2003-APR. メニューへ戻る

 2003-04-01
 

日光江戸村、閉園までたっぷり遊び、「今からカエル」コールを自宅に したら、「なんでこっちにかけてくるんだよ!」と、夫に怒られました。
何かいけないことでもしていたのか? 留守中に。と、ちっちゃな 疑惑が芽生えそうでしたが、前日からの長距離ドライブ、 ウェスタン村で遊んでからの温泉三昧と暴飲暴食、さらに 日光江戸村での楽しい疲労困ぱいに、帰路につく以前にすでにぐったりで、 夫が女を連れ込んでいようが、忍者になっていようが、もういいや。と 思いました。
まさか、携帯電話が鳴るのを待っていたとはね。ここんとこ、お互いのHPで 夫婦の会話をフォローしてどうする、という感じですけれども。

日光江戸村は、江戸びいきの私にはものすごーく面白い場所でした。
「しばいみち」に燃えた娘は「北町奉行所の金さんお白州ショー」( きっとそんな名前ではないが)に行きたかったのですが、 私が疲れてしまって並ぶのと遠くに移動するのをいやがったため、 次回回しになりました。次回があれば、の話ですが。
それでも、忍者のからくり屋敷のショーや何でもない芝居小屋に 娘は大喜び。さらし首の蝋人形にも動じず、だんごを買いに行って迷子 になり、母に叱られても動じず、 「ああ、着物でくればよかったなあ」と嬉しそうでした。
一緒に行った小5の圭吾君を気に入り、雰囲気はまるでデート。 同じ年の小1の省吾君とも楽しそうにいちゃいちゃし、 お江戸の春は爛漫で、両手に花の6歳児。我が世の春たぁ、このことでぃ。
難があるとすれば、キャストがTDLほど徹底したエンターティナーで ないことと、やや観光客に不親切なことでした。
「あ、忍者だ」
とゆったり町中を歩く忍者(ありえない!)に声をかけると、ピースするし、
「あ、一心太助さんだ」
と指をさすと、「あ、はい。どーも」と律儀におじぎするのは、 どうなんだろう?
もうちょっと、なりきってほしいなあ。
迷子呼び出しに至っては、かなり不親切。
「P子ちゃんが迷子です。ななばんまでおいで下さい」
と言われ、キャストに聞くと
「迷子なら入り口事務所に行って下さい」と。
私は小猿・福助をおんぶして、入り口まで歩きに歩きました。
そしてやっと門番のお武家様に「矢場」の存在を教えられました。
七番じゃなくて、矢場。そこなら、私たちがP子を待っていた からくり忍者屋敷から二軒先だよ。
しかも、道中案内(場内地図)には「遊戯場」と書かれているじゃん。
くぉら。こんなんで、わかるかいっ!!
初めての村で「矢場」などというなじみのない場所の名前を 言われて、地図にもないそこに、的確に行ける人は何人いるかを考えてほしいなあ。
「とざいとぉーざいぃぃ。おぴい子ちゃんが迷子でござる。おっかさんは、 当たれば太鼓がぽぽぽんぽーん、的あてでお馴染みの矢場までおいで なさって下さい。 ついでにそこなお兄さん、遊んで行っておくンなさい」
ぐらい、アナウンスしてくれればいいのになあ。
あるいはTDLみたいにアナウンスナシで、 迷子が出たら、大工の源さん(誰?)や、岡っ引きの八(誰?)が、 「てぇへんだ、てぇへんだー。世田谷のおぴぃちゃんがいねえってよぉ」 って走りまわる、とかね。そこまでやってこそのお江戸と思うのですが、 関係者のみなさん、いかがでしょう。
役者さんのレベルは高かっただけに、ちょっと残念です。
でも、TDLでは思わなかったけど、ここで働いたら、楽しいだろうなあ。 とは思いました。
女かわら版売りなんか、いいんだけどなあ。
夫は黄表紙かなんか、書いて。長屋に住んで、楽しく一生を 送るのも、いいなあ(遠い目でタイムトリップ)。
……いやあ、下野の国、もとい、鬼怒川は、いいです。
8000円とは思えなかったほど、地味だけどいいお湯のお風呂と、 すごく豪華なお料理で、鬼怒川温泉郷「ホテルニューさくら」はお勧めですし。
(何も頂いていませんけど、なかなかよかったのでご推薦)
三月からのたまりきった疲れが出るだけ出ちゃったんで、できれば 回復するために、もう二三日、湯治したかったです。
テーマパークへの移動もナシで、じっくりごろごろできたら、 幸せだろうなあ。
子供が納得しないだろうけど。
ところで、帰宅後12時間爆睡した私と福助には日常が戻っていますが、 P子は今日も首から大事そうに印籠を下げています。
「このいんろーが目にはいらぬか」 と娘が言うたびに、股ぐらを指差す夫。ああもー、ベタだなあ。
「TDLと江戸村、もう一度いけるならどっち?」
とP子に聞いたら、迷った末に「江戸村」と答えました。
夢と希望のマジックキングダムは、現実的なP子にとって、 所詮、絵空事。現実に過去にあった、ちょっと野蛮で 脳天気な時代の方が、性にあっていたようです。
栃木にはつぼみもなかった桜なのに、昨日の夜、帰りがけに通った 靖国通りの夜桜はほぼ満開の見事な見ごろで、日本は本当に 広いですね。旅行って、いいなあ。

あ、今気付いた。今日はエイプリルフールじゃん。
全部、嘘です。という壮大な作り話をすればよかったなあ。
今までで一番大きな嘘は、飲み会にいった夫の携帯にかけて、
「破水したらしい、どうしよう……」
と妊娠9か月で、だまくらかしたことでした。泣き声だわ、 ディティールは細かいわで、元演劇部の部長の面目躍如。
「え、うそ」といったまま絶句してしまった夫。
あんまりにも固まっているようだったので、 「うっそだぴょーん」と、すぐにネタばらししてしまいました。
お互いしばらく大爆笑で、面白かったなあ。あれをこえる嘘を、 来年こそ。

 
 

 2003-04-01
 

P子が志村けんのバカ殿をみて大喜びしている。
彼女は「マドレーヌちゃん」をわからないくせに原語で見るような タイプなので、バラエティーものは縁がなかったのだが、
「ほら、P、江戸時代、江戸時代」
といったら、急に目を輝かせたのだった。本人、今は風呂上がりなので 胸元に印籠はないが、どうもすごいはまり方だ。今日は昼間、 時代劇チャンネルを見ていた。
「ああ、これぞほんもののあああれぇぇぇぇだ!!」
と、町娘が帯を悪代官に解かれるシーンに感動して拍手していたし。
アメリカかぶれのあとは、日本の心なのか。P子よ。
いや、恐るべしは「しばいみち」か。
テレタビーズがものすごーく好きな弟・福助が、まったく ビデオを見せてもらえず、不機嫌で夕方からふて寝してしまった。
大抵の場合、P子が福助にテレビを譲り、自分のパソコン(私のお古)で マドレーヌちゃんを見ていたのになあ。今日のP子は強引でござる。
ま、この手のおバカさん番組を見ておくことも必要だろう。
志村けんは、日本を代表する喜劇役者さんだと思うしね。
しかし、笑っていないのが怖いなあ。P子、全然笑っていないんだよ。 嬉しそうだけど、真剣に見ているの。なんか、「バカ殿」 じゃなくて、「江戸風物」とかに着眼していたら、いやだなあ。

 
 

 2003-04-03
 

世田谷区にはプレイパークと言う、火も使える、丸太も転がる、自由に 遊べる野原があります。今日は吉祥寺時代のお友達と車で 「北烏山もぐら公園」というプレイパークに行ってみました。
ところが、駐車場がないの。
公園そばに路駐しようとしたら、あからさまなガンとばしに遭い、 私が二十代の気が弱い母親だったら、即、帰宅したと思います。
「そこにあるお寺にさ、私のおばあちゃんが眠っているんだよね」
烏山はお寺の町。さすが武蔵野市で生まれ育ったママ友・美香さんは 顔の広さが違う。で、帰りにお墓参りをすることにしてこっそり 駐車場へ。そこから歩いてパークに行き、いくつかの集団の鋭い視線を 横目で見ながら、子供達を放し飼いにしてみました。
これが俗に言う「公園デピュー」ってやつなのかしら。
世の中のお母さん、公園はあなたの税金で作られたものです。 視線がなんだ。我が物顔で、堂々としていましょう。 それでもびくびくしちゃうやつぁオレんとこに来い!!
さて、公園でした。
3-4メートルの高さのやぐらが立っていて、板を渡して滑り台に。
小山の頂上からはブランコ式のロープウェイが。
二歳の頃から友達だったP子とまみちゃんは、もう止まりません。
負けじと同じ二歳児仲間の福助と、まみちゃんの妹、みーちゃんも、 駆け出します。でも、みーちゃんが板をごろんごろん転がって、 野原を走り回って、気がついたらきなこ餅みたいになっているのに、 福助は屁たれです。水たまりを棒でたたいて、波紋を見つめ続けて いるのでした。
そこに事件が!!
二歳の子供がやぐらの上から転落、野原一番の大集団が 蜂の巣を突いたように大騒ぎになっていたのです。
親が目を離した隙らしく、誰も事態を見ていなかったらしい。
私も目撃したわけではなく、状況を見てあとは噂で補足しています。
子供の転落とは、かなり大きな隙です。私も経験がある、親達で盛り上がっていて、 気が付いたら私の家のカーテンポールに娘の友達がぶら下がり、 壁ごと 大破していました(泣)。子供からは一瞬たりとも目を離せない、 というのが、厳しい母親業の掟であります。
なかなか来ない救急車。ああ、そこに路駐してあれば、私がすぐに 車で運べたのに。
路駐さえ許される雰囲気だったならば。と、力を込めて、だが小声で、 言うのでした。
やっと到着した救急車、泣き続けた少年、大集団以外の母たちも
「どうしたの?」
「おちたんだって、あそこから」
「え、また?」……みたいな話を、そこここで囁きはじめます。
少し遅れて、なぜか消防車も到着しました。
それで公園中の子供達がヌーの群のように、 働く自動車に寄って行きました。私も引き寄せられるように、 救急車に向かうやじ馬、おっと、福助はどこに? と目をやれば、 全く我関せずで、水たまりをたたいていたのでした。
福助のまわりだけ、静かな時間。
始まりかけた夕焼けのレビューを背負って、一枚の絵のようでした。
はい、そうです。親バカです。
美香さんは君が生まれたときから知っている。 思う存分、水たまりを楽しみなさい。 と、抑圧されていない今日の私は寛大なのでありました。
ところで、駐車場代替わりにとお線香を買って、墓参してみて びっくり。お墓の他に、同じ名字でとんでもなくでかい記念碑が。
勲何等とか、彫ってあるんですけど……。
「美香さん、これって……?」
「ああ、私のおじいさんにあたるのよ」
ご実家の家業も、美香さん自身の経歴も、ご主人の最終学歴も、 初めて聞いたときには十分驚いたけど、 お身内に勲章をもらった人がいる家系だったの?
「勲章っていったって、たいしたことないって」
と、さらり。つきあいはじめて4年目で知る、新しい横顔。 さらりと言えるところがすごいよなあ。私だったら 絶対自慢しているもんなあ。
ママ友と言うのは、学生時代だったら口をきくこともないような、 階級の違う人とも、かなり仲良くなれるのが面白いところです。
「パパ友」というのが、 多くの男性にないという事実が、残念だよね。夫には何人か、 パパ友がいますが、さすがにじいさんがどんな人だったかという話に たどりつくまでには、ずいぶん長い歳月が必要だろうなあ。
どうでもいいんですが、美香さん、私の父方の祖父は、 妻には鉄拳を振るっていたくせに戦争に反対して、 アカで捕まって獄中死した坊主でした。貧乏でした。
母方の祖父は裏から手をまわして戦争に行かず、 晩年、東洋医学系の先生として全国各地から患者が押し寄せる、 怪しい詐欺師みたいな愛妻家でした。小金持ちでした。
一応、美香さんのことを知ってしまったので、私の方の話も しておこうかなと思いました。聞いてどうなる、というあまりにも軽い感じが、 なんとも恐縮ですけれど。

 
 

 2003-04-04
 

よ゜はせらってまーす。
ふあれ。
酔っぱらって間ーす。
花見しました。いいものね、花見練る
幼稚園のママ達と一緒でした。小学校もほとんど一糸はょ。
わーいわーい、たのしいなあ。
ビールノン死背ゃっ種、ビール、のんじったの。
いっぱい、いっぱい。ふひゃひゃー。
なんか、いいなあ。
更衣し鵜友達っても
あれ、あれ、うまんく変換しない。
こういう友達て、なかなかありえなーい。 ビバ、H幼稚園。
よよよ
酔っぱらって間ーす。夫はとめきりです。
うう、ごくろうさみみて
ご苦労さまでする

このホームぺー度し

ちがう。このホームー字は、ちなっちゃんしかチェックしていないと知って、 悲しいようンな、逆に有り難いような。
Pが、しよう学校に入っても、よろしくね。って、いよいよ
個人的な通信に使っているGPになちったくき
HPになってきました。ま、いいかーよっはし゜ラっているときにはね
ちがう。よっぱにらっているときには、すべてOKさ。
では、みなさいん、さようなせら。うう、ねる。

 
 
 

 2003-04-05
 

被告は、著しく飲酒していた状態で、すなわち、心神喪失であります。 よって、被告側弁護人は、心神喪失における無罪を主張します。
……すみません、昨日は飲み過ぎました。
関係各所に、もし、ご迷惑がかかっているようでしたら、 心から反省しているというところでご容赦頂きたく、 しかし、ヘロヘロバカ笑いして、ヤバい話題炸裂、 理性をなくした私は、普段の鈴木ゆう子ではないということでひとつ、 よろしくお願いします。
合計15時間も眠って、私はすっかり元気です。
もうすぐ新学期。
小学生の娘が恥じることのない、立派な母親になれるよう、 精進しようと思いました。
「おかあさん、いつも酔っぱらっていればいいのに」
上機嫌で、笑い続けていた私に、娘がいった言葉でした。
いいえ。
また、今日からおかあさんは、ロッテンマイヤーさんのように厳しいのです。
大人っ て、いいよなあ。 自分の都合でいろいろな人になれて、 子供の知らない、いろいろなお楽しみがあるもんなあ。
子供時代は「大人って、楽しそうでいいなあ」と思うことが大事です。
ちゃんと大人になりたいと思わせないとね、大人は。周りの子供に。
「今が一番」でいいんだけど、「明日はもっと面白いかも」と思うことはとっても大切だ もの。
時を重ねることは、発見の連続で、未知なる自分にも会えて、 私は大好きです。ただ、せっかく謝恩会やせしたのに、すでに リバウンドしていたのががっかりです。
明日の私は、またさらに太っているのかなあ。
人生山あり谷あり。

 
 

 2003-04-06
 

今日の懺悔。
夫の携帯電話を洗濯しました。乾燥機はかけなかったので、 なんとなく虫の息と言うか、外側、ちかちか点滅しているんですけど、 迷わず成仏して下さい。
もう一つ、懺悔。
郵便局のお届け印が見つかりません。明日、入学式後に 提出すべき郵便局からの引き落とし用書類が、不備のままです。でも、 思いきって提出してしまうところが、私の小心者なところです。 お届け印なんか、いちいちチェックしていないだろう、というのが, 私の、郵政公社を見くびっているところなんですけど。チェック、 しているのかなあ。似ているから、何とかなっちゃうんじゃないかなあ。
ああ、日本も早くサイン文化になればいいのに。
まだ見ぬ担任の先生、すみません。
今後、こんなことが何度も繰り返されると思います。君に幸多かれ!!
もっと、入学式は感慨深いもんかと思っていたんですけど、 半日を探し物で費やしたせいか、 福助の服にアイロンかけたり、着物の下準備したり、忙しいの。
「早く寝なさぁぁぁぁい」と、はしゃいでいる子供達を怒鳴り飛ばし、 音楽をかけて子供達をベッドで落ち着かせ、私はパソコンに向かう。
さて、寝たかなと思いきや、福助が下着姿で思いっきり 走り回っていました。
ああ……。では、おやすみなさい。
さ、寝よう、 福助。
寝るんだってば、福助。
優しくいっているうちに、 寝・る・ぞ、くぉら。

 
 

 2003-04-07
 

入学式でした。
考えることがいっぱいあり過ぎて、今日は言葉にできません。
明日から早起きです。初日から遅刻して行ったので、明日は まともな時間に娘を出発させたいです。でもプリントには 8時15分に登校と書いてあるだけで、何時から校舎に入れるのか、 何時に門が閉まるのか、わかりません。先生も何も言ってくれません。 そういう大事な事務報告が全く行われなくて、質疑応答もなくて、 大丈夫なんでしょうか、あの小学校は。
先生の説明とプリントの内容が食い違っている箇所が多々あり、 新一年生の母の不安は募るばかりです
公立って、どこもこんなもの?

 
 

 2003-04-08
 

普段寝起きの悪いP子がさっくり起きて、手際良く準備をし、 用意した食事を食べながら楽しそうだ。うーん、君にはそんなターボでダッシュできる機能がついていたのか。
見ているこっちまでワクワクするような、実に楽し気な新・一年生。
入学式、早くも隣の席の男の子(美形)と仲良しになった勢いで、 今日もこつこつ友達を増やし、一年生になった以上、友達百人作る予定らしいのだが、 生徒数がそんなにいないという事実をなんとしよう。ま、いいか。 幼稚園からのお友達もいることだし
。 しかし、朝登校しようとしたら突然の雨で、雨対策をしていたら、 遅刻寸前になってしまった。
入学式に次いで初日の遅刻というのは、どうなんだろう。
母はもう一度、福助とぬくぬくベッドで寝直そうと思っていたのだが、 遅刻が気になって仕方なく、こうして日記を更新したりしている。
「いってきまーす」
とにこにこ笑いながら出かけた初日をカメラにおさめるつもりで、 すっかり忘れていた。今、気がついた。まあ、いいかー。私は、 今朝のあの風景を、雨でも全身で楽しさを訴える凛々しい背中を、 きっと一生忘れないのだから。
(すぐ、忘れちゃいそうな気もするんだけど。何しろこの記憶力だし)。
P子は出来損ないのこけしみたいな顔だちだが、 天は二物を与えなかったのだ、顔でフォローできない分は、頭で補え。 知恵を使って、先生に遅刻のいいわけをするもよし。将来、「ごほんを書く人」になったときに、〆切りのばしに役立つかもしれない。
……って、物事を前向きに捕らえる以前に、 すみません、明日からはお母さん、もうちょっと早起きしますね。

新一年生というのは帰宅も早いもので、幼稚園よりずーっと 早くに戻ってきてしまう。お迎えに行かなくても帰ってくるので 大変に便利だが、母親としてはお迎えに行った方が、 精神的には楽だったんだ、と、意外な発見をする。
母親が時間も予定も主にコントロールできる状態が幼稚園児の母だとすると、 小学生の母は待たされることで、彼等が自分のための時間を動かしはじめた ことを知るのだ。一人で歩いて登下校する冒険。予定時間内に 到着する必要性。子供は、一人で登下校することから、 自由と隣り合わせの危険を自己管理する、自立の第一歩を学ぶ。
しかし。
思えば、私が小学生のときには、近所で事件があって以来、集団登下校 だった。トイレ(特に公衆)は必ず複数の友人と行くように指導された。 校歌に「団地の子らのよい学校」と折り込まれた、新興住宅地の 小学校では、自立を学ぶひとつのチャンスが失われていたのだった。
それでも、私は小学校が好きだったよなあ。
おいしかった、センター給食。センター給食。
楽しかった、運動会。運動会。
掃除をサボって、山田しんいちろうくんの新譜を聴き、立たされた。 立たされた。立たされた。みんなみんな、思い出。

六年のとき、クラスに、 島田紳助と槇原紀之を足して二で割ったような顔の少年がいて、 これが天才的に変な歌を作り、掃除のときにほうきをギターに見立てて ライブを始めたのだ。
班のメンバー全員の名前を歌詞に入れた、「ギザギザ・ざくざく」
途中で台詞も入る、「汲み取り屋さんの歌」
最後に必ず歌ったバラード、「オレンジ・やまちゃんやまちゃん」
……特にお気に入りの三曲は、今もまだ完全に歌えるほどだ。
しかし、山田しんいちろうくんの消息は知らない。どうしているのか。
小学生時代。
遠い過去が、昨日のことのようだ。そんな「濃いぃぃぃ」思い出づくりが 娘にも始まっているのだった。一生の宝になればいいな。
んー、「汲み取り屋さんの歌」が一生の宝かどうかは、難しい判断だけど。

 
 

 2003-04-09
 

母ヨシコは、今朝、たまたまとても不幸でした。
私が電話をするとやみくもにずーっと自分の不幸を話し続け、 結局どんな用件で、娘がなぜ電話をしてきたのかを全く 聞かないまま30分たつと、
「あ、じゃあ仕事だから」
と電話を切りやがりました。
ううう。さすが、母ヨシコ。
38度の熱を気力で押さえ込んで、 仕事をするためには、人の気持ちなど構っていられないのでしょう。
それは、正しい職業人のあり方なのかもしれません。
ひょっとすると、 だから私は専業主婦を選んだのかもしれないなあと、電話を切ったあとに 思いました。
私の実家は、みんなみんな仕事中毒です。弟は奥さんが切迫早産 しそうなのに、育児休暇はおろか、産休も取りません。
保育園に一時緊急保育を頼めと言っても、聞く耳を持ちません。
母は仕事を休んで弟一家の家事育児一切をきりもりしたせいで、 病気になってしまいました。ヨシコにとって主婦は敵、 仕事は生き甲斐なのだから、二週間も休ませて家事をやらせたら 禁断症状が出て気が変になるに決まっているのでした。
そういう機微が読めない弟は、公立の小学校の教師です。
熱血教師で評判が高いのだそうで、「平均」が気になります。

母ヨシコに電話をしたのは、娘の小学校生活におけるPTAやら 何やらの心構えを聞きたかったからなのでしたが、無駄でした。
昔、弟が「公立には入れない方がいいよ、姉貴」という台詞と共に 教えてくれた教師・その危ない実体は、娘の小学校にあてはまるのかどうか。
明日は早くも、役員・委員会決めです。
どの委員も「誰にでもできる簡単な仕事」とうたってありますが、 私は私にしかできない仕事をしたいなあ。誰にでも折れる折り鶴を まともに折れない私には、できる仕事はないぞという意味なんだろうか。 と、配られたパンフレットを読みながら暗い気持ちになりました。
人には必ず特技があるでしょう? それを活かす形で、子供の教育の場に 参加することはできないのかしら。
なんか、怪しい通信教育とか在宅勤務の詐欺まがい商法みたいで、 悲しかったのです。
「誰にでもできて、簡単で、やりがいがあります」なんて。
本当に、まともに折り鶴が折れない人がいる、ということを、 わかってもらえないのがつらいなあ。と、ただ太いだけで飾りみたいな 指を見て、思うの、私。

そんな気持ちを抱えて児童館に行ったのでしたが、待ち合わせた みたちゃんと話して盛り上がっているうちに、すっかり上機嫌に。 いやあ、持つべきものは友達ですね。
帰ってきて夕刊を読んだら、松井の活躍はすごいし、戦争は続いているし、 私の苦悩なんて小さいなあと……。私の唯一、いいところは、 単純で楽天的なところだな。
それは「幸せを知る才能」だと、ひそかに 自負しているんですけれども。別名「おばかさん」ともいいますが。
「まあ、なるようになれ、だわね」と、おばパワー全開の台詞を 吐きつつ、明日、PTA関連の会合に初陣を飾ります。
公立小学校の日常レポート、また明日に続きます。

 
 

 2003-04-10
 

思っていたよりみんな率先して委員会を引き受けたのは、 「低学年の方が楽よ」という、役員さん達の殺し文句が きいたからでしょうか。私は絶妙のタイミングで福助が泣き、 「下にいる人は無理して引き受けなくていいから」とPTA会長さんに 言っていただいたので、泣く子を背負って校内探索にでかけ、結局 一日で済む運動会のお手伝い役だけを引き受けました。
運動会は大好きだ。
役員さん達は、みんな複数の子供を抱えながら、学校の仕事に 走り回っているようで、その上で役員とは別の、委員などもこなしており、 頭が下がります。
「七月が出産予定でその前後はダメですけど、一年産休がとれるので、 今年だけがワンチャンス、何でもやります」
と、 委員を引き受けた方がいました。見るからに有能そうな美人ママで、 そういう人もいるのだなあと、私は思わず拍手をしてしまいました。
PTAとかいうと、なんでネガティブな雰囲気が流れているのでしょう。
ああいう、仕事のできる、有能な人たちが委員だの役員だのやったら、 きっと面白い素敵なことができそうです。
うちのクラスには、 役員に、幼稚園からのママ友・たかちゃんもいます。たかちゃんの仕事の 優秀さは、謝恩会でしっかり見せてもらっていたので、なんだか 安心です。お兄ちゃんの方で役員、娘の方で委員。立派だよなあ。
でも、そういえば彼女は昔のキャリアを誇るでもなく、謙虚に どっしり構えているのでした。あ、いえ、肉体的にどっしりではなく、 えーと、えーと、精神的支柱みたいな意味で。
ひょっとすると、それが公立小学校の母親のあるべき姿なのかもしれない と、てきばき仕事を振って行く彼女を見ながら、思いました。
「私はこれができます」
と言わない。でも、できる。できるから、ちゃんと最後には立候補する。
静かに燃えるタイプ、というか。
苦痛も快楽も、奥歯で食いしばって耐える、というか。
あ、いえ、たかちゃんがそういうタイプかどうかは、今度飲み会で シモネタになったときに聞くことにするとして。
うーん、またひとつ、社会勉強をしてしまった気分です。
私の所属していた社会って、「オレがオレが」だけだからなあ。
会社員のようなバイト員だったこともあるけど、それも、広告代理店 と編集プロダクションなわけで、やはりみんな「オレがオレが」だったし。
「オレがオレがの我を捨てて、おかげおかげの下で生きよ」
という言葉を思い出しました。嫌いだったんだけどね、この言葉。
これもまた修行かな、と。
のんびり慣れればいいよね。きっと大丈夫。一応、私だって 人間のはしくれなんだし。アレ。使い方、変?
楽しい一年間、いや、六年間になればいいなと思いました。
慣れるかどうか不安なのが、先生方のお話。
話が長いのが、私にはどうにも苦痛で……。
けれど、きっと、小学生にはあのテンポが最適で、 我が家ではもっとゆっくり、あんなふうにわかりきったことも 繰り返し話すべきなのかも、と、反省してみたりもし。
ああ、何をしたわけでもないのに、慣れないことをすると、 とても疲れるわ。お風呂に入って、ビール飲んで、早寝しようっと。

 
 

 2003-04-12
 

義父が倒れるというのは、全く想像にありませんでした。
11日の昼、電話があってから、私は余り「まともな人」ではありません。 夫は「君はいつもそんな感じよ」と言いますが、何も手につかない状態です。
義父は、とにかく頑強な人で、「男の中の男」という感じで、 例えるなら、丸い猿顔の高倉健みたいな雰囲気でした。
30キロぐらいの米俵なら軽々担ぎ上げてしまうし、 遊びに行っても、朝私が起きた頃には一仕事終えているみたいな、 寡黙な働き者です。
車が谷底に落ちて大破し、ろっ骨を折ったときにも「痛い」とは 決して口に出さず、 チェーンソーで足を切ったときにはさすがにあのおじいが 「痛い」とつぶやいたのでさぞや痛かったのだろうと、義母が 話すほど、忍耐強い人です。
中途半端な都会で育った私にとって、生きることそのものがサバイバル のような土地の山の奥の奥、そこに颯爽と暮らすおじいとおばあは、 不死身のような気がしていたのです。
だから今回も、大手術のあと、ひょっこり元気になっている気が しないでもない。片麻痺が残ろうと、言語障害が残ろうと、リハビリで バリバリ頑張ってくれそうな気がします。それがどんなに大変な手術で、 予後が余り芳しくないデータが多くても。だって、おじいはなんたって、 「男の中の男」なんですから。
こんなとき、役に立たないのね、遠隔地のヨメって。特に私のような、 苺のへたをむくのが精一杯みたいな不器用なヨメには、祈ることしかできない。
とりあえず手術が無事に終わって、一安心です。

 
 

 2003-04-13
 

ホコリっぽい我が家に生後16日目の子供が遊びにきてくれました。
もちろん、親に抱っこされての登場だけど、これがちっこくて 可愛いの。んもー、どうしようもなく可愛いの。欲しいかもしれない、 もう一人。と、真剣に思った。誰かがケリーバッグを持っていようと、 ベンツに乗っていようと、新築のおうちに住もうと、 ちっとも欲しくはならない私なのだが、 新生児はだめだわー。抱いたら欲しくてほしくて、もうそのまま 駆け出してしまいそうになったわ。(どこに?)
今日は予定があったのだが、朝、がんがん頭痛がして、薬を飲んで 横になっていた。よかったなあ、そのおかげで、ベビーを抱けたわ。 と、頭痛もだるさも吹き飛んだのでした。いやあ、赤ちゃんって、 絶対に何かすごいパワーを持っているよね。
そういえば、赤子がいるときには風邪もひかないもんなあ。子供って、 大人が与えるものだと思っていたら大間違いのこんこんちきなのだ。 大人に与えてくれるものの大きさを思ったら、子供のために頑張る、 んじゃなくて、子供がいてくれるから頑張れるのだということが はっきりわかる。
もうすぐ幼稚園のママ友も、産むんだよなあ。ああ、ダメかも。 見ちゃったり抱いちゃったりすると、もう、理性が吹き飛ぶ気がします。 義妹も、そういえばそろそろだ。いいなあ、赤ちゃん。
できるなら、日本一の子宝母さんになりたいものだ。
「五男六女、鈴木さんちが大変だ」みたいな特集が組めるほど、 産んで産んで産みまくりたい。ああ、いいなあ。
すでに洗濯物だけは、大家族のように山盛りになっています。
これ以上増えたら、うちは洗濯物で埋まる気もしますが。

 
 

 2003-04-15
 

ERを見たあと、母親学級時代の、いわば戦友・美江さんと久しぶりに 長電話をしました。
子供を産むと言うのは生きるか死ぬかの 戦場にいるようなもので、無事出産という大事業を終えた 帰還兵達はみな勲章より輝かしいわが子を胸に、 共に戦った仲間と一週間を大部屋で過ごします。あけすけな出産の話は もちろん、嫁姑問題、夫婦間の問題までぶっちゃけまくって、 本音で話し合える友達を作る、最後に近いチャンスといえるかもしれません。
特に、子供が死線をさまよった経験を持つもの同志となると、 この連帯は確固たるものがあります。
もっとも、美江さんの息子は さすがに根性がすわっていたのか、仮死状態だったはずなのに、 そんなことをみじんも感じさせないほど、立派なガキに育っています。 娘のP子は、黄疸で入院し、心臓に雑音と告知され、一瞬昔を思い出して 気が遠くなりましたが、今では5キロ走っても けろっとしているほど、丈夫になっています。子供の生命力って 本当にすばらしいと思うわ。
「遊びに行くね」と約束してた日程調整の電話でしたが、 今は義父がまだ予断を許さぬ状態なので、また今度。ということに なりました。

ところで、ここのところ、家事もサボって、 ずーっとずーっとインターネットにかじり付いて、脳卒中について 読み続け、また回復者のホームページをむさぼるように読み、 リハビリについての心構えなども準備していました。
すると、 私は脳卒中になりやすいリスクファクターを抱えており、 いくつかチェックすると「すぐに病院で検査しろ」と必ず言われるに至り、 とてもとてもとても怖くなったのでした。
そういえば、頭痛がする。
そういえば、ずっと左足がしびれている。
そういえば、以下省略。
これはいけない。入院の用意をして、検査に行こう。
そう決意し、まずやることは、新・平成新山と化した洗濯物を 片付けることでした。このまましばらく検査入院などと言うことになったら、 お手伝いの人に入ってももらうだろう。しかし、これでは あまりに恥ずかしい。と言う箇所を、まず片付けなければ、 病院にも行けないのでした。
そうだ、その前にお風呂に入っておこう。もう しばらくゆっくりつかることはできないんだし。 と、娘が小学校に行ってすぐ、朝風呂に入りました。
優雅な気持ちと恐怖が入り乱れた、朝風呂でした。
入院なんて考えるだけで心臓がドキドキする。その動悸すら、 何か悪い病気のような気がして、風呂はまたやたらと気持ちよく、 私は複雑で、泣きそうな気分でした。
息子が起きてきて、娘が帰って来て、 私は週末からずーっと抱えている頭痛を恨みながら、食事を作り、 いつものように食卓を囲みながら、今ある幸せを噛みしめていました。
娘が遊びに行った瞬間、突然、ものすごい睡魔に襲われました。
そのまま爆睡し、目覚ましに起こされて娘を迎えに行く時間には、 あろうことか、頭痛はすっかり治っていたのです。
なんのことはない、連日の緊張による不眠と 慣れないにわか勉強で、疲れていただけみたい。
足のしびれは、 そういえばずっと前からだし、私は頑丈ででっかいくせに、 意外に気が小さいようです。要は、病気という楽観できない 事実にうまく立ち向かえない、 臆病者なのだということね。最悪の事態が、怖くて怖くて、仕方ない。 義父が倒れた現実に対して、 とにかく知りうる限りを追求はするものの、 結局のところ恐怖に打ち勝てないのです。
自分が同じ病気かも。と考える傲慢な恐怖は、思考停止の逃げ腰が 作り出す幻想でした。
昼寝して、そんなことに気付いてしまった、私。
そして、深夜だというのにまた、眠れない私。
昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ。と、「当たり前だ」 と突っ込みたくなる歌を、歌いそうになります。
ERのあと、パソコンの前に座ると、また 脳室ドレナージについて追求し、脳みその写真を見続けてしまいそう なので、電話でバカ話。そういう息抜きも、大切だと思いました。
命の重みを分かち合った美江さんと子供の未来について話しました。
健康で、長生きしたいと、本気で思いました。

今日は、義父の自発呼吸が始まったと聞き、ちょっと嬉しい。
すぐに抜管かと思ったら、まだ意識は戻っていないのだと、 義姉から聞きました。医学はとても興味深く、回復者の声は 同じ境遇の者を救う意義深さを持っているけれど、今夜からもう、 インターネットに逃げないことにしようと思います。
与えられた情報を追究して自己満足しても、何の進展もない。
今は、ただ、義父の持つ生命力に賭けるしかないんだもんなあ。
と、そんなことにやっと気付きました。
ゆっくり、ゆっくり。ね。
私もたまった家事を、ゆっくりゆっくり、片付けようと思います。
あ、それは、急いでもいいのか。
おーっと、まずは急いで寝ないとな。また四時間睡眠になってしまうわ。 これじゃあ、授乳中とかわらない。乳も出ないのに。
では、おやすみなさい。みなさんに、健やかな眠りが訪れていますように。

 
 

 2003-04-16
 

さぁて、今日の波雄ちゃんは……。
抜管して、酸素マスクになったそうです。
脳室ドレナージも、なくなったそうです。
あとは目が覚めるのを待つばかり。
「ずーっと働き詰めだったんだから、ゆっくりうちで 寝ていてくれるのだって、いいんだ」
と、義母は、寝たきりだってどーんと来い!の覚悟です。
ただ、一回は目覚めてくれないと、おうちに帰れないので、 ひとまずお目覚め大作戦のために、週末、病院で 声をかけてきます。あらかじめ、野球のチケットを入手し、 耳もとで「オヤジ、さあ、野球観戦だ」と誘うのはどうか、とか、 「稔がギャンブルで大借金を作っていて、このまま父さんが 寝たきりじゃ、困っちゃうんです」と泣いて訴え、 頼りない息子のためにもう一肌脱がないとだめかと思わせるとか、 我が家の会話はどこか浮き足立って、不謹慎。
今日も義姉は、一時間半かけて病院に行き、ICUで五分間だけ 面会して、また会社に戻りました。疲れてはいるようだけれど、 今日の報告は声が はずんでいました。ゆっくりでも、回復しているという 実感は、しみじみよいものです。
なんか、じっくり腰を据えている感じが、いかにも義父らしい。
闘病にも人柄が出るよなあ。
我が家の家訓に「寝ている人は邪魔しない」という、いかにも 漫画家らしいルールがあり、どうやらこれは夫の実家でも 暗黙の了解だったようなのですが、(だからヨメの分際で 昼まで寝ていても、文句一つ言われなかったのね)。 こんな場合は例外ということで、ね。ひとつ。

 
 

 2003-04-16
 

ところで、面会に行くのにやはり「せっかく伊豆長岡だから、 温泉旅館に泊まるのはどうか?」という提案は、非道だろうか。 緊張感、なさすぎだろうか。
「もったいないので、下田に来い」
と義理母から言われ、 それもそーだと納得して夫に伝えると、
「いや、面倒だから行かない」
と夫がいいだしやがり、
「面倒だから」の部分は一応大人の判断で削除して義理母に伝えるも、 彼女のいい分はもっともなので再び押し切られ、やはり物見遊山じゃ 申し訳ないから義母の励ましも兼ねて実家に行こうと夫にいうと、
「たやだ。じゃあ、行かない」 と、夫。お前はだだっ子か。挙げ句、
「お前の体力が問題なんだぜ」
と、私のせい。
「別にオレはいーの。下田でも長岡でも。でも、 遠出するとお前がそのあと一週間使い物にならなくなるでしょ」
そうだけどさー、それをフォローしあってこその夫婦じゃあ……。 では、ヨメをいたわる気持ちの温泉旅行の旨、 おばあにいってよ。というと、
「面倒だから、おまえ言っとけ」
と、夫。言えるか? ヨメの分際で、 「お父さん倒れたついでに、温泉三昧ですぅ。私が疲れちゃうんで、 実家へのご挨拶には行けないんですぅ。 私の内職のギャラで行きますからぁ」
なんて、鬼ヨメ丸出しの台詞が、言えるか?
私には祖母と叔母の壮絶な嫁姑バトルを、祖母側からじっくり聞かされた 子供時代があり、ヨメとして地雷を踏むような真似は、 たとえ義母が許しても、 天国の祖母が許してくれないのだった。
下田まで、私の運転だと五時間。伊豆長岡までなら、二時間半。
新一年生で緊張の余り、不眠状態の続いている、 げろげろ酔う娘と、運転のできない夫と、英語の童謡以外受け入れない 息子(すなわち車内はずーっと童謡)を連れて、運転する身にもなってみよ。
角が立たない方法を考えた結果、日帰りにしようと提案して、夫、納得。
結局、一日五時間の遠距離運転には変わりナシだが、 往復ではないので多少疲労は軽減するはずだ。
面倒くさがりの夫と結婚してしまったのが運のつきであろう。
いや、家庭内機密費の封筒だけがなぜか紛失しており、 個人的に内職から補填していたのにどうしよう(泣)という 経済的な理由もあったので、 これでいいんだ、これでいいんだ、これでいいんだと言い聞かせた。
でもやっぱり、 長岡の温泉街を思い浮かべてしまうのよね。鬼?

 
 

 2003-04-17
 

西原理恵子さんの「人生小学一年生」を読んだ。
付録のシールを携帯電話に貼ってみたら、可愛いのか病んでいるのか、 微妙なノリになってしまった。
普通のいい大人はこういうの、貼らないのかもな、と、ちょっと思う。

夫がリビングのベンチで寝ている。教会からタダでもらってきた、 本物のアンティークだ。どうみても、廃線寸前の田舎の駅の、 駅舎のような雰囲気になっている。日頃の行いが悪かったせいか、 頂いたのは修理あとの思いきり残っているタイプだったので、 アンティークかガラクタか、人によって線のひき方が違うと思う。 そんな雰囲気が雰囲気なもんで、かもす、かもす。
リビングはゴージャスに吹き抜けになっているのだが、 その手すりに今年の春はずーっと洗濯物を干していたため、 ニスが禿げて、かなり雰囲気が雰囲気になってしまった。
洗濯物が手すりによれよれと干してあると、ホームレスのお宅のようで、 その下に夫がてろんと寝ているわけだから、雰囲気でまくりである。
家具には、角で転んで流血騒動の絶えない息子のために、養生シートと ガムテープが巻いてある。これがまた、絶妙な雰囲気を作っている。
ひとたび、風俗に手を染めると、最初はキャバクラ嬢が、ピンサロ嬢、 ソープ嬢と転げ落ちて行くように、我が家のリビングは「ちょっと 散らかっている部屋」から、気が付くと「どこかの公園・ホームレス付き」 みたいになっている。また、転がっている夫は、拾ったみたいなよれよれのしわしわ Tシャツを着ているんだ。雑巾にしたいのだが、デザインが気に入っている らしい。吉祥寺のロジャースで780円で買った、外国人のお土産用 「寿司写真と説明」なのだった。どうみても雰囲気が雰囲気だろう。
ここから立て直すのは、なかなか大変だけど、おばちゃん、主婦なんだから がんばってみるよ。と、思う。今日は真夏日で、あわてて夏物を 出したので、クローゼットと子供部屋は、洋服の洪水だ。ソープのお姉ちゃんが 借金で首が回らなくなって自己破産を思いつくみたいに、そうだ、 この混沌はいいチャンスなんだと思う。かくして、ホーム内ホームレスを 一掃しようと決意したので、表明しておく。突然の、やる気。

「人生のリセットボタンを連打」という、サイバラ節に感化されたのかも、 しれない。いいことじゃん。前向きでね。

 
 

 2003-04-18
 

さぁて、今日の波雄ちゃんは……。
脳室ドレナージは、まだそのままなのだった。
「波雄君の頭には管が二本ささっています。そのうち一本とれました。 一本とれました。残りは何本でしょう。」
娘のドリルだな、これ。2-1-1=0だと思っていたら、 実はとれたのは一本だけで、情報を二度聞いたので勝手に 管はもうないものだと思い込んでしまったのだった。
子供の頃から算数ではケアレスミスの多い私なのだった。
ドレナージがないのとあるのとでは、危機感が大分違うので、 三歩歩いて二歩下がる人生はワンツーパンチだと思い知らされ、 またへこんでいる。
そのうえ、血圧は降下剤をやめたのかどうなのか定かでない。
160台というとんでもない数値なのだが、「ICUにいるから大丈夫」と 看護婦は自信ありげに言い切ったらしく、
「私もよく分かんないんだよ、何かって言うと専門用語ばっかりでてきてさ」
と、義姉は不安げだ。
「寝息がはっきりしてきたよ」
という進展以外収穫がなければ、患者の家族はつらいものである。
最悪の事態すなわち今すぐ死亡という状況は脱した、 それ以外考えられるやばい事態はこれとこれ。という説明は受けているらしいが、 とにかく、具体性に欠く。あるいは、 専門用語攻めで理解不能なら、それはインフォームドコンセントになりえない んじゃないかなあ。
ところで、かなりたくさんの回復者の声を読んだけれど、いずれも医者はリハビリにおける 「限界値」だけを告知すると言う。そんなことばっかり、具体的なのである。 回復は、ここまで。リハビリでそこまで到達するのは不可能だろう、 という線引きね。それで強運者とムキになった人だけが 「奇跡だ」と呼ばれる復活を遂げることになる。
体育会系である。
監督(医者)はさんざんいたぶり、「お前はダメだ」といい、徹底的に潰したあと、 サブコーチなどに(この場合は療法士か?)「お前の才能はすばらしい」と いわせて、限界まで頑張らせる。
日本らしいけどさぁ、何もリハビリにスポ根を取り入れることはないんじゃないか、と。
夫や夫と同業者の多くは、体育会系ではないので、 いざ脳卒中になったら、きっとみんなクリアできるはずの障害も 「うう、ここが〆切か」と、諦めてしまうだろう。あら、大変。
「ばかいってんじゃねーぞ、くぉら」と反発が予測される、 吉祥寺方面のマンガ家・大御所のIさんや、その親友・ 日本一首の太い某有名イラストレーターYさんあたりは、 ムキになる人だから、大復活しそうだが。あ……、体育会系じゃん。
「諦めたときが、限界のとき。人は無限の可能性を秘めている」
と、 アメリカのお医者さんは言うらしい(伝聞ですけど。)
もしそう言われたら、夫や同業者のパワーは、底抜けというか 天井知らずなので、「やるぜやるぜ、オレはやるぜ」と、 あり得ない能力まで脳みその別の部分でフォローしだすであろう。
そういう人、およびそういう人たちである。
巡り会う医者によって、ずいぶん結果に差が出る、ということだ。
っていうか、そういう少数派への思いやりがない指導をされた日にゃ、 あなた。治るものも、治りません。
技量を磨くついでに、患者やその家族への指導力、配慮する心なども、 磨いていただけると嬉しいんだけどなあ。
義父が寝こけたままなので、ちょっと八つ当たりですけど。
さて、明日は直接、眠れる森のおじいにあってきます。
これが夫ならね、熱烈なキスと携帯電話の音(原稿の催促付き)で、 一発で目が覚めるはずなんだけど、キスはおばあの担当だし、 携帯電話はICUでは使えないだろうし、 何よりおじいに携帯電話は関係ないし、ただもう、一生懸命呼び掛けて みたいと思います。

 
 

 2003-04-19
 

なんか変ないい方だけど、じいちゃんは元気だった。
酸素マスクもはずれて、鼻からのチューブで
「今日はお茶を飲んでいますよ」
と看護師さん。さすが静岡、茶どころならではの治療なのだった。
東京の大学病院でも、お茶、いれるんだろーか?
明日から高カロリー輸液が入る。でも、病人がお茶を飲めるようになったら、なんか大丈夫ですよー。という感じがする。
頭からはドレーンが出ていて、両手はむくんでいるし、血圧も高いし、微熱まで出てきて抗生物質を摂取しているし、だから白血球値とレントゲンはこまめにチェックされている状況なんだけど、さらに付け加えれば手術の跡とかも痛々しく、何より意識不明なんだけど、どう見ても、ただ寝ている感じなのよ
。 目をぱちぱちさせるんだけど、ただ、まぶたが重くて開かないだけという感じ。あれは多分、本人が「なんでだ?」と一番驚いているんじゃないかなあ。
「松井がホームラン2本打ってさ」
という夫の言葉に、「おおそーか」と答えそうな勢いで、まぶたを動かし、何かしゃべりたそうに呼吸を荒げるのだ。
他にもいろいろ話題を振ってみるが、何より、松井だったなあ。
松井、偉大なり。
「巨人はぼちぼちだ」
みたいな話に反応してるよ、ねぇ。と大騒ぎしていたら、看護師が
「野球お好きなのね?
」 と即座に聞き付けて、
「鈴木さーん、起きてくださーい。息子さんとお嫁さんが来ましたよぉぉぉぉ」
と、どんどこ胸をたたいたのにはびっくりした。
「いいいい、いいんですか、そんなことして?」
と尋ねると
「いいんです。もうちょっとで起きそうなんですけどね」
と平然とおっしゃるのだった。すごい原始的な刺激の与え方なのだったが、機を見るに敏、その動きはさすがなのだった。
おじいはまた、笑ったように眠ってしまった。
意識不明で寝たきりといえば、その通りだ。
だけど、なんか意志の疎通はちゃんとできている感じなのね。思い込みかもしれないんだけど。
手はまだ握り返せないけれど、その手は生きているから、ちゃんと、最近まで炭を焼いていた働き者の手なんだよね。
痛覚の反応も、四肢に少し、あるらしい。三時間おきにチェックしていると言っていたが、あのどんどこたたくやつですか?とは聞けなかったなあ。
どう孔に関しても拡散はしていないという。
管は感染症予防のため、しばらくしたら抜くか、抜けない状態が続くなら手術で埋め込むか、といっていた。
問題は急性期を過ぎて、慢性期、回復期に入ったと、いつ判断するのかなのだが、それはご家族と追々話して、ということだった。ICUにもっと重篤な人がくれば、安定している順に、病棟を変わることになっている、とだけ聞かされる。
ICUにいる、ということは、まだやはり安定しているわけではないのだなあと、現実を突き付けられるが、頑丈なおじいが死ぬわけないんだよな、やっぱりな。と、奇妙な安心をした。
質問攻めにしていたら、面会の五分を大幅にオーバーしていたらしい。
しかし、ばあちゃんはいつものように穏やかで、壁一枚隔てた外で、私の娘と息子を見ながら、義姉と一緒に待っていた。お茶を飲んで、今までの経過を話し、元気そうな、気丈な姿にも安心する。
漬け物と煮物とみかんと寿司をもたせてくれ、地元スーパーで一緒に食品を買い物をして別れた。
「実家の育て方が最高で、嫁ぎ先ではいじめられている嫁」と言うのはよく聞くが、「実家を18で出てからほぼ帰宅せず、嫁ぎ先の両親が実の親以上に心地よいので、夫をおいて単独でも里帰りするヨメ」というのは、幸せなのか不幸なのか、よくわからないなあと思う。
即座に高速にのりながら、「ああ、伊豆長岡の温泉街って」と、ちょっと未練があった。こっそり温泉セットも用意していたんだけど……。勝負パンツはいているのに誘われなかった時みたいな、なんともいえない気分でもあった。
そうだよな、おじいに会えるのは親族二人。その権利を今日、義理の私に譲ってくれたのに、それでも義父にタオルを届けるために100キロの道のりをやって来た義姉と義母に対して、温泉で遊んでは申し訳が立たないよなと、さすがの私も思ったのだった。
漫画家などというヤクザな商売に身をやつしていると義母は心配し、一万円を夫に渡したりしているのに(交通費として徴収ずみ)。ひとり2000円でもらい湯できる宿に寄り道しちゃ、お天道様をまともに見れないよな。
人として。
帰りに、厚木で生涯ベスト1のすばらしい虹を見た。
正しい行いをした者に与えられるご褒美だ。温泉に入っていたら、見られない。きっと祈りは届いてイースターの明日、義父は復活しちゃったりするのだ。と無性に嬉しかったのだが、実は温泉街でちらちらちらちら、温泉旅館の看板と位置を記憶しようとやっきになってしまった自分がいたことを、正直に懺悔しておく。こういうところ、なんだかとても卑しいと思った。

 
 

 2003-04-20
 

ハッピー、イースター。だというのに、朝から嘔吐下痢。一体私がどんな悪いことをしたのでしょう、神様。と、泣きながら横になっていたらそのまま眠ってしまい、目覚めたら礼拝は終わっていた。
「もう、おまえクリスチャンなんて名乗っちゃいけねぇよ」
と、クリスマスにつぐお祭りの日、イースターさえ欠席した私を、変な名前の教祖を名乗る夫が言う。
そうかもな、と、よろよろしながらちょっと思う。前回、教会に行ったのは、いつだろう?

昨日、弟の三人目の息子が生まれた。
とんきち・ちんぺいに続く、かんたの登場である。
弟もそのお嫁さんもよく似た地味顔なので、上の二人は昭和20年頃の写真を見ると必ずいる、近所のガキという顔だ。三番目だけ突然変異と言うこともないだろうから、きっとまた昔顔のわんぱく小僧なのだろう。おめでとう。おばちゃんは、嬉しいぞ。だんごっ鼻三兄弟。
今日、幼稚園のママ友・ゆかやんに、「姫、誕生」の吉報。
ここんちはまた、三姉妹である。チェーホフの世界。
他人なのでどうでもいいと言えばどうでもいいはずなのだが、そこの二番目のまきこにうちの福助がとにかくなついていて、将来のお嫁さん候補第一号なので、気持ち的にはかなり入れ込んでいる。上二人が美形なので、三番目もさぞ期待できるであろう。将来の姑としては、とてもうれしいぞ。
まわりは、ぽこぽこ生まれている。しかし、もう生殖とは関係なくなった38歳の春。
ダイエットにどんな意味があるってのよ、とくさりながら、賞味期限ギリギリ、半額(他人事じゃねーよなあ、おい。半額だってさ)で買ったチョコレートを食べて、つかの間の快楽に浸った。………で、また、気持ち悪くなってきた。もう少し、考えて行動しろよ、オレ。う。

 
 

 2003-04-23
 

風邪をひいたらしいのだが、うっとり風邪にひたっている暇はないな。
最後は気力だ、みのもんたっ。
って、夫のHPを読んでいないと意味がわかんないですね。
こっちを先に読む人は少ないだろう、と判断したのでした。
20年経ってもみのもんたは健在で不滅な気がする。
「死ななそうな人」のひとりだな。
うちの義父も、「死ななそうな人」なんだけどなあ。
じいちゃんがんばれ、みのもんたっ。
宗教の題目みたいね、みのもんたっ。

 
 

 2003-04-24
 

「ぎんみー、ぷりーじゅ」
と息子がダイニングでラムネをねだったので、二個ね。というと、
「のー。しゃんこ」
と、交渉してきた。じゃ、三個ね。
輝く笑顔。あ、待って、やっぱり君は二歳だから、二個でいいよ。うん。
というと、ものすごい形相で、
「のー。のー。しゃんこ。しゃんこ。ゆー! にょろにょろ(聞き取り不可).どぉーんつ!!うぉーうぉー(聞き取り不可)しゃんこ。ねー、しゃんこ、で、しょー!! 」
と、文句を言う言う。そのいい方が余りに切羽詰まって面白かったので、じゃあ、三個でいいよ。といったら、息子は最上級のニコニコ顔で
「いぇーしゅ!! あい、でぃでっと」
と言いながら、これから試合に向かうレスラーのように腕をぶんぶん交差させながら、リビングの方に消えて行った。……どうやらラムネのことは、忘れたらしい。
大物なのか、ばかなのか。意見の別れるところではある。

さて、今日の波雄ちゃん「脳内出血・闘病記」は……。
脳室内出血続き、頭のてっぺんから脳室めがけてチューブを差し直す手術。再び、波平のように、毛ならぬチューブが一本。感染予防のために脳室からの管を腹腔内につなぐシャント術だったはずなのに、シャンとしてよねー、などとつまらぬだじゃれが。たかだか、管を換えるだけなのに、なぜ全身麻酔にするのかなあ。糖尿の合併症があり、血管がもろいためうまく止血できていなかった部分をやり直した旨を聞く。それって一体……。未だ出血が止まらないのはなぜ? 
とりあえず、私はまず睡眠と栄養をたっぷりとって元気でいよう。毎週末の面会のために。明日明後日は、長岡の温泉に入ろうという気力、ないなあ、さすがに。

 
 

 2003-04-27
 

「これらの機能は戻らないと思われます」
と、医師から言われる。覚悟はしていたが、重い言葉に息を飲む。
「でも、手を握れるぐらいには回復してほしいんですけどね」
と、切って切って切りまくり、腕に相当覚えあり。な、青年医師は、希望と可能性も忘れない。人間性の方まで特上レベルなのであった。
ドクターは、朝五時から手術に携わり12時間後、オペ着のまま、疲れも見せずに、たくさんの患者のムンテラをする。その精神力と体力に、感服した。「説明室」の前で待っていると、私たちの前に三組の患者の家族がおり、決まって泣きながら出てくる女性(美人)と、肩を抱える女性(十人並み)がいるという共通点を、ぼんやり眺めていた。主役とわき役みたいだよなあ。肩を抱える方だって、同じぐらい痛いはずなのに。
待っている廊下で、夫は眠っていた。目をつむって黙想していたのかもしれない。男は、泣けないし、弱音も吐けない。同じように、痛いはずなのに。
感染症と合併症はいつ起こしても不思議ではない状況で、しかし、義父・波雄は屈強、そんな敵には簡単に打ち勝つであろう。今まで薬と言えば、マムシを焼酎につけたものを愛用していた野生の男だ、70年目に突然摂取する抗生物質は効きまくるはずなのだ。
義母は「寝たきりだって、生きててくれるだけで、いいんだ。おじいが死んでしまったら、オレは何もできなくなる」と、朝御飯を食べながら、笑顔で言った。こういう夫婦に、なりたいと思う。

「波雄ちゃん脳内出血・闘病記」は、今回でおしまいです。
同じ症状の方、自分がそうなった場合を考える参考にと思って、そして何より、劇的な大復活を期待して詳細を書いてきましたが、ひとまず目安の術後二週間を過ぎ、残念ながら、機能回復の見込みが難しくなってきたからです。すでに頑張っている義父や家族の、これ以上の頑張りは、私にはとても書けません。
実父が危篤だったとき、私はムンテラには、呼ばれませんでした。義父の生に強く関わることを許されて、私は幸せなのだと思いました。
命に別状は、今のところありません。夫の一家は、夫も含めてみんなとてつもなく楽天家なので、悲壮感も、今のところありません。見ず知らずの方、見て知っている方、見ないけど知っている方、数々の心にしみる励まし、有り難い情報提供、心より感謝いたします。ありがとうございました。
ああ、今日はまじめ。

 
 

 2003-04-30
 

ああ、昨日深夜まで私が眠い目をこすりつつ、小僧を遊ばせていたのにはわけがある。
今朝、8時から11時まで、近所のテニスコートでママさんテニスだったのだ。
テニステニステニス、るんらら、今日は楽しいテニス。早起きだってへっちゃらさルルル。
今朝は6時半に娘を起こして、小僧を夫の寝室に運んでがっちり寝かしつけ、娘と一緒に食事をとり、夜のうちに用意した洗濯物も干して、娘を見送るのと同時に出られるように日焼け止めまで厚塗りしたのに、外に出ると南の空は真っ暗なのであった。北側の窓からちらっと空を見たら、青空がのぞいていたんだけどなあ。
中止のお知らせがあり……。
風はゴーゴー音をたてているし、雨予報も出ているし、まあ大人の判断よね、と思いながら、まだ短パンを脱げずにいる。
性欲はスポーツで解消しろと高校の保健体育の教師は教えたが、スポーツ欲を日記を書いて解消させるのは難しいなあ。
普段、小雨でも強風でも、いや小雪が降ろうと、五十肩で腕が上がらなかろうと(あ、それはいしかわじゅんさん限定である)「ちょっとでもやれそうならとにかくやる・猿テニス協会」のメンバーなので、こういう大人の反応に戸惑うことがある。すっかり猿仲間と化した三田ちゃんが、今回ママテニスをオーガナイズしてくれているので、何度も何度も「時間を変更したらどうか」「メンバーを変更してはどうか」と調整し続けてくれた。でも、まあ、普通は一度中止と聞いたら賢い主婦は主婦の仕事に戻るもので、努力空しく中止になったのだった。お疲れ様でした>三田ちゃん。
掃除したり、片づけものしたり、衣料入れ替えたり、平成新山と呼ばれる洗濯物の山を切りくずすなど、やることはいっぱいあるんだけどね、あるんだけど、わかってるんだけどねー。例えば、今日はおすしを食べたいなあと思ったら、もう、無性にお寿司が食べたくて、頭の中にはエビが踊り、マグロが跳ね、脳みそはウニでいっぱい、お寿司お寿司お寿司、ああ、お寿司以外絶対に受けつけない!!みたいな状態になることってあると思う。今はテニスがお寿司なのだった。
あ、お寿司食べたいかも。いかん、お寿司が。私を誘惑する、お寿司が。お寿司ぃぃぃぃ。

 
 

 2003-04-30
 

「今頃はおすしでしょうか」と言うタイトルのメールが届いていて、びっくりしました。はい、そーです、今夜は廻るおすしでした。
「テニスやりてぇー!!エネルギー」は、現在10皿分の寿司(過少申告)を消化するために使われています。はぁ、幸せ。
帰ったら、突然友達からのブーケが届いていて、これまたびっくり。こういうサプライズはここのところとんとご無沙汰だったので、ものすごく幸せな気分になってしまいました。簡単。

 
 


  
 
日記
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