自分の頭の上の蝿を追え。
と言う気がしないでもないのだが、多分このHPを読んでいない学生時代の友達から、ひさしぶりにメールが来て、その内容があまりに深刻だったのでついうっかりすぐさま電話をかけてしまい、そのまま四時間近く話し込んだ。放っておけない、おせっかいな私。
東京五輪で浮かれた時代に生まれた私たちは、今年39歳になる。
たいていの仕事は、募集が35歳までの年令制限にひっかかり、再婚するにも、30代最後で見合いの話は難しい。まして子連れともなれば、今から自力で恋愛するにも底力がいるだろう。
中年。それは、中途半端な響き。
だけど、逆に言えばまだ三十代、折り返し地点ちょっと手前なのだ。絶妙な年令なのだ。その気になればいくつからだって人生はやり直せる。一日だって、朝日の輝く午前中だけが美しいのではない。むしろ、夜のお楽しみこそ、大人の悦びよね。と、話して、和む。
私は「母親」にジョブチェンジしてから、結構のほほーんと生きている。前半、たいしたことはないにしても、まあ、いろいろ面倒があったので、後半はのんびり過ごしたいと思っている。このままだらだらと子育てをして、老後は、毎日新聞の女の気持ちなどに「お父さんがいてくれたおかげで」なんて死んだ夫に謝辞を送る作文なんか書いて、最後の一人暮らしを満喫し、旅先で、ある日ぽっくり死んでいる、というのが理想だ。
つらいときに私は「これはチャンス、これはチャンス」と言い聞かせて乗り越えた。嫌な経験は全部、力づくで幸運につなげればいい。新しいトラブルは、福引きみたいなもんだ。何が出てくるかわからないから、おもしろいんだ。
もう福引きを引くこともなくなった今は、特等ハワイ旅行はおろか、五等ティッシュですら、当てるチャンスは訪れないだろうと思う。せいぜい、事故に当たって、経験値が増える程度ね。
でも、人生の荒波はいつも突然。三十代最後の夏というのは、枯れるには若すぎ、はしゃぐには落ち着きすぎた、でもだからこそちょっとわくわくしちゃうものなのかも。強運さえ信じれば、ここから全部がかわるほどのターニングポイントになっちゃうのかも。子供でも大人でもなかった、15歳のあの、夏のように。と、友達と話していて、そんなふうに思った。
私の夏はノーチャンスで、それはそれで肯定するけれども、人生のリセットボタンに手をかけている友達を見て、いつになく応援の力が入る。頑張れ、同級生!! 三十代最後の夏を、悔いなく過ごそう。
願わくば、彼女が不本意にも臨まなければならなくなった福引きで、今度は「地道な幸運」(多分、三等賞ぐらい)を引き当てられますように。