2003-JUN. メニューへ戻る

 2003-06-01
 

おばあちゃんの一回忌でした。
出かけに福助が嘔吐して、二回着替えさせ、欠席すると伝えようとしたら寝たので、そのまま車に積んで一気に車で。まだ処分が出ていないので、運転可能なのでした。
当然、制限速度は厳守です。後ろからの車にびゅんびゅん抜かれながら、首都高を走るのでした。むしろ危険行為な気がしますが、ここで万が一、制限速度オーバーで捕まると免許取り消しなので、慎重です。警察の皆さーん、まわりのやつら、確実に30キロ以上オーバーしてやがりますぜ、写真、撮ってますかぁ? 白バイの後ろがノロノロになって、渋滞の原因みたいに見えるんですけど、君臨してハッピーですかぁ?
オーバーしたら全員処罰、と言うなら、私は納得し、家の自分の持ち分を売ってでも、罰金をきちんと支払います。が、「運が悪い人だけ捕まる」と言うのが、大凶が出たおみくじのようで、頭に来るのよなあ!! 立派な犯罪を犯した犯罪者である私なのに、憎まれるよりも憐憫を受けるという不思議を、司法・立法に携わる方々はどうお考えなのでしょう。……やりきれない、スピード違反。減点12点。罰金10万以下。
ま、罪は罪ですけど。
そんなわけで、到着はなんと読経終了まぎわで、逆にラッキーでした。ちびっ子がいると、有り難いお経も、居酒屋の喧噪とかクラブのDJとあんまりかわらないの。しかしお経というのは、きっと有り難いもんなんだろなあ。22年ぶりに訪ねた長勝寺は、お墓部分を区画整理して墓密度を濃くし、寺の拡大、中庭の充実、調度や仏具などのゴージャスさが、半端ではなく上昇していたのでした。アレは何ですか、災害時に町内全員を避難させるためですか? 他人の懐には基本的に興味がありませんが、「読経ひと節、まるっと儲かってます」という感じが、たまらないのでした。ちょっと、檀家の人たち、お経、有り難がり過ぎなんじゃなーい?
会食は、料亭の大広間を借り切っていたので、ひ孫達が走り回り、大人たちはカラオケを歌い、娘のP子が歌った時には「Pちゃん上手だ、歌手になれ」と何人かが絶賛し、私の子供時代の楽しかったお正月の宴会のようでした。
すぐに得意なことを職業に結びつける伝統はおばあちゃんの田舎の流儀であったのか、とか、ああ私はこの現実離れした褒め言葉を本気にして危うく演劇に進みそうになったのだと、頭を抱えました。カラオケでは、血族は玉置宏のように前奏に合わせてピタッとナレーションを入れていい選曲をするが歌は余り巧くなく、ただ黙々と歌うだけの外様の親族はなんでここでこれを歌う?という選曲ながら案外歌が上手で、歌自慢で知られた人でも故人とあまり仲がよくなかった人は勧められてもマイクを持たないのだいう法則などにも気づいてしまい、ここのところ余りに「ああ、そうだったのか」が多くて、私自身の死期が近いのではないかと心配です。
おばあちゃんは自分勝手な人でした。問題行動もいっぱいありました。でも、私は「自分の生きたいように生きなさい」と教え、実践するかっこいいおばあちゃんが大好きでした。好奇心が旺盛で、オシャレで、創意工夫が上手で、短歌をたしなみ、新しもの好きで、強いくせに寂しがりやで、愛されたがりだからみんなにいっぱい与えて、見栄をはって、ちょっと嘘をついて。
親族はその見栄や嘘ばかりを問題にしたけれど、人って、与えられたことは忘れてしまう。寝物語に聞いた、祖母が戦争中に子供に食べさせるためにどんなに命を張ったのか、戦後の混乱で産みたかった命を諦めた話や、商売を軌道にのせるためにどれだけどんなふうに働いたのか、それもこれもみんな愛する子供……特に息子達……のためだったことを、私は知っています。二人の息子は彼女の自慢で、愛し過ぎたあまり、それぞれの嫁とはぶつかったけれど、それもまた愛の形なのだと思います。
大地主の家出娘が、祖父との駆け落ちから始まって、生きたいように生き、楽しく美味しく人生を謳歌しました。築き上げた財産は、全て子供たちに与えています。やり方のまずさから骨肉の争いみたいなのを招いたり、見返りを期待する姿勢は決してかっこ良くなかったけど、聖人君子じゃないもんね。
いつものようにお風呂に入って「おやすみ」と床についた6月6日の朝、誰にも迷惑をかけず、ぽっくり冷たくなっていました。一年前、棺の中で横たわる祖母の爪にはオシャレなおばあちゃんらしくきれいにマニキュアが塗られていて、「ああ、いい生き方をして、だから、いい死に方をしたんだね、おばあちゃん」と思ったのを覚えています。
祖母は、後藤登美といいます。何でもない市井の人です。何でもない市井の人が実は一番面白いということを私に教えてくれた人です。そして、それが私への最大の遺産でした。おばあちゃんへの恩返しが何もできなかったけど、これを読んで下さった大勢の方に、おばあちゃんのことを伝えられたので、天国できっとすごく喜んでくれているでしょう。「今日の日記、つきあって下さってありがとう」という気持ちです。
「今日は特に、おもしろくなかったなあ」と思われた方、大凶のおみくじをひいてしまったとでも思って諦めて下さいね。運が悪くても、大丈夫。罰金はとられません。
あら、月初め早々、つまらないモノをお見せした罪で、罰金とられるのは私の方ですか、そーですか。ま、罪は罪ということで。すみません。

 
 

 2003-06-01
 

おばちゃんの冒険。
それは、真夜中のお散歩。
先日、私は溜池山王の全日空ホテルに、夜中、お出かけするという暴挙に出たのでした。
「アジアを喰う」(夫著)にも登場するタイの友人が私にお土産を託したので、彼女のお友達の運び屋に会ってそのお土産を頂くのが、主だっての目的でした。
でもでも、渋谷ですらめったに出ない私が、子供をおいて、ろろろ、六本木に出かけるわけですから、これはすごいコ−フンで。なんと、普段だったらきつくてしまらないパンツのファスナーも、無理矢理ジップアップ。気合い一つで、きちんとはけちゃったりして、主婦の体型がジャバザハットだかハットザジャバだかしていくのには、ひとつには気合いが足らないのだと痛感しました。驚いたよー、ウェストの肉はベルトにのっかるけど、ちゃんと入ったんだよー。
でね、タイのお友達のお友達がいい人だった話や、お土産のフリーズドライドリアンがあまりにうまかったのでどこで買えるのかタイの製造元に問い合わせてさっきやっと突き止めた話とか、息子の福助が、タイの子供が歌う、今トップチャートのラップに魅せられてずーっとお土産CDを聞きっぱなし、とうとう歌いはじめた話とか、いろいろ広がる話はあるんですけど、何よりも絶対に日記に書き込んでおかなければならないのは、あの冒険の夜以来、地道に体重が減っている、ということです。
三月の謝恩会で減って、四月の新入学のストレス過食でリバウンドして、そして五月末、またしても減りはじめている。まだ誤差のうちという程度の減り具合ですけどね。でも、ずいぶん前からのちょっとした筋トレがゆっくりと効果を表し、筋肉が増えて、基礎代謝があがったのかもしれないし、これからはやせる一方だったりして。うふふー。今日のテニススクールでは左膝が痛かったけど、だんだん平気になっちゃうにちがいない。あと大切なのは気合いね。気合い。
だからダーリン、時々夜遊びして気合いを入れると、ぐんぐん痩せると思うのよ。妻の体型のために、ひとつ、協力しない?

 
 

 2003-06-03
 

朝、娘を見送ってから爆睡して、午後になって元気。
やっぱり、頭痛には睡眠が一番ですね。
夜中に福助が鼻血を吹き出し、発熱。「おお、福助出血熱……」と不穏な単語をつぶやきつつ処置していたので、多分睡眠時間のずれが自律神経をめちゃくちゃにしたのだと思う。
昨日、ベントン先生はいなくなっちゃうし(ER)、夫の今描いているマンガはいつになく切ないし(ビーム)、もうすぐ乗れなくなる車の税金が45000円で、支払ったら残高が5400円だし(シティバンク)、 いろいろと頭痛の種は転がっているもので。
でもまー、「みんなでぱえよう」(訳・みんなで食べよう)と、福助はにこにこにこにこ魚のアラ煮と納豆御飯を丼で食べているし、途中途中に「おいしーねえー」と、にこにこにこにこ笑いかけられたら、まあ、貧相なお昼御飯も、ごちそうに思えてくる。
夫は「これを機に禁煙かなあ」と健康的な提案をしているし、私も小食型に変身して、夜遊びしなくても自然に痩せそうだし、車にはどうせもうすぐ乗れなくなって自転車ライフだし、貧乏とエコロジーはとても仲良し。明日遠足の娘は、やけに楽しそうだしなあ。公立はお金もかからない。まあ、なんとかなるだろう。
残高が10万ぐらい、というのが実は一番いらいらするもので、「先月引き落とせなかった保険料が」「ガス料金を今月0日までに口座に用意して下さい」などと督促状がぱらぱらやってくるたびに、「仕事、増やそうよダーリン」とプレッシャーをかけて、いやな雰囲気になったりしていましたが、5400円なんていう数字が出てくると、もうね、いっそ悟りの境地。そうだ、私の眠っていた個人口座があったはず、と、引き落とし可能残高を見ると、70円で、郵便局で笑ったもん。手数料も払えません。
私の内職のギャラが振り込まれ、毎月の主婦のお小遣いをこつこつ貯金して私のテニス代にしている「緊急通帳」から、すでにメインバンクには多額の貸し付けが行われており、私のテニスもピーンチ!! へそくりで増やした子供の郵貯に、家を買ったとき以来、またまた手をつけることになります。ちっとも貯まらないのな、子供名義の貯金って。
いしかわじゅんさんが以前、
「雑誌Mが休刊になるんだけど、その理由が主婦のアンケートで、食費が月額三万円なんだって。これじゃ広告効果が見込めないからなあ」
といったとき、
「え、月三万?! 」とひっくりかえった私でしたが、あながち笑ってもいられない現実に突き落されたわけです。月初めの残高、5400円で。各種支払いはすんでいるようなので、問題は生活費。今月はまだおろしていないんです。どうやって御飯を食べて行こうか。
とりあえず、大量に米があるので、しばらくはスーパーの見切り品と半額セール。久我山商店街の現金つかみ取りに当たって、たしか七千円ぐらいつかんだ小銭があったな。一昨日、祖母の法事で突然のご指名でスピーチしたところ、母・ヨシコが号泣しながら「ご祝儀よ、とっといて」と言って私に渡したポチ袋も、食費の足しになる。法事で祝儀と言うのも謎なんだが、まあいいか、母・ヨシコだしな。
あのね、世の中の奥様。
繰り上げ返済を頑張り過ぎると、あんまりいいことないです。夫が必死に働いているのに、夫に還元しない奴隷労働をさせ続けると、突然ポンと仕事をしなくなります。誰だって、自分のしたい仕事をしたいよな、家のローン返済のための仕事じゃなくて。うん。繰り上げ返済ばっかりに気を取られて、手元にお金を残しておかないと、こうなったときに大変です。
また、内職しないとなあ。と思うものの、この不況では、そうそう仕事もなく、未就学児童の福助を抱えて途方に暮れる私。取材のできないライターは、ただの使い捨てライターだぜ。
「なんでも書きますんで、お仕事があればよろしくお願いします」と、小さく宣伝しつつ、しばらくは節約に全力を注ぎましょう。日本人です、米さえ喰ってリゃ、大丈夫。

 
 

 2003-06-04
 

エチケット袋、というのは日本人なら誰でも知っている。
と思ったら、帰国子女のみたちゃんは、知らなかったのであった。
遠足のしおりを見て悩む、みたちゃん。
ドラえもんのポケットからでてきそうなネーミングと言う言語感覚がさすがであるが、未来の世界のエチケット袋というのは、一体どんなものなんだろうと考えて笑った。ここには書けない過激なシモネタを昼間から想像してしまって、恥ずかしい。
そうか、日本で小学生時代を送っていないと、遠足のエチケット袋とか運動会の紅白応援合戦とか夏休みのプールの級やラジオ体操のハンコウや修学旅行のまくら投げや卒業式の呼びかけなどは、知らないのだなあ(多分)と、当然なのにちょっとした発見があって、驚く。
私の子供時代には、「黒んぼコンテスト」があった。アメリカの小学校では絶対にあり得ないコンテストであろう。夏休み明けに、誰が一番黒くなったかを競うのである。夏休み明け、子供は黒ければ黒いほど偉かったのだ。そのネーミングといい、紫外線の問題といい、今ではまずそういうものはなくなったと思うが、のどかな時代だったなあ。
「広瀬」君は、今でも黒いのかなあ、などと、当時の王様の顔を思い出す。でも広瀬は地黒で、あだ名で黒瀬とまで呼ばれていたのだから、黒んぼコンテストで王様(そうだ、なぜ優勝ではなく、王様という称号だったのだろう。所沢ローカルか?)になるのは、フェアではない気がしていた。まっ白い子が、「こんなに日焼けしました」というのこそ、コンテストの意義であろう。たいていそういう子は、真っ赤になっちゃってて、黒んぼコンテストにはノミネートすらされない。
と、ここまで書いて、ぜんぜん努力しない足の速い子が体育でいい成績を取り、一生懸命努力しても遅い子は体育の成績が悪いというのは、どうなのか。と、昔の男に絡まれたのを思い出した。
努力してもダメなもんはダメ、そんな努力はするだけ無駄、結果が全てだよ。と一蹴して、しばらくしたある日、私はその男に振られたのだった。きっとあいつは、足が遅かったに違いない。うう、学生時代に足が遅かった腹いせで振られるとは、不覚なり。(多分、違う理由)。
しかし、そのテツで行くと、広瀬が王様なのは当然なのだった。しかも、広瀬は夏休みにちゃんと、更に焼き込みをして本当に真っ黒になっていたのだ。持って生まれた地肌の色に加えて努力までしたのだから、広瀬こそ真の王様にふさわしいのだと、私は考えを改めることにした。
私はノミネートされなかった口だったが、必ず帽子をかぶれという母親の目を盗んで、「今年こそノミネートされるんだ」と、必死に体を焼いたなあ。
小学校時代、私は「団地の子らのよい学校」と校歌に歌いこまれた、マンモス市立校に通っていた。でも、そこはのほほんとして、毎日が本当に楽しかった。
どうでもいいことに血道をあげて、今思うとバカまるだしだったが、低学年の頃には、瞬間で眠りに落ち、毎朝ワクワクして目覚めた。運動会でも遠足でも、イベントの日には、目覚ましなどいらなかった。
娘のP子は、あのときの私よりかなり大人だ。土曜日休校の時短のために、一年生からある五時間授業にも疲れを見せず、自分の気に入ったランドセルを背負い、自分で勝手にドリルや雑誌の付録の家庭学習をし、夜は遅くまで机に向かっている。習い事の英語も自分で選んで、その英語もウォークマンを使って毎日欠かさない。そして、朝は起きられない。
今日なんか小学校初の遠足だと言うのに、朝、目覚ましをとめて二度寝に入っていたぐらい、こう、覇気がない。昨日は確かに楽しそうだったんだがなあ、朝は苦手らしいなあ。そんなにお勉強、忙しいのか、P子よ。
育った場所が違えば、使う言葉が違う。
育った世代が違えば、経験することも違う。
それは理解している。私の子供時代を押し付けるつもりはない。けれど、お母さんはね、あなたが楽しそうに笑っている顔が大好きだよ、P子。急いで大人にならないで、あんまり頑張りすぎないで、くだらないけど面白いってことがたくさんあるのを、知ってほしいんだけどなあ。今頃、遠足、楽しんでいるといいなと思います。

 
 

 2003-06-05
 

「こんなの、はいっているわけないじゃん」
と、クリスタルガイザーの成分表に向かって娘が毒づいている。
「朝から、君は何がそんなに気に入らないのだね?」
と聞くと、
「見てわかるのに……腹立つじゃん」
と、憎々し気な中にも得意げ混じりに言う。この生意気そうな感じが、母をたまらなく不愉快にさせるということに、気づけよ、娘。と思いながら、見ると「100mlあたりの栄養成分」とある。
「はずれでしょ、これ。なのに、何があたりなんだよ。100エムエルがあたるって書いてあるのにさー、中に入っていないんだよ。だいたい、100エムエルって、何よ、おかあさん」
娘はまだ簡単な漢字しか読めない。

昨日の夜、娘がただ漫然と絵を描いているので、
「どうせならDDカードを書いてよ。ドント・ディスターブ、寝ているから邪魔しないでってやつ」
とリクエストしてみた。出来上がったカードには
「しー。ねているからじゃましない」
と、大書してあった。
絵の中の母はメガネをかけたまま、確かに眠っている。横に福助が「あ」「い」のカードを持って寄り添っている。その横に、「あしたおきる」と書かれている。ストレートだ。これをホテルのドアノブにかけておきたい誘惑にかられた。
昔、知り合いに聞いた話。ハワイ在住の日本通白人がDDカードに親切にも翻訳文をつけてくれた。そこには「おこさないでくんなちい」と書かれていたそうだ。ください、が「くんなちい」になってしまったのね。
福助が「かあかー、look! A star.しーまーしー」と得意げに読んだ「ほし」に、似ているかもしれない。

今、傍らで福助が食べているカール(チーズ味)をつまみ食いしたら、福助が「ノー」といって、手を出す。「べー」と、口から出せと訴える。
「一個ぐらいちょうだいよーン」
といったら、「のー、ちょーだい、ないー」と母を押す。あっちへ行けと、泣きそうな顔をしている。 もう一つつまんだら、「ゴーアウェイ、いやー。だめー」と、皿を持って走り、どこへ隠そうか場所を探している。そこで彼のそばに行き、黙って、
「あーん」
と、口を開けてみた。福助は迷わず、自分の手に持っている食べかけを私の口に突っ込んで、
「おいしーね」
と言うのだった。あんなに大事だったカールなのに。もう一度「あーん」とやったら、また口に入れてくれた。にこにこ笑って「おいしーねぇ」と言う。
動物園などでも、餌をあげるのが大好きな福助である。
最後の一個を私に食べさせたあと、福助は皿を見て「あ」と小さくつぶやいた。

 
 

 2003-06-07
 

朝、六時半起床、洗濯と簡単な掃除、食事 をとらせて娘を学校に行かせる。身支度して コーヒーを飲んで、福助の朝御飯弁当を持ち 、テニススクールに。帰宅後シャワーを浴び 、夫と自分と福助の昼ご飯を用意して、食べ 、近所の畑に花を買いに行く。娘の帰宅を玄 関で待ち、一緒に千歳烏山駅へ。約一時間後 、谷中霊園に墓参。必ず寄る鴬谷の羽二重だ んご店でだんごを食べ(こういうルーティンは 貧乏でも子供の不安を招かないために欠かし てはならない)、日暮里の韓国スーパーマーケ ットで安く食材を買い、田端に引っ越したP子 のお友達の新居へ。近況を互いに早口で話し てお茶を飲み、商店街を楽しく歩きながら駒 込から電車に乗る。福助沈没で、14キロをず ーっとおんぶするも、誰も席を譲ってくれず 。乗り換え移動あり、途中娘のトイレ下車あ り、ラッシュ時間と重なり、福助は爆睡、バ ッグの中の贅沢品、マッコリが重い。とにか く、よく歩いた一日。帰宅後、夕食を作り、 子供達に食べさせて、寝かしつけ、その後午 前一時までたまったビデオを見ていた。
これ、昨日のタイムスケジュールですけど、 忙しい方が元気なのが不思議です。ヘロヘロ に疲れていて、「ああ駅前で何か簡単に食べ ていきたい」と思っても、手元にお金がない ので、時計をみて閉店まぎわのスーパーを狙 える、などと計算し、半額で食材ゲットすれ ば、元気も盛りかえし、ちゃんと晩御飯を作 れてしまうのも、底力です。
「突き抜けた貧乏で、なんか、急に元気にな っていない?」
と、夫は言います。
うーん、「逆境に強い体質」というのは、女 としては不幸な気もしないでもないなあ。自 営業向きというか。だって、弟と叔父一人を のぞく三親等は全部、自営業なんですもん。 やまない雨はないし、雨降って地固まるんだ し、命までとられるわけじゃないしね。生き てるだけで、丸儲けだって。テニススクール は何とか続ける予定だから、まだまだ奥様稼 業は気楽なもんさ。
残高が4桁から6桁になったら、仙川湯けむり の里でいいから、旅行気分でマッサージとい うものを受けてみたいなあ、などと夢を語る 38歳のある日なのでした。
さーて、今日もこれからお出かけだし。楽しい毎日!!

 
 

 2003-06-10
 

みそ汁が、薄かった。うっかりみその量を見誤り、味見もしないで食卓に出したからなんだが、
「うすいねー、これ。貧乏だから?」
と、夫が言った。
チューブに入っているみそを食卓に持ってきたら、それをみそ汁にとかしながら、夫は平然と福助のおむつの話をした。
夫は基本的にいい人だと思うし、我が家は基本的にとても仲良しだと思うんだが、結婚して10年経っても根源的に相容れない部分というのはあるんだなあと思う。
ただ、それでついつい笑っちゃうから、まあ、何となく楽しい食卓になっている。これで、私が笑えなくなったら、冷たい風が吹きすさぶのだろう。
ということは、私の笑い上戸が夫婦円満の秘訣なのではないか。
夫は夫で、「オレのギャグが夫婦円満の秘訣なのではないか」と思っていそうな気がするが。

ERが始まるため、テレビの前に正座したとたん、夫の田舎から電話があった。
脳内出血した義理父・波雄が意思表示を始めたというのだ。
昏睡に近い植物状態から、目をあけた、うめき声が出たと、義理母は小さな変化を大きな喜びにつなげていた。しかしそれ以上進展はなく、肺炎にかかり貧血で輸血を必要とし、家族があきらめモードに入りかけていた今日、
「じいちゃん、わかってるなら目をぱちぱちって、やってごらんよ」
と、義理姉が言ったところ、ぱちぱちしたというのだ。何度も夢中で、繰り返す姉。喜ぶ義理母。涙の母と娘が、「じゃ、また来るからね」と帰ろうとしたら、きちんと「いやだ」と目で語ったというのだ。意志の疎通は、看護の大きな励みになる。毎日通いつめてそろそろ疲れの出る母を、どれほど勇気づけただろう。
脳内で、言語野は大きく傷つけているはずなので、音声認識は出来ても意味はわかっていないだろうと思っていた。それでも長年連れ添った妻の声は、心地よいはずだから、毎日の母の語りかけには意味があると思っていた。毎日100キロ以上の道のりを行く母の、深くて大きな愛に、父は渾身のまばたきで応えているのかもしれない。奇跡は、「愛」が引き起こすのかもしれないなあ。ERはリアルにできているから大好きだが、今、そこにある、まさにリアルなでっかい夫婦愛にはかなわないよなあ。
……我が家の夫婦円満の姿なんて、まだまだちっちゃいのだった。

 
 

 2003-06-11
 

久我山の書店で、娘が楽しみにしている学年誌を買う。1000円の図書券を出すと450円、現金で、おつりがもらえる。「ぼくんち(全)」(西原理恵子著)550円を、「ア、これも」と、忘れていたかのように出す。またしても1000円の図書券で買う。おつりが現金でやってくる。
こうすれば、娘の入学祝いにもらった図書券で、肉が買える。
吉祥寺まで、電車で行く。駐車場代が惜しいからだったが、片道親子で180円、私は往復になるので合計300円、100円パーキングに10分止めて100円の方が安いじゃねーか。と電車の中で気づく。帰りのお迎えは車で行こう。
英語の日は、娘の帰りが遅い。お腹がすいてしまうのでホットドックを作りきっちり腹ごしらえさせたのだが、電車に乗って興奮したのか、のどが乾いてお腹がすいたと言う。家に帰れば握り飯も作れるのにと思いながら、ハンバーガー屋に入る。P子と福助、欠食児童のようにポテトとハンバーガーをむさぼり喰う。飲み物はあまぁぁぁいアイスミルクティーにして、二人でシェアさせる。ああこれだけあれば、三食分のおかずが買えるのに。と思いながら、私はセットのコーヒーを飲む。
P子を見送って、福助がパルコの本屋に行きたがったので、絵本の三冊も読んで帰ろうと思ったら、
「これ、くぅーだしゃい、しゅる」
と、英語の本を離さない。見本で出ている絵本の山には目もくれず、気に入ったアルファベットの本を持って帰ろうとする。最初は他人の目を気にして、「ほーら、今日は買わないよぉ。さ、返そうね」などと優しく言ってみたものの、抱え込んで「abc、欲しい欲しい」と泣かれると、困る。
それが、何とかレンジャーとか電車とかあんぱんまんとかなら、周りも「仕方ないわね」という目になろうが、ABCなのである。そんなのを欲しがる息子と、決して買い与えない母親。教育ママなのかそうでないのか、スタンスが謎である。まさか「貧乏」とは思うまい、貧乏人はパルコに行ってはいけなかったのだ。
「かーえーるーぞー、福助っ! くぉらっ」
と、脅してみる。そばに立っている、英会話教材売りが、明らかに妙なものを見る目で、私を見ている。「鴨? 鴨?」と彼の心の声が聞こえる。あっち側で中学受験用の本を手にとっていた教育熱心そうなおばさんは、わざわざ本棚を越えて見にきている。
「いやー、かえだないのー。くだしゃい、すんのー、じ・アーファベット、見るの」
と、絵本を抱いて座り込む。とにかく涙と鼻水がついたら売り物にならないので、ひったくる。
と、号泣が始まった。
今日は買わないと最初に念を押しておけば良かった。パルコに行けばたいてい駐車場代がわりに本を買う日常を知る福助に、今は貧乏だから本が買えないというのが理解できない。
「I want a book,this one ,please!!」
と、とうとう美しい英語で泣きおとしにかかる三歳児。タイの国旗のTシャツを着た由緒正しい日本の小僧。おむつもとれていない、まともに日本語がしゃべれない。なのに英語かい。私は一体、どんな早期教育マニアなんだ?
で、号泣が始まったときには、犬のしつけと一緒で、結局私はへたくそな英語でGo Home!と叫ぶことになる。英語で怒れば福助は言うことを聞く。買わない、約束していない、泣くな、帰るぞ、置いて行くから一人で生きて行け、と言うと、福助はあきらめた。
英語教材売りと目をあわせないようにして、エレベーターで逃げ帰る。とりあえず背中を差し出せば福助は無条件でおんぶをするので、そのまま担いで100円ショップに入った。私の靴擦れが痛くて、靴下が欲しかったからだ。
そこで福助はホットケーキミックスを発見し、目を輝かせ、これくーだしゃい、ご本いらないの、という。まだ、本をあきらめていなかったのかよと驚きつつも、「うーん、どうしようかなあ」ともったいをつけると、ちわわのような潤んだ瞳でじーっと見つめる。福助はホットケーキが大好きだ。お下がりのボーネルンドのマイキッチンで、毎日ニセホットケーキを焼いているほどに。娘のP子はお料理を作る真似などしたことがなかったのに、福助はいつもこわきに本かテニスボールかマイフライパンを抱えているのである。将来、何になるつもりだろう?
「よし、君がそこまで言うのなら……その粉を買おう。もう、清水の舞台からとびおりるつもりで、買っちゃおう。そして、なんと、明日、一緒にホットケーキを作ろうではないか」
と言ってみたら、失禁しそうなほど震える福助。満面の笑み。それはそれは幸せそうなのだった。いがぐりが跳ねて、大事な大事な粉を胸元に抱え、全身で幸せを訴えている子供の姿はいいものだ。わずか105円で見ているこっちが痛いぐらい切ない、息子の「幸せ」を手に入れてしまった。安かったかも。と、思う。
100円ショップを出てすぐ隣の店で靴下が87円で、「あ゛ー」と思ったが、福助の嬉しそうな歩き方ときっちり握られた手に揺れる白いビニール袋をみていたら、まあいいかと思えた。
帰宅後、そのまま箱を抱きしめて、福助は夕方寝に入った。これは夜中に起きるなあと思ったが、あんまりにも幸せそうな寝顔なので、私もついにこにこ笑いながら、そのままいつまでもいがぐり頭を撫でていた。福助はなぜか、いつも犬ころの匂いがする。
いよいよメインバンクの残高は3桁だ。おうちのお財布から1000円札が消えた。私のギャラが入っていた銀行でおろしたお金を、とりあえずおうちのお財布に入れた。
こんな気分のときに「ぼくんち」を読むと、一言一言がじんわりと心にしみる。生きて行こう。と、思う。愛について、考える。550円が、挫折した1200円のハリーポッター原語版よりずっと価値を持つ。

そして、深夜。
「パンケーク、つくるのぉぉぉー。おかあしゃん、ウェイカップ、おちてー、おちてよぉー」と、ホットケーキミックスの箱でばこばこ叩かれて起こされた。
「おい、バカ小僧、今は夜だ。黙って寝ろって。ケーキは明日、明日」
と寝ぼけて言った母の言葉に、納得が行かない福助。一眠りしてさっぱり、ホットケーキづくりが楽しみで朝まで待てない彼にとっては、今こそ、すでに明日なのだった。腹も減っていたのだろう。
「プローミシュ」
と、泣きそうな顔で言いやがる。うーん、約束は確かにやぶっちゃいけない、特に大人の事情でやぶっては絶対にいけないのだ。私がきちんと夕食を食べさせなかったのだ、私が明日作ろうと約束したのだ、もともと思わせぶりに書店に入り、本を買わずにごまかしたのは私なのだ。
私は寝ぼけ眼で、福助と一緒にホットケーキを焼いた。うーん、この105円、安かったのか。高かったのか。
福助はやっぱり、にこにこと幸せそうにホットケーキを食べていた。

 
 

 2003-06-11
 

福助に朝、一服盛って、ぐっすりと寝かし付け、母(あたし)は午前中の二時間、近所のテニスコートに行ってきた。
福助は帰宅後の今もまだ眠っており、かゆみ止めの(眠くなる成分入り)薬を飲ませ過ぎたのではないかとちょっと不安になる。まあ、昨日は三時まで鼻たらしながら走り回っていたしな、このぐらいまで起きて来ないからといってそう心配することでもないだろう。P子の時なんか、3歳まで必ず午後に起床していて、幼稚園に入るのに何が不安だったかといって、この母が8時に起きてお弁当を作れるか。だった。
なーに、できた、できた。小学生になった今なんか、目覚ましナシだってきちーんと7時に起きるもの。
今日なんか、学年誌読みたさにバカP子め、五時に目覚ましをセットしていた。でも、早起きは叱っちゃいけない。というわけで、私は二度寝したもん。六時にもう一度起こされて、それから三度寝までしたもん。そのまま眠り続けて、危うくP子を遅刻させそうになった。
母という仕事は24時間営業。時々は気を抜かないと、過労死します。
で、私の場合はもう、テニスに依存しているというか、黄色い球中毒というか。ストレス解消、美容と健康に、家内安全にも、テニスがなんたって一番だ。求めよ、されば与えられん。との言葉通り、テニス仲間もぐんぐん増える。(あれ、使い方、違っていますか?)
ちょうど絶妙に同じレベルの、しかも娘たちが同級生の同じ学区の、ほぼ同世代の4人組が偶然テニススクールで一緒になった。当然、近所のテニスコート、借りるよね。それはもう、朝練、しちゃうよね。もはや運命の巡り合わせとしか思えない。
「やれ」
と神がおっしゃったのだ。多分。
黄色い球を追うのは、ノアが箱舟を作るのと同様である。多分。
これは使命なので、〆切でてんぱっている夫に、睡眠中の福助を預けて、行かなければならないのだっ。打つべし、打つべし、打つべし。
ちょっとアップしたら試合でぐるぐる回す。一勝二敗だったが、内容が濃くて、とても勉強になった。
課題がよく見えて、次はこれをクリアしたいなどと、青年の主張に出てくる若人のように前向きなのだった。なぜ学生時代にソフトボールなどという地味なスポーツに手を染めたのか、演劇などという体育会系のくせに球を使わない部活を選んだのか、なぜ体重が53キロでスコートもよく似合ったあの時期にテニスラケットを持たなかったのかと、後悔しきりである。
20代前半で初めてラケットを握ったとき、誰かが「スクールに行け」と言ってくれたなら、また状況はかわっていただろう。
出産後の太り過ぎと育児ストレス解消にテニスでも、と30過ぎて軽い気持ちでスクールに通いだしたのに、よもやこんな夢中になるなんて。何にせよ、最初は遊びのつもりで深みにはまる。うう、それがクスリとかウワキとかでなく、「テニス」でホント、よかったよ。
夫の通っているクラブは、毎日トーナメント杯のシニア部門の優勝者も輩出している名門だ。その気になって今からコツコツ努力をすれば、70才になったとき、私だって戦えるかもしれない。何しろ、まだ32年ある。32年だよー。まだ子供の作り方も知らないP子はぽろぽろ子供を産んでて、福助なんか禿げはじめてるかもしれない、32年もの膨大な時間が、私の前に横たわっている。
何よりよいのは、私が頑丈であることだ。32年間で、鋼鉄のような筋肉を鍛え上げ、頭脳プレイ用に知識を磨き、そして経験を積んで、いつの日か毎トーに出るのだ。出て、よい成績を修めたいのだ。
きっと、32年後の私は今頃、HPで日記を更新しながら、70歳上の毎トーに出るのよ、と、わくわくしているだろう。今はできない、正確なショットやロブ追いや威力あるセカンドサービスなども、32年後ならきっと、出来ているに違いない。わずか1年で早起きが習慣になった私である。32年もあるのだ、その気になれば伊達公子さんにだってなれるはずだ。半端ではない歳月、ずーっとテニスができるんだよ、うれしいな。
ただ、今日の練習試合三試合目で軽く「ぎっくり背中」を患ってしまい、左膝のテニスニーはそれなりに深刻で、すでに故障が不安材料だったりもするのだが。毎トーに出るまで、死ねないなあ。

 
 

 2003-06-12
 

小学校で、突然、男の子に顔を殴られた。
と、P子が言う。で、どうした?
「お母さんに教えられた通り、一発目は我慢するが、もう一発殴ったら三倍返しだからね。それでも殴る? といったらやめた」
そうか。ま、よかったじゃん。理由を聞くと、とんだ誤解から突然殴りかかられたそうで、P子は納得できない。先生が現場を見ていたので、当然彼は先生にこっぴどく叱られ、大泣きして、P子に形だけ謝った。P子は成りゆき上「いいよ」と言った。しかし、痛かったことに関して、しぶしぶ謝られても納得が行かないのだと言う。こういうときはどうやって切り返せばいいのか、と。
「謝罪を要求するよりほか、ないなあ」
「でも謝ってもらっても、痛いものは痛い」
「そうだなあ、けど手を出したら喧嘩両成敗だぜ」
「こっちが手を出さなくても、喧嘩両成敗だったことがあるよ」
「それは、泣いて事情を説明できなかったからでしょ? 泣いたら負けなんだよ」
「そうか、じゃあ今日は勝ったのか。ぜんぜん勝った気がしなかった。頭に来て、泣けなかっただけ」
ううーん、難しいなあ。お母さんが、そいつ、しめてこようか? といったら、慌てて「いや、いい」と言っていたので、一応解決なのだが、どうにも納得が行かないから、今日はつまんないことでチンピラのようにずーっとつっかかってくるP子なのであった。
人は、された分の心の痛みを、誰かに仕返さないと、うまく納まらないものなのだなあと、P子を見ていて思う。
例えばこんな成長期に、親が子供の心に傷を残せば、多分、娘は自分の幼少期にきっちりおとしまえをつけるために復讐にとらわれるだろう。過去を恨んで、その恨みで誰彼傷つける人になるかもしれない。成長を拒んで摂食障害になるかもしれない。求める愛の形を間違えて売春に走るかもしれない。絶望すれば自分を葬ろうとするかもしれない。あるいは、自分の未来でつけを払おうと、子供を虐待するかもしれない。
心理学の情報がたくさん溢れている現代、知識偏重になっている母親にはやたらと重圧がかかる。そこにもってきて、価値観が多様化し、家族の形も様々で、前世代からのマニュアルは役に立たず、迷いは増すばかりだ。学校からは直接親同士で話し合うことを、かたく禁止されている。内容を聞けば、すでに解決済みの話だから先生に訴えても意味がない。傷ついている娘に、私は何ができるのだろう。
やっぱり、ちょっと行って、小僧、しめてくるか?
P子に「あなたは正しかったのだ」と抱きしめて解決か?
とりあえず、突っかかってくるのを泣くだけ泣かせてさっぱりさせたが、それはセックスしたい気持ちをスポーツでごまかすようなものだろうしなあ。
こっちも、いらだつし、いい雰囲気にはならない。
「どんなふうに育ったとしても、オレの育てた子だ」
と、義母はよく言う。親の責任は、一生続くのだなあと教えられる。自慢の息子なのか不詳の息子なのか、夫は。
「どんなふうに育っていても、P子は私の育てた子供だ」
と、きっぱり責任を取るからには、迷いを捨てて、私は私のやり方で育てるしかない。それが心理学の本には「ダメダメです」と書かれていたとしても、あるいは夫と教育方針がズレたとしても、その結果から逃げないと腹をくくるためには、自分で納得したやり方で突き進まなければならない。
しかし、じゃあこんなとき、どうすればいいの? 何が私のやり方なの? 小僧、しめること?
私の場合、喧嘩の仕方は教えられても、その痛みを癒す方法がわからない。
「地獄に堕ちろと言い放ち、あとは神様に任せるのはどうか?」
「オレは天国に行くんだって言いはったら? 地獄に行くことを証明できないじゃん」
「人を殴るやつが天国に行けると思ってるの? おめでたいやつだぜ、というのはどう?」
「おめでたいやつだぜ、が、わかりにくい」
「そうかー。難しいんだなあ、小学生の喧嘩は」
「難しいんだよ」
「……だなあ」
そして、私はせいぜいP子の好物を夕食に出して、風呂上がりに耳掃除を入念にするぐらいしか思いつかないのだ。ああ、情けない。
気持ちを上手に切り替えろ、ということかなあ。自分の尊厳は、暴力ではかわらないとか。そんな言葉、小一に理解できるように説明できるかー!!
犬にでも噛まれたと思って、忘れろというのは……犬に噛まれたら、普通、忘れられないよなあ。うーむ。
あーもー、母親って、大変。毎日が宿題三昧です。

 
 

 2003-06-14
 

あー、たのしかった。
25年ぶりのソフトボール、世田谷の小学校のオヤジ達はみんな「うまい」というのがよーくわかりました。
前々日に、突然のご指名ですし、特に見せ場もありませんでしたけど、キャッチャーと言うのは、声を出してなんぼなので、ひさしぶりに大声を出して、日頃のうさをすっかりはらしました。
最初は遠慮がちだったんですけど、「盗塁はない」といっているのに、ホームめがけて突っ込んできた敵陣の大男がいて、せき髄反射で私もホームを守ってしまったために激突、ばこーんと脳みそがずれる音を自分で聞いてからは、結構容赦なく「打者びびってるよ」「打てない打てない」「ツーストライク、あと一本」などといやなプレッシャーをかけさせていただき、ボール玉を直前に「入った」と叫んで振らせる作戦も楽しませていただきました。やっぱり、相手が女子っていうか、おばちゃんだと、とてもいやーだろうな。とは、思いました。
ランナーがいたのにサードフライしか打てず、夫はMVPなどと持ち上げてますけど、私としてはもっと練習と研鑽を積んで、次に臨みたい!!と。おいおい、次があるのかよ? いやん、すっかりその気になっちゃって、このおばちゃん。
誘って下さった関係者の方、特にPTAとしての働きを望まず、私を「オヤジ」として扱って下さった多くの方々に、感謝します。

 
 

 2003-06-15
 

あうわー、ひと目惚れ。
どどど、どうしよう。
これで何度目でしょうか、心臓わしづかみ。
前回はオーストラリア出身の郵便屋さんでしたが、私も夫のある身、夫に反対されてすっぱりとあきらめたのでした……でも。今回も、涙をのむのかなあと思いつつ、調べずにはいられなかったの。あなたは日本に馴染んだサーファーだったと、たった今、知りました。
伊豆長岡からの帰り道、信号待ちで止まった店の前で、私はあなたの姿を一目見て、息が止まりました。本当よ。大きな体躯と、奇妙な形に「うわ。私のものにしたい、ぜひとも乗っかりたい」と、震えました。
彼の名は、ATV。私の心を虜にした迷彩カラー。浜辺を走る、おもちゃみたいな四輪のバギーなんですけど、これがごっついくせに、かわいい。どきどきしながら「バギ夫……」と心で名付けた彼の名前を、インターネットで検索します。そして、本名を知ったのでした。
なんと、ノーヘルで公道も走れるそうです。50CCでも、二段階右折や30キロ規制がないそうです。
前回、涙をのんだのは、ハンターカブ、オーストラリアの郵便屋さんが乗る、ホンダスーパーカブの逆輸入バイクでした。真っ赤なの。すんげー、可愛いの。林道なんかも、ばりばり走れそうなの。これは現地でも製造中止だったため、原則として中古しかないわけで、近郊の中古屋さんに申し入れして、もうちょっとで手に入れるところでした。原チャリじゃないんで、二人乗り使用に改造して、子供も乗せよーっと。と思っていた矢先、別の理由でバイクには乗らないと決意し、キャンセルしたという経緯がありました。
買っていたとしても、多分、今回の「鈴木家の平成大恐慌」で、売られていた気がするけど。ドナドナ歌っちゃうよね。
でもね、これはバイクじゃないの。ミニカーなの。かわいいの。迷彩なの。ジープに乗りたくて免許をとったのに、諸般の事情からジープに乗れない私としては、こう、ピッタリの代用品というか、むしろジープよりずっといい、というか。駐車場もいらないし、一人で遊びに行くときにはでっかい車じゃない分、経済的で、しかもかっこいい。浜辺も走れるし、公道以外なら子供も乗せられるから、レジャーの幅も広がります。とてもいいのよー。諸経費込みで、35万も用意すればよく……はぁ(ため息)。そんなお金、逆さに振っても、でてきません。
エコオヤジはもともとモータースポーツには全く興味がなく、免許も取らず、
「自転車はいいぞー」
といっています。ケガ用の保険のしつこい勧誘に、夫の1日の行動半径(二日に1度程度、徒歩1分のスーパーにたばこを買いに行く。週に1-2度、徒歩5分のテニスコートに行く。月に2-3度、砧公園に自転車で行く。時々自転車5分の駅前で打ち合わせに行く。それ以外は、うちの仕事部屋にひきこもり)と本当のことを話したら、相手が電話を即座に切ったほど、動かない人です。
私がある日突然、「ああこれ。昔乗りたかったの」とひと目惚れしてキャッシュでほほを張ってうちに連れてきた派手派手のDTを見ても、(ああ、なんて優雅な暮らしっぷりだったのでしょう!!)まーったく感動しない。「ちょっと、乗せてよ」とも、言わない。キックしてエンジンかけることもしない。磨いていても、オイル足したりしていても、見にも来ない。MTXが愛車だった私としては、こう、気になっていた先輩と大人になってからうまく行っちゃった、みたいな高揚した気分だったんで、あんまりにもあっけないリアクションに「趣味が違うって、こんなもんかー」と、思ったんですけどね。
はい、そーです。アウトドア系のデザインが好きです。時々一人で乗っている自分の可愛い愛車(自転車)は、赤いマウンテンバイクですし……「欲しい」と思うものは、たいてい「丈夫でごっつい」ものばかり。多分、「ちわわ」に心奪われることは一生、ないんです。
老後はでーっかいキャンピングカーで放浪の生活を送るなんて、いいんだけどなあ。そのときには、この四輪「バギ夫」君を購入して、ぜひとも愛人として、キャンピングカーに乗せてあげよう。すっげー遠い夢になっちゃったけど、「欲しいもの」がある暮らしって、緊張感があって、悪くないです。仕事でつらいことがあったときには新宿の丸井インテリア館と渋谷のロフトに行って、「買うために、さあ、働こう」と思った、若かりし日を思い出します。
今日は、バギ夫の夢が見られるかなあ。……テレビを見ない日はあっても、普通免許とって3年、車に乗らない日はない私が、そういえば、もうすぐ免許停止なのだった。バギ夫を仮に、突然親切な魔法使いが私に与えたとしても、90日は乗れないんじゃん。行政処分はまだですが、多分とてつもなくつらいんだろうなあと、思います(泣)。

 
 

 2003-06-17
 

毎週火曜日は、たいてい私の機嫌が悪いです。
娘が唯一の習い事・英語に行く日なのですが、これが行き帰り道中の時間を合わせると、4時間弱かかるのでした。それも遅い時間なので、福助が眠いため、ずっと街で遊んで待つわけにも行かず、いろいろ試してみた結果、夕方に近くまで送ったらそのまま帰宅し、夕食を三人で食べてから、夜、また迎えに行く、という状態に落ち着きました。
私は家族一緒に晩の御飯を食べたいです。
私は火曜日の「伊東家の食卓」と「踊るさんまご殿! 」が見たいです。 私はお風呂に入ったらビールを飲んで、夜はぼーっとしているのが幸せです。
なのになのに。
迎えに行くと、娘は必ず、熱にうなされたように車の中でずーっとずーっと「楽しかった英語・今日のおさらい」をするわけで、私は「あー・はー」などと英語っぽい生返事で、彼女の話を聞き続けます。福助でさえ歌えるほど繰り返された英語の歌を、これまた何度も何度も何度も聞かされることになります。
いいえ。ウンザリしちゃいけないの。それもまた、私にとって英語のブラッシュアップ! と前向きに捉え、「P子、それはどういう意味?」と尋ねますと「単語の意味? 知らなぁいー」……こんなことでいいんでしょうか?
月曜日には自分のテニススクールがあり、ハードな動きでたいてい火曜日はどこかが筋肉痛です。しかも、どんなに疲れていてもドラマ「ER」がある月曜日は11時まで絶対に就寝できず、正確には月曜の夜から私は比較的無口になります。
今日は午前中にちょっとしたお楽しみ会があって、そこでしっかり元気を取り戻すはずだったのですが、やはり「過労」は頭を停止させてしまうらしく、自分でも怖いぐらい冴えませんでした。こうやって日記を更新していても、言葉がぜんぜん出て来ない。タイプミスが多い。友達や夫に、何度も同じ質問をしてしまうほど、短期記憶力も落ちています。なんかね、怖い。自分の名前も忘れそうな気がします。ソフトボールの後遺症でもっと筋肉痛があるかと思っていたのに、筋肉痛はたいしたことなく。痛んでいるのは、お脳の方かも知れません。
ふわ。今も、一瞬居眠りを。これ、怖いなあ。運転中にしちゃったら、どうしよう……。
今週はまたイベントがてんこもりで、休む暇なし。大丈夫なんでしょうか。私は?

 
 

 2003-06-19
 

「エイティーン、めいーくぃっしゅます」
と、福助がさごそ引き出しを探しています。
「これは?」
「ノー、イッツアバルーン」
「これは?」
「ピッカブー。ノーノー、ないの」
タイトルは読めないはずですから、多分ナンバーで覚えているのでしょう。いくつか試して、福助(三歳)は、アルクのABCビデオ全24巻のタイトルを熟知していることがわかりました。駅名や国旗を覚えるタイプの子供っていたけど、そういう子が私の元にやって来るとは思わなかったなあ。
それはひとつの「能力」なので、素直に寿ごう。だからって「天才なんですの、うちのボンは。おほほ」みたいになれないのは、現実を客観的に見ているからで。
ビデオ好き福助は、今日、いくら構っても遊んでくれません。今は、クワイエットタイムらしいです。
NYの友達のお下がりディズニービデオ複数個、誰も見なかったからと田舎からもらった10年前のMLSビデオ全10巻のうちお気に入りが二つ、最近は友達から送られたECCのビデオにも夢中で、町でECCの看板を見ると歌いだすほど。好きなんだから、まあ、いいのか。ビデオに子守りをさせても。
特にクリスマスものは大好きで、久しぶりに暑い今日、さっきからずーっと流れるビデオはクリスマス一色、我が家はオーストラリア気分です。
福助が母と遊んでくれない理由は、多分もうひとつ。
昨日、台風が来ている中での、猿テニスのせいでしょう。
昼からの雨で、最後は風まで吹いて、ボールが唸ると水しぶきが弾む、「これはテニスというゲームですか?」と錯覚する、まさしく新種のゲーム、猿テニスでした。私たちの他には誰もテニスをやっていないような状況で、私と夫はレインコートを着せて小猿を遊ばせていたのでした。虐待に近いか。でも、楽しそうだったよ、雨の日の外遊び。
やっている大人は、軽めのシャワーを浴びながらラケットを握っている感じで。サッカーじゃないんだから、全天候型アウトドアテニスというのは、どうなんだろう。みんなもう、いい大人なんだしさ。とは思ったものの、誰もやめようと言わない。雨天のキャンセルだと返金されますし、と、フロントが遠回しに「無茶するな」と言ったのに、
「ええー、フロントが雨だからやめろって言うの? こっちがやると言っている限り、やれるんでしょ?」
と、くわえたばこのふちゃは、相変わらず元気だし。城さん、雨なのにわざわざ渋谷から出てきているし。っていうか、みんな、異常に元気だし。しばちゃんやべんちゃんの友達がどんな仕事か知らないんで、限定はできないんですけど、逆境に強い自営業系、変わり者の美術系が多いからかな。吹けよ嵐、叫べオレ!!みたいな気分なんでしょうか。どうですか、とりさん?
実際、ボルネオの奥地で敵に出会った猿のようにコートで叫び続けたみたちゃん、あなたの新しい一面を発見しました。新参者なので……と言いながら三回目、あなたもまた素敵なテニス猿だったのです。
そうです。考え様によっては雨の中のテニスこそ、まさしく猿テニスの醍醐味であり、大変素晴らしいフィナーレであった気がします。みんなでテニスバカ。みんなでお猿。さようなら、朝日生命久我山猿テニス協会。大雨に打たれて、涙も汗も、かき消えます。誰も泣いていないけどな。
時がゆき、どんどん強くなる雨あしに、最終戦・女子ダブルス対戦相手のハルちゃんが「子供が、子供が」と気にしている気配でしたが、それでも決して「やめよう」とは言わず、しかもリードを許しても試合を投げず、タイブレイクまで持ち込み、試合が終わるやいなや、小脇にびしょぬれの二歳半の娘を抱えて、シャワールームにダッシュで消えて行きました。ヘロヘロに疲れているはずなのに、母は強いよなあ。……いや、ハルちゃんが、強いのか。母は、普通びしょぬれにさせないからなあ。
ハルちゃん、コート代とボール代込みでひとり1110円です。いつでもいいから、よろしくね。今回は鹿野さんの割引券のおかげで、安かったのよ。ああ、こんなに楽しいのに、こんなに安い娯楽、ちょっと他にないよなあ。今月で取り壊し決定。宅地になります。残念ね。
でね、娘を途中でピックアップして、びしょぬれのまま車で寝こけた福助を叩き起こして、みんなで夕方風呂に入り、早寝しました。もちろん、夜中に起きてドラマを見、サッカーを見て、充実した1日でした。
あら、昨日の回想をしていたら、いつのまにかクリスマスソングが消えているわ。おお、ビデオを抱えたまま福助、床で寝てしまったようです。昨日の疲れが残っているのでしょう。三方向から風が入る、リビングの一番涼しい場所を選んでいます。猫みたいだな、この小猿は。それもまた福助に与えられた「能力」なのかもしれません。いいの、いいの、楽しけりゃ。

 
 

 2003-06-22
 

忙しいって、心を亡くすと書く。などと、忙しがる人をたしなめちゃったりする言葉がありますが、私の最近はちょっと忙しすぎて、完全に心を亡くしています。各方面、ご迷惑をかけている方々にこの場を借りてお詫びします。ごめんなさい。
「鈴木さんてば、いつも遊ぼう遊ぼうと言っている癖に、ちっとも時間作らないのは得意技だから」
なぁんて誠意のない八方美人扱いされちゃえば、その通りなんですけど、もう何が何だかわからなくなって、優先順位がめちゃくちゃなんです。
しかも、家事なんか悲惨です。夫は洗濯物の海を泳ぎながらパンツを探すような生活はもういやだと泣きが入りましたし、子供部屋のお布団はもう一か月近く干していません。ここんとこ、すでに夏日じゃないですか、暑くて料理を作る気力もありません。なのに食欲はちっとも衰えません。家計もやっと一息ついたものの、タイミング良く「税金払えよー」連絡が来て、これで通知まちの罰金を払ったらまたしても夏のイベントゼロになってしまうので(どうせ運転できないけどさー)、「緊急状態・解除」には程遠いのでした。
でもね、ふつふつと幸せなのは、きっと、楽しいことがてんこ盛りなせいね。
木曜日に、私は毎日新聞でコラムを書いている木村万里さんから頂いたチケットで、ライブに出かけ、そこで「ポカスカジャン」に強烈に魂を奪われてしまいました。9月の単独ライブの予約受け付け日を手帖にマークして、着メロは早速「ポカスカジャンのテーマ」に。これからポカスカジャンは私の心のアイドルです。一介の主婦に夜遊びのチャンスと夢中になれるアイドルを与えて下さって、木村さんには足を向けて寝られません。はがきは書いてみるものだなあ。
いやー、ライブはいいね!! 特にお笑い系のライブというのは久しぶりだったので、新鮮でした。
そして、金曜日は、いつものテニススクールと歯医者さんでした。千歳烏山のこまい歯科は、静かなジャズの流れる癒しの空間です。麻酔も痛くないし、説明が丁寧。技術も高い。質問攻めにすると嬉しそうに答が三倍返ってくる先生達はとにかく若くて熱心です。たっぷり時間をかけて歯を治してくれている間、わたしはとうとう居眠りに成功するほど心を許せる場所になってしまいました。条件反射であの椅子に座ると涙が出ちゃっていた私が。初回、いい歳して、「うわ、スズキさん、泣かないで」と、先生を驚かせてしまった私が。恐怖の余り、歯の治療のあとは必ず緊張性の肩こりから頭痛を起こしていた私が。居眠りするほどに成長!! 日記にきちんと記録しておかなければね。30余年、全く歯科医運が悪く、宿敵と化していた歯医者を、初めて心の底から「先生」と呼べたのよー。そして、子供を歯科衛生士さん達にまかせて、憩いの時間を過ごしたあとは、娘の体操教室で、二時間走り回ったりボール投げたり、気の合う友達としゃべったり。
夜、子供を夫に任せ、自転車で環八のマクドナルドに行き、ちょっとしたブツの受け渡しがあって待ち合わせしたふちゃと、1時間強話しゃべりました。高校生みたいで、わくわく。
要はさー、気持ちの持ち様みたいね。ドン・キホーテでのお買い物を入れたって、往復込みで二時間かからない。二時間ドラマ見ながら「あー、刺激がないなあ」と嘆くより、二時間限定夜遊びのほうがずーっと前向きな時間の使い方ではないかと思います。
子育て中は夜遊びなど言語道断!と自分を律して、私は「母親」のプロであると自負していたんだけど、何にでも息抜きは必要なんだよね。と、どーも6月に入ってから、夜遊びに目覚めたな、完全に。
土曜日は伊豆長岡。義父は元気な植物状態。(奇妙な表現?)なんかね、呼ぶと、目をあけて見つめてくれるだけで、強く手を握ってくれるだけで、見舞い客は幸せになっちゃうんだよね。実の娘の義理姉には反応したのに私には反応しないわ、と、ちょっとムキになってみたりね。で、ちゃんとわかってくれたら、それでものすごーく嬉しくなっちゃったりしてね。私はもっとこう、植物人間を見ちゃうと、失った機能を悲観して、不幸になるんだと思っていました。でもねー、生きているってやはり尊いんだな。さすがに頭を撫でたことはなかった義父を、チャンスだからと、いいこいいこしながら、夫に似ているなあと至近距離で観察したり、ゆっくり時間が流れる病院でそれなりにくつろいでみたりね。
病院の近くの全品超特価のスーパーでお弁当と一週間分の食材を買って、温泉の駐車場で腹ごしらえ、そのままもらい湯したら、すっかり観光気分。レジャーがあるので、風呂好きな子供達もOKさ。
でも、さすがに若くないんだなあと思うのは、それで日曜日にはもう、ほとんど動けなくなっていること。岩通のバザーに出かけ、しっかり買いだめはしたものの、ぎっくり背中が最近頻繁で、居眠りがひどいです。「疲れているなあ」って思うことも多くなってきた、38歳の初夏です。心もなくしっぱなしではいけないですし、今週は少し、セーブしようね。

 
 

 2003-06-23
 

今朝、ベッドメイクのために福助のベッドに眠る私用の枕のへりをひょいと持ち上げたら、枕の下からわらわらとミニカーや積み木が出てきてびっくりした。沢カニか?
また、忙しい1日が!!と、眉見にしわを寄せて走り回っていたときだったので、ちょっと緩んだ。

P子が小学校に行って初めての懇親会。絶対に5歳は年下、と踏んでいた人と、絶対に5歳は年上、と踏んでいた人が、同じ昭和39年生まれであることを知り、びっくりする。みんな、ドリフ世代である。
「そうなのよー、今でも子供を叱りつけて、もう「八時だよー!!」っていうと、頭の中で「全員集合」って、叫ぶ声がするのよー」
と、チハルちゃんは言うのだった。ああそういえば。と39年会(仮名)は全員思い当たって、大笑いした。

「へぇぇぇいあああちみたーあ、もあいあき、おろりーおろりーうたりぼぉぉぉっち」
と、福助は気持ちよさそうに、「ひととよう」(字を知らない)の歌を歌う。
「しぇあいいにいーとつたーけのあーな」
マッキーの作った歌は、世界に一つだけの穴だったか。お花はお花、といえるのになあ。
「くぅーしーこっこもあーだぉさー、かなしーこっこ、あうだぉさー」
だけどボクらはくじけない、泣くのは嫌だ笑っちゃお。
……ま、笑っちゃお。
最近のお気に入り三曲だ。車に乗ると、すかさずリクエスト。ちゃんと全曲、それなりに歌いきるが、途中の感想のツカツカ・チャーンみたいな打楽器系の音まで、しっかりコピーしている。そして、歌詞よりそっちの方が正確な音だったりする。
疲れているときには、こんなぼんやりした福助のうなり声、もとい、お歌が、心安らぐ鎮静効果を持っている。問題は、福助は気の向いたときにしか、決して歌わないから、どんなにリクエストしても聞きたいときに聞けるわけではないということだ。それだけに聴けるとラッキーな気がするから不思議。「出し惜しみ」というのは大切なんだなと、三歳児から学んだりしてね。

今日は涼しいな。昼間、NYからの友達と高島屋タイムズスクエアを走り回ってきた子供達はぐったり疲れて、とっくに眠っている。梅雨なのに、本当に過ごしやすい、静かないい夜だ。眠ってしまうのが、惜しいほどにね。

 
 

 2003-06-25
 

はい、事故りました。
「また?」
またです。毎度どーも。
今日の日記は暗いです。すみません。
今日一日が、ずーっと事故処理で過ぎて行きました。弁護士さん、保険会社、相手の会社、相談機関に、夫が電話をしていました。一応、オペルの名義人なんで。
私、何が悪いんだろう。どうやったらあの接触事故を回避できたんだろう。運転、へたくそなんだな、きっと。前は一時停止無視で片手たばこ運転の原チャリおじさんを転がしちゃったし、スピード違反でつかまって行政処分待ちだし。
落ち込んだ私は、あんまり冷静じゃなくて、「喧嘩上等」の夫が要約してくれることすら、うまく理解できないのでした。
今回は、幅寄せしてきた追い越し車両に、左折で少し膨らんで、接触だ。左折だよ、左の歩行者に気を使ってやっとアクセルに足を移して、そしたら右側にぐんぐん近付いてくる車を見つけて、危ないと思ってあわててブレーキを踏んで、接触。私は前輪のフェンダーがぐちゃ。相手は左側のドアに一本、前から後ろまで横線が走った。横断歩道でどんな加速をしていたんだ? 私が左にもっとハンドルを切れば接触は免れたのかな。けど、そしたら人、引っ掛けていたし。
誰か教えて下さい、どこを見て曲がればよかったの? うまい運転手さんは、どうしているの? まさか横断歩道上で一車線の道で、ゆっくり左折しようとのろのろ動き始めたときに、後ろから追い越しかけられて、幅寄せされるなんて、普通考えない。とろいのが悪かったかな。安全運転って、ちっとも安全じゃないもんなあ。でも、今は取り消しが怖くて違反できないから、ものすごく慎重な運転になってしまうんだけど。もう、しばらく「乗るな」ってことなのかもしれないよ。でも三日乗らないと乗り方忘れちゃうんだよな、などと思ったら、もう自分が情けなくて、眠れません。
この感じは、まずい。眠れなくなって、すぐ食えなくなる。きっと痩せます。「事故ダイエット」……シャレにならん。

で、ここまで暗い日記におつきあい頂いた方に、せめて、得する情報をひとつ。
事故ったら、その場でコンビニに走り、カメラとメモ帳(できれば複写できるカーボン紙も)購入して下さい。私は明日から車に積んでおきます、次の事故に備えて。↑おいおい。
必ず写真を撮りましょう。そして、警察に言った状況見聞をメモします。主張が違う場合は、その主張もできるだけメモして、お互いの合意点をクリアにして、署名しあいます。
そうすれば、警官に言ったことと全く違ういい分を放言されようが、あとで証拠が残っているから大丈夫です。世の中、正直者ばかりではないんです。そうするべきでした、つくづく反省しています。
警察のとっている事故記録があるから、と安心していたら、あれは、基本的に門外不出。裁判になったときにその警官が証人として証言するだけだそうですから、保険会社の示談交渉のときの証拠としては使えないのだそうです。つまり、言ったもの勝ち。自分は悪くないといい続ければ、その罪の証拠は裁判にならない限り、出て来ないんです。ご存知でした?

そうなの、相手がね、ぜんぜん違う報告をしたみたいなのね、会社にね。で、私の過失割り合いが8だと、相手の会社の事故処理係は言うわけです。
私は横断歩道上で停止していた、らしい。一車線だが、幅が何メートルなので二車線と見なしていい、らしい。そのときに左のウィンカーがついているかどうかは一緒に走ってきたので見えなかったが(あらら?)、時速10キロで直進してきた彼の車は、合図も出さずにいきなり直進しようとして発進した私にぶつけられた、かわいそうなぼくちん。なのだそうです。
それが本当ならね、私も8割以上自分が悪いと認めると思う。すみません、いや、すみますみません。と、謝りたいです。
接触ごときで裁判を起こす人はいないから、8:2だとだだをこねて、結局5:5でおとしてくるつもりなんでしょう。チェンマイのナイトバザールのオヤジみたいな値引き交渉です。まず、倍から。
たいていの中年女性は運転が下手だと思われていますから、「こっちは優良ドライバーなんだから、お前が悪い」と100回言われたら、A級ライセンスでも持っていない限り、「そうかも」と思っちゃうかも。疲れて弱っていた私も、一瞬、私がひょっとして全面的に悪かったんだ?と、思いましたから。相手の説明が理性的で巧妙だったら、納得していたかもしれません。
子供を乗せて夜、走っていれば、実況見聞の時間の長さを思ってうんざりします。タッチペン一本で直るような傷を「この程度なら修理工場を使えば安くすむから、事故で警察呼ぶと長いよ、全額修理代を出してもらうけど、安いし」とあれだけしつこく言われれば、「はい」と念書にサインするおばちゃんだって少なくないでしょう。実際、過失相殺なら飲んでもいいですよ、と、この私がつい言ってしまったぐらい。痛いとこ、つかんでます。

「運転手さん、追い越してきましたよね。一車線で、こっち左折ってわかってても、対向車がバスだったからセンターライン気にして幅よせしたんじゃないですか?」
と私が言うと
「幅寄せなんかしてないよ。左折だからあんたが右に膨らんだんだろう。こっちはさ、追い越して直進していたんだから普通はぶつかんねーよ」
と、あんなに何度も繰り返していたのになあ。忘れちゃったのかなあ。二転三転する言い分に、警官にも「そのいい分なら、ここから傷が出てなきゃ変でしょ」とか言われていたしなあ。当てられて可哀想なぼくちんは、忘れっぽいのかもしれません。
それとも、会社の担当者が道交法に精通していて、横断歩道手前30メートルの追い越しは違反だと知って、追い越しも左折も、消しちゃったんでしょうかね。おまわりさんも気づかなかった、法令違反。あとで教本を読んで、「あ」と思いました。そうだよね、横断歩道手前で追い越しなんかしたら、危なくてしょうがないもん。と、それを知って、私としては喉のつかえがとれたような気分だったのですが、話がかわっちゃったら、ねぇ……。

昨日は、P子が一人で吉祥寺の英語学校に行った初の冒険の旅だったのに、その話はちっとも聞けないままでした。ピックアップすべきP子は、結局お友達のお母さんに引率されて事故現場まで歩いて来て、「またやったの?」と言う顔をしました。前回の事故も、P子の英語の日だったんだよね。
福助は一時間半、シートベルトにくくりつけらたまま、放置されてました。忘れてたよ……。すまないね、子供達。間抜けな母さんを赦しておくれ。
車で帰る携帯電話が鳴り「はい、スズキです。今、お母さんは運転中なので出られません」といったら、たった今見聞してくれたおまわりさんでした。「おお、安全運転アピール!! 」と思ったら「ナンバープレイトのひらがなを教えてくれだって、おかあさん」……大丈夫かなあ? みんなみんな、忘れっぽいぞ〜!!

 
 

 2003-06-26
 

ありがとうございます。
仕方ない、事故は、そうだ。誰にでも起こりうるんだ。
なんか、いつになくたくさんの励ましを頂いたりして、「おお、我同士よ! 事故師匠!!」などと感動してしまいました。違反の達人やら、事故師匠やら……ホームページを開設すると、こんなに副産物がいっぱい。うう、すねに傷をもつやつぁオレんとこへ来ぉい!!と歌ってもいいですか、お師匠方。
「じゃあどうすればよかったんだ?」
今でもわからないです。一車線でも、車が二台並走できるところでは、左折のときにもっと左に寄っておくべきだというのが、唯一の反省点かな。私が後続車なら、横断歩道見通しの悪い一通への左折車がいれば、仕方なく後ろについて待つけど、急いでいたらきっと、「とろとろ左折してんじゃねーよ」とか思って、対向車線使って追い越す人もいるよね。側方間隔を相手がもうちょっと取っていてくれたら避けられたのかも。ということは、これから道路で私が右左折する車の横を抜けるときには、横の車間もしっかりとるべきだ、と、教訓につなげてみました。
うん、これで経験値アップ。「U子は運転レベルが少しあがった。体重が1キロ減った。開き直る力があがった。滞っていた家事が動きだした」……動きだすと、いいなあ。と言う希望的観測も入れてみました。
一昨日から炊事以外の家事一切ストップで、二日放っておくとすごいことになるのよねー……。小バエ飛んでて、ああ、夏を知る。って、いやな季節感だよなあ、それ。さあ、今日は頑張ろう。
あの場であの事故は、避けようがなかったのだし、人を巻き込まなくて、私にケガがなくて、よかったんだと思うことにします。なあに、命があれば、相手への補償だって自分の車の修理代だって、何とかなるぜ。お、気力が戻った。食欲も戻っちゃうのかな……?
事故のあとはみんな震えちゃうのが当たり前。
みんながみんな正直者でないのも当たり前。
警官は案外当てにならないし騙すのも当たり前。
営業車相手では素人は勝てないのが当たり前。
体調不良は事故を起こしやすくなるのも当たり前。
事故ぐらいで運転やめる必要がないのも当たり前。
ああ、勉強になるなあ。師匠達のお言葉には含蓄があります。この場を借りまして、御礼申し上げます。普通自動車運転歴は三年、まだ運転は下手なんだという自覚のもと、少しでも上手になるように、頑張ります。

と書いて、少しだけ晴れやかな気分で、三歳児検診にいったら、ひっかかってしまいました。
……ま、そうだよな。おむつ、奇声、発語の遅れは、やはり三才の集団の中にいるととても目立ちます。小猿みたいで可愛いんだけどね。97センチの小猿って言うと、オラウ−タンの赤ちゃんってところでしょうか。
「福助君、お名前は何ですか?」
を10回ぐらい保健婦さんは忍耐強く聞くわけですね。気が乗ればすぐに「福ちゃん(仮名)でーす」と答えるのですが、今日はダメだったねー。保健婦さんが好みのタイプじゃなかったねー。
「ええーっと、じゃあね、福助君は何歳ですか?」
「2」
「そうだね、でも今は三歳になったんだよ、指が三本ね」
「2」
「三歳。わかるよねー」
「にぃぃぃぃぃぃっ」
「……で、お母さまは、心配ですよねぇ。ですねぇ、うん」
お、突然話をそう振りますか。いや、心配はしていないんですけど。この人の時計は人より遅れているけれどもちゃんと動いていますし。ただ、つきあうのにはコツがいります。こんなですから。と、思わず笑いながら言ってしまいました。こりゃあ心配しないわけがない、と思ったのは、保健婦さん自身なのよね。
そんなわけで、いろいろな指導員にまわされて、最後は福助が二才のときにしばらく見て頂いていた「発達心理」の先生でした。久しぶりですぅ!!と楽しく語らいつつも、療育(障害者教育のこと)についてじっくり話し合い、強く勧められて、福祉施設に通ってみることにしました。
「行ってみます。嫌ならやめますけど、その程度のスタンスでいいんですよね?」
と聞いたら、そういう質問は初めてだったらしく、戸惑われてしまいました。普通は、よろしくお願いします、とかいうもんなのかな。
とても気を使って言葉を選ぶから説明の時間がたっぷりかかります。で、こちらが「率直語」に変換してみたら、話が早い。でも、先生は恐縮されるのね。うーん、言葉に傷つく親も多いのだろう。問題は「言葉」じゃなく、「現実」なんだけど、「言葉」に八つ当たりしたいのかもしれないしね。
とりあえず様子を見に行くので、またまた私の経験値が増えるはずです。日記やコラムにも厚みが生まれるってもんだ。でも、ちょっと気が重いのは、福祉施設が遠いんだなー。そこに通うことになると、またテニスの回数が減るなあ。
まあ、療育でも教育でも、福助がかわいいのにはかわりないのでいいんだけど、ここんとこ、「おめでとう!! 」と言えるような、明るい話題がないなあ。そういう運気なんでしょうか? 

 
 

  
 
日記
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