいどれほどの子供たちを幸せにしたのだろうかと気が遠くなる思いだった。
トーマス、いけすかないけど、えらいぞ。トーマス。いけすかないのは、トーマスよりも、トップ・ハムハット卿と、にじみ出る「自由のない雰囲気」だけどな。仕方ないか、レールの上を走り続ける他人の人生に自由を求めてもな。それでも、こつこつ働いて、男の子たちを魅了するトーマスとその仲間はえらいのだ。
P子が戻ってきてからは「くまのプーさん」になった。暑い日は、もっぱら視覚のエンターテイメントに逃げる親なのだ。子供たちは二人とも片手に風船を持って、歌にあわせてプーさんを真似しながらよろよろ踊っている。それはそれで大変にかわいくていいが、見ていたら魔法にかけられたように眠くなり、そのままぐっすりお昼寝をしてしまった。私が目覚めたときにも、まだ、プーさんと子供たちは、クリストファーロビンの100エーカーの森で、いや、似つかわしくない狭いリビングを森に見立てて、アヤシイ風船踊りを繰り返していた。
本日の毎日新聞・西原理恵子さん作「毎日かあさん」によれば、子供には遊び道具の霊が降臨して、やめたくてもやめられないトランス状態になることがあるそうだ。朝、それを読んで笑ったが、まさか昼過ぎに、自分の子供たちが「プーさん霊の降臨」によって、踊り狂うとは思わなかった。ある種のシンクロニシティかもしれない。というわけで、風船踊りは霊のしわざなのだから、しょうがない。
あ、「暗黒タマタマ大作戦」に飽きた福助。クレヨンしんちゃんの使う言葉は福助には全く理解できないだろう。と、思っていたら、あ。
またしても劇中に流れる三波春夫の歌う「万博音頭」に釘付けになっている。昨日映画を見ていて、この歌のサビだけあっという間に覚えて「こんちちわーこんちちわーえかーお、くにっかだー」と歌っていたのだった。
息子は音感がよく、一度でサビを覚えるが、その程度では音楽の世界で食べてはいけないだろう。P子に絶対音感をつけようと、赤ん坊の頃寝床に音叉を置いて子守唄を正確な音で歌い続けたものだが、彼女は今、笑っちゃうほど歌が下手だ。それなのに、何もしない息子はかなり正確な音で歌い、私が苦しいので音程をずらすと、訂正することまである。
教育って一体何よ?
知能レベルは1年遅れの2歳なのに、運動神経だけは5歳並の3歳児といわれても、もちろん、運動の世界で食べていくのは、より難しいだろう。(しかし、サッカーは激しい蹴り、バスケのドリブルも3回連続、投手としても美しいフォームで速球を投げ、テニスはラリーができるほどなのに、ただ歩いていて電柱に激突するのは運動神経がいいとは言えないかも……こういう自慢を親ばかと言う)。
絵は、赤と紫と黒しか使わないので何をかいても殺人現場になるため芸術で食べていくのは論外だが、なぜこう、生きていくのに難儀なところばかり優れているかなあ。と、思う。
数学にはちょっと期待できるか。でも、言葉が話せないほど国語力がないから学問系は……なあ。バランスが悪い福助である。
でも、P子だって今や「不機嫌虫」が脳みそに巣食って、この夏休みは、昔はパーシーみたいだったのに、いまや毎日ゴードンみたいな顔をして生きているしな。バランスだって決して良くない。音読の宿題は進んでやっていたが、計算はほとんどしなかった。うーん、夏の終わりに締め切り前の夫のように苦労するんだろうか。白紙で提出だな、このままでは。
まあ、小一というのは、自立の第一歩、イライラする時期でもあるのだろう。「悪魔の二歳児反抗期」もなかった子だし、どこかで帳尻はあうようになっているはずだ。と気長に観察するつもりでいる。
あら、我が家の三波春夫がにこやかに「こんちちわ〜」と歌いながら近付いてきて、「牛乳かいいこ」と私の手をつかんだ。うーん、かわいいなあ。じゃ、いっちょ近所のスーパーで、2003年のこんにちわーっと、牛乳を買っちゃうか。って、そんなに大げさなことでもないな。

 
 

 2003-08-28
 

たまった日記を書きます。
夏休みの醍醐味ですね。

8月25日月曜日・天気/晴れだった気がする。@おうち。
ゆるゆる過ごした。
……全く覚えていないなあ。心配だなあ。いや、完全燃焼な毎日ということか。

8月26日火曜日・天気/晴れだった気がする。@福祉センター。
余裕なく過ごした。
……余裕ないときは、子供たちの面白い言葉も行動も、全く心に響かなくなっちゃって、母親としての唯一の報酬をどぶに捨てているようなもんだ。もったいないなあ。
福助を福祉施設で再び検査する。今日は福祉施設にありがちな「アシカショーのお姉さん的リアクション」に負けないぐらい、そうね、イルカショーのお姉さんレベルにはテンションをあげていったんだけど、
「お母さん、はりきりすぎないで」
などと施設の方に言われてしまい、はりきらないでここに嬉々としてやってこられるのはどんな人なんだ教えてくれと、突っ込みたくなった。しかし、税金でお世話になっていることでもあり、みんな腫れ物に触るように気をつかってくれているのだからと理性が勝って、気持ちは負け。
それにしても、福祉施設も区役所も総合支所(出張所)も、世田谷区って、役人、多すぎな気がした。

8月27日水曜日・天気/晴れだった気がする。(って、昨日じゃないか)。@国立科学博物館。
楽しく過ごした。
「絵日記を書きたくても、どこにも連れていってくれない」
と言う定番の言い訳が出たので、上野の科博に行く。
「大江戸博覧会のチケット下さい」
といったら、「江戸大博覧会ですね?」
と笑われて、ちょっと恥ずかしかった。大江戸、って感じじゃーん!!
博物館はいいねー、涼しくて子供が夢中になれて、それ以上に大人も夢中で。
福助は一人で30分ぐらい、順番待ちする人たちと交代しながら、何度もその列に並んでは発電機をまわし続け、40ワットの電気をつけては興奮し、その他の「レバーまわしもの」は一通り、都合一時間以上もまわし続けたので、「ぐるぐるまわす」を思う存分堪能して幸せそうだったし(それでも帰る時にもっとまわすと泣いたけど)、P子はなんかどーも、変な細部にこだわる人だと言うことがよーくわかって、ずーっと楽しそうにニコニコしていたので、収穫はいっぱいだ。
変な細部。
たとえば、博物館の期間イベント、江戸時代の展示物を見ていて、私がとてつもなく高揚しているところに、
「お母さん、これ、何?」
と聞かれ、おおなんてすてきな響きだ。何でも答えるぞ、この瞬間のために私は江戸学をこつこつ学んできたのだとさえ思いながら、笑顔でどれ?と尋ねたら、ガラスケースをつなぐパテが一部剥げているところだったり。
「これ、すごいねー。これが日光江戸村の人が使っているものなんだね」
と微妙な勘違いをしていたので、懇切丁寧に教えると、
「そうか。江戸時代の人ってすごいんだね。P子が一番かっこいいと思うのが、この温度計が二つのやつだよ。どこにでも必ずあるんだよー、だから大事なものなんだよ」
って、それは展示用の湿度計だよ。現代の匠がお作りになったものだ。多分、中国製だ。
という具合で、面白いことこの上なしだった。
恐竜の部屋では、恐竜の卵の化石を指差して、大声で「おかあさーん、見て見て、恐竜のうんこだよー」と得意げに叫んだ君を、私は一生忘れないだろう。

8月28日木曜日・天気/曇り、今のところ。@おうち。
再び、ゆるゆる過ごす、予定。そして、完全燃焼、の予定。どんなんだ、それ?

 
 

 2003-08-31
 

ある日突然、魔法使いのジー二ーがやってきてみっつのお願いを叶えてくれるとしたら、私は迷うことなく、「短時間睡眠で疲労回復」をその第一に使うだろう。それであまった時間を、テニスと育児と飲み会とホームページの充実に費やしたいわ。いずれも私の趣味ね。
日曜日はお昼まで眠っていて、夕方、通販のカタログが来たら、ずーっと寝具の説明を熟読してしまった。どれかを買えば、この腰痛と倦怠感から逃れられるかも、と思ったら、もう、止まらないの。結局、まよったまま、いずれも決め手なしで、ああ、こんなことなら、説明を読んでいた時間、眠ればよかったかも……。

ぐったりしているのは、久々の夜遊びのせいもありそう。
昨晩、友達の家のパーティーに誘われて、祐天寺まで。目黒の閑静な住宅街に瀟洒な一軒家に住む、DINKSの業界人が主催している……とかいうと、なんかすごいな、なんのことはない、20年来の友達が「飲み会するよー」と、声をかけてくれたんだけど。
ああ、子持ちになるまではよーくやっていたなあ、ホームパーティー。子供がいると別の意味で毎日ホームパーティー状態で楽しいが、テーマを決めたり、おもてなし料理を考えたり(作れないけど)、メンバーに連絡したり、それらしく飾ったりする事前の準備が大好きだった。新しい出会いとかも、夢想したりしてさぁ。(若かったなあ)。
子持ちだと「準備にわくわく」というのがない。新しい出会いがあっても、異性は恋愛対象外の幼児ばかりだし。ちらかっていようが何だろうが、遊ぶとなれば速攻、「まあ、いいからあがって」みたいになる。それで、洗濯物の山は母ちゃんの太い腕によってがががっとすみっこに寄せられ、麦茶と、あれば駄菓子がでーんとテーブルにキャラクター付きのプラスティックカップに入れて置かれ、宴会開始なのだ。子供たちがおもちゃをひっぱりだし、やがて走り回って、歓声と嬌声の中、ママ友たちと過ごすのは、愉快だけど、お洒落じゃないわね。
だからたまには別世界の人たちと「大人の会話」も、必要よ。
さすがに子供がいないだけあって、いつもこざっぱりとかっこよく暮らしている友人夫妻。それは、とても気持ちいい暮らし方だ。もう何十年も一緒にいるような、落ち着きのある風情の二人は、40過ぎてから一緒になった。普段は激務の女社長は、配偶者の前では、食後の猫のように"たっぷり幸せな"姿になる。休暇には一緒に旅をし、おいしいものを食べて、二人の時間を慈しんで過ごしている。育児に追われる日々の戦争も私のような好戦的な人間には結構楽しく夢中になれるが、仕事で自己実現して私生活は自分のために平和に暮らすというライフスタイルは、ある種の憧れでもある。
「いやー、お互い、隣の芝生だけどねー」
と、言い合って、そんなものなのかもしれないと思う。魔法使いの二つ目の願いで、とりかえっこできても、多分三つ目で元に戻してと言うだろう。お互い、自分たちの今を尊重し、今の自分を愛しているもんな。
一緒に招かれていた、20代のはやのん(漫画家とライターのペア)たちも子供がいない。しばらく見ないうちにぐっと妖艶になったはやのんは、何か、フェロモン全開の「現役でっす、ばりばりっす、やってまっす(はーと)」という雰囲気で、そういう(どういう?)ライフスタイルもまた、ある種の憧れだと思った。いい加減、枯れたいよ、私。命がけの生殖で産卵したら死ぬ鮭のような潔さが欲しいわ。
勢いのいい芝生のような、はやのんの彼の黒々きっちり刈り込んだ頭(金色の弁髪つき)を見て、若さって眩しいなあと、ご隠居気分になった。いよいよ人の目を気にしなくなった、うちの夫のごま塩頭は、ぼさぼさで、枯れ木も山のにぎわい風。そろそろまた、刈らないとなあ。
31歳の東大+一橋大出身の国立大卒の夫婦には、妻似で美形の7か月の赤子がいる。同じ三十代でも、前半と後半で女は全く違う生き物になると、妻のこむらさきちゃんを見て思う。(いや、もともと、リスザルとオラウ−タンぐらい違いはありましたけれども、今はもう、科ではなく類が異なる)。テレビ局勤務の彼は学生時代から仕事のできる男だと知ってはいたが、連日の激務の最中、多い時には一時間おきにメールをチェックし、同時に妻にメールで自分の状況を知らせたりストレス解消の愚痴こぼしをしたりしていると聞いて、私と40歳になりたてのはるちゃんはひっくり返った。
それはあの……いくらなんでも、まめ、すぎない? 仕事中ですよ?
はやのんたちも、「メールチェックはしょっちゅうですよー、そんなことで、何おどろいてんですか」と化石を見る目でいう。そうなんですか、若いみなさん? と、あまり若い人は読んでいないであろう、このHPを主宰している私は、いったい誰に問えばいいのだろう? ああ、「公私の別」なんて言葉は死語なのだ、携帯電話の普及によって個別にいつでも連絡が取れる時代なんだなあと痛感する。そして、言葉を費やすのだ。メールでも電話でも、愛は言葉で伝えるものだ、言わなければ伝わらないと、公言する1970年代生まれたち。
それに対し、枯れかけ夫婦三組の夫たちの、なんと怠慢な、妻への賞賛と愛の囁き。またしても若い他人の芝生は青く見えたが、ポケベルですら投げ捨てたくなるほど干渉されることが苦手だった青春時代を思えば、もし今若い人だったら私、マメにチェックできない、返事も打てないで、絶対にモテナイ女だっただろうなあと思う。
「そんなに連絡を取り合わなくちゃいけないなんて、不自由じゃないの?」
と、はるちゃんなんか、質問する声が裏返っている。
「自分達がやりたくてやっていることだから、不自由じゃないですよ」
と、はやのんがきっぱり論破した。そうか。すごいなあ。さすが、ばりばりだなあ。←やがて、死語。「会えない時間が愛育てるのさ、目をつぶれば君がいる」(By.安井かずみ)の歌が、郷ひろみの声で聴こえてくるわ。妄想で苦しくなるから、恋愛状態が苦手だった私には、案外今の時代の、ツールをたくさん使った恋の方が楽だったりするのかな。……でも、相手がたとえ慎吾ちゃんでも(柳沢じゃないよー),やっぱりめんどくさくなりそうな気がするなあ。

ああ、めんどうといえば、明日から学校じゃないか。なんてこったい。「夏」らしい日がほとんどなくて、プールにも行かなかったので、ちっとも夏休みが終わる寂しさがないなあ。ああ、そうか。私が主役の夏休みじゃなくて、娘の夏休みだったからだ。10年後、彼女の恋愛にはどんなルールが常識なんだろう。うふふ、あと、何年間男の子と無縁な夏休みなのかな。子供がいるって、脇役でもう一度、学生時代をなぞれるのがちょっとお得だな。でも、今夜は子供たちを早く寝かせたので、リビングがとてつもなく散らかったまま。カタログを読みふけっていたから、洗い物もこれから。なんとなく宿題が残ったような気分の、8月最後の、夜です。

 
 

  
 
日記
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