2003-MAY. メニューへ戻る

 2003-05-03
 

「お蝶婦人は」と、きらびやかな後ろ姿、華麗なるフォームに続いて、ターンすると、「顔は地味だった」というオチが入る。お蝶婦人に戦いを挑むみそ、一球もさわれず。というのが、実話に限りなく近い、お話のオチである。
草トー界の女王様に向かって、「顔が地味」などと書いてしまう非礼をお詫びに行くというミッションを勝手に作って説得し、福助を押し付け、杉山コーチの特別レッスンを受けてきた。
メジャーなテニス雑誌ほぼ全誌に「ニュー薔薇組」をマンガ展開したのだが、草トー界の王様、王子様、女王様で構成される「ニュー薔薇組」の方たちは、鈴木みそなどと言うマイナーな、しかしかつて「雑誌の火薬庫」とまで恐れられた非礼・失礼どんとこい!な画風を知る由もない。
だからこそ、私には、わかる。杉山コーチが、どんなにショックだったか。
それによってあなた、歯を矯正するほどですもん。
私も、自分が描かれて、それまで気にもとめなかった鼻の大きさと目の小ささを気にした時期があった、新婚時代。165センチ53キロで、メイクに30分以上かけていた若い頃、女性誌の編集部に出入りしていれば、そこそこ見せ方はわかっている。よもや私は自分が「ブス」だったなんて、みその似顔絵を見るまで、知らなかったのだ!! 
「えー、でも奥さんを美人にかく作家はいないでしょう」
と知人に言われると、古い単行本に描かれた昔の彼女の絵はどう説明するんだ、喧嘩売ってんのかくぉら!と言う言葉を飲み込む。当時の編集者は私に気をつかって、
「みそさんは絶対、彼女に何かとてつもない弱味を握られているんっすよ。だから、彼女だけとんでもねー美人に描くんっすよ」
と、気休めを言ったほどだ。ま、実際、女の私から見てもとんでもねー美人でしたけどね。
新婚当時は、名前もよく彼女と呼び間違えられたし、愛されていないんじゃないか、と悩んだものよ。ただ、みそは固有名詞に異常に弱く、物の見方が意地悪なのだということに気付いてからは気にしなくなり、子供を産んでからはそういえば気にかけたことすらなかったが、それでも、例えばこのホームページの表紙にだって、いいたいことはたくさんある。
ある漫画家の妻がやっているあるHPを見に行って、驚いたのよ、私。ものすごい美形なんですの、奥様の肖像画。いや、本当に美形なのだと思う。全体的に上品な内容でしたし。思いますけど、そうやって描いていただけるわけだぁ、漫画家の妻だもんなあ。はぁ。いいなあ。やはりお金持ちは違うなあと、何かちょっとずれたところで感動すら覚えたのだった。私のだんご顔には、広告がいっぱい。「最近クリックが少ないんだよ、たばこ代にならないぞー」と、私に言われてもなあ。手のひらにテニスでマメを作って嬉しそうに自慢する暇に、働けよ。もちっとよ。
ああ、話がずれた。
杉山さんはコーチとしても素晴らしかったが、何よりプレイしているときには本当にお蝶婦人のようなのだった。その華麗な茶髪の巻き髪のために、遠征にはラケットを忘れてもカーラーを忘れないと言う逸話があるほど、スタイリッシュな人だった。参加していたおばさんが全員、明日からバラの花のTシャツとピンクのラメスコートをはき、たてロールにしよう、まず形から真似ようと決意するほど、かっこよかった。……ちょっと怖い、スクールの光景を思い浮かべてしまった。
杉山さんは、女王らしく、
「みそさんに今度会ったときには、あんまりにも美しくなっちゃってびっくりするわよ、と伝えて下さいね」
と微笑んだ。でもずっと気にしていたが決心が付いた、などと女王が歯を指差さなければ、私には全くわからなかったことだった。そんなの、いじわるなマンガ家でもなければ気付かない程度の問題だ。なのに、そういわれてからはお話しする間中、ずーっとついつい歯に目がいってしまった私には、すでに美麗なプレイやわかりやすいコーチングの印象より、杉山コーチといえば、やはり「歯」になってしまったのだった。
どうしてくれるんだ、みそめ。

 
 

 2003-05-03
 

「お蝶婦人は」と、きらびやかな後ろ姿、華麗なるフォームに続いて、ターンすると、「顔は地味だった」というオチが入る。お蝶婦人に戦いを挑むみそ、一球もさわれず。というのが、実話に限りなく近い、お話のオチである。
草トー界の女王様に向かって、「顔が地味」などと書いてしまう非礼をお詫びに行くというミッションを勝手に作って説得し、福助を押し付け、杉山コーチの特別レッスンを受けてきた。
メジャーなテニス雑誌ほぼ全誌に「ニュー薔薇組」をマンガ展開したのだが、草トー界の王様、王子様、女王様で構成される「ニュー薔薇組」の方たちは、鈴木みそなどと言うマイナーな、しかしかつて「雑誌の火薬庫」とまで恐れられた非礼・失礼どんとこい!な画風を知る由もない。
だからこそ、私には、わかる。杉山コーチが、どんなにショックだったか。
それによってあなた、歯を矯正するほどですもん。
私も、自分が描かれて、それまで気にもとめなかった鼻の大きさと目の小ささを気にした時期があった、新婚時代。165センチ53キロで、メイクに30分以上かけていた若い頃、女性誌の編集部に出入りしていれば、そこそこ見せ方はわかっている。よもや私は自分が「ブス」だったなんて、みその似顔絵を見るまで、知らなかったのだ!! 
「えー、でも奥さんを美人にかく作家はいないでしょう」
と知人に言われると、古い単行本に描かれた昔の彼女の絵はどう説明するんだ、喧嘩売ってんのかくぉら!と言う言葉を飲み込む。当時の編集者は私に気をつかって、
「みそさんは絶対、彼女に何かとてつもない弱味を握られているんっすよ。だから、彼女だけとんでもねー美人に描くんっすよ」
と、気休めを言ったほどだ。ま、実際、女の私から見てもとんでもねー美人でしたけどね。
新婚当時は、名前もよく彼女と呼び間違えられたし、愛されていないんじゃないか、と悩んだものよ。ただ、みそは固有名詞に異常に弱く、物の見方が意地悪なのだということに気付いてからは気にしなくなり、子供を産んでからはそういえば気にかけたことすらなかったが、それでも、例えばこのホームページの表紙にだって、いいたいことはたくさんある。
ある漫画家の妻がやっているあるHPを見に行って、驚いたのよ、私。ものすごい美形なんですの、奥様の肖像画。いや、本当に美形なのだと思う。全体的に上品な内容でしたし。思いますけど、そうやって描いていただけるわけだぁ、漫画家の妻だもんなあ。はぁ。いいなあ。やはりお金持ちは違うなあと、何かちょっとずれたところで感動すら覚えたのだった。私のだんご顔には、広告がいっぱい。「最近クリックが少ないんだよ、たばこ代にならないぞー」と、私に言われてもなあ。手のひらにテニスでマメを作って嬉しそうに自慢する暇に、働けよ。もちっとよ。
ああ、話がずれた。
杉山さんはコーチとしても素晴らしかったが、何よりプレイしているときには本当にお蝶婦人のようなのだった。その華麗な茶髪の巻き髪のために、遠征にはラケットを忘れてもカーラーを忘れないと言う逸話があるほど、スタイリッシュな人だった。参加していたおばさんが全員、明日からバラの花のTシャツとピンクのラメスコートをはき、たてロールにしよう、まず形から真似ようと決意するほど、かっこよかった。……ちょっと怖い、スクールの光景を思い浮かべてしまった。
杉山さんは、女王らしく、
「みそさんに今度会ったときには、あんまりにも美しくなっちゃってびっくりするわよ、と伝えて下さいね」
と微笑んだ。でもずっと気にしていたが決心が付いた、などと女王が歯を指差さなければ、私には全くわからなかったことだった。そんなの、いじわるなマンガ家でもなければ気付かない程度の問題だ。なのに、そういわれてからはお話しする間中、ずーっとついつい歯に目がいってしまった私には、すでに美麗なプレイやわかりやすいコーチングの印象より、杉山コーチといえば、やはり「歯」になってしまったのだった。
どうしてくれるんだ、みそめ。

 
 

 2003-05-06
 

「私なえほん」は大変よいです。
PTA連合会の推薦図書になるような作風ではなく、泣くことも、感動の嵐に包まれることもありませんが、私が先生だったら、これを夏休みの課題図書にしたいです。
ゲームの中の絵本のお店に行くと、店主のおひょいさんが、なんともいい味わいで次々に本を勧めてくれます。9割がた、何でもなく淡々と進むストーリーは決まっていて、その途中に挟まれる単語の妙で ついつい吹き出してしまうというものですが、大人にとっては癒し系、子供にとっては「自分で作る喜び」のような、新鮮な感動があります。
大きくなったら絵本作家になりたいと言っている娘のツボにピッタリはまっており、こどもの日イブとこどもの日は、公園に行った以外、ほぼゲーム三昧でした。「ややこしやぁぁ」と「なんでだろう」と「みのもんた」をギャグとして単語登録するなど、娘はなかなかのセンスなのですが、この単語登録に私はとりつかれました。私が辞書登録をして、娘が本を作る、というチームワークで、いい感じ。
「ゴージャスまつのって、誰?」「ジャパネットたかたって、人の名前?」などと娘に聞かれるたび、してやったりな気分です。
「近頃の子供はゲームばっかりで、本を読まないんですってね」と店主のおひょいさんに言わせているのには、くすりとさせられました。うん、これ、微笑んじゃうことの多いゲームですね。
出来上がった絵本はルビナシなので、親が読み聞かせることになります。ここのところ、読み聞かせは弟・福助にばかりだったので、小一の娘とは久しぶりにゲームを通じて、ナイスなコミュニケーションをしてしまいました。
「P子ちゃんはまだ、ゲームとか、しないんでしょう?」
と、事情を知らないお母さんたちからよく聞かれますが、夫は「ゲーム界でだけ有名だった、マイナーなマンガ家」です。ゲームに対して偏見のあろうはずがなく、ゲームボーイ系こそ与えていないけれど、夫検閲の入った優良ゲームは、時間制限ナシです。
「動物の森」や「しばいみち」そして「私な絵本」が、今の娘のお気に入り。そしてこれらの教育的効果は、計り知れないものがあります。語らせたら止まらないぞー。
要は親の姿勢だと思うんだけどな。
ゲームの与える精神的な影響? 暴力的なのを好むなら、ゲームによって親を殺さずにすんでいるかもしれないんだし、ものは考え様です。まだ見分けのつかないときには我が家のように「ほのぼの系」をたくさん与えればいいことで、要は情報収拾を怠って、子供のほしがるままにゲームを買ってあげるから問題なわけで。
ゲームのし過ぎで体力が落ちているって? 歩かせればいいじゃん。公園で共に走ればいいじゃん。親にも忍耐と体力がつきます。母親なんて商売は、人生の修行だよ。さぼっちゃいかん。オナニーだって無害だが、し過ぎれば体に悪かろう。そのうち本人がコントロールしますって、猿じゃなきゃ。
私たちは「ドリフ」と「ひょうきん族」で育った世代よ。悪書と言われたマンガだってたっぷり読んだはずなのに、なんでPTAになったとたん、何かを悪として弾劾しなくちゃならんのかなあ。学校からのプリントでも、テレビゲーム悪、みたいな記載があるんだけど。それで飯喰っている人もいることに想像が及ばないってところを糾弾したらどうするんだろうなあ。大人の判断で、そういうことはしないけどさ。そろそろテレビゲームを悪者にするステロタイプも、どうかと思う。
と、ゲーム三昧の日々だったGWを自己弁護してみました。今年は結婚して初めて、「しょうぶ湯」にするのを忘れたぐらい、熱中してしまった。南治さん、ありがとうございました。

 
 

 2003-05-09
 

もう若くないんだなあと思う。
シミやしわや脂肪は、鏡を見なければ現実逃避できるが、体力だけはどうにもならない。
ちょっと夜更かししようものなら、すぐに風邪をひく。熱を出しても、気力で下げることができない。
今日はテニススクール、その後はPTA総会、戻ってきてから代々木公園のタイフェスティバルに行く予定だったと言うのに、午前中、娘を学校に送りだしてから、死んだように眠った。委任状は出してあるし総会は欠席してもいいか、こんな食欲不振ではトムヤム君も食えないからタイはまた別の機会に、と、店屋物をとってお昼御飯を済まし、午後はまた家でゴロゴロする予定だ。長生きしそうだなあ。
「とにかく、おかんになって分かった事。
この世で一番忙しいのは、専業主婦。」
と、かつて西原理恵子さんから頂いたメールにあった珠玉の御言葉を心の支えにしていたが、専業主婦には〆切がない。寝たければ寝られる、という現実を何としよう…。えーっと、この日記なんかでも偉そうに大義をふりかざして「専業主婦は、大変なのである」などと語ったりもしましたが、あのーぉ、やっぱりね、ちょっと楽かも。えへへ。
御殿が建てられる、もとい、人々に感動を与える作品をうむ、黄金の右手を持って生まれてしまった業を、りえぞう先生は背負っている。
いや、多くの兼業主婦たちは、子供とお父ちゃんを抱え、彼等のスケジュールに振り回されながら、自分の才能を生かす仕事までも、遂行しているのである。
インド人のカレー屋で民族衣装が似合うウェイトレスの祥子も、老人ホームで40人も入浴させまくるちなっちゃんも、特許がらみの同時通訳で核融合について下調べして苦悩する三田ちゃんも、ホント偉いのだ。一応毎日このHPをチェックしてくれている友達を例にとってみたが、その他にもあの人やこの人や、兼業主婦達は、それがまるで「運命」であるかのように、仕事と家事と母親業を黙々とこなしている。脅威だ、その姿はすでに、脅威だ。偉大なる兼業主婦様を讃えたい。
私もいつの日か、兼業主婦様になるのだろうが、そのときに泣き言を言わない、体調を崩さない、力強い足腰を持っていたいものだ。 ついでに、ヨメが眠っているのを気付きもせずに「今日はテニスから帰って来ねーなー」と腹をすかせたまま仕事をし続けていた夫様も、讃えておこう。
「立派だ、あんたは。ここんとこ、仕事してて、えらいぞー」
でも、「いるんなら、あずすーなずぽっせぼーで、何か作って」って……、夫よ。いや、夫様よ。
「あずすーなずほっせぼーで、店屋物とるけど、いい?」
「うーん、あずすーなずぽっせぼーなら、よし」って……、夫よ。じゃ自分で電話しろって。
では、ヘタレの専業主婦は、尻尾を巻いて横になります。発熱小僧の福助と共に。

 
 

 2003-05-13
 

さすがに夫がリンクを貼って「1つクリックしては親のため」みたいな修行を強いると、突然、カウンターの数字が跳ね上がります。シャレでバカ宗教を名乗っているので、広告は「お布施」みたいなものだとか、何とでも言いようがあるわけですね。
こうなったら、卒塔婆でも書きましょうか。お習字は得意です。子供の頃、母ヨシコの怒号に、泣きながら研鑽を積んだ、つらい幼少期のお習字体験が報われると言うものです。「宗教に騙されてんなよ」とか買いて、夫のちんげ教のご神体として売るのはどうでしょう。
ああ。小2の時に、折り紙で作ったお守りをひとつ10円ぐらい(金額失念)で売り出し、これがまた飛ぶように売れてしまって、しむらようこ先生にこっぴどく叱られた悪夢の日が思い出されます。しむら先生、おかげで鈴木は道をはずさず地道に生きています。数々の納得が行かない叱られ方をしましたが(だって、先生、感情的なんだもーん)、「インチキなお守りを売って儲けるのは外道だ」という教えだけは、なんとなく守っています。あのとき叱ってもらわなければ、危うく道をはずすところでした。
でも、今思うと、あのときそのお守りをごっそりまとめ買いして行ったやつとか、となりのクラスから買いにきたやつとかをこそ、叱った方がよかったんじゃないでしょうか。きっと、いっぱいツボ買ったりとか献金したりとか、しちゃってる体質になっていると思いますよ、しむら先生。
そのあと、私はフローチャートシートを作ることで性格占いをやって、それがクラスでウケて楽しくなり、三年生のときには、倉岡秀子と小松育子という無名のクラスメートを主筆漫画家に迎え、私自身は付録ページや記事ページを書いて、回し読み無料の月刊誌を作っていたのでした。やっぱり、好きだったんだなあ、雑誌の仕事が。と、しみじみ思います。今は引退して主婦ですが、インチキお守りを作って売るのではなく、内職は雑誌書きだったり、趣味はこのHPづくりだったりしますから。
<宣伝>フローチャートづくりの内職の依頼、お待ち申し上げます。詳細、メールにて。
そういえば、優秀な女子の象徴・図書係や、優しさの代名詞・飼育係、授業も抜け出せる特権階級の保健係には、六年間一度もならずに、永遠のレク係。お楽しみ会のイベントを立ち上げて、台本書いて、お祭りわっしょい。はい、今年のPTAでは、運動会お手伝い係です。
たかが小学生の趣味でも、十分将来は占えるのだと思いました。身近な人の「小学生時代の係」を聞いてまわるのも、面白い座興です。
なんで急にそんなことを書いているのか。
テニス合宿で、ちっともテニスにやる気を見せないP子に、ある人が、
「P子ちゃんにテニスは無理だよ。だって、ちっちゃい子の面倒見がいいんだもん。やさしすぎる。勝負で勝とうとする人は弟なんか遊ばせてやらないって。どんなに投資しても伊達公子にはなれないタイプだね」
といっていたのを思い出したからです。
放っておくと、P子は今凝っている英語の歌の写しを書いています。合宿にもノート持参で、何か書いていました。「書写」にトラウマのある私はP子に対して決して字を教えることをしませんから、P子の字はとんでもなく下手です。カタカナも小文字もほとんど書けません。でも、なんか、書いています。落書きもいっぱいです。先日、生まれて初めてもらったラブレターの返事は、母の日の贈り物であるずさんな三分間似顔絵に比べ、多色使いのイラストと日本語と英語で、一時間かけてみっちり書き込んでありました。彼女はいつも夫のような変な格好で、机に向かっています。
雑誌づくりと、お楽しみ会・運動会に命を賭けていた小学生時代の私は、15年後にはフリーで雑誌記者をやって楽しく暮らしていました。そういえば絵が上手だった夫の小学生時代の「将来の夢」はマンガ家だったそうです。さて、今から15年後、P子は何をやっているのでしょうか。
福助は……やっぱり、何かをぐるぐるまわして、それをにこにことみつめ続けているんでしょうか。あるいは、洋物ビデオを見続けているんでしょうか。「きれいねー、きれいねー」と森羅万象を指差し確認しているんでしょうか。うっすらヒゲとか生えて、声変わりもして、それでもいろんなものをぐるぐる回して喜んでいたら、そんな福助を見て、15年後・53歳の私は、どうしているのでしょうね。
インチキお守りだけは、売っていないと思います。
未来が未知であるという事実は、結果がどうであれ、ちょっとわくわくするな。

 
 

 2003-05-14
 

今日は楽しい「猿テニス協会」の集合日でした。(註・「猿テニス協会」は、いしかわじゅん著「秘密の手帖」に詳しく)。
相変わらずスタートは人がまばらでしたが、次第に人も増え、なかなか盛況でした。
ああ、楽しかったなあ。
汗をかいた後は、決まって有志で焼肉です。
「テニスが巧いと言われるのも嬉しいけど、やっぱりマンガがうまいと言われるのが一番うれしい」
と、多趣味で知られるとり・みきさんの言葉に感動しました。とてつもない威力のストレート抜きという武器を持っていながら、スクールにも通わず才能だけでテニスをしている男です。
「マンガが、一番好きなんだ」 だって。なんてストレートな言葉でしょうか。猿テニスのTシャツを着て、ビールのみながら、全く照れずに言うわけです。
かっこいいー!! 思わず拍手する私と夫。
「私もテニスでほめられるより、HPが面白いと言われる方がうれしいなあ」
と言ってみました。日本漫画界の第一人者のとりさんと、一介の素人のHPを並べて平等に話せるのが、主婦の太いところです。
「そーかなあ。オレはマンガで天下をとるより、テニスで天下をとりたいけどなあ」
と、出来損ないのカールルイスみたいな髪型をした夫が重ねてきましたが、話はそこで途切れました。両方無理だ、と言う点において、「もし私が英国の女王だったら」と言うレベルの例え話になってしまったところが、ちょっと切なかったです。

ところで、今日の猿テニスには参加者の表明が少なかったので、私のテニススクール友達を誘ってみたのですが、その中の独身の一人が、
「あの、遠目、ジャン・レノに似た人はだれ?」
と、いしかわじゅんさんを指して聞いてきました。
遠目ジャン・レノの彼は、まだ五十肩でした。それなのについ手が出てしまうスマッシュ。「あ゛ー」と叫びながら肩を押さえ、相手が油断すると、鋭いストロークでセンターに切り込む怒濤の攻撃。という、手負いのサムライみたいなプレイスタイルでした。本家ジャン・レノとは、ずいぶんイメージが違います。
初めて猿テニス(の前身)に参加してからから約10年です。みんな、歳をとりました。・遠目のレノ・だって、当時は豪速球サーバーだったのです。いや、出会った頃のふちゃ(♀)は年令不詳の銀色髪だったのに、今はなぜか黒々として、体は筋骨隆々、どう見ても若返っているパターンもあるので、一概には歳をとったとは……。城さん(♂)はずーっと50代みたいだったしな。年下だったなんて、前回初めて知りました。ああびっくり。
貴乃花に似ていたぷくぷくの鹿野さんは糖尿病ダイエットですっきりと痩せていたり、しなやかだったサトル君がちょっと見ぬ間に幸せ太りしていたり、十年間の各人体重得失点差も、激しい入れかわりがあります。
勝率、出席率など複雑な計算式で毎回ランキングを計算してくれていた火浦さんご夫妻は、ウルティマオンラインというネットゲームの中に入り込んだきり出て来なくなっていたり、あるいは別の事情でこられなくなった人もいて寂しいけれど、とりあえず「猿テニス」が継続していることが嬉しいです。
テニス以外でも、猿テニス協会のメンバーには、いろいろなことを教えていただきました。
個人的にもたくさんたくさんお世話になった気がします。みなさん、本当にありがとうto猿メンバー。
本拠地の朝日生命スポーツセンター久我山テニスコートは、六月で閉鎖されます。日本を代表する素敵な施設が、つまらない大規模マンションに換わるため、猿テニス@久我山は次回が最後になります。

 
 

 2003-05-17
 

「38歳で154キロって、関取かよ」(笑)
と、23年来の友人・祥子に突っ込まれる。うう、埼玉県所沢市出身。
まったくもって、暴走族、もとい、珍走団みたいで恥ずかしい。
誰に勧められても運転手のときにはビールも飲まない、一度レッカーで運ばれてからはどんなに助手席の夫にそそのかされても駐車違反一つしたことのない、きまじめな運転手を自負していたのになあ。オペルはスピードが出てもちっとも車体がぶれないので、何の気ナシにアクセルを踏んでしまった模様。 うーん、スピードに対して鈍感な私は、メーターが250キロもある頑丈な外車じゃなくて、私の個性に合った、例えば軽トラとかにしておくべきだったのよ。
たかがスピード違反と多少タカをくくっていたのが大間違いで、90日間の免停、12点、罰金10万円と略式裁判、有罪なら前科がつきます、多少ですが処分や裁量が有利になるので高崎署まで出頭して下さいと、電話で担当者に言われたときには気が遠くなった。
いったい、私がどんな悪いことをしたっていうの!!……はい、スピード違反です。土曜日の真っ昼間、ほとんど車の通らない高速道路で飛ばして捕まりました。何のためのハイ・ウエイだ、罰金が高いのハイか、「春の交通安全週間で、検挙率を上げなきゃいけないので、ハイ」のハイか、などと毒づく元気もありませんでした。
あと3点で免許取り消しだー。私の場合、もう一度免許を取ることは多分不可能だと思う。まず筆記試験に受からない。目の前が真っ暗です。まだ行政処分は受けていないのですが、来週、出頭しなければならず、福助を託児所に預けて(有料)電車とバスを乗り継いで(有料)講習会場で二日間みっちり講習会(有料)。テストにパスして、やっと免停の期間が45日。
私が生まれたときに実父がスピード違反で捕まり、「子供が生まれたんです」と若い警官につかみかかって公務執行妨害で逮捕されそうになったところ、年寄りの上司に「行ってよし」と赦されたというエピソードをぼんやり思い出しました。オービスなんかない時代は、人情が生きていたよねー。
いや、義父が安定したのをいいことに、テニスなんかにうつつを抜かした罰が当たったのかとも思います。気晴らししている場合じゃなかったという事実を突き付けられた気がしました。仮にオービスなしでも、人情の余地、ナシですね。生まれ落ちた日に父が捕まるはずだったスピード違反を、今、私が。ああ、因果応報。ちょっと違う?
これで、前科者の私は、新制度の裁判員にはなれません。ちぇーっ。オブジェクション!!とかやるのを楽しみにしていたのに。前科者のわたしは履歴書を出してパートのおばさんとして働くことが厳しくなります。前科者のワタシは、ううううう(泣)。行政処分を受けて、罪を反省し、スピード狂を矯正し、再び清く正しく生きて行こうと思います。もう、珍走はしない。
私と同時に教習所に通いはじめて、免許をとりそびれた夫は、「いいじゃん、自転車はいいぞぉー」などと気軽なもんです。思えば四年前までは車のない生活だったのだし、なんとかなるか。昨日は徴兵の赤紙をもらったような気分だったのに、少し、前向きになっているらしい。前、という字に、びくっとしますけどね、前があるアタシとしては(笑)。
福助の誕生日が約一週間後。その頃、もう我が家には車という足がないので、まだ免停になっていない今日、車でビューンと「シズラー」まで行き、ランチを食べました。ここはサラダバー食べ放題なのに、一回山盛りのサラダを平らげただけで、それ以上は食べられませんでした。あ、福助の残したケーキは頂いたけど。自転車ライフになれば、運動量も増すし、いいや。と、思ってさ。前科者ダイエットとでも開き直りましょうかね。そういえば、人はすべからく罪人じゃないですか、キリスト教では。胸を張りましょう、前があるみなさん!! なーに、悔い改めリゃ、いいんです。

<追記>
ところで、この日記をアップしようとした今、深刻な声で母ヨシコが電話をかけてきました。
半分シャレで「前科がついたぞー」とメールを打っておいたので、その説明をしようとしたら、第一声が
「まままま、まさかあんた、人、殺したわけじゃないでしょうね?!」
であった。なぜ、そういう発想になるのだ、母ヨシコよ……。火サス、見過ぎ。

 
 

 2003-05-22
 

困ったことに、P子はほとんど学校での出来事を報告してくれない。
私は今日見てきた全てを話したい子供だったので、母・ヨシコがトイレに入ろうと、風呂に入ろうと、ふらふらとくっついて行ってしゃべり続けた記憶がある。そんなのが思春期まで続いたわけで、さすがに母・ヨシコは右から左に流すテクを身に付け、長じては重大な話ですら全くお脳に残らないという、さっぱりした体質を作り上げたのだった。
「こいつ、聞いてねーな」
というのがわかってから、私は母・ヨシコと話さなくなった。しかし、それで母・ヨシコに危機感が襲ったのか、今度は彼女のどうでもいいおしゃべりがとまらなくなり、要はしゃべったもん勝ちなんだなと、悟ったのだった。今でも母・ヨシコはいらんことまでよくしゃべる。
そんなわけだったので、私は娘P子の話を一生懸命聞こうとした。ところが、彼女は母娘の会話を楽しむならドリルをやった方がいいと言う冷たい女なので、報告は義務なの?とうんざりした顔で、一言ですまそうとする。
「それ、おもしろいじゃん。で?」
と永年培ったインタビュー技術で聞き込むと、ノリのいいときにはつきあってもくれるのだが、いつしか壮大な創作の世界に入り込んでしまい、
「んなはずないだろー」
で、終了する。そのときにばればれだったね、と笑ってくれればいいのだが、何となくあとにひけなくなっているP子は、
「本当だもん」
と、口を台形にして言いはるのである。時には泣きながら主張するので、最近は面倒だし、まあ、いいか。と、一番楽しかった出来事と一番いやだったことを報告させて、終了になっている。
「で、今日一番楽しかったことは?」
「体育」
「ふーん。運動会ちかいもんね(以下省略)」
「……」
「体育で何、やったの? 」
「ダンス」
「あー、あれは、かっこいいもんね。(中略)持って行ったTシャツはどうだった?」
「別に」
質問に5文字以内で答えるなよ、会話って言わないぞ、寂しいなあ。
「で、今日一番いやだったことは?」
「ない」
いやなことは楽しいことのスパイス、いやなことがない日常の味気なさを熱く語っていたら、話の途中で、
「ああ、じゃあね、そらまめ」
「え??? なに、それ、何?」(わくわく)
「だから、そらまめだよ。給食で出たけど、まずかった」
「おわり?」
「おわり!」
……私の母親としての情熱がからからと空回りする音が聞こえる。
食事のときに、そういえば、と、話題を提供してみた。
「今日先生から聞いたんだけど、例の2年のいじめっ子、P子の顔を見るたびにぶったり蹴ったりする子と、先生の前でちゃんと対決したんだって?」
「ああ、うん。したよ」
「どうだった?」
結果は知っていたが、P子に語らせたかった。どの程度客観的に語れるのか見たかったし、あるいは主観的に語るならそれはそれで、イライラした気持ちを吹き飛ばせればよいと考えたからだ。見事な言葉の切り返しで少年をぎゃふんと言わせ、そのうえ一番の権力者である先生に平然とちくりに行くなど、喧嘩では絶対に負けない、見事なP子の喧嘩上等ぶりに、夫は期待に満ちた眼差しを送る。……どんな家庭だよ。
「引き分け、ってとこかな」
ああ、ダメだ。ちっとも客観的じゃないじゃん。
いわば相手が因縁を付けてきたのに対し、P子は言葉で見事に応戦しており、言葉でかなわない少年が暴力を振るっていたというのが、P子から聞いていた構図だった。そのまま連絡帳に書いた。
先生は二人を並べて事情聴取して、少年は先に絡んだのはP子だと言って泣き、P子は多分事実を彎曲された悔しさで泣いて言葉にならず、「二人とも泣き出して説明できなかったから喧嘩両成敗ということで」と先生は結論づけたのだ。なんで個別に聞かないのかなあ。検察だって起訴する前に話を聞くのになあ。日本は、犯罪者の権利に対して被害者の権利が軽視されている気がする。
「P子は2年の子が悪いって言って、相手がP子も悪いっていったから、引き分けだよ」
泣いた話は、P子本人は語らなかった。プライドもあろう。裁量に関しても文句無しと言う感じだった。しかし、夫は黙っていない。
「それは引き分けじゃないだろう!! お前は自分は悪くないと思ったんだろ?」
討論になると、どうしてこうも夫は熱くなるのか。敵に回したくない人である。
言い掛かりをつけられ、断ったら暴力被害を受け、なおかつ抗議した結果、なぜか「まるでPKを狙ったシミュレーションだ」とP子の罪も問われたのであれば、それは、負けも負け、大差で完敗であろう、泣いたのが敗因ではないかと、夫と私がP子そっちのけで話していたら、
「でも、引き分けなんだってば。だってその後、その男の子と遊んだんだ。その子、笑っていて楽しそうだったんだ。だから、もうぶたれないよ。結局、P子にとってはよかったの。だから負けじゃないでしょ」
という。……平和的解決、というべきか。夫の父親としての情熱が、からから空回りして音をたてるのを、私は確かに聞いた。そんな悔しい出来事があっても、今日一番いやだったことはそらまめなのだから、一年生の日常は大人の常識では計れない。いや、結果としての解決を求める現実的な娘は、私や夫よりずっと、ある意味、大人なのかもしれない。……つまんないのー!!
P子6歳。彼女は、いつもクールである。

 
 

 2003-05-25
 

あー、楽しかった。
小学校の頃、何が楽しかったといって、運動会ほど楽しかったものはない。だって、一日勉強しなくてよくて、ただ走るだけで祖母も母もクラスメートも先生も喜んでくれる。今、ただ走ったところで、一体誰が私をほめてくれるだろう。私はほめられるのが好きだ、大好きだ。
運動会は、幼稚園時代から、至福の時間であった。
変なもの持たされて踊るのがなかったら、きっともっと好きだった。幼稚園年少に黄色い旗を持たされて「コバタデゴーゴーゴー」(ああ、まだ歌える……)何語だかわからない呪文とともに踊らされるのは苦痛だったし、中1の時には手品のBGMでお馴染みの「何とかの真珠」に合わせてテープをひらひらさせられたり、中2の時には豆絞りのタオルを持って「与作」を踊らされたりした。両方、未だに振り付けを覚えているのがいやだ。今四半世紀を経て気がついたんだけど、どういう音楽センスだったんだ、体育教師!? そんなこと、四半世紀後に気づきたくなかった気さえする。
高校時代にフラフープを持って新体操もどきのジャズダンスを踊らされたときにはもはや笑うしかなかった。はちまきしめて、ブルマーでそんなもん踊らすなよ。お好きな方にはたまらないかもしれないけれどもな。というわけで、アレは醜悪だと思っていたが、今日娘P子の小学校のSORANや民謡の何とか踊りや歌謡曲に合わせた創作ダンスなどを見ていたら、なんと「お・も・し・ろ・い」と言うことに、またしても33年後に、気付いてしまった。アレは、大人の密かなお楽しみだったのである。 「子供が一生懸命な姿」に弱い母・ヨシコと私は、他の学年の子供を見ても、うるうる来てしまって、バカみたいなのだった。そういえば、そんな祖母と母を、昔見た。とても不思議だったのを覚えている。ああ、いやだなあ。歴史は繰り返すなあ。きっと私も60歳過ぎても決して敬老席に座ろうとせず、多分福助のヨメともうまくやっていけないのだ。
話がそれた。
玉入れだの大玉転がしだのは、確かに見ていて楽しいが、別に面白くはない。それらは「体育の技術」の集大成だし、競技や勝敗、協力などというシビアな教育の現場だからだ。しかし、集団演舞はちがう。明日からは生きて行くのに何の必要もない、全く役に立たない踊りのために、それをぴたっとそろえるべく特訓したであろう、そのあまりにも意味のない行為。壮大な無駄には、いっそ突き抜けた贅沢さがある。そんな無意味なことに純粋に打ち込める無垢さにこそ、心打たれるのだと思う。
うちの学校のPTA会長さんは、「昔は美人でブイブイ言わせていたんだろうな」という強気なタイプなのだが、いつもいつも心にしみる素敵な言葉を、ドラえもんに似た声で話す。いみじくも今日は、
「頑張ったあなたたちの姿は、私たちの宝物です。ありがとう」(すました大山のぶ代風で)
とまとめた。まさしく、子供達の姿は輝きに満ちていた。そしてそれは、派手な花形のリレーよりも、キテレツな派手さを狙うが実は地味ぃぃぃな群舞の方に、より、光があったように思う。
いや、P子が徒競走において最下位だったことで、お楽しみを別の場所に求めてしまったせいかもしれないが。
P子の鈍足がきっかけで、私はまたしても人生の深淵にひそむ真理を見つけてしまった。
P子の鈍足は、きっと母・ヨシコに与えた教訓だって大きいにちがいない。
なぜなら母方の親族一同、一等賞に非ずんば人に非ずで、弟のように時々二等をとる者は親戚一同から「スポーツ音痴」扱いを受けるという厳しい掟のもと、60年弱を生きてきたのだ。当然母・ヨシコは「P子も私の孫である以上、ぶっちぎりで一等賞、まかりまちがっても僅差で一等に決まっているわ、ほほほ」などと考えていた。幼稚園の三年間で、母・ヨシコは一年ごとに深く「諦観」という言葉を魂に刻んでいったのだ。
そして、今年やっと「人の価値は足の速さに比例しない」という法則に辿り着いたようであった。
去年は徒競走終了後、ショックだったのだろう、園児が自主トレまでして作り上げた組み体操も見ずにそそくさと帰ってしまったのに、今年ははなから集団演舞を楽しみにしていたようだし、徒競走の話には怖いぐらい一切触れないのだった。
私も娘の子供から様々なことを学ぶのだろう。そして、娘からは
「お母さんってさ、変だよね」
と、あきれられるのだ。魔法瓶の中蓋を忘れた母・ヨシコのように。……忘れるか、普通?
「ははは。何か変だなあとは思ったのよね。だからこぼれていたのねー。漏れているでしょ?(ゆう子の)バッグがびしょびしょになっちゃって、(ゆう子の)タオル一枚雑巾にしたわよ。でもほら、まだ充分、温かいわよ。あたしは猫舌だから、いいの、これで。第一、中蓋なんかなかったし、あっても面倒だしねー。あんたも(いや、人類はすべて)猫舌でしょ?」
と、コーヒーを私にジャバジャバこぼしながらついでくれた、母・ヨシコのように、私もきっと奇妙なことをしでかしてしまうのだ。悪意なく。全く悪意なく、きっと常識では考えられぬことをしてしまうに違いない。ああ、遺伝子には逆らえないのかなあ。歴史は繰り返すんだろうなあ。
(どうでもいいことだが、その後行ったスーパーで、中蓋のない魔法瓶を見つけ、驚愕のあまり、購入した。母・ヨシコのとんでもない言い分には、特許につながるヒントが隠されているのかもしれない)。
ところで、運動会が楽しかったのにはもう一つ、秘密がある。
母・ヨシコのおしゃべり攻撃を封じるために、各学年の徒競走で単勝一点賭けを提案したら、すんなり乗ってきたのだ。スタートラインに入るまでのパドックで体型をチェック、「位置について、よーい」でコース名を言い、その走者が一等でゴールすれば当たり。それで、100円。これが、実に燃えたのねー!!
4学年分の勝負の結果は、私の100円勝ちであった。たった数百円で、競馬より競輪より楽しい。そのうえ走っている人たちはとても健全である。大変に盛り上がったので、お試しあれ。でも、コーナーで「まくれまくれ」などとつい大声で応援してしまうと、別の父兄からひんしゅくを買うので、ご注意ください。

 
 

 2003-05-26
 

夫、帰宅。
酒やけしたアル中のオヤジのような顔色だが、テニスウェアを着ているので体育会系の暑苦しい中年という雰囲気であった。明日からも、近所を歩くときにはテニスウェアを着るように。絶対に、浮浪者と間違えられると思うんだ、夫よ。
徒競走なら、六人中、常に六位をキープしていた夫が、ニューバランス社主催のテニスのでっかい草トーナメントに出て、そこそこ勝ったと言う。負けたのも「惜しかった」程度の差だと言う。小学生のときに夫と徒競走をしたらまず大差で勝ったはずの私だが、テニスでは妊娠出産授乳のブランクも含めた性差があり、いまや夫にはまるでかなわない。ラケットを握った時期はほぼ同じ20代後半だったのに、今、私はやっとの中級で、草トーに出ては一回戦負けばかり、なのに彼は上級者と互角に戦っているのである。
ちぇっ、足、遅かったくせにな。
つやつやして疲れているのに嬉しそうだった夫は、だだだーっと草トーのお土産話をして、すぐにベッドに入ってしまった。運動会疲れでP子も福助も爆睡中で、ひとりで夜をすごせるなんて、なんだか夢のよう。……でも、じゃあ、何をしようか考えて、HPの日記を更新しているのだから、結構寂しいかもしれない。飲みに行くっていってもなあ、ここ、吉祥寺じゃないし。駅前、遠いし。お化粧するの、面倒だし。
そうだ。積んであった本を持って、風呂に入ろう。
アメリカン・チェリーなんかも持ち込んで、一人で発泡ワインなんか、あけちゃおうかな。ここは、チェルシーホテルIn NYだ。ってことにして、照明を落として、ダイソーで買ったアロマキャンドルをたこう。泡の入浴剤も使うのだ。洗面所の下辺り、どこかにしまってあったはずだ。音楽はどうしよう。バスローブを引っぱりだしておこう。
うひゃー、こんなことを想像しただけで、ドキドキするほどリッチな気分になれるんだから、安いなあ。あ、そういえば。
3年前も、ちょうど水の中に入る前だったわ。福助がまだお腹の中にいて、私は陣痛が始まったって辺りでしょうか。Happy Birthday to福助。よくぞ生まれてくれました。ついでに、よく頑張ったよね、偉かったよね、三年前の私。
んじゃ、Happy bathtime,Dear.ゆう子さーん。いってきまーす。♪ハッピーバースディ・トゥ・私の福助。

 
 

 2003-05-29
 

長い人生にあって、例えば一度ぐらい、人は「なんで?」と不思議に思うほど、もてまくっちゃうときがある。
私の場合は、高校時代が黄金期だったので、てっきり「うふふ。私って案外、いけてるじゃん」と、大いに勘違いしてしまったが、今思えば、それは多分「やらせてくれそうな気配」を出していたからで、思春期の男子なんて、ちょろいものなのだった。
その後、社会人になった私に近付いてくる男の人は編集の名刺を持っている人だけで、私にひんぱんに電話をくれるのも、私をほめ讃えてくれるのも、実に「編集者たち」だけなのであった。要は、安い早いうまい、牛丼屋のように気軽に便利使いできるライターであった、ということだ。私自身がもてたという記憶がない。出版社の金で飲み食いさせていただく他は、おごることこそあれ、ほとんどおごられることもなかったのではないか。当然のことながら、愛の告白も、下心のプレゼントというのも頂いたことがない……。もし黄金期が選べるなら、同世代がお金を持っている二十代の方がお得だったなあ。
最近、気付かなくていいことに、いっぱい気付いています。
でも、歳をとってコラーゲン注入してまで老化を恐怖するようなこともなく、「もてもての女子高生」から、仕事に狂った充実の二十代を経て、いいおばちゃんに脱皮できたということは、いいことなんだと思う。脱皮するたびに体も大きくなっている。甲殻類か?
話が思いっきり脱線したが、おばちゃんだからしょうがない。
で、本題に戻ると、どうも娘のP子が今、その黄金期を使い果たしているようなのよね。
今、娘にはハーフのBFがいて、人目をはばからずハグしたりしているのだが、どうも昨日は別の子からラブレターをもらってきたらしい。その子は小四に姉がいるので、多分彼女の指南を受けたであろう、女の子好みのレターセットとシールが満載なのであった。でも、姉は微妙に自分のいらない便せんをまわしているな、というのがわかる。封筒に対して、便せんについている絵柄が、マイナーキャラだったりするの(笑)。まだ字が書けない小1男子その1(ハーフ)は、何枚もの絵で、その2は、人気のあるキャラクターシールを惜し気もなく使うことで、想いの丈をぶつけるのであった。かわいいなあ。
それにしても、P子より可愛らしい顔だちの女の子は、わんさかいる。いや、親の欲目を入れても、娘は十人並みの列に並ぶのが難しい。天は二物を与えなかったのである
出来損ないのこけし顔が、まだどういう意味を持つのかわからない一年生男子にとっては、顔よりも一緒にいて世話をしてくれるしっかり者のおねえちゃんタイプにころりとまいってしまうのだろう。幼稚園の頃も、男子にはやたらなつかれていたしな。バレンタインデーに全員にチョコレートを配り、幼稚園児男子の心をわしづかみにする、やり手の保険外交員のような女なのだ、P子は。
あのとき、幼稚園児ってちょろいと思っていたが、小1男子も、まだまだ、ちょろいものなのだった。男子ってもんは、いつ、ちょろくなくなるのでしょうね。

ところで、我が家のちょろ助、もとい、福助が3歳になり、坊主頭にしました。甚平を着せておにぎりを食べさせると、とてもキュート。やっと2語文が話せるようになり、(多くの人には何を言っているのかわからないところが問題だが)、今、「ぼぼぼ、ぼくは、おおお、おにぎりがほしいんだな」という言葉を仕込んでいます。息子が幼稚園に行くまであとちょっと、ひたすらべたべたして過ごすのだ。誰にもてるより、息子から愛されているのがうれしいわ。愛、と言うよりは、奴隷ちゃんだけどね。

 
 

  
 
日記
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