2003-MAR. メニューへ戻る

 2003-03-04
 

花粉症で、どこに行くにもティッシュを箱で持って行く。
今日はテニススクールで、あいまあいまに鼻をかみ続け、 途中で順番は間違えるわ、球は十中八九、あたらないわで、 これではみなさんにご迷惑と、春はしばらくお休みすることにした。
謝恩会のBGMの打ち合わせは、同じことを何度も繰り返し しゃべり続けてしまって時間切れになるわ、 借りていた50円を返し忘れるわ、P子のお迎えには 遅刻するわ、 誰とも挨拶すらせずそそくさと逃げ帰るわ、 「ホームレスレベルの服だな」と夫に指摘される ほどの貧乏服を無頓着に身につけて行ってしまったわで、 私の人格そのものが疑われるような態度であった。
しかも、娘の英語学校ではいつものように 先生に話しかけられても、今日は「さんきゅー」 という言葉しか浮かんでこないわ、お雛祭りの食事会は 母ヨシコを招いたものだったが、結局スタバのコーヒー代 以外ついうっかり全部支払わせちまったわ、子供の目の前で母ヨシコの 語る愚痴を野放しにしてしまったわ、教育上もなんというか、 大変によろしくないのであった。
夫と「少子化」に関する記事とそれぞれの意見を語り合ったはず なのだが、ギャグはすべるわ、内容はすでに全く思い出せないわ、 もう、だめだめ人間なのであった。
鼻のかみ過ぎで、きっと脳みその中の大切な汁が溶け出しているに違いない。
うわっ。
たかがこの程度の日記を書くのに、今日は一時間20分もかかっている。
なんだなんだ、私は知らぬ間に居眠りしてしまったのでは ないか? 睡眠時無呼吸症候群か? 新幹線の運転中でなくて幸いです。
明日は謝恩会の劇の特訓が待っているんだった。早く寝なきゃ。
謝恩会まで、いよいよ10日を切りました。
信じられないなあ。その二日後の卒園式には何を着ようとか、 全く考えられないんですけど、いいんだろうか。
ところで、謝恩会当日ビデオをまわしてくれる学年違いの違いのママ友が、
「妙なアングラ劇団を見に行くようで、ちょっとわくわく」
とメールをくれた。妙な職業の人のように、ティッシュを 手放せないのだが、頑張ろうと思いました。寝よう、今日は。もう。
まとまらないのは花粉症のせいです。ごめんなさい。

 
 

 2003-03-05
 

花粉症でふらふらです。
しかも、謝恩会の残業が、なぜかたっぷりあって、 うわー、こんな無理かけちゃいけないよなあ、と 思います。でも、楽しいの。だから、仕方ない。
話し合いが円滑に進むように、レジュメも作っちゃお。 なんてね、やっぱりこのての仕事、好きなんだなあ。
気が付いたら、もう午前三時なのでした。
夜、近所のママ友が、我が家に打ち合わせにきました。
謝恩会絡みの話し合いをしていたら、締め切りだと言うのに 夫が子供を風呂に入れてくれました。
それを見て、感動するママ友たかちゃん。
さらに、いつものように夫は子供とひと遊びしていました。
それを見て、さらに感動するママ友たかちゃん。
夫が「コーヒーいれて」と言ったとき、私は仕事に夢中で、 生返事でした。
「こっちはいいから、まずコーヒー!」
とたしなめるママ友たかちゃん。で、珍しくすぐに指令を 実行した私。
ちゃんと入っていたコーヒーをみて、感動する夫。
事情を説明した、正直なワタシ。
感動が半減した、夫。
ああ、レジュメの作り過ぎで、文章が体言止め。
もっと面白い話になる予定→難しい現実。
疲れた頭では、この辺が限界かも。おやすみなさい。

 
 

 2003-03-05
 

ああ、余裕がない。
毎日、気がふれそうなぐらい忙しいです。
楽しくて仕方ないです。でへへへへ。こういう、 わけわかんないぐらいの忙しさ、というのが、 実はとっても好きだったのね。それは、別にライターの仕事でなくてもいいみたいだと、最近やっと気付きました。
ライターという職業は、おおむねいつも忙しいので、 同じようなテンションだったのかなあ。どこにでも、活路はあるなあ。
忙しいのが好き、というのは、貧乏性と言うことなのかもしれない。
たかが謝恩会、でも、同じアホなら踊らにゃ損々とばかりに、 あっちこっち顔を出しては、楽しくやっています。
夫が締め切りで、御飯も食べられない状態なので、 私の日記をHPにアップしてくれるのは、いつになるのでしょう。
でも二人同時に忙しいので、御飯のおかずなどに 小言を言われなくてすみ、わりと嬉しいかも。
本当はもう眠りたいのに、今日はテレビが……。
ビデオを再生し過ぎて 壊した福助は、MDにも粘度をつめて壊しました。いろんな電化製品が使えません。 そうか、こういう疲労が激しいときに、時間をコントロールできる マシンともいうべきビデオがないのは、つらいのね。家電って偉大です。
花粉症で、頭も体もほぼ停止状態寸前。座っていると居眠りしそうな ほど。
さて、気力だけでどこまで持つでしょう。
こういう「おしっこをずーっと我慢する」みたいな状態が好きだ、 という人は、案外多いんだろうなあ。なんとかプレイみたいに なってますけど。
  ワタシ的には、「謝恩会プレイ」と名付けようかなあ。
へとへとで、とても気持ちイイです。えへえへえへ。

 
 

 2003-03-06
 

福助が電話のたびに「おーばしゃん? 」と聞く。
月末から月初めに頻繁にかかってきた電話が原因だ。
以前、娘のP子が「おとーさん、おばさんから」と電話を差し出すので、
「こら。相手がおばさんの声でも、おねえさんかもしれないんだから、 そんな風に言うもんじゃありません!  おじさんでも、おばさんでも、 ちゃんとお名前を聞きなさい」
と叱りつけたことがあった。娘は この世の終わりという顔で困り果て、
「じゃあ、お父さんのお仕事の 人は、なんて言えばいいの?」
と聞いたので、「おばさん」ではなく、 「大場さん」であることがわかったのだった。
今はアシスタントの方に来ていただくこともないのだが、やはり はやのんが手伝ってくれていた頃、娘ははやのんになつき、親族の一人だと 信じていた。さらに、「はやのん」は本名だとも思っていたらしく、 つい最近、
「で、はやのんはどこまでが名字なの?」
と聞かれて、びっくりした。
「は・やのん」かな、やっぱり。コリアンみたいでかわいい。
ところで、夫の名前を「本名なんだよね?」と聞くママ友が多いが、 「みそ」なんて名前を付ける親がいたら、いやだと思う。
友達のところに「しお」君という可愛い息子がいるけどな。
本名は違います。みそもP子も福助も。ついでに、ゆう子も。
でも、知り合ったときには「ゆう子」だったので、いまさら 戸籍の名前で書かれても、夫には別人だろう。はやのんの本名が 未だに「なんだっけ」と一瞬戸惑うように。……漢字はどんなに 時間をかけても、思い出せないように。
ところで、今日、
「えーっと、ご主人……お名前なんでしたっけ、おみそさん?」
と妙な敬称をつけられて、笑ってしまったわ。敬称略で、 お願いします、太田さん。

 
 

 2003-03-07
 

謝恩会は12日です。今日、ああ、もう明けて昨日は、 最後の練習日なのでした。
しかし、二名欠員が出て、録音ができず、 テープに対してあてぶりをするというのが 難しくなりました。といって、「生」でしゃべるのは 無理だ! と言う母たちもいます。
急きょ、来週の火曜日、つまり謝恩会前日に集まることになった のですが、そんなばたばたで果たして大丈夫なんでしょうか。
前日に台詞を録音して、あてぶり(動作)はいつ、練習するのだろう。
それぞれ仲良しのママ達が2-3人ぐらいずつ 絡む構成になっているので、多くは自主トレです。
昼間から、魅惑の母親たちは怪しげです。
しかも、全員で作り上げている劇は、どんどん台詞が変わって、 なんかそれぞれが見せ場たっぷりになってきました。
ご主人の働いている間に、母親たちはこういうことをしていたのね。
それはそれで、重労働な気もします。子供と先生を喜ばせるために、 自主トレで深夜こっそり起きだして、手品を練習したり、 「なんでだろう」を踊って筋肉痛になったり、民謡をうなったり、 イッセイミヤケのような、なまはげのような--100円レインコートに ビニール袋を裂いたものを、まんべんなくくっつけた白いお化け風-- 衣装を、またはひとりでは決して着られない舞台装置のような 衣装を、作れますか。どうですか、お父さん!! 
そこに、家事も育児ももれなくついてきます。
ダンス部に至っては、衣装に動きに、さらに掛合いも。
一生懸命、ダンスを練習する姿は、涙ぐましいと思う、きっと。
私は劇部なので、ギターを練習して、欽ちゃん走りする程度ですけど。 まだ、時々間違えるのよねー。
ちょっとした不安も抱きつつ、まあ、みんな楽しそうだし、いいか。
成功したら、きっとものスゴークいい思い出になるんだろうな。
失敗したら……どうなんだろう。考えないことにしよう。

 
 

 2003-03-08
 

「うは鵜飼のう」と言ったのは、ブラッドベリだっただろうか。
夫は私のHPにぺたぺた広告を貼って、
「お前、ちゃんとクリックしろよ。もはやそれは義務だと思え」
と力説するが、私には還元がない以上、鵜はいくら魚を飲んでも あまり旨味はないのである。
我が家の鵜匠は、最近小銭みそに なっている。主婦のお小遣い稼ぎとしては、確かに 一月に数千円も儲かれば、とんでもなくおいしい仕事ではあるが、
「面白かったらクリックして」
と最初に夫が書いたせいで、 私はなんとなくクリック率にばかり目がいってしまう。
そして、それは3-10%であるから、1000人もの来客のうち、 「うむ。読む価値アリ」で、クリックしてくれた人が30人から100人 ということになる。そういうとすごい人数なのだが、その他900人の 方々は……と、そっちの方が気になるではないか。世田谷区の保育園 待機児童の数と同じだけの人が「なぁんだ、ふぅーん」と思う。 その瞬間が、毎日、のべ900回もあるのだ。
ああ、なんか、すみません。
主婦の日常はそう、面白いこと続きでもないんです。
と、言わなくていい言いわけをしたくなっちゃうではないか。
「HPのために、脱ぎます」
と、ネットアイドルのようなことを言い出しかねない。しかも、 脱いだら、私の場合は、確実にお客さまが減ってしまうだろう。
あるいは、恐いもの見たさの来客が増えても、嬉しくないのである。

今日は、テニススクールでした。 バックハンド、少しよくなってきました。
謝恩会はリハーサルでばたばたしました。ホールは寒かったです。
久しぶりに体重計に乗ったら、1.5キロも痩せていました。500g ぐらいだと誤差の内なんですが、これは「謝恩会ダイエット」 と呼べそうです。
福助、全身またしてもぶつぶつなので、明日医者に行ってきます。
P子は今日、幼稚園最後のお弁当でした。毎日書き続けた母からの メッセージカードは、いつもゴミと化していたのですが、今日の お手紙は「お手紙保存箱」に入れてくれるのだそうです。気合い 入れて書いて、よかったです。
お弁当を作るのが下手なので、手紙でごまかし続けた三年間でした。 でも、そのおかげで、P子は簡単な漢字なら読めるようになりました。 おいしいお弁当を作れる母だったら、その手間を、お弁当を充実させることに 使ったと思うのよね。不器用も、悪いことばかりじゃありません。
あとは……あとは……、特に書くべきこともなく、一日が終わりました。

 
 

 2003-03-10
 

いいか、ばたばたしてもな。
自分を赦そう。
そこから人は優しくなれるのだ。
突然、ピアノ伴奏・ちなっちゃんの子が、 裏方のボスたかちゃんの子が、体調を崩してしまった。
「お大事に」と言うより先に、「どうなる、イベント」 と思ってしまった私は、人としてだめだめ君であったと思う。
続々風邪に倒れていく子供たち。果たして、明日の謝恩会本番に、 生き残っているのは何人なのか。
リハーサルはばたばただった。
でも。はうえばー。
司会者二人は半分プロだ。二人たしたら、完全にプロだ。 そんな数式が成立するかどうかは問題ではない。
音響のれい君ママは独自のシートを用意して準備万端だ。
もうひとりは、元DJだ。
もうひとりは、前回も音響をやった経験者だし、四人の子持ちだ、 どんなトラブルだって乗り切れる腰の強さがあるだろう。
リーダーふたりはここに来て、でーんとかまえている。
ダンサーズもアクトレスも、練習時間だけは史上五指に入るだろう。
花束つくり隊も、子供誘導隊も、暗幕ひき隊も、みな自分のミッションは 完璧にたたき入れてある。全員が全体の台本を持ち、全員が アンダーラインしてあるのだ。ちょっとファッショだ。お祭りだ。
ファッショい、ファッショい。………疲れていて、ギャグも不毛だ。
これで失敗するはずがない。
いずれにしても、私は2003年の春を生涯忘れることはない だろう。大人になってから、こんな濃いぃぃ友達が作れるとは 思っていませんでした。
ままさんたち、どうもありがとう。 と、成功したら、抱き合って、たたえあおうね。
失敗したら、それは……笑っちゃうってことで、ひとつ。
人に優しく。自分にはもっと優しく。では、おやすみなさい。

 
 

 2003-03-12
 

謝恩会当日の朝は、ピーカンでした。とても気持ちがいいです。
ステロイド剤入りの、花粉症対策薬を服用しても、 気合いがのっているので、眠くはならないでしょう。
九時に、とりあえず子供達を送って行った後、校門前で 会う友達ごとに「今日だね」「頑張ろうね」と声をかけあい、 試合とか大会とかの前みたい。久しぶりに 心地よい緊張感を満喫しています
。 すでにやることはやり尽くし、準備しつくして、 あとは始まりの11時半を待つばかり。プロジェクターの故障で 昨晩はちょっとばたばたもしたけど、ここまでくるとトラブルもまた 楽しい。クリアしていく喜びは、RPGの100倍、面白いです。 二十年前の文化祭実行委員時代が蘇るようです。そういうのって、 面倒くさがる人も多いけど、案外楽しさを知らないだけじゃ ないかなあ。何でも、「徹底的」にやると、脳内麻薬がたっぷりです。
私は、このひたひたに「ごほうぴ汁」の出ている状態がまた、 大好きなのでした。娘のP子に感謝だなあ。子育てって、 もう一度自分の青春と向き合える貴重な時間なのね。なんか、ちょっと お得な気分。
きっと中には「なんでこんなことやっているのかなあ」と、 強引な卒対委員にひっぱられて困っている人もいるだろうに、 そういう声が全く届かないのは鉄壁の友情の証でしょうか。
では、楽しんできます。あと、一時間で、「開幕」でーす。

あ、全く関係ないのに「謝恩会頑張ってね」の声を下さった方々、 ありがとうございました。ビデオはお見せできませんが、後で 個別に、当日の「あっ」という出来事をご報告したいと思います。
そんなアクシデントはあってもらっても困るんだけど(笑)。

 
 

 2003-03-12
 

あー、楽しかった。
できれば、唇に「のり」がついていたことは、 第一部の終了とともに教えていただけると嬉しかったです。
ママ友、誰でもいいからさあ。
第二部も終盤で、こっそり指摘してくれた由美ちゃんは、 ちゃんと第二部の最初にみんなで「のり」チェックをしたらしい。
海苔唇のまま、私は先生を誘導しに行ったので、 チェックできなかったのね。
ああ、恥ずかしい。

しかし、母親は一致団結するとすごいんだな。
あなどれないぞー。
全員が指示書通りに動くと、半端な会社員よりずっと素早く しかも期待以上に動けるものだったのね。私は全体進行表を 作る係だったのだが、正直、こんなに高い能力の集団は設定しておらず、 失礼しちゃったのだった。たまたま、そういう代にあたって、 恵まれた環境で楽しく謝恩会というイベントで遊べたのだと思う。 多分、世界で一番、いい謝恩会だったと思う。
少なくても、私はこの謝恩会しか知らないから、この謝恩会が 世界一だ。そして、世界一素敵なメンバーに恵まれた幼稚園の ママさん時代を送れて、私はつくづくラッキーだったと思う。
「暇な主婦の優雅なお遊び」だといわれるかもしれない。
だが、飲み屋で会議のまねごとをしなければならなかった、 短かった勤め人時代よりもずっと充実していた。
成長してから 一体何人の大人が、知り合い以上の友達をつくれるだろう。
私は今回のことで、一人一人が大好きになった。一人一人に、 飛びついてキスしたい気分だった。抱き合って涙したい人もいた。
単なる幼稚園の、たまたま同じクラスになったママ友だが、 今日、確実に彼女たちは私の「大切な友達」になった。
そんな気持ちになることは、多分この先、そう多くはないはずだ。

先生方に喜んでいただけたかどうかはわからない。 劇の似顔絵お面は夫が描いている、邪悪なものだ。 女性の先生はかなりムッとしたはずだ。 こどもに激しく受けてしまったのも、感情を逆なでしたかもしれない。
涙が全くなかった謝恩会は、「いい謝恩会だったね」と位置付けるのが 難しいかもしれない。
でも、楽しんでいただけたなら、いいなと思う。
子供達は先生方の出し物を見て、大喜びだった。 母親たちも、先生方の出し物の間は全員着席して、本気で 爆笑し続けた。こういう先生が、幼児教育の現場にいる。 子供と母親たちが、先生を敬愛するからこそ、 一糸乱れぬ調和がはかれたのかもしれないと、今さらながら、思う。
何が感動したといって、私は日頃まずお目にかかれない理事長先生の、 慈愛深い表情と笑い声だった。
そして、子供達が先生に見せるために踊っているとき、 ひとりだけペアになれなかった子供をステージの上からすかさずみつけ、 花束を抱えて座っているはずが、一瞬にして飛び下り駆け寄って、 一緒に踊って下さった担任の先生の、 すばらしい行動力と愛の深さだった。
いいもの、みちゃったなぁ。

自由保育型で、自由参観はあるが、季節行事はなし。行事に追われて育児を ないがしろにしたくないからという理念だ。昔ながらのお弁当で、 給食・園バス・延長保育、パソコンだの幼児教室の併設ナシ。
親にとっては難儀だから、近隣の近代設備やおまけつきの 幼稚園に人が流れている。こういう古式ゆかしい園を選ぶには、 「ある種の覚悟」が必要だ。
でも、だからこその、母親の仕事能力の高さであり、 楽しみ方のうまさなのだと思う。
そして、そんな覚悟を喜びにかえてくれた先生方に、 今日という今日は、本気で感謝した。
熱が出ても、げろを吐いていても、「幼稚園に行く」と泣いたP子の 気持ちが痛いほど理解できた、一日だった。
だから、小さなミスやトラブルはあったけど、結果は大成功なのだ。

ところで、「痩せたねー」と、今日やたら声をかけられました。
「謝恩会ダイエットよ、1.5キロよ」と自慢して回っていましたが、 何か、ちょっと変。みんな、首周りが、とか、顔が細くなった、等と いうのです。
「痩せたよね、首の周りが」夫も申します。いつもと同じひっつめの 髪型なんだけど。
その後、何気に高校時代からの親友・祥子と電話していて、
「じゃあ私は、明日の卒園式のために、このあとむだ毛を処理するわ」 と言った彼女の言葉に笑って、気付いちゃった……
それは……
「うなじを剃ったから、首が細くみえたのではないか」
ということなのでした。昨日の夜、私は確かに約一年ぶりで うなじのむだ毛を剃ったのです。
私の首って、そんなにもじゃ毛だらけ、 首が太く見えるほどもじゃもじゃむだ毛だったかなあ。
黒い縁取りが微妙な効果線になっていたのかもしれません。
超簡単に痩せて見せるコツは、普段もじゃもじゃにうなじを はやかしておいて、「勝負の日」にさっぱりうなじ剃りです。
これで「小顔」間違いなし。
以上、謝恩会ダイエット・マメ知識でした。本当か?

 
 

 2003-03-13
 

あああああ、HR見のがした。HP更新していたら。なんということだ!!

 
 

 2003-03-14
 

制服って、今思うと便利だったよなあ。
いつでもどこにでも着て行けて、 シーズン中一回だけクリーニングに出す経済性。 唯一のオーダーメイドだったから、体にはフィットしていて、 丈夫で無理のきく、いいスーツだった。
私が三か月もたなかった大学には制服があって、喪服のような 黒だったので、やめた後も、スカート丈をつめて結構愛用した もんなあ。
学内の寮だったので、 生活はジャージ、学校は制服だけでことたりてしまい、 妙齢の、地方の名門良家の子女たちは、全くあか抜けなかった。
ま、18年間喫茶店に入ったことのない子もいて、 「じゃあ行ってみないと」と誘惑し、待ち合わせし、手首をつかんで 「入るよ」と行ったら突然「だめ。お母さまに許可をえて いないんですもの」と、手を振りほどき、 脱兎の如くかけて行った女がいたぐらいだ。
ラブホに入ろうって行ってるならわかる。でも、駅前の喫茶店だよ、喫茶店。 20年前とは言え、凄まじい話なのであった。高貴な良家の子女と いうのは、どうやって男をゲットし、愛を語り、 どうやってその男とお子さまを作るのだろう。と、本気で心配した 18の春。(大半見合いで片付きます。お子さまもちゃんと産んでます。 人って、すごい)。
あの頃は、私も若かった。
今のふとももがそっくりそのまま ウェストサイズでした。骨盤は大きかったので、大変にグラマラス。
今も、その頃のスカートはホックがとまります。太ももで。 ただ、それだと外には出られません。パンツ丸見えですから。 っていうか、片足にスカートをはくやつはいないと思う。
太った頃、ガーターベルトを太ももにつけたら、洗濯物を干す ピンチみたいに なって、これは大爆笑だったんだけど、夫相手に 笑いをとったあと、ものスゴーク空しくなったことがあった。
体をはったギャグは、なかなかに大変です。
……本題に入れないなー。疲れが残っているらしい。
さて、問題はお洋服なのだった。卒園式、みなさんすでに 準備万端らしい。明日なんだけど、全く準備ができていない。 弱ったー。
仕事をしていた頃は、迷わなくていいようにずらっとスーツが 並んでいて、その中であわせればいいようにしていた。
クローゼットの半分はスーツ、半分はドレスだった、プチ・アントワネット 時代。
9号のスーツは、大半、義理の姉妹に引き取ってもらい、 13号スーツ(アジア帰国後)、15号喪服(P子出産後)、17号ワンピ (福助妊娠中)を 一着ずつ買った他は、全くフォーマルが増えていない。ここ10年。
というわけで、卒園に、何を着たらいいのかがわからないの。
っていうか、ないの。
着るものがないの。
ないのー!!!
着物で。と、決心していたのだが、園庭がだだっ広いあの幼稚園では 風で砂埃が舞い真っ白、雨でずくずくになってしまうだろう。 晴れて風がない、と言う一点に賭けるには危険だ。
どうせ泣くんだし、コンタクトは入れられない。なら、洋服だ。 と、思うんだけど………。
夫はスーツ一着、十年着まわし。迷わなくていい。
ああ、どうしよう。どうしよう。今日はテニススクールだし、 お買い物には行けないし。こういうことがあるから、 春はダイエット特集を組むわけだったのね。今なら、魂の叫びを リード(最初のあおり文)に書けるのに!! と、思ったりした。
ああ、迷わなくていい制服が欲しいなあ。
大人の制服と言うと、やはり、喪服だろうか。
喪服ねぇ……卒園に。うーん。

 
 

 2003-03-17
 

土曜日。
私は娘の姿を焼きつけておくのと、 卒園式で自分が泣くのをこらえるのが精いっぱいで、 他の子供が何を着ていたとか、 ましてや他のお母さんが、先生方が、何を着ていたかなんて、 ほとんど見ちゃいなかったんですけど、その後の飲み会でママ友が ものスゴーク詳しく情報交換をしているのを聴いて、青ざめました。
先生のワンピのデザインはちょっと古くないか、とか、あのスーツに あのストッキングの柄はあわない、とか。
すごいなあ。ストッキングの柄!! そんなもん見たことないや。
私は限りなく普段着に近い、生協の通販で去年衝動買いした インフォーマルな上下に、とりあえず大昔買ったお高いジャケットを 合わせました。「誰も見ていない、主役は娘」と、お題目のように 唱えながら行ったのに、チェックがそんなに厳しいと知っていたなら、 雨染みだってなんのその、着物を着ればよかったわ!!
<教訓>意外にチェックされている。事前の準備は怠るな。

金曜日。
私は屋根裏部屋から全てのスーツ、ワンピースを 引っぱりだし、呼吸もとまる強力なボディスーツを着込んで 試着三昧をしていたのです。そしたら、娘が頭痛になり、
「着られなかったらデパートに行けば間に合う」
と思っていた計画が、ぱー。
「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かむものかは」
と、空を仰いで、呟いたね。
本当は、私史上全盛期の、紺のジャケットと共布のミニスカートを はいて、ザ・プラクティスの女弁護士(フラットさんじゃないよ!) のようにさっそうとスーツ姿で 行きたかったのです。でも、ファスナーもウェストボタンも 開けっ放しだったのに、座ってみたら、一瞬で、 スカートの横がちょっと裂けました(涙)。
ああもう、娘にもまわせません。すっげー高かったのになぁー!!
デザインがトラッドなので、そんなに古びないと思っていたのに。 糸が古かったぁぁぁ。
安い糸を使うなよ、ブランド・C!!
糸のせいにするなよ、オレ。
とりあえず、一年ぶりに美容院にいけたから、良しとしよう。 ばっさりとおかっぱです。実に、中学生のときの髪型です。ははは。
<教訓>福助のときに思い出せ。事前の準備を怠るな。

日曜日
テニスの試合でした。
楽しかったんですが、まだまだ私がオープンに エントリーするのは百万年早いかな、という感じでした。
<教訓>ラケットは早めに構えろ。事前の準備を怠るな。

月曜日
P子の英語学校の最終日、発表会の日でした。
P子は小学校に入ったら習い事は ぜひとも英語だけを週三回にしてほしい とぬかしやがって「体を鍛える大切さ」をえんえん母親に 説教された、血中欧米人度の高い人間なので、難無く課題を こなしていました。
自己紹介を見ていた福助までもが
「まいねー、じゅ・福助(仮名)あいむとぅーやずおー」
と いい出し、きっと英語がとても価値あるご家庭に生まれていたら、 この子たちはさぞやちやほや可愛がられていたんだろうなあと、 ちょっと不憫になりました。
うちでは、せいぜい「そんなことができない子供は英語など学ばなくてよし」 →「それ(早寝やお片付けなど)をしないなら、英語をやめさせるぞ」 と脅迫する程度です。P子は、泣きながらすぐに脅しに屈します。 福助もテレタビーズのビデオを取り上げる、と言うと、たいてい 言うことをききます。便利な英語活用法です。
ちなみに、母ヨシコは優秀な人が好き、逆に言えばバカには冷酷ですが、 英語がしゃべれることには何の価値も見い出していません。
当然、日本語が一般の6歳児よりはるかに上手に使える P子びいきなので、子守りを頼んだ夕べなど、
「今P子ちゃんと遊んでいるのよー。何をやってもこの子はうまいわねー。 で、なんだっけ、あれ。あれは今、寝ちゃっているけど」
と、福助はアレ呼ばわりなのでした。母ヨシコの内孫が全員男というのも、 外孫で男の子の福助の価値を落としているのでしょうが、さすがに ど忘れとは言え、アレ呼ばわりはないと思いました。
子守り部隊として我が家に来るそうそう、
「福助、英語使っていたら私がわかんないじゃないの」
と、母ヨシコは文句を言います。
「でも、福助は物覚えが人より悪いから、命令系統は英語の方が楽なんだよ」
と、犬のしつけを例に取って私たちは説明します。
「わかったわよ、しっと・だうん。しっと・だうん。 ……だめじゃないの」
母ヨシコのSit downは、発音が日本語で福助には通じないのでした。
「これじゃ幼稚園、行けないわよ」
と、母ヨシコは遠慮を知りません。本人はものすごーく 遠慮深いつもりでいるのですが、頭隠して尻隠さず、というか、 「恥ずかしいっ!!」と絶叫しながらなぜか臍あたりを隠して、 胸も毛も全開ばりばり、裸で堂々と行進しているみたいな女です。
「こんなにも恥ずかしいと言っているのにぃぃぃ」
と赤面してはいるが、何が恥ずかしいのか端にはさっぱりです。
よかれ、と思ってすることも、だから、ちょっとちぐはぐです。
おかげで私は大変に思慮深い人間になれたと感謝しています。
それを思うと、無理のある逆説ですが、福助もそれなりに見どころはあるのかな、と。 まあ福助の遅ればかりは、準備を早くに始めても仕方ないし。
というわけで、
<教訓>今日のところは、特にナシ。
なのでした。

 
 

 2003-03-20
 

今朝はいい天気。
洗濯機をまわして、朝ごはんを食べたあと、 猿テニスの話などを日記にたらたら書いていたら、電話があり、 英会話教材のセールスマンが来る日だったことを思い出して中断する。
のんびりその人と話などをしていたら、 アメリカのイラク攻撃が始まっていた。お子さまを国際人に、 どころではないのだった。
何でもない日常を、私はこうして送っている。
CNNのニュースを聞きながら、 昼食を作り、家族全員でいつものように食卓を囲む。
食後、コーヒーを飲み、ザッピングしながら、 ぼんやりイラク攻撃を見ていた。どのチャンネルも、特番だ。
風は強いけれど、日ざしは春めいて、部屋の中はとても温かく心地よい。
私は平凡な日常を愛している。
私がこうしているときに、命を賭している人がいる。空襲に泣き叫ぶ 子供もいるだろう。再度、報復テロにおびえる大人達もいるだろう。
国際人、とは、いったいなんだろう。
英語が上手な外交官たちは、 政府の意に従って、アメリカを支援するしか、道がない。
ニュースを見ていても、 イラクの言葉はさっぱりわからない。同じアジア圏にありながら、 黒髪のイラク人より、金髪のアメリカ人の方がすでに見なれている。
私はクリスチャンであり、イスラム教にはなじみがない。
でも「上着をとられたら下着も与えよ」と聖書に書いてあるのに、 武力行使するクリスチャンもいる。
「英語が使えれば、困らない。あなたのお子さまは、国際人」
って、こんなときに考えると、笑えないジョークみたいに思えてくる。
チンパンジー顔のブッシュとゴリラ顔のフセインなら、 なんとなくチンパンジーの方がシンパシーがあるのも事実だ。
けれど、私は遠い余りにも遠い、見知らぬ異国の隣人を想う。
絶対的に正しいことは、ない。
同時に絶対的な間違い、というのも、ないのかもしれない。
私は母親として、子供にこの戦争を、どう伝えるのか。
同時代に生きて、どう責任を負うのか。
日が暮れても、戦争について、考えた一日。

 
 

 2003-03-22
 

骨肉腫かもしれないので、午前中は爆睡していました(笑)。
週末は体がどわわわわっと痛くなり、早起きができません。 こんなに痛いのはきっと重病なのだろうと思い、休日は お昼までゆっくり休みます。その後は緩慢な動きです。 フルスピードで家事をこなそうとしても、三才児のような動作の もどかしさです。
それでも、月曜日になるとぴたっと治ってしまい、動作も いつもの通り、てきぱきてきばき。まったくもってすばらしい気力だ。と、 と、ひとまず、自分を褒めておきましょう。

明日は夫の田舎から皆様ご来訪なので、掃除をしなければ。
ずーっと放っておいた洗濯物たたみをしなければ。
ここのところ油物ばかりでぎとぎとだった台所もなんとかしなければ。
新聞もまとめなければ。トイレと玄関と、ああ、忙しすぎた三月を 今さらながら、呪うなあ。んもー、まったく家事がおろそかでした。
しかし、昨日から「休日モード」に入っており、私はうまく作動しない 状態です。普段だったら一時間で片付くところが、もう三時間も うろうろやっていて、まだきれいにならないの。しくしく。
まともに歩くのすら危ない腰、猿テニスで傷めたあと、 その翌日のスクールはやっぱり休むべきだったなあと反省してみたり。
もう、遅いんだけど。
昼食は義母が持ってきてくれると言っていたけれど、やはり多少は用意 すべきなのかも。つまみとか、飲み物ぐらいは……、といって、大人が7人って、 一体どれぐらい何が必要なのか、今日はお脳もフリーズしています。
もうスーパーもとっくに終わってしまいました。ああ、義母は、 手巻き寿司用の海苔を用意しておけと言っていたのだったわ。
あと、何か作っておけと言われた気もするけど、だめだー。 思い出せないー。何かを甘辛く煮ておけといわれたのよ。でも、 夫の田舎ではどの料理も甘辛く煮るのが基本なので、料理の方法から 素材を限定できないのです。
ザ・プラクティスを見ているときに電話があって、気もそぞろだったのよ。 さて、海苔……。海苔……。うちには、今、ない。うん、ずーっと切らしていた。 ああどうしよう。どうしよう。そうだ、銀行に行っていないので現金もないし。
まあいいや。
今さら、私に何も期待していないだろう、 もう10年も、下田の鈴木さんちの子として里帰りするたび、 10時まで眠っているわ、手伝いもろくにせずにお酒を飲んで 上機嫌になっているわ、かなり適当な嫁なわけだし。
義母も義父も、実に寛大です。
こんな私を責めるでもなく、愚痴や相談にまでのってくれるんだもんなあ。
私は福助の嫁に、こんなに愛を注いであげられるだろうか。
絶対、ないな。どんな嫁が来ても、福助をとられることが悲しい とか言って、泣くんだ。人として、姑として、ダメダメだ。
……そんなことを書いている暇に、掃除したらどうだろう。と、 ふと思いました。うう、今夜は何時に寝られるのだろう。
付け焼き刃の家事、頑張ります。また手抜き家事術の発見があるかも しれないし。

 
 

 2003-03-23
 

朝おきて、メールチェックをすると、義理姉は「今、修善寺。 この調子で渋滞がなければ、11時頃」と送ってきていた。
一時間かけて、家中ほうきで掃く。掃除機を使いたいが、 午前中は夫が寝ているのだ。
わらわらと子供達が起きてくる。着替えをさせて朝御飯を 用意していたら、「こんにちわー」と玄関で声がした。 10時前に、下田から親族6人が到着したのだ。
へ?
予定では、ここから私がスーパーにお買い物、簡単なつまみを 作る予定だった。しかし、全員すでにご到着。
義父は夫でも持ち上がらないような米俵を軽々と持って、 台所に置いてくれた。母も義理姉も姪も、大量のクーラーボックスを 続々運び込んでくる。
やべ。
まだ、ビールも買ってきていないし、シーチキンも甘辛く煮ていない。 海苔も、ない。大急ぎでスーパーに飛んで行き、戻ってきたら、 もう寿司は半分がた、握られていた。持ってきたビールで 酒盛りも始まっていた。私が「あっ」と、スリッパを六人分、 持ってくると、夫が「それよりもすることがあるだろう」と言う。 こういうとき、私は全く優先順位がわからなくなって、不可解な動きをしてしまうらしい。
義理姉と義母がてきぱきと持ってきて煮物を盛り付け、寿司を握り、漬け物を切って盛る間、私は大量の苺のへたをとっていたが、やはりほとんど役にはたっていないようなのだった。
娘P子のお祝いなので、昨日おもちをついてきたという。つきたての餅はまだ そのまま食べられるほどやわらかい。義理姉はチーズケーキを焼いてきた。この煮物の量、餅、ケーキは、前日から着々と 用意されたことを物語っている。私が「ああ、骨肉腫かも」と、 大げさに腰を痛がっているとき、田舎の家族は、くるくると働いていたのだ。 苺のへたをまだ切り落とし続けながら、私は胸が熱くなった。
そして、一行はP子のランドセルを見て、机を見て、小学校に一緒に いってみて、近所を散策し、リサイクルショップをのぞいて、 畑の土を褒め、四時間ほど滞在したあと、上機嫌で帰って行った。
目の前に、「無欲」という字が見えた。気がした。
いただいたお祝いの中身はゆうちょにして、P子は袋を宝物箱にしまった。
夜、夫は「今日はお疲れさん」とねぎらいの言葉をかけてくれたが、 なんのことはない、私は苺のへたしかとっていないのだった。
楽しくておいしくて、お部屋も片付いて、幸せな一日だった。

 
 

 2003-03-24
 

カウンターが、昨日はとうとう777で止まっていた。
パチンコならなんだかすばらしい数字なのだろうが、 私のHPでは、誰も景品をくれないのだった。
カウンターって、とても励みになるんだけど、 じりじり下がって行くというのは、なかなか切ないものがある。
「おもしろくないのかなあ」と何気なく呟いたとき、メールが来た。
「おもしろいですよ!!」
と、メールのタイトル。私は、ものスゴークびっくりした。
天の声だ、天の声。
北海道の郁子さんであった。見ず知らずの主婦の方であった。
しかし私にとってはまさしく天の声なのであった。
絶妙のタイミングで、ありがとうございました。
というわけで、このスタイルのまま突き進むことにする。

といったところで、今日は近所の公園で子供達を放し飼いにしていたぐらいで、 これと言って特に何もなかったんですけど。
ところで、外国語フェチといってもいい娘のP子は、 今、方言に凝っています。夫の田舎・下田の人々も、 P子から見たら半分ぐらいしか 理解できない、方言と言う名の「外国語」で話すので、 かの地はP子にとって、外国なのです。下田には おいしいものがわんさかさとあって、いとこのお姉ちゃん達が使う 下田の言葉は超かっこいいらしいのです。
「ああ、かんだりぃじゃあ」と、疲れを表現して、気取っています。
疲れたという言葉を子供に赦さない文化圏の母親に育てられたため、 P子は標準語で疲れたと言うことがなかっただけに、 母親としてはちょっとした驚きでした。
アーカイブスで「おしん」のダイジェストを見て、語尾に 「けろ」などをつけてしまう娘です。
NHKのお笑いオンエアバトルを偶然見て、 日記に気に入った$10のギャグ、「すみません、いや、 すみますみません」と記録しておく娘です。
福助語しか話さない弟と、 何語でも話してみたい姉と。足して二で割れたら、どんなにか 助かるんですけろ。←誤用。すみま、すみません。

 
 

 2003-03-25
 

エライ目にあいました。
英語の春期特別親子クラスというのがあったので、うちの小猿、 福助をつれて行ってみたのですが、笛吹けど踊らず。横たわったままなのよ。
「こっちにおいで」と呼んでも、だめ
。 そのうち、「あい、しっだーん」と、ここに座っているんだ文句があるか。 といい出す始末。
課題は進み、のそのそとテーブルに近付いてきたと思ったら、 「レッド!」と 叫び、赤いクレヨンでおうちを火事と見まがうほど、 赤く赤く赤く塗りつぶし、集中して塗っている間は 誰の声も全く聞こえない、小猿。
大火を出している家には、シールも貼らないと 決めたようで、やさしく差出してくれた金髪の先生の手に 「ノー!!」と、無情に貼られるシール。
おやつのあとは、嬌声とともに突然走り出し、ずーっとぐるぐる走り続け。 英国人の偉大な先生は、さすがネバーギブアップと大書された Tシャツを着ているだけのことはあって、 「ラブリー」を繰り返してくれたけど、 日本人の教師だったら逆さ吊りの刑です。仮に忍耐と書かれたTシャツを 着ていても、怒鳴りつけることでしょう。
もうすぐ三歳で、こんなんで、 来年、幼稚園にまともに受け入れてもらえるのかが心配です。
そして、周りのお母さん達の冷たい視線が気になります。
しつけが甘いんじゃないんだー。その証拠に、お姉ちゃんのP子は、 お姉ちゃんのP子は……と、できがよかったP子に想いを馳せてみたり。
同じように育てても、遺伝的な差はどうしようもないんです。
あと、二日。どうか、温かい目で見て下さい、みなさん。と、 祈るような気持ちでした。私がお金を払って、なんでこんなに 小さくなっているのかなあ。
でもこれではっきり決心しました。
親子で通う英語コースは、絶対にごめんです。
地元の親子サークルにも登録して、 今月末から活動開始を予定していたのですが、 なしにしようと思います。ずーっとずーっとずーっと サークルのお友達に気を使って、謝りっぱなしなんて、私がいやだ。
みんなで何かするのが、とてつもなく苦手で、 興味を持ったことにしか反応できないんだから、 もうそれは仕方ないよ。ひっぱだいてまで、協調を教える 年令でもないと思うし。
言って聞かせてはいる。多分誰よりも根気づよく、 わかるように話している。でも、奇声をあげて相手を威嚇し、 聞く耳を持たない子猿をどうやって調教したらいいのでしょう。
とりあえず危険なことをしたり、相手にやってはいけないことをしたときだけ、 私はこの世の終わりと言う顔で、たしなめます。 泣きながら、怒鳴ることもあります。こっちが恐怖に満ちていたり、 悲しみや怒りが溢れていると、福助もちゃんと居住まいを正します。
ただ、これには過多な演技力がいるため、そうそうしょっちゅうは やっていられず、たかが英語教室の一時間半、みんなと同じことができない 程度で抜くべき宝刀でもなく、そうなると完全になめられて、 息子は子猿のままなのです。
夫は息子と一時間一緒にいるのが苦痛だと言います。そうだろうなあ、 言うことを全く聞かなくて、自分のやりたいことしかないからなあ。
でも、今日吉祥寺の街を私は息子と二人で歩いていて、 わかったことがひとつだけありました。
「コーヒー、飲も」と、 手をひっぱって喫茶店に入って行ったり、コーヒーを飲んでいる私を じーっとみつめて「ヤミ?」とにっこり笑って問われたり、 食べるだけ食べたら、さっさと 「行こ。こっちこっち、マミーカモォォん」 などと言われたりするのは、強引な恋人のようで、 悪くないのよね。それでいて、私がいてあげないと、 横断歩道も渡れないおバカさんなわけで。
私自身、自分勝手なので、その手の強引なダメ男とは つきあったためしがないのですが、 「かっこいいなあ」と見つめている だけで幸せになっちゃって、悪い男にだまされ、 身を持ち崩してしまう年増女の気持ち。それが、 まさに実感できたの。
……そんなだから、なめられちゃうのかなあ。母親、失格?
よい知恵のある方、ご教授下さい。

 
 

 2003-03-26
 

私の可愛い小猿・福助は、今日もずーっとバカだった。
何を聞いても、「Cat」としか、答えない。
カーペットの上に描かれている絵を英語で読み上げ、数字も読み上げ、 「たくさん英単語を知っているのね」と先生に褒められたのに、 名前を聞かれても、歳を聞かれても、好きな色をとれと言われても、 「Cat」であった。重ねていくと結構、おかしなギャグになる。
先生の言うことも私のしゃべる発音の悪い英語も、全部理解していて、 ふてくされて、寝転がる。順番をスキップされた、とか、 自分の好きな色がこなかった、とか、自分のやりたいようにできないと 「Cat!!」と叫んで、寝転がる。最後には、私も笑ってしまった。負け、である。
しかし、ピーマン問題は笑えなかった。
俺は今、初めて見るピーマンの切り口に感動していたのに、なぜ俺の母親は 不粋にも変な色の絵の具をつけて台無しにするのか。と、言いたかったんだろうな、 「どーぉぉぉぉンっ(つ)」と叫んで、ピーマンを投げ捨て、床に臥せった。
だって母ちゃんは、みんながスタンプ遊びしているのに、きみだけピーマンを うっとり凝視しているのはやっぱり違うと思ったんだよ……。と、 いいわけしてみたが、傷付いた小猿の魂は、どこかへ行ったままだ。
二人でいるときにお前は一緒に感動してきっといつまでもピーマンを見ていただろうがよ、 なんで人目をそんなに気にしやがるんだ!! と、言いたいんだろうな。
母ちゃんだって、ピーマンを見つめる君を、見ていたかったけどさ。
集団で活動するからには、ピーマンをみつめ続けちゃいけないんだよ。
どうしたら、わかってもらえるのかな。
さすがに金髪の先生も、今日は「Lovely」と言わなかった。
ネバーギブアップのTシャツも着ていなかった。
そして、帰りがけに「砂糖とカフェインをカットしてはどうか」と 提案されるに至った。子供にとってはドラッグだよね、確かにね。と しゃべりながら、無類のコーヒー牛乳好きではあるが、あとは 特に菓子を与えるわけでもなく、持って生まれたものなんだけどなあ。 と、若い先生相手に、思ってみたりした。
強い意志を持って、 私が福助を認めているのなら、私は先生に自分の持論を告げただろう。 でも、私自身、迷っている。このへんてこな個性を持て余している。
帰って昼寝から目覚め、その後ずーっと英語らしき音で楽し気に しゃべり続けている小猿の未来を、私は憂う。
「はぅお。まいねー・福助(仮名)。あいむ・とぅー。ないしゅーみーちゅ」 などと話し掛けられると、可愛いのだが、日本語に矯正すべきなのでは ないかと悩む。いや、言語以前に、ちゃんとコミュニケーション できるように、鉄拳をふるってでも教育すべきなのか。集団生活を もっと経験させるべきなのか。
P子が見る英語のビデオ、 私が見るFOXのドラマやディスカバリーチャンネル、 気が付くとテレビからはずーっと英語が流れている 状態なので、福助は混乱するのだろう。英語は片言だった夫まで、 最近はすらすらっと長いセンテンスをしゃべることがあって、 驚く。英語耳ができてきたようで、聞き取りも正確だ。大人が こうなんだから、二歳の福助は……。
福助は発音にも多少難を抱えていて、日本語の歌は、ほぼ母音だけで歌う。
「残念ながら、P子には、全く理解できないなあ」などと いう大人の言葉を三歳のときにやけにはっきり使って、 別の意味で外国人みたいな扱いを受けていた娘とは全く対局にある。
……あ、でも、結局私の子供は二人とも変わり者なのかもしれない。
っていうことは、実はどこの子供はみんな変わり者と言えるのかも。 強引かなあ。うーん、強引だなあ。でも、 みんな個性的で、みんないい、というのが、いいなあ。
書庫から「窓際のトットちゃん」を引っぱりだしてきて、読むことにする。
ちょっとは慰めになるかもしれない。こんな気持ちで読み返すことになるとは。

 
 

 2003-03-27
 

奇跡だ。
福助は、春期特別講習、親子英語の教室で とんでもなくいい子でした。ちゃんとプリーズとサンキュウも、 言われる前に言えて、とてもジェントルマン。
なんで? なんで? 最終日で、やっと慣れたから?
お友達ともちゃんと話そうとしていた。福助語だから、 通じなかったけど。著しい、著しすぎる成長だ。
要は、順序というか、決まりが飲み込めれば従えるみたい。 それに慣れるまで普通の人の何倍も時間がかかる、と。
幼稚園は姉のコネでなんとか入れてもらうとして、問題は小学校か。
……まあ、そのときが来たら考えれば、いいや。ハズレならハズレで、 それはまた楽しい経験が待っているだろう。

ところで夜は女ばっかりで飲み会なのでした。
うふふ。うれしいなあ。夫が忙しいというのに、 キッズを押し付けて、二時間限定のお酒付きお食事会なの。
時間限定がつらいけど、娘がベビーシッターをするのは 二時間が限界か、と。夫よりすでにたよりになる、6歳の娘。
では、いってきます。久しぶりにお化粧したら、口紅がなくて びっくり。いかんね、女をサボってはいかん。大昔のシャネルの 口紅を塗ったが、ちょっと臭います。賞味期限、大丈夫かしら?
どっちみち、マスクしちゃうんだけどさ。

 
 

 2003-03-28
 

ああ、サッカーは面白いなあ
鈴木が、P子の友達・きぬちゃんの兄にそっくりで、 何度もファールを誘うたび、「でかした」と、すっかり 近所のおばちゃん気分で見ています。
ご贔屓のキーパーの川口様は、20余年来の親友・ 祥子の息子と同じ顔です。ファンブルが何だってんだっ!! おばちゃんがついてるよっ。と、鼻息も荒い。
「ゆう子さんちって、サッカー見るときにうるさそうね」
と、ワールドカップのときにママ友から言われたけれど、 でも、実は夫と二人、ほとんどしゃべらずにテレビを凝視している という、奇妙な見方をします。W杯のときには、青いTシャツを 着ました。静かに熱く燃えるのさ。ぐっと、握りこぶしでね。

今日はテニススクールでも、クラス内トーナメントだったので、 なんだか燃えるわ。刺激される場所が一緒です。
棚からぼた餅式で、実力ではなく優勝してしまい、 初級の頃に貯めておいた優勝カードと合わせて三枚で、賞品の Tシャツをもらいました。
あ、後半が始まるな。夫が「たばこタイム」から戻ってきました
。 さて、一点ビハインドで、この先どうなるか。ニッポン・ちゃちゃちゃちゃ。

2-2のドローでした。いいゲームでした。負けていたら 川口様が戦犯だったな、よかったよかった。
試合展開の一つ一つにドキドキした。スポーツは、楽しい!!

テニス友達に、みたちゃんという帰国子女がいます。
みたちゃんが今日、テニスのあとの懇親会中、 福助を20分ほど見てくれました。
浴びせかける、英語の洪水と、美しい笑顔に、福助、うっとり。
私の片言英語では、福助、無口な人になってしまうのも道理。と 思うほど、たっぷりの褒め言葉と、すばらしいご指導。
同時通訳という特殊才能を持つ、言語感覚の優れた彼女は、 自分の娘(P子の同級生)さんもバイリンガルに育てました。
その彼女が福助を「心配に及ばず」と言ってくれたので、 ちょっと安心しています。「I wannaを教えると、彼の世界が広がる」 と言うアドバイスには、心底、納得しました。
昨日の飲み会では、ただひたすら楽しいバカ話(含むシモネタ)で盛り上がり、 今日のテニスの試合では優勝を争って、まじめな教育論から 戦争論から、いろいろな話ができる。
そのうえ、美人。ま、同じ歳だから、おばちゃんだけどね。
もし彼女と若い頃に知り合っていても、私はJJを書く人、彼女は JJに載る人、絶対に友達にはなっていなかったと思うの。
何でも優れている彼女に、嫉妬こそすれ、私はきっと心を開けなかった んじゃないかなあ。
歳をとるというのは、本当に興味深い。
昨日の飲み会は、仕事バリバリだった主婦達の会だったので、 なんか変なところを刺激され、笑いっぱなしで、 門限を破って午前様だったんだけど、あの場にいた誰とも、 私は20年前だったら、きっと友達にならなかっただろうし、 きっと「朝まで飲みたい」とは思わなかっただろう。(20年前は 未成年なので朝まで飲んじゃいけないんですが)。
十年間仕事に明け暮れ、十年間結婚生活を大事にし、私は 生きることがとても好きになった。
人生の前半、 苦しい局面もあったけど、いい試合運びができた。 後半もきっと楽だと思う。
「楽しんだもの勝ち」を座右の銘に、私自身の後半のゲーム展開に 期待しましょ。

 
 

 2003-03-29
 

夫が騒ぎながらサッカーを見ている、と言うのは知りませんでした。
HPを開いて日記を書いていなかったら、多分一生気付かなかった。
うーん、確かに私は集中すると電話の音も聞こえなくなるタイプで、 ずーっと昔の同居人に、こっぴどく叱られたのを思い出しました。
仮に喧嘩していても、 ひとたび「じゃ仕事があるから」と原稿書きが始まると、 同居人が何をどう話そうと本当に聞こえなくなり、そのあんまりな 無視の仕方が、同居人をさらに怒らせたりしたのでした。
ある日同居人は借金も清算せずに出て行ってしまったのですが、 半分は私のせいかなと反省しています。
仕事するワタシは「ライティング・マシーン=鈴木ゆう子」と 呼ばれていましたが、実際に今思うとヤバい人だったのかも。
ああ、小猿を責めてはいけない。
そうだ、確かに私が小猿を理解せずして、誰が彼を理解するのか。
たとえ微動だにせず変なポーズでビデオを見ていても、 途中で話しかけて全く無視しつづけたとしても、 小猿には小猿の世界がある。例えるなら空を駆けるひとすじの流れ星、 (ルパンTheさード)である。
私にだって、似たような小猿時代が あったはずなのだ。特出している部分と、全くダメダメな部分が あるのは、小猿系の証明なのだ。DNAには逆らえないのだ。
きっと、小猿・福助の世界は私にはわからない、不可解だが甘美なものなのだろう。 いいじゃないか、小猿がそれで幸せならば。親は見守るしかないのだ。
猿王・寺田克也先生から励ましの(?)メールをいただき、やはり幼少のみぎり、 小猿時代をお過ごしになられたらしきお話がありました。
我が家の小猿が猿王になるには、あまりにも才能が足りないが、 元気な大猿に育てることはできそうです。その途中途中で、一応、 「人として」の道も説いてみようかなと思いました。

さて、明日から私は祥子と子連れ温泉旅行です。夫は仕事です。
「ずーっと行ってこい。しばらく帰って来なくてもよし」と 夫は言っています。
本当か? 寂しいくせにぃ。……そうでもないか。
ここのところ遊んでばかりで、貯金がどどっと減っていますが、 お金は使ってこそさ。使わなければタダの数字だ。
マシーンとして仕事をこなしていた時代は、全額使い果たしていた ザルの経済感覚も、主婦になって、自由に使える金額が10分の1に減り、 ちゃんと半額セールを狙って買い物に行けるようにもなりました。
成長してるじゃん、オレ。ふふん。
それでも幸せの度合いは逆に増していることに驚きます。
お金じゃ買えないものって、あるよね。
でも、お金で買えるものは、買ったらよいのだ。
クレジットカードの広告みたいですが。
一泊8000円の温泉では、どんな幸せが買えるでしょう。
では、明日は早朝から、行ってまいりまーす。

 
 

  
 
日記
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