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 2003-07-01
 

自分の頭の上の蝿を追え。
と言う気がしないでもないのだが、多分このHPを読んでいない学生時代の友達から、ひさしぶりにメールが来て、その内容があまりに深刻だったのでついうっかりすぐさま電話をかけてしまい、そのまま四時間近く話し込んだ。放っておけない、おせっかいな私。
東京五輪で浮かれた時代に生まれた私たちは、今年39歳になる。
たいていの仕事は、募集が35歳までの年令制限にひっかかり、再婚するにも、30代最後で見合いの話は難しい。まして子連れともなれば、今から自力で恋愛するにも底力がいるだろう。
中年。それは、中途半端な響き。
だけど、逆に言えばまだ三十代、折り返し地点ちょっと手前なのだ。絶妙な年令なのだ。その気になればいくつからだって人生はやり直せる。一日だって、朝日の輝く午前中だけが美しいのではない。むしろ、夜のお楽しみこそ、大人の悦びよね。と、話して、和む。
私は「母親」にジョブチェンジしてから、結構のほほーんと生きている。前半、たいしたことはないにしても、まあ、いろいろ面倒があったので、後半はのんびり過ごしたいと思っている。このままだらだらと子育てをして、老後は、毎日新聞の女の気持ちなどに「お父さんがいてくれたおかげで」なんて死んだ夫に謝辞を送る作文なんか書いて、最後の一人暮らしを満喫し、旅先で、ある日ぽっくり死んでいる、というのが理想だ。
つらいときに私は「これはチャンス、これはチャンス」と言い聞かせて乗り越えた。嫌な経験は全部、力づくで幸運につなげればいい。新しいトラブルは、福引きみたいなもんだ。何が出てくるかわからないから、おもしろいんだ。
もう福引きを引くこともなくなった今は、特等ハワイ旅行はおろか、五等ティッシュですら、当てるチャンスは訪れないだろうと思う。せいぜい、事故に当たって、経験値が増える程度ね。
でも、人生の荒波はいつも突然。三十代最後の夏というのは、枯れるには若すぎ、はしゃぐには落ち着きすぎた、でもだからこそちょっとわくわくしちゃうものなのかも。強運さえ信じれば、ここから全部がかわるほどのターニングポイントになっちゃうのかも。子供でも大人でもなかった、15歳のあの、夏のように。と、友達と話していて、そんなふうに思った。
私の夏はノーチャンスで、それはそれで肯定するけれども、人生のリセットボタンに手をかけている友達を見て、いつになく応援の力が入る。頑張れ、同級生!! 三十代最後の夏を、悔いなく過ごそう。
願わくば、彼女が不本意にも臨まなければならなくなった福引きで、今度は「地道な幸運」(多分、三等賞ぐらい)を引き当てられますように。

 
 

 2003-07-03
 

港区の麻布界隈は、いい街だなあ。
昔ながらの友達が引っ越して、それまで未踏だった彼女の町を、じっくり歩きました。知らない景色は観光旅行みたいで嬉しい。福助もおおはしゃぎで、幅広の歩道を走りまくっていました。それを見ている母も嬉しい。嬉しいから、散歩が楽しい。
小さな横断歩道の信号を赤で渡ろうとして、福助に気づいてあわててやめる大人達が結構たくさんいて、ああ、いい街はいい人がつくり、いい街に育つといい人になるのだなと、「おのぼりさん」は感心しました。自転車の走行をさまたげる走り方をする福助にも、皆、なぜか優しい。歩行者優先、子供優先って、徹底している。私の地元だったら、まず怒鳴られます。
駅前では違法駐輪を繰り返さなければならず、視覚障害者が安心して歩けない街と、でっかい歩道に誰がとめてもいい自転車がきちんと整列していて、車いすだってすいすい走れる街とでは、長い目でみれば人の質が違って来そうだよなあ。
異国情緒たっぷりな店でタイのごはん。日ざしはぬるいけれど、オープンテラス。空にはぶんぶん飛行機が飛んで、「しこーき、エアぷれぃん、かぁか、びでぇ(見て)、っつくーぅう(cool)」と、そのたび福助は落ち着かないが、センミーナ−ム(汁そば)はうまかったらしく全部食べて、丸一人前、追加しました。シンハービアを友達とシェアすれば、本格的な味は、私のバカンスの記憶をしっかり刺激して、突然のトリップです。あら、簡単。
いやー、若いときに遊んでおくのは大事よ、奥さま方! 追憶を味わうという、老後の(まだ老後じゃないけどさー)お楽しみは、若い頃に愛のメモリーがあってこそです。わずか1000円のランチで、ばばーんと現実逃避よ。とってもお得。ということは、あれだ、まだまだ先も長いんだから、いい記憶、楽しい思い出をもりもり貯めていかないとダメだわ。老後に備えてね。
お散歩しましょう。遠くに旅行できなくても、楽しさのランクはあまり変わらない。東京は永遠に未完成、次から次へと街の景観が変わって、懐が深いです。歩く早さで見えてくるものもあります。15日には意見陳述が決定し、免停まで秒読みだしさー。

「福ちゃんは英語の方が理解しやすいんだよ」
と、友だちは、自分の子供にも英語でのコミュニケーションを促してくれました。
インターナショナルスクールでバイリンガル教育を受けている息子君は、達者な日本語で容赦なく福助を導いてくれました。一つ年上のお兄ちゃんに、しっぽを振る福助。クリストファーロビンとプーさんのような関係ですが、仲良しならそれもまた。
もちろん彼女自身もずーっと英語で福助に話しかけてくれるので、福助はいつになく落ち着いていました。帰るまぎわになって変な日本語英語を使いはじめ、駅に歩いて行く間も、電車の中でぱたっと眠りに落ちる寸前まで、ずーっとしゃべっていて、彼史上初のおしゃべりモード福助を見ました。街で英語を使っていても、誰も変な目でみないし、外国人は気軽に声をかけてもくれるから、福助はリラックスしていたんだろうなあ。
「福ちゃんがぁぁ、ひっぱんないでぇぇ、こーひーを入れてくぅださいでぇぇ、0ne two threeでぇぇ、リルインディアンボーイズ、でぇぇ、ドアしまいましゅでぇぇ、っちゃってぇぇ、わーってぇぇ、レッドアポーうじゅうじゅじゅ(聞き取り不可英語)でぇぇ、オープンザドアプリーズうじゅうじゅうじゅ(聞き取り不可英語)でぇぇ。ぐぅーはん、なっとーでぇぇ、ひっぱんないでぇぇ(エンドレス)」
歩道のまん中で仁王立ちして演説を始めた福助。「オレは語りたいんだ」と言うことはわかります。内容が支離滅裂なんだけど……。でも、これはもう、三語文獲得と言っていいような気がする。大まじめに熱弁を振るっているわけで、歩道で福助を見つめながら笑っちゃいました。バスを待っている人たちも笑っていました。やっぱり、麻布界隈は、いい街だと思います。

 
 

 2003-07-04
 

「お名前は?」
「福ちゃんでーしゅ」
「お年はいくつ?」
「しゃんしゃい、でーしゅ」
と、調子がいいときは言う。こともある。
ので、犬を飼ったことがある夫が、仕事に煮詰まるとリビングにおりて来て、芸を仕込もうとする。
夫「鈴木ゆう子さーん」
私「はーいっ(と勢い良く手をあげる母)」
夫「鈴木福助くーん」
福助「……」
繰り返される、真夜中の出席とり。
夫「福助くん、福助、鈴木福助くーん」 ちらちら私を見ている福助。 夫は業を煮やして「お前だよ」と突っ込む。
あ、ボクでしたか。と言う表情がおもしろかったので、何度か「お前だよ」と突っ込んで、三人で笑い合う。 夫「鈴木ゆう子さーん」
仕切り直してみると、今度は積極的な福助。
「はーい」「はーい」
夫「違うの、君は福助くん。鈴木ゆう子さんじゃないの。お名前はなんですか?」
福助「お名前はなんしゅか?」
私(お、リピートしたぞ)と、夫に目配せする。
夫「す・ず・き、ふ・く・す・け、です」
福助「お前だよ」
絶妙なタイミングにちょっと受けちゃったら、今度は何を聞いても「お前だよ」になってしまった。
「鈴木おまえだよ」と改名しようか悩む。

「What's your name? 」は比較的ちゃんと答えてくれる。しかし、ビデオの世界に入り込んでいるせいか、最近は、
「My name is Nicole.I'm 6years old.」とサバ読むことがある。いろいろな名前の少年が出てくるが、なぜかいつもニコルなのだ。前世か?
「鈴木二コル」と改名しようか悩む。

「鈴木福助君!」
「いない」
と、答えたこともあった。

体のパーツを英語で話しだしていたので、聞いていた。
ヘッド、ショウダー、ニー。
「そうだね。ヘッドはどこ? うぇありず・ゆあへっど?(この程度の家庭内英語教育に問題アリか?)」
ちゃんと頭を指差す福助。
「ショルダーはどうかな?」
ちゃんと肩を指差す福助。
「ここは何かな」
にっこりピースするが、答えは出て来ない。
「福助、おひざはニーだよ」
「ちゃうよ、しゃん(3)!! 」
ピースに小指を立てて、「グワシ」のようなポーズで得意げに言う。
「福ちゃんでしゅ、しゃんしゃい、でーす」
バカなのか、こっちをバカにしているのか。
とりあえず改名はしなくてもいいか、とは思う。

「びでぇー」(見て)
と言って、バレリーナの真似をする。回転したあと、四つん這いで左足だけをあげてポーズをとる。
どんな意味があるのかは不明だが、ポーズに納得がいくととても嬉しそうだ。
「福ちゃん、こっちにおいでー」
と呼ぶと、「はーい」といいお返事をする。でも、時々「おいででないよー」と指令を無視するときもある。
お風呂に入る前、裸になると決まって、両手をあげて神妙に横歩きをする。片足けんけんをする。ちんちんが揺れて、かなり笑えるショータイムだ。
「なに、しょれー?」
と、くすくす自問自答しているところを見ると、もはや芸術に近いのかもしれない。
……バカでもいいか、と思う。だって、こんなのが一人いると、毎日ものスゴーク面白いですよ。

 
 

 2003-07-05
 

ここのところ、娘のP子は手負いの子豚になっていた。
何を言っても、「なーんーでよー」「どうしてぇぇぇ?」と、質問形式の当り屋になっていた。
「言ってない、言ってない、言ってないねー、そんなの。ばかじゃん」だとか、「お母さんの言うことは嘘だねー嘘言うなよ」だとか、「んもー、だからおかあさんていやだ。大っきらい」とか、私に母親のプロとしての誇りがなければ、骨折も辞さないほど(あれ、言葉が変だな)ぶちのめしていただろう、言い方で絡んで来ていた。
余りにも目に余るときには、夫が間に入り、調整役をかってでてくれる。私が多少言い過ぎたときでも、一応母親の顔を立ててくれるので、私としては娘を虐待せずにすんだ。彼は、何を守り、どこを責めれば一番効果的なのかをよく知っている。小1であっても娘は口の立つ女なので、あたかも嫁姑のバトルの様相であった。
かなり疲れ果て、育時に自信もなくす母。威張りくさり、すぐに泣叫ぶ情緒不安定な娘を、寄宿舎にぶち込む想像で溜飲を下す日々は、ヤバいよなあと思い、義母に相談して、義母の教えを守ってみた。亀の甲より年の功です。
娘が何を言っても構わずに放置する。必要と思われることでも、荒れるなら言わずにおく。それで遅刻しようが欠席しようが、任せる。すると、向こうから何か必ずサインを出してくるから、見のがすな。 つぶさに観察し続けた結果、さすがに一週間程度でその原因が見えてきた。この一週間、ずーっと遅刻し続けていたので、そろそろ決着を付けないとなあ。と、思っていた矢先。
仲良しの友達と、それを取り巻く友人との仲が、こじれていたのである。なんだそんなことかよ、と、思わなくもないが、一年生の立場で話を聞くと(イライラするほど秘密の多い娘なのではあるが)なかなか深刻なのであった。
一番大きな問題は、間に入るべき人の不在だ。大人の喧嘩には弁護士をつけるし、丸腰で戦う人はいない。それは、お互いに傷つけあわないためだ。法律と言う土俵があれば、決まり手も禁じ手もわきまえている。しかし、子供たちは常識もルールも知らない状態で、やみくもに闘うわけだから、たまらない。何がしていいことなのか、悪いことなのか。その法律はかつて「教師」にあった。教師に叱られることで、子供達は何がルールかを学んでいった。多少理不尽なことがあっても大人をなめることはなかったように思う。しかし、価値観が多様化している今、先生は民主的で優しい。それは多分、いいことなのだろう。だが、やんちゃキッズにとっては、広い心を持つ平等主義の先生は、きっと母親より御しやすい。常識はそれぞれの家庭に任され、36人のクラスメイトは36通りのルールを持つため、集団生活は昔よりずっと、大変なことになっている気がする。
管理教育にはそれなりのよさがあったのかなと、生徒総会で教師とさんざんやりあった私が思うのだから、私の見識も広がったものだ。私が小学生の頃には、絶対に許されなかった給食のお残しも、今は誰も叱らない。娘が家で御飯を残すときに学校でのルールを大義にしたので、「それは我が家では許されない」と、手をつける前に残す以外は認めなかった。学校でも好き嫌いの克服と食べ物の大切さを。と、連絡帳に書いたところ、心の傷にならないように。と丁寧なお返事を頂いた。先生は正しい。私は常に、そう思っている。そうやって先生を支えなければクラスの運営がやりにくいだろうと思うからだ。だから、相容れない部分のメリットを考える。そして、子供にはそれを説明しながら、しかし我が家の流儀の意味も叩き込む。今は家庭と学校のダブルスタンダードを子供が身につけなければならない時代なのかもしれない。
自分の身が危なくなったら、宣戦布告して、いよいよ玉を蹴れ。と、教える。すさんだ鈴木家の訓えを説きながら、目の前に太字で「ガンジー」「非暴力主義」「無血革命」などという文字が浮かんでは消えた。虚しいが、私は娘を守らなければならない。
どんなときにも両親があなたに味方するから、思う存分やれ。と、言う。先生の対処が理解できないなら、校門前で待って私が叱るがどうか。あなたが言葉にできない想いを全部翻訳して伝えるが、誰に言えばいいのか。またはマニュアルをつくってあげるから、それで闘ってごらん。と言ったら、少し落ち着いたようだった。
「泣き虫って言った方が泣き虫だ」「バカっていった方がバカなんだ、そんなことを知らないことがすでにバカ」という、超ビギナー編から、「はげ? 可哀想に、女は禿げないが男は禿げる。お前は30年後、ハゲに悩むだろう。同窓会でかつらを取ってハゲハゲとひやかしてやる」「たとえ猿でも、メスを大切にしない猿はいない。猿にできることができないなんて、お前は猿よりもダメダメで、猿にさえモテナイ男なのだ」(猿学の方、ごめんなさい)「私をバカだと言うなら先生のところに言って、おまえと私のどちらがバカか聞いてみよう。先生は、必ずや先にバカだと言ったお前をバカだと言うはずだ」という上級編まで、細かく指示を出す。メモを取りながら、真剣に聞く娘。「かわいそうに、と言うのがキーワードだと思うな」などと感心していた。
「どうして?」と聞かれたらどうしたらいいのか。とも聞かれ、ああ、ここのところ当たり屋になっていたのは、そのノウハウを知りたかったというのもあるのね、と思う。
「どうして? どうして、お腹が減るのかな。と、歌って踊るんだよ!!」
と、派手に歌って踊って笑わせる。喧嘩にギャグは大切な武器だ。我が家はそれで喧嘩にならないのだ。娘の顔に笑顔が戻ったのは、実に久しぶりだった。昨日までだったら、「ふん」と言われて、私の踊りはさぞ、さみしかったと思う。
私にできるバックアップとして、問題の子供の親と親しくなり、一緒に遊ぶチャンスをつくらなければならない。本当に相手の子を絞めるわけにはいかないので、北風と太陽の、太陽政策をとることにする。次から次へと、いろいろ課題をありがとう。P子。一緒に頑張ろうね。

 
 

 2003-07-08
 

弁護士事務所、というところに行くのは初めてではありませんでしたが、相談者として弁護士さんに会う経験はもちろん初めてでした。麹町のスゴークでっかいビルに気圧されながら、(修理しても20万の物損事故、裁判にしない前提で法律相談に来ているだけだから……しかも、交通事故の場合、三回まで無料だし)しかし、中にいる人たちは皆親切で優しく、「おお、正義の味方!!」という雰囲気できびきびと働いているのでした。
「お気持ちは分かります。片方からだけですけれども(と、ちゃんと条件付けするところが理性的)お話を聞く限り、相手は手慣れているし、悪質ですね。しかし……」
裁判にした場合を聞き、では次に何をすべきかを聞き、法的根拠となる関係資料を頂き、その説明を丁寧にしていただき、全体的な落としどころを予測してもらって、終了。助手の方と30分、弁護士さんとも30分。30分拘束の相場は5000円からなのに、ああ、タダですみません!!という気分でした。
次にもし、ごっつい犯罪に巻き込まれたり、雪の中バスに置いて行かれたり、万一、離婚訴訟のときには、必ずや。と、よく分かんない誓いで握りこぶしを握りこんでしまうほどに、こう、パワーみなぎる場所ではありました。大人の喧嘩の、最大の武器。という感じでしょうか。

以前、片手たばこで無灯火の原チャリオヤジを一時停止線上ですっ転ばしてしまったとき、私が悪いことは重々承知の上で、しかしその運転態度にも問題があると思ったので、過失割り合いを7:3でと保険会社に申し入れたことがありました。法的には8:2でした。そしたら、オヤジが突然「体が痛い」と言い出している、相手は営業中の事故であり、運転態度が悪かったと会社では認められない状況にあることを察して、人身にしないかわりに、8:2で飲んでくれ。と、言われました。「ステップまがっちゃったんで、ハンマー、持ってる? 叩けば直るから」と私に聞いたオヤジのステップの修理代が7000円請求されて来たときにはやっぱりびっくりしました。
オヤジは吉祥寺の信用金庫勤務だったので、危険な原チャリ運転の指導を徹底してほしいと上に進言しちゃおうかなあと一瞬思ったぐらいでした。私が加害者なので、そんなことしませんでしたけれども。

昔、バイクに乗っていたとき、キープレフトで走行していたところ、突然車が進路変更して、接触したことがあります。モトクロスバイクだったので、自分から倒れれば怪我しないのを知っていましたし、まあバイクなんて多少曲がろうが傷付こうがどうせ泥だらけなんだし。と寛大な私は、「すみません」と言われれば「いいですよー、バイクは突然見なくなることがあるから気をつけてねー」ですますつもりで歩道に投げ出されていました。思えば、ガードレールがあったら、死んでいたよね。ところが転んでいる私を起こしにもこないで車の中でじっとしているバカ女がいたので「ちょっと、ごめんなさいは?」と窓をノックしたら「とろとろ走り腐ってこのアマ、さげんじゃねーぞ」とやくざの情婦のようなお口の聞き方だったので、警察に即電話。
状況を聞いた警察は私にしきりに病院に行けと勧めましたが、初めての事故でしたし、せいぜい打撲程度で、病院にいっている時間も惜しかったので、「ごめんなさいっていってもらえばいいですよ」と、言い続けました。なかなか謝ろうとしない女に、警察は「人身にしないって言ってくれているんだぞ」と進言してくれたので、ブスったれた顔で「すびばせんっ!」と謝られた経験があります。
あのときに、そうか、警察がとにかく病院、病院と騒いでいたのも、それが謝罪させる一番の方法だったのね。と、今頃になって気づきました。遅すぎ。すねの青あざで診断書を書いてもらうと、いろんな展開があったわけです。診断書こそが、喧嘩するときに必要なアイテムだったわけです。なまじ頑丈なのが災いしたなあ。
自転車でまっすぐ走っていて、T字路一時停止線無視して右折した自転車に横から激突されて空中を飛んだときも、相手の若いお姉ちゃんが泣きじゃくってごめんなさいごめんなさいと震えているのを見て「大丈夫だから」と慰め、「おお、飛んだよ」ということに興奮していました。しばらくうずくまって歩けるようになったので、住所を交換しておうちに帰りました。自転車のダメージはあったけれども、私の体は全く問題なく。いやー、私は同じ回数事故を起こさなければならない運命があるのなら、私のような人と起こしたい。とすら、思います。今は。
甘いもん。対応、ぬるすぎるもん。思いっきり丸腰なんだもん。
交通事故っていろんな意味で怖いです。でも一番怖いのは、そうやって経験を積んで行くことで、狡猾になってしまう自分かもしれません。知識を貯えるのはいいことだけど、自分の中の正義は忘れないようにしたいものです。

 
 

 2003-07-09
 

世の中のおかんって、皆、忍耐力あり過ぎ。あれがオヤジたちだったら、即座に突っ込まれているだろう饒舌な自慢話も、灼熱の暑さの中、張り子の虎のように、こくこく、こくこく、うなずきながら聞くもんなあ。UVケア、万全でさあ。しかも、有り難そうに。ちゃんと唇の端に力を入れて。
あれは、何? 女子高や女子大だとああいう自慢話に対する作法とか、習うものなの? 共学でも、いいとこの子は違うの? 受験に出るの?
私にはできねぇ。
ちょっと前にあった話で、具体的には書けないんだけど。
たとえそれが結果的に私への好意や利益につながっているのだとしても、「あなたのために、どんなに大変だったか」という苦労話を拝聴する気にはならない。
手紙とかメールとか、電話ならいいよ。こっちにもゆとりがあるときに聞くよそ様の自慢話は、大歓迎だ。仮に、恩着せがましかったり、「おい、そりゃあちょっとホラ男爵」と思っても、それはそれでご愛嬌と笑い飛ばすことだってできる。ネタにもなる。
でも、公園走り回って疲れた14キロの福助を抱いて、私の二の腕はぷるぷるぷるぷる震えているのね、奥様。ぐずってだっこをせがむ福助を、見ていたでしょう? 相手の状態をまず気づかうというのが、マナーなんじゃないかと思うんだけど。
立ち話で延々、御恩を着せられても、私はニコニコ笑えない。腰が痛いのに、それで涼しく笑っていられたら、私は今頃、女優になっていただろう。
そんなウンチクいわれなけりゃ、お世話になったあとで聞いたときに、もっとずーっと驚いて、今の百倍感心して、間違っても「うんざり」なんかしなくて、菓子折りの目方も増えるのになあ。と、思いながら聞いていたら、思いっきり顔に出ていたらしく、相手を不快にしてしまった。
すみません、いや、すみますみません。←気にいっている10$。
まあいいや、その程度で傷つくクリスタルガラスのような心を持つ相手とは、つきあえない。私の心は石炭さ、堅くて熱いぜ。
最近、ストレスレベルが高く、関係各所にご迷惑をおかけしています。申し訳ございません。

 
 

 2003-07-10
 

オヤジがへたを打って、育った家が売られそうだ。
別に未練はないのだが、実父がホームレスになるのは忍びない。その対策に、週末は所沢を駆けずり回る予定。
うーん、38年も生きていると、いろいろなことがあるなあ。っていうか、ここんとこ、一体どうしちゃったの? という、不運のがぶり寄り。開運のツボとか、売られないようにしないとな。今、きっと私は、ものすごーく、いい鴨。弱気だもん。
福助は熱、出して、今日一日は私にとっても休養日。忙しくなる週末に備えて、鋭気を養う。一日中死んだように眠り続け、途中死んでないか確認のために起こしたりして、夜中になってやっと喉の痛みも引いた様子。でも、だからとってサッカーをしようと誘われてもなあ。いきなり、元気。まだ熱があるのに。さーて、最近お気に入りの「電車ごっこ」でもしながら、寝よう。
「しまーまっしゅ」(閉まります)ぴしー。
がたんごとーん、がたんごとーん。
「ちゃくー、ちゃくー、うにゃうにゃ、くーさいっ」(到着、到着、開くドアにご注意下さい)ぴしー。
「しまーまっしゅ」(閉まります)ぴしー。
がたんごとーん、がたんごとーん。エンドレス。
なかなか、この「ぴしー」が気持ちよくて、いいのだ。
まあ、いいや。どんな不幸も相手にとって不足ナシ、どんと来いだ!! うちにはP子と福助という開運グッズがある。これさえ手放さなきゃ、大丈夫だ。ぴしー。

 
 

 2003-07-14
 

結局、借金のカタに父の住む実家が売られる事件は、実業家の母・ヨシコの介入によって、とりあえず阻止されました。一億の借金とかいうならいっそ豪気でいいのだが、ショボイ金額で情けないです。まあ、金貸しに甘く見られて、半分騙されていたんですけれどもね。
年金暮しでは返済のメドも立たなくなり、仕事さえできれば返せるがその仕事もなく体力もなく気力もなく……という、貧乏ループに入り込んだ父が選んだのは、「家売って、現金握って、お遍路さん」でした。
もうちょっとさ、こう、現実的な解決策を考えろよ、父。
っていうかさ、突然「お遍路さん」って、ギャグじゃないんだから、止めろよ、母。
事態がこんな深刻になる前に、なんとかできなかったのかしら。と思いましたが、熟年離婚した男がどうなろうと関係ないよなあ。お友達との旅行(携帯の電源切りっぱなし)が優先されて、私は大変でしたけれどもね。
そして、実父が死装束を選んでいるときに、学年だより・夏休みの楽しい過ごし方(想像)のプリントを作っている場合じゃないだろう、弟よ。
「売るって、聞いた? どうなるのかなあ」って、他人事か? 讃岐うどんのみやげひとつで、父をだんご鼻三兄弟駆けまわる君の新築の家に置けるのか。もしも帰って来なかったとき、父をひきとりにいけるのか。
かくして子供達が大騒ぎをしていたら、やっと母が出て来たわけです。ひとつひとつからんだ糸をほどいてみて、父の生きる気力だけは蘇り、職人ですから気力さえあれば仕事はできるので、一応一件落着、と。まだ、金貸しが友だち面して、ちょろちょろ貸し付けそうな勢いなんで怖いのだけれども、家を出て20年、もう所沢が知らない街になっている今、私が関与できるのはここまでです。
戦中戦後を波乗りするようにくぐり抜け、知恵だけで裸一貫から財を築いた祖父母も、祖父の死後、祖母・登美は長い一人暮らしを優雅に楽しんで、結構騙された挙げ句、最期までの10年は子供と一緒に暮らすのを選びました。悪いやつがいなかったら、ずーっと一人で暮らせたのになあ。弱者を餌食にするのは弱肉強食の社会では仕方ないのかもしれないけれど、ここアフリカのサバンナじゃないんだし、人なんだからさ、年寄り騙すやつは許せんなあ!!
今回のことで自営業者の老後について、しみじみ考えました。またしても経験値が増えました。軽費老人ホームの存在や、福祉制度にも詳しくなったし、金利のからくり、お遍路さんは八十八か所終わったあとも繰り返せてその気になれば一生周りの人の寄進で食べ物は頂けることなども、知ってしまいました。いやな出来事は、きっちりカタをつければ、必ずあとで「いい経験だった」と言えるのよね。人生、無駄なし。
さ、次、次。事故の処理。明日は、行政処分のための、意見陳述。問題が山積みだと、案外ひとつひとつについてくよくよする時間が少なくて、いいかも。今週は、パワー全開で行こう!!

 
 

 2003-07-16
 

夫のバボラを借りたら魔法のラケットだったので、早速テニスサポートセンター(@吉祥寺)でガット即張りで購入し、今朝、小雨の中、久我山オートテニスで試しててみましたが、どうも、使い勝手がよろしくない。
どうやら夫のは「長ラケ」だったのがよかったらしいのだが、私は短い方を買っちゃったのよね。このバボラ・ピュアドライブ、さされるとかゆい、しまだら蚊のようなデザインは、今使っていたヨネックスよりも短かった。調整するのに時間がかかりそうだー。こういうのって、普通はあり得ないミスだが、私にはありえたわけで。

昨日は行政処分の日
「ありえない事故だったわけっすよー」
と、人身しちゃったらしい若い男性は、裁判所でいうなら被告席で、語る語る。でも、語っても、ありえないことがありえたのだという事実を認めた方が得策な気がするぞ坊や。と、出番を待ちながら思う私。
私の陳述のテーマは、90日処分を少しでも短く、罰金を一円でも安く、でした。ですから、当然私は「反省文」を書いていきました。
そして、小僧を連れて行き、名前・住所と生年月日を言ったあと、「子供がおりますので、落ち着いて意見陳述することができないと思い、文書にいたしました。読み上げますか」と聞いてみましたところ、さささっと手紙を読む、公安警察のエライ人。二三質問をされて、その質問の内容がとてつもなくずれていたので読解力を不安に思いながらも、しっかりした口調で答え、最後には「何より無自覚でそんなスピードを出していたことが信じられず、心から反省しています」と震える声で、涙がぽろり。うまい!! うまいなあ、オレ。
夫は「お前、それは死刑だろう。この嘘つきめ」とののしっていましたが、手紙においても、運転免許試験場の一部屋でも、嘘はひとつもついていません。ちょっと誇張されたかもしれないだけで、反省の涙は真実ですったら、真実です。もう時速160キロなんか出さないもーん。
結果は、処分60日でした。ずらーっと同じ部屋で陳述した人たちが、90日の人たち用の講習を受ける手続きをしているときに、ひとりだけ60日ですぐに手続き終了、というのは、なかなかお得な気分です。そうはいっても、講習料28000円が23000円になっただけで、二日間みっちり講習と、テストを受けなくちゃ半分にしてもらえないのは90日も60日も一緒。テストにパスしても、8月の半ばまでハンドルは握れません。
でもね、まだ罰金の請求も来ていないけど、処分は決まったわけだから、あとはこなせばいいわけで。一つ一つ前進だ。がんばります!!

 
 

 2003-07-20
 

<金曜日>
娘は体操教室の前に、必ず何かアクシデントを起こす。さあ、行こう!!とふんどしのヒモならぬスポーツブラをきゅっとしめてお出かけモードだ。午前中にテニスで一汗かいて、ウォーミングアップはバッチリだ。今日は一学期最後のゲーム大会で、お母さんの出番満載!! ナイキのおニューの靴下もキマッテいる。と、背後でがしゃーん!!
無印良品のグラスが割れた。なぜ飲んだあとに片付けないか、なぜバッグを振り回して遊んでいたのか、なぜこれから出かけるときにそういうことをするのかっ。
掃除機をかけている間に、小さなバケツに水をくませる。あらかた破片をとり終えた、あとは雑巾がけをすれば……ばっしゃーん。
バケツの水は床にこぼれている。なんで注意深く持って来ないのか、なんで一番近くのトイレではなくわざわざ二階の洗面所まで汲みに行くのか、なぜこれから出かけるときにそういうことをするのかっ。
水をかぶったTシャツを着替えるようにいい、一人で雑巾がけをする。夫以外は裸足で歩くリビングなので、入念に破片をとらなければならない。やっと雑巾もすすぎ終わって干して、さあ行こう!!と慌てて外に出たところ、娘のTシャツはびしょびしょぬれ。
着替えていないではないか。なぜこれから出かけるときにすべきことをしないのかっ。
結局一時間遅れで体操教室に行き、お母さんは綱引きにだけ参加した。男子母対女子母の戦いは、いつも男子母の勝ちと決まっていた。「そりゃあそうよ、鍛え方が違うわよ」と毎回いわれるのだったが、今回の私は一番後ろで綱を体に巻き付け、「娘のばかーっ」と全身全霊で引っぱっちゃったもんね。初めて、勝ちだったもんね、ふふーんだっ。←八つ当りです。
娘は走ったり、障害物競走に出たり、綱引きしたり、それなりに楽しそうなのだった。なぜ、いつもスタートにぐずっているのかっ。いやならやめるぞ、オラ。
<土曜日>
火曜日の草トー目指して最終調整のために、プライベートレッスンをとる。これでテニス、今週3回目。パートナーのみたちゃん4回目。ほとんど依存症である。
なんと、そこに偶然、木本さんが来ていてびっくりした。水曜日に初対面、いきなりコートでテニスに誘ってみたら、いきなり応じた人である。誘う方も誘う方だが、応じる方もどうかと思う。しかもなぜか話もはずんで、実は今春引っ越していった娘の大親友・ゆりちゃんの社宅の、同じ部屋に引っ越して来た人だったことが判明。ゆりちゃんの前の住人、山本さんには前の幼稚園で私がさんざんお世話になっていたというと、木本さん自身が山本さんと同期ですって。あの部屋には何かあるな。何か因縁めいたものさえ感じるねー、と言っていたら、今日また同じレッスンをとっていたわけで。
「こりゃあ、ご縁がある!!」
と、確信した。しかも、同じラケットなの。技術が全然私より上だということをのぞけば、トップスピン系、ポーチばりばりと、よく似ているスタイル。こういう出会いがあるのが、テニスのいいところだ。と、みたちゃんと三人でコーチの球をぱかすか打ちまくる。私だけが張り出し中級なのだが、それでも偶然が重なって、うまい人二人と一緒にやれるのは学ぶところも多く、楽しい楽しい楽しい、ぐき。
……腰、痛めた。
帰宅後、内職今日の分はやめて、鎮痛剤を飲んで、痛み止めを塗り混んで、横になる。だんだん動けなくなって、怖い。泣きながら夫にマッサージを頼んだところ、
「うわ。これは、近々左もやるぞ」
というほど、筋肉疲労が激しかったらしく、自己管理の大切さを延々説教された。疲れを自覚しろといわれても、わからないものはわからないのだから、仕方ない。とりあえず、テニスは週に二回までにしようと思った。赤い玉が出ちゃうわ。試合中じゃなくてよかったけど、傷めてからスライスのセカンドサーブがやたらと入ったところを見ると、姿勢をよくして力まないと、案外いいのかも。と、新しい発見。(なんて前向きな私!!)。そのあと、爆睡した。
<日曜日>
おかんが半日休みを取ると、家の中は泥棒が荒らしたようになるのだと確信した。すごいなあ、いっそ、アートだなあ、うちのリビング。私はたいして立派な家事をしていないと思っていたが、それなりの秩序を保っていただけでも、私の働きは立派なのであった。
主婦はたまに仕事を休んでみるといいです、マイナスのあおりで自分の普段のプラスが明確になります。
まだ腰が痛く、鎮痛剤と塗り薬を擦り込むが、何しろ長時間座っていられない。テーブルの下に落ちた箸をとるのも「あわわわ」となるのに、テニスなんかできるのだろうか。左足のしびれも嫌な感じだ。
いざ本番になれば痛みはわからなくなってしまう単純なタイプなので、多分大丈夫だろうと思うが、念のため、いざというときの影武者を用意しておこうかなあと思った矢先、みたちゃんから電話があり、娘さん大ケガ。火曜日は手術なので試合はキャンセルになった。
娘さんは、うちのP子と同級生だ、詳細を聞くほどに心配が募り、腰痛なんかすっかり忘れていた。(私の腰痛はその程度なので、痛がり方がオーバーだと夫にいわれる)。不運の私につきあってもらっていたので、みたちゃんにまで不運がうつったのではないか。と、一瞬ものすごーい不安に襲われた。もしそうなら、ごめん、みたちゃん。手術の成功を心から祈るばかりだ。
バディが火曜日に病院に行くのだから、私も火曜日にはちゃんと整形外科に行って、腰をみてもらうことにした。これで、ヘルニアだったりしたら、またしても闘病日記が書けるぞ、ネタには困らないなと思うことにした。
今の不運は動き回ることでけちらせると、占星術のまついなつき大先生(よく当たるんだ、これが)もおっしゃられたのだ!! 悪あがきしまくるのだ。あんまりにも不運続きで、まついについメールで頼ってしまったワタシ。ありがとう、まつい。ついでに、お誕生日おめでとう、まつい。本、買うね。
夏休みが始まって、不吉な風はまだ渦巻いている。明日はどんな痛いことが待っているのだろうと、ちょっと逃げ腰にもなっている。
でもね、つらい顔をしていると、「どん・くらーい」と、福助が言う。「いたいいたい、とんでけー。いたいいたい、ないよー(にっこり)」も、してくれる。
すべてのおかんには、子供という鎮痛剤があったのだ。面倒もストレスも9割は子供によって派生するので、いない方が楽かもと思うときがないでもないが(特にいらいらしながら掃除をしていたりすると!)、しかし補ってあまりある快感も頂けると思えば、苦労もまたよしっ。
この子供の愛は、大量服用しても、副作用はないしな。
ああ、今日も「オチ」がないしな。
いいか、それでも。おかんだしな。

 
 

 2003-07-22
 

わはは。来週、腰のMRIです。
別件で気になる箇所もいくつかあったので、この際ついでだからと、いろいろ調べてもらいました。総合病院ははしごできるので便利ね。やたらと待たされるけどね。
痛み止めの薬と筋肉を緩める薬とその他の薬をたっぷり頂いて、食後、コーヒーでばりばり飲んだら、もんのすごーく新鮮。床がゆらゆらなのよぉ。
今日の草トーは雨で流れたようですし、明日は「にゅー猿テニス協会の第一回大会」(仮称)なのにおうちでお休み、今週の金曜日はクラス内トーナメントなのにお休み、来週はスクールももう夏休み……こんなにテニスができないというのが、信じられない!! と、思うが、まともに座れないのにテニスもないもんだとは思う。
子供用の布団を引っぱりだして来てリビングの床に敷き、でろん。と、横になって、DVD三昧。洗濯物は乾燥機でしわしわ。マリンスノーのように、廊下に静かに堆積して行く。そのまま何千年も積もったら、きっと石油になるのだわ。
いやー、マジで壁のホコリとか、二階吹き抜けで天井でクルクル回っている扇風機のホコリとか、トップライトの窓のホコリとか、普段絶対に気づかないものに目がいっちゃって……天井からシンシンとホコリが降っているんだけど、どうやって掃除したらいいのかわかんない、引っ越して2回めの夏。 腰、治ったら長い棒を買いに行こう。自転車で?……ホームセンター、自転車だと遠いなあ、おい。だいたい、子供を前後に積載して、どうやって棒を運べばいいの?
  ああせっかくいい感じで痩せはじめ、体脂肪率だって28%になったって言うのによ。このままDVDだ、NHKBS2のアーカイブスドラマ(今日、「阿修羅の如く」だったの、感涙!)だ、FOXだ、ディスカバリーだで引きこもってしまったら、藤田香織センセイのようになってしまうのだわ。
彼女は、引きこもりが仕事につながっており、太っていることも半分仕事、太っていることで見える世界、書ける世界がある。女・伊集院光として、この先、ばりばり世に出ていくべき逸材だが、私は一介の主婦であり、しかもじっとしていたら死ぬもんなあ。どっちかって言うと、多動だもんなあ。
そういえば、糖尿で高血圧気味の母・ヨシコは、私に輪をかけて多動でせっかちで落ち着きがない。彼女が寝込むときは死ぬときだろう。五時間も眠れば充分回復する脅威の体力は、一晩中ぐるぐる回って、歯ぎしりをこりこりやって、チャージするのだ。寝相の悪さが尋常でなく、キングサイズのベッドでも転げ落ちる。とにかく夜中にうるさいので、一緒に旅行したくないタイプである。
私は母ヨシコほどではないにしても多動気味の性質を受け継いだのに、体質は低血圧だった。寝てしまえば冬眠中の白熊のように動かないし、睡眠時間も長い。ああ、嫌なことに気づいちゃったぞ、似ている。父に、似ているのだ。何をするにものろまな父は、椎間板ヘルニア君なのであった。体質が性格を作るんだと思っていたが、そんな変なとこばっかり、遺伝してもなあ。……でも、なぜか遺伝って、そんなとこばっかり、なのよなあ!! ああ、腰が痛いばっかりに、つまんないことに気づいちゃったわ。でも、私は父ほど突拍子もないことは考えないので、「お遍路さん」はしないと思う、絶対に。

 
 

 2003-07-23
 

朝起きて新聞を読んでいたら、私は「モニターのSさん」になっていました。
毎日新聞・水曜/東京版に「木村万里のお笑い漂流記」というコラムがあります。ここで以前、お笑いライブのご招待状を頂き、堪能したので、お礼状をしたためたところ、その私信が丸々掲載されていたのでした。あら、びっくり。
お役に立てて、何よりでした。
私もチケットを買ったポカスカジャンの、9月6日(土曜日)、鴬谷での「ポカスカナイトクラブ」に4名様をモニター募集されているようなので、ご興味のある方は本日の毎日新聞25面を御覧になって下さい。ローカルニュースですみません。と、木村さんには無断で情報を横流ししていますけれども。ま、いいか。応募数は多い方が活気づくしな。もしこのHPを見てから毎日新聞を見て応募してチケットが当たったら、(すっげー数多くのハードルですこと。そのハードルを飛び越えてこーい!!)向こうでオフ会だわ。そういう強運者の運にぜひともあやかりたいです。愛するポカスカジャンもろとも、盛り上がりましょう。夫は子守り番なので来ませんが。
っていうか、チケット、買えよ。ってことか?

 
 

 2003-07-24
 

昨日の猿テニスは楽しかった、らしい。
行けなかった私はちっとも楽しくなかった。
でも、その分ちょっとアブナイ快楽に耽ってしまったの。
床が揺れなくなったなあ。と思っていたら、柱が微妙に曲がっていることに気づいて、夜、ビールと一緒にばりばり薬をのんだら今度は腰がふわふわ浮いていて、子供用布団がまるで魔法のじゅうたんのようなのだ。薬って、すごぉぉぉい。
筋肉弛緩薬と鎮痛剤と胃薬のカクテルなんだけどね。処方せんなので、怪しいルートから入手したものではありません。って、そんなの、普通母親は買わん!
さて、今朝、舌がぴりぴり痛い。気持ちも悪い。肩がぴきぴき音をたてそうなほど、張っている。夜中に必ず二度起きる。こういう副作用があるから、薬は怖いわ。
結婚して連れ合いが「傷はなめて治す。病気のときには穴蔵に潜って眠る」というタイプの野生児だったので、影響を受けて私もほとんど薬は飲まない生活になってしまった。朝、起き抜けにサプリメントのようにサクロンを飲んで、緑の便をする。健康なのか不健康なのかわからない仕事中毒者だった私との決別こそが、私にとってのまず第一の結婚の有意性だったと思うのよ。
そんなわけで、効きます。薬断ちしていると、めちゃくちゃ効いちゃう体になるね。粗悪な葉っぱでもぱきーんとききそうなぐらい、脳の受容体「かもぉーん」な状態。で、気持ちのいいこの薬が切れると、腰が唸りだす。だから、この薬は当分やめられないなぁ、ぐふぐふなどと思い始めちゃっていて、「そういう依存症体質に問題があるのじゃ」と、私の中にすむ神様がおっしゃる。
今は舌と胃だけだけど、そのうち副作用でいろいろと故障個所が出てくるはずだ。このまま横になっていたら、ついた筋肉だって落ちてしまう。腰が一か所破たんして、それをフォローするために、体は続々壊れて行く。
ちょうど、不運のループって、こういう感じだったんだろうなと気づく。疲れが限界に来て、違反したり事故ったり。普段の母と違う言動に娘が過敏反応したり、息子が熱を出して気を引いてみたり。ストレス発散のためにテニスに快楽を求めて、やり過ぎて腰を壊したのも、きっと一連の流れだ。
つまりは「休め」ってことだな。疲れているんだ、きっと。
幸い、時は夏休み。朝、ゴミを出したら立派な朝顔が雨に打たれていた。夏の朝に朝顔に挨拶できるのは、小学生の子供がいる暮らしの特権だ。朝顔市にも出かけていないのに、ああ、なんて立派な朝顔なんでしょう。今年は特別な、朝顔のある夏だったのだ。テニスの時間を作るためにサマースクールを探したりしたけれど、かあさん、大事なことを忘れていたよ。
「テニスに逃げてばかりいてはいかん」ということかもしれない。気持ちのいいお薬に溺れるな、ということでもあるかもしれない。
立ち向かうべきは、自分の弱さだ。プロのおかんは、どんなときにも笑っていなくちゃいかん。そのためには元気でなくちゃいかん。ごまかした元気など、長続きはしない。子供は皆お見通しなのだ。
破たんしたものは一から治そう。体だけでなく、家事全般もすごいことになっているなあ。破たんが、破たんが。でも、いいの。休むときは無理してでも休もう。動き続けることでしか不幸は打開できないという持論は変わらないんだけど、基礎体力がヘロヘロなのにレッドゾーンでまわしっぱなしでは、エンジンも焼き切れるってもんだ。楽しいことが大好きなばっかりについつい欲張りになっていたが、痛みから逃げないためにも、ゆっくり休もう。なぁに、夫婦関係さえ破たんしなきゃ、何とかなるだろう。

ところで、夫のHP7/24の事実関係の訂正です。
訂正1)私は木村さんにメールを送ったのではないです。ちゃんと便せんに丁寧な字で、感謝を込めて書きました。つまり、彼は、それを原稿に書き起こしてはいるわけです。その手間は、彼の原稿料に反映されて然りです。原稿料は普通チケット代よりも高いので、お役に立ててよかったというのも本当です。
訂正2)私は木村さんに対して「怒っている」わけではないです。ましてや「怨念」なんて。ほほほ。ただ、本当に一言もなしに匿名とはいえ私信を公表されちゃったわけで、正直、その常識にびっくりしたの。「モニター」と書かれている以上、感想は使われる前提と覚悟すべきだったかもしれないけれど、そんなことどこにも警告されていないし。いや、匿名希望していないんだから、使うなら名前出すでしょう? 「モニターのS」よりは、世田谷区在住・鈴木ゆう子(38歳)の方が、きちんと扱われている気がします。主婦として書いた私信なのでプロ原稿の盗作ではないし、怒っているのではないんだけど……(チケットも頂いている、実際にとても楽しかった)……でも無断っていうのがね、釈然としない感じ。うん、釈然としないのよー。私が神経質なのかもしれないですけど。
訂正3)あららら。これではまるで、夫の指摘通り、すっげーご立腹みたいだわ。実は深層心理ではご立腹なのかしら(笑)? それは深読みってもんで、こんなことはストレスにもならないので、別に家族にもあたらないです。安心してね、ダーリン。

 
 
 2003-07-24
 

7月24日パート2
推敲しようと思っていたやつを管理人である夫に間違って送ってしまい、数時間放置してしまいました。その間、私は横になりながらいろんなHPを読んでいました。ノート型って便利ね。
夫はたいてい自室に引きこもっているのですが、今日は珍しく取材でおでかけで、すぐに直すことができません。
管理人がいないと新しく日記を更新することもできないのは、やっぱりちょっと問題かもなあ。
内容は基本的にかわっていませんが、一応、推敲したやつと差し換えていますので、ご興味のある方は、24日分をもう一度どうぞ。
いしかわじゅんさんが、毎日新聞の編集部に意見して下さって、私信の無断転載は新聞社の常識というわけではないことがわかり、ちょっとホッとしました。
そしてついでに、天才的ないしかわさんの原稿にちょっとだけ触れさせていただき、「ああ物書きのプロの技って!!」と感服しました。そうだよなあ、「笑い」って、こういうことだよなあ。「編集会議」最新号、刮目して待とうと決めました。これは読まないと一生の不覚だと思います。
さて、だらんと横になってパソコンに向かっている母を、子供達は苦々しく思っているようです。すまない、P子。福助はふて寝しちゃってるし。夕飯のお買い物にはいかなくちゃな……。歩いて行けるところにスーパーがあるのは便利なんですが、ただ一軒だけのスーパーなので、ついついそこばっかりになってしまい、子供達がその惣菜を「母親の味」だと記憶しちゃったらどうしよう。と、不安になります。あ、スーパーの惣菜係にパートで入るというのは、どうだろう。一石二鳥かも!……調理の才能がまったくない、ということを、忘れていました……。何をするにも、プロは大変。
じーっとしていると、一日は長い。
ああ、子供の頃の夏休みって、こんな感じだったなあとちょっと思い出しました。でも、もっとじりじり暑くないと、気分が盛り上がんないんだよなあ。こう、ぱーっと青い空と入道雲で。くぬぎの雑木林はひんやり涼しくて、蝉の声がやむと、木々のざわめき。木の葉は空まで届きそうな場所で楽しそうにおしゃべりしていて、その森を抜けると突然、光が違うんだ。所沢の新興住宅地でも、結構自然が残っていたのね。原っぱでは幼馴染みと基地を作って遊んだしな。市民プールに行くときには、一面の麦畑を通って行ったり。そんな風景を、たくさん覚えています。記憶の中にしかない真実だけど。
今年、冷夏なの? 泣いちゃうなあ。どうせ腰が痛くて何もできないんだけど、やっぱりかーっと、暑いのがいいなあ。

 
 

 2003-07-27
 

木村さんからご丁寧なカードをいただく。
「事後承諾でごめんなさい」とのこと。まあ、いいか。

息子がやたらとスカートをはきたがる。
娘のおさがりの花柄ワンピースを着て、ひらひらターンして大喜びだ。ちょっと心配になる。まっすぐ歩いていたのに電柱に激突したと、さっき夫がびっくりしていた。三才三か月、さすがに奇行が目立って来たが、本人は至って楽しそうだし、まあ、いいか。

娘は夏休みの宿題で煮え煮えだ。
計算を一日100題が課題なのだが、同じ問題を繰り返しやるので答えの数字を覚えてしまい、あまりにさくさく進む。で、こちらで足し算と引き算の問題を出したら、ほとんどできない。意義を教えてオリジナル問題にしたら、うまくできないので半狂乱で泣き叫ぶ。そんなにしてまで宿題はしなくていいよと、しばらく外に放置してみた。近所に警察通報されるかと思うほど泣いて、泣き声がやんだのでベランダから取り込んでみた。ケロっとして御飯を食べていた。あとでメールで「おこったよ。こんどやったら、1000えんもらうからね」と送ってきやがって、親に罰金を科すとはいい度胸だ、まったく反省していなかったのかと頭を抱えるが、面倒なので、もう、いいや。

夫が子供達を連れて公園にいった。
この一週間、私は炊事以外の家事がほとんどできなかったので、家はすごいことになっており、その家事を邪魔されないため、テニスまでのひととき、公園に連れていってと頼んでみた。うちの夫は育児参加するいい夫なのだが、いつもどーも「いやいややっている」態度が気にかかる。今日も、「夕方からテニス行くからってさー、バーターで遊ばせてっていうのは困るんだよな」と、渋い顔だった。
あんたの子供でもあるだろう、と、いつも思う。思っては言葉を飲み込む。父親が一人で遊びに行くならその前に子供も遊ばせろというのではなく、仮に仕事をしていようとも、子供は手があいている方が遊ばせなければならない。
子供には日干しが大事で、ここ一週間じめじめしていたのだから、久しぶりに晴れた日曜日に家でビデオ漬けというわけにはいかない。腰が痛いのは私の責任だから家事を手伝えとは言わないが、私が公園に行けない以上、育児ぐらいは言われなくても率先してやってくれよと思う。思っては言葉を飲み込む。休日、降り注ぐ自由な時間は全て僕のもの、では、困るのだ。こっちは命がけで産んだんだ、本当ならあと全部引き受けたっていいぐらいだ、とも思う。思っては言葉を飲み込む。不毛な争いを避ける智恵だ。どこの家だって、母ちゃんが我慢して家庭は平穏無事に保たれているのだと思う。これは、思うったら思うと、断言したい。
ま、いいや。
世の中の父ちゃんはすべて、どこかとんちんかんな育児参加と、どこかツボをはずした家事参加をしているに違いない。そうそうね、理想的な夫なんて、ありえないわよ。「ええ、でもぉ、うちのダーリンは理想的でぇ」っていう人にはごめんなさい、そういう人とはお友達になりません。そして、男の育児と家事への参加は、それでメダルを取りに行こうと思うな、参加することに意義があるんだ! と思う。
お互いのダメダメ部分を責め合うより、「とにかく頼んだよー」とお願いして、実際に私の百倍上手な遊ばせ方で、本日、子供達の満足度は高かった。夫はほくほくしながらテニスに出かけて行った。私もニコニコ笑ってチューをして見送った。近所のスーパーでうなぎとビールを買って、夕食も楽ちんだ。文句を飲み込むだけで、メリットは計り知れない。文句はあっても、夫はやっぱり、いないよりいた方が、楽。

で、日曜日に、専業主婦の私が思ったこと。
シングルマザーって、お友達に何人かいるけれども、すごい大変なんじゃないかしら。別れなきゃならないほどの夫をつかんじゃったと気づいて、でもきっと、かあちゃんだから、しばらくはふんばってふんばってふんばって、それでもダメで別れる決意をしたんだよね。一緒にいるメリットなしという決断は、勇気がいるよ。自分が試されるよ。そういうのをくぐった人たちだったんだなあ。子供を自分で全部、面倒見て、仕事をして、家事をして。
なんかさ、改めて、がんばれー、シングルマザー!! えらいぞ、シングルマザー!! と、思った。思ったので、これは、ちゃんと書いておくね。

 
 

 2003-07-28
 

娘と息子を吉祥寺のサマースクールに、別々にぶちこむ。
P子の3日間通う施設を見て、アルファベットが並んでいるわ、スタッフは英語で出迎えてくれるわに、大喜びした福助は、そこを動かないといい張る。P子はさすがにNYの本場のサマーキャンプを経験しているだけあって、全く余裕。自己紹介は英語でやろうかなあなどと小生意気なことを言っている。まだ中一ぐらいの英語力です。児童英検五級だし。なのに、自分はしゃべれると思っているところが子供ならではの万能感である。
「いやーぁ。ノー。あいうぉなび、オバゼア」……道を歩きながら泣く福助。うーん、福助の方がP子より、英語力はあるんだよなあ。ただ、福助には日本語力が、圧倒的にたりないからなあ。他にもたくさん足りないんだが、それは仕方ないとして。
とりあえず、引っぱってくるのが大変で、母は腰が痛いのにやれだっこだおんぶだ、朝からしゃきしゃき動けない身障者。車が使えないって、故障を抱えた子連れの身には、不便きわまりなし!! 検察から呼び出し状が来たので、今度泣きながら訴えてみよう。
小僧、やっとの想いでたどり着いた託児所はやっぱりアルファベットだらけだと知るや、「ばいばーい」と顔も見ずに私に儀礼的な挨拶だけを残して走り去って行った。一度も振り返ることなく。
……。母って。母って。
ああでも、ここから5時間はまるっと私の時間。ひさしぶりに母から妻になって、夫と「辛い飯」だ。つらいんじゃなくて、からいやつ。夫と二人で食べるのがつらくなったら、それは問題だ。でね、どこに行こうかなあと想いを馳せながら、ひとまず千歳烏山にバスで戻って来て、4か月ぶりに美容院なんか行っちゃって、で、お昼になったので夫にわくわくしながら電話したらね、一言、「仕事だ」。昨日の夜、入念に打ち合わせしたのは、一体なんだったのか。
……。妻って、妻って。
結局一人で食事してまた吉祥寺に戻って、半端な時間をマッサージなんかしてもらって埋めて、定刻にお迎え。福助は昼寝の真っ最中だったため当然ぐずり泣き、P子は腹ヘリ君でご機嫌斜め、途中のおやつ補給でごまかしつつも、とほほな状態で帰路についた。せっかく吉祥寺に出たので、贈り物とか、お買い物したりしたかったんだけどな。かあさん。
でも、二人とも実に楽しかったらしいので、よしとする。さ、また明日。

 
 

 2003-07-29
 

すみません、長いです。うまくまとめられないのは、疲れているからだな。

映像って、パワフルね。ドキュメンタリー番組好きとしては、絶対に押さえなくちゃならなかった、昨日の「自閉症」児の子育てだったんだけど……。
福助はまだ3歳だが、8歳になったら、12歳になったら、ああこうなるんだなあ。と、覚悟が決まりました。とりわけ、彼等が三歳のときのビデオを見ると、同じ遊び方をしているんだよね。変わった遊びだなあ。と思っていたのは、「自閉症」の国の、ポピュラーな伝統芸能だったのでした。
福助は福助だから、どんな状態であれ、この愛おしさは変わらない。彼がたまたま異国の文化を持って生まれた妖精ちゃんだったとしても、わかりあえないとは全く思っていないのよ。彼の流儀は認めた上で、こっちの立場もわかってね。って、譲り合って行けたらいい。まるでちがう生き物の、男と女だってうまく生活できるんだし。ちがうから、気持ちいいんだし。異文化交流だって、今や、盛んじゃない?
それでも、病気や障害は、まあ、ないならないにこしたことはないね。それが不幸だとは思わないけど、親としては面倒だなあというのが、ものすごーく正直なところ。
例えるなら、強制的にちがう文化圏に移民させられるような感じかなあ。そういうのダメな人もいるよね、そういう人は障害児という妖精ちゃんを受け入れるのも大変だろうと思います。でも、老後は海外で、みたいな私みたいないい加減なタイプは、きっと異星人みたいな福助の文化を受け入れ易いんじゃないかとは思う。うん。もともと、夫の仕事だって一般の日本人の規格とちがうしさ。
「私の育て方が悪かったのだろうか」なんて、番組の中で母たちが反省していた箇所を、それはちがうとナレーターが一度拒否しただけでスルーされていたけど、この手の先天的な障害はさ、親とは関係ないってことをもっと力説してほしかったなあ。私もさんざん、その手の視線にさらされているので、つくづく思うんだけれども。まあ、そのうち、慣れちゃうんだけどね。
今日も吉祥寺を走るミ二バスのムーバスに、福助は絶対に座る席を決めていて、そこに一人で座ったのをお年寄りに非難されちゃった。私が一緒に座るのを「どいて、どいて」と言い続ける福助。そのまま私が座り続ければ「きぃぃぃ」と叫ぶことはわかっているので、そこはあうんの呼吸でゆずって、立っていたワタシ。それがね、子供のわがままを甘やかす母、に見えるんだな。ま、見えるわね。
福助には福助独自のルールがあって、それが侵されるのが我慢ならないのね。その我慢ならない、は、たとえば、二人が同時にお箸でスペアリブの煮込みを持ち上げた、みたいな気持ち悪さに似ているんじゃないかと、私は思っている。つい、「ひっ」とか、言っちゃうと思うんだ。別にだからといってどうと言うことはないし、外国人には平気なことだけど、日本人にはそれ、ダメでしょう? そんな感じかなあ、自閉症星人にとっては、ルールの突然の変更は奇声をあげて阻止する、とプログラミングされているんだと思って、私は福助とうまくやっています。
「そんなことじゃ、だめよ、お母さん」と叱ってくれる年寄りの親切には感謝します。はらわた煮えくり返りますけど、知らないことを攻めても仕方ないしさ。
「妊娠したあとバナナを食べ続けると男の子が生まれます」みたいな、トンデモ俗説の類いがあるじゃない? 40年前なら「へえ」なんて感心されたり実際やってみたりしたことが、今ではばかばかしいって一笑に付されちゃうようなこと。
「子供の育て方が悪い、しつけが悪いから自閉症になる」なんて考えている人が8割を越えている現状を、それはバナナの俗説レベルなのよ、と認識してもらえたら、障害児がやってきた家庭の精神的な負担がぐんと楽になるんだけどなあと、思います。先天性の障害はね、そういう妖精ちゃんを偶然授かっただけで、その当たりの確率はランダムなんだから。
18日に福祉センターで福助徹底検査があるので、それでもっとはっきりすると思います。たくさんの親の会があって、中には格闘している人もたくさんいて、そういう方に比べればまだまだのんきなもんだけど、一応覚悟は出来たわ。福助のパワーに負けない筋力づくりをしなくちゃ。福助にとっての幸せの形を一生懸命考えなくちゃ。大好きらしい英語との関わり方も考えなくちゃ。私が、せっかく持っている記事を書く職人としての技術を、もし福助を通して先天性障害のために役立てることができるなら、十年の修行は無駄じゃなかったのかも。私のところに福助のような妖精ちゃんが来た以上、これはチャンスなのかもしれません。

ところで、なぜか今朝の四時に息子は「怖い怖い」と汗だくで泣き叫んでいました。テレビの中に同じ星からやって来た仲間を見つけたからじゃないかと、夫と中華のランチコースを食べながら話します。(どうでもいいけど、千歳烏山って中華がうまいよ)。夫婦水入らずで、子供の話。もうちょっと艶っぽい展開を予測していたんだがな。だめか。
明け方に泣き叫ぶ小僧を、小一時間、抱いて揺らしました。私の椎間板ヘルニア疑惑は、ここで消えたね。ちっとも痛くないもーん。もうテニスに復帰してもきっと大丈夫です。
福助が脱糞していたのでおむつをかえ、「ぽんぽん痛い、痛いだったね。怖いんじゃないよ、何も怖くないよ」と繰り返しながら、腹をさすり続けて、やっと寝かせました。
夜驚は、ままあります。これも異星人の特徴。
もっと小さな頃は、よく背負って徘徊していました。娘のときにはなかった苦労を、でもなんか「母ちゃんの愛」って感じで、半分楽しんでいるんだよなあ。小僧をおんぶして一帯をぐるぐる歩き、去年なんかあなた、偶然、せみの羽化を逐一観察しちゃいましたよ。おもしろかった。
でも、福助がこんなに怖がったのは初めてなので、サマースクールの集団生活五時間がストレスなのかなあ、なんて考えてしまったりしたわ。P子にとって楽しくて仕方ないアクティビティが、必ずしも福助にあてはまらないところに、異星人のめんどくささがあるのよね。でもまあ、これはどこのうちにもある、個性のうちかな。
テレビを見た感想を含めて、昨日の夜は夫と話し込み、床についたのが二時だったので、私の睡眠も十分ではありません。うとうとしながら、しがみついてくる小僧をずーっと抱いて、朝まで撫で続け。どんなに好きな男でも、一晩中触り続けることはできなかったわけで、やっぱり子供って偉大だわ。左腕にしびれを感じて私自身がふっと眠りからはぐれたときに、夜が徐々に白んで行くのを見ました。
夏だよねー。

P子が昔、幼稚園の頃に自閉症の子と仲良しになり、つきあい方などをインターネット検索しているうちに詳しくはなっていました。そして、福助・二歳の検診、心理相談、発達相談、今回の三歳検診で指摘される度に、「ああ、これなんじゃないかなあ」と、ぼんやり思ってはいたので、ホームページ上のコラムなんかにもまとめたりしたんですけど……。人間関係って、どこでつながっているか、わからない。全く無駄がないよね。
頂く励ましのお便りや、同世代の悩み相談なんかも、私には深く考えさせられてとても有り難い、新しい人間関係です。見ず知らずの方と理解しあえるHPの威力みたいなものに、支えられている自分を感じます。もちろん、既知の友人はいうに及ばず。こんなふうに考えをだらだら発信することも、いつか何かすごいところにつながって行くかもしれないしね。何しろ、未来は可能性しかないんだから、明日があるってことが、とにかく素敵だ。
まずは、理解からはじめましょう!!

 
 

  
 
日記
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