ある日突然、魔法使いのジー二ーがやってきてみっつのお願いを叶えてくれるとしたら、私は迷うことなく、「短時間睡眠で疲労回復」をその第一に使うだろう。それであまった時間を、テニスと育児と飲み会とホームページの充実に費やしたいわ。いずれも私の趣味ね。
日曜日はお昼まで眠っていて、夕方、通販のカタログが来たら、ずーっと寝具の説明を熟読してしまった。どれかを買えば、この腰痛と倦怠感から逃れられるかも、と思ったら、もう、止まらないの。結局、まよったまま、いずれも決め手なしで、ああ、こんなことなら、説明を読んでいた時間、眠ればよかったかも……。
ぐったりしているのは、久々の夜遊びのせいもありそう。
昨晩、友達の家のパーティーに誘われて、祐天寺まで。目黒の閑静な住宅街に瀟洒な一軒家に住む、DINKSの業界人が主催している……とかいうと、なんかすごいな、なんのことはない、20年来の友達が「飲み会するよー」と、声をかけてくれたんだけど。
ああ、子持ちになるまではよーくやっていたなあ、ホームパーティー。子供がいると別の意味で毎日ホームパーティー状態で楽しいが、テーマを決めたり、おもてなし料理を考えたり(作れないけど)、メンバーに連絡したり、それらしく飾ったりする事前の準備が大好きだった。新しい出会いとかも、夢想したりしてさぁ。(若かったなあ)。
子持ちだと「準備にわくわく」というのがない。新しい出会いがあっても、異性は恋愛対象外の幼児ばかりだし。ちらかっていようが何だろうが、遊ぶとなれば速攻、「まあ、いいからあがって」みたいになる。それで、洗濯物の山は母ちゃんの太い腕によってがががっとすみっこに寄せられ、麦茶と、あれば駄菓子がでーんとテーブルにキャラクター付きのプラスティックカップに入れて置かれ、宴会開始なのだ。子供たちがおもちゃをひっぱりだし、やがて走り回って、歓声と嬌声の中、ママ友たちと過ごすのは、愉快だけど、お洒落じゃないわね。
だからたまには別世界の人たちと「大人の会話」も、必要よ。
さすがに子供がいないだけあって、いつもこざっぱりとかっこよく暮らしている友人夫妻。それは、とても気持ちいい暮らし方だ。もう何十年も一緒にいるような、落ち着きのある風情の二人は、40過ぎてから一緒になった。普段は激務の女社長は、配偶者の前では、食後の猫のように"たっぷり幸せな"姿になる。休暇には一緒に旅をし、おいしいものを食べて、二人の時間を慈しんで過ごしている。育児に追われる日々の戦争も私のような好戦的な人間には結構楽しく夢中になれるが、仕事で自己実現して私生活は自分のために平和に暮らすというライフスタイルは、ある種の憧れでもある。
「いやー、お互い、隣の芝生だけどねー」
と、言い合って、そんなものなのかもしれないと思う。魔法使いの二つ目の願いで、とりかえっこできても、多分三つ目で元に戻してと言うだろう。お互い、自分たちの今を尊重し、今の自分を愛しているもんな。
一緒に招かれていた、20代のはやのん(漫画家とライターのペア)たちも子供がいない。しばらく見ないうちにぐっと妖艶になったはやのんは、何か、フェロモン全開の「現役でっす、ばりばりっす、やってまっす(はーと)」という雰囲気で、そういう(どういう?)ライフスタイルもまた、ある種の憧れだと思った。いい加減、枯れたいよ、私。命がけの生殖で産卵したら死ぬ鮭のような潔さが欲しいわ。
勢いのいい芝生のような、はやのんの彼の黒々きっちり刈り込んだ頭(金色の弁髪つき)を見て、若さって眩しいなあと、ご隠居気分になった。いよいよ人の目を気にしなくなった、うちの夫のごま塩頭は、ぼさぼさで、枯れ木も山のにぎわい風。そろそろまた、刈らないとなあ。
31歳の東大+一橋大出身の国立大卒の夫婦には、妻似で美形の7か月の赤子がいる。同じ三十代でも、前半と後半で女は全く違う生き物になると、妻のこむらさきちゃんを見て思う。(いや、もともと、リスザルとオラウ−タンぐらい違いはありましたけれども、今はもう、科ではなく類が異なる)。テレビ局勤務の彼は学生時代から仕事のできる男だと知ってはいたが、連日の激務の最中、多い時には一時間おきにメールをチェックし、同時に妻にメールで自分の状況を知らせたりストレス解消の愚痴こぼしをしたりしていると聞いて、私と40歳になりたてのはるちゃんはひっくり返った。
それはあの……いくらなんでも、まめ、すぎない? 仕事中ですよ?
はやのんたちも、「メールチェックはしょっちゅうですよー、そんなことで、何おどろいてんですか」と化石を見る目でいう。そうなんですか、若いみなさん? と、あまり若い人は読んでいないであろう、このHPを主宰している私は、いったい誰に問えばいいのだろう? ああ、「公私の別」なんて言葉は死語なのだ、携帯電話の普及によって個別にいつでも連絡が取れる時代なんだなあと痛感する。そして、言葉を費やすのだ。メールでも電話でも、愛は言葉で伝えるものだ、言わなければ伝わらないと、公言する1970年代生まれたち。
それに対し、枯れかけ夫婦三組の夫たちの、なんと怠慢な、妻への賞賛と愛の囁き。またしても若い他人の芝生は青く見えたが、ポケベルですら投げ捨てたくなるほど干渉されることが苦手だった青春時代を思えば、もし今若い人だったら私、マメにチェックできない、返事も打てないで、絶対にモテナイ女だっただろうなあと思う。
「そんなに連絡を取り合わなくちゃいけないなんて、不自由じゃないの?」
と、はるちゃんなんか、質問する声が裏返っている。
「自分達がやりたくてやっていることだから、不自由じゃないですよ」
と、はやのんがきっぱり論破した。そうか。すごいなあ。さすが、ばりばりだなあ。←やがて、死語。「会えない時間が愛育てるのさ、目をつぶれば君がいる」(By.安井かずみ)の歌が、郷ひろみの声で聴こえてくるわ。妄想で苦しくなるから、恋愛状態が苦手だった私には、案外今の時代の、ツールをたくさん使った恋の方が楽だったりするのかな。……でも、相手がたとえ慎吾ちゃんでも(柳沢じゃないよー),やっぱりめんどくさくなりそうな気がするなあ。
ああ、めんどうといえば、明日から学校じゃないか。なんてこったい。「夏」らしい日がほとんどなくて、プールにも行かなかったので、ちっとも夏休みが終わる寂しさがないなあ。ああ、そうか。私が主役の夏休みじゃなくて、娘の夏休みだったからだ。10年後、彼女の恋愛にはどんなルールが常識なんだろう。うふふ、あと、何年間男の子と無縁な夏休みなのかな。子供がいるって、脇役でもう一度、学生時代をなぞれるのがちょっとお得だな。でも、今夜は子供たちを早く寝かせたので、リビングがとてつもなく散らかったまま。カタログを読みふけっていたから、洗い物もこれから。なんとなく宿題が残ったような気分の、8月最後の、夜です。