年若い友へ

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私の興味は尽きることがない。

なので、いろいろな団体に所属してしまって収集がつかなくなっている。

お仕事の肩書すら、複数ある。

五十を過ぎたらもうちょっと落ち着いて、やりたいことを絞れるかと思っていたのだが、興味だけは尽きることがない。

複数の自分の場所をもっていると、「忙殺」以外に困ることは、日常起こった出来事を綴っていくとなぜか「私について書いている」と思い込まれてしまうことだ。以前、全く身に覚えがないのに「私のことを悪しざまに書いていた」と、なんだか公に引きずり出されちゃったことがある。

違うよ、あなたのことじゃないよと言っても全く聞く耳を持たず、「悪口、悪口」と騒ぎ立ててブログの封鎖を要求されたので、「じゃあまあ百歩譲って世界中に私があなたの悪口発信したってことにしよう、立腹するなら法廷で会うでもいいんだけどさ、もしこれが貴方だとすると、客観的に書いている『事実』について、あなたはそれを実行したということでいいわけね?」というと、今度は「事実誤認」と言い出し、じゃあお前、それは全然自分のことじゃないってことだろうがよ。と、ほとほと困り果てたことがあった。

こんなこともあった。

下品な知人が「貴方のことを書いてあったわよ」という告げ口をして、ある人を傷つけたことがある。ある人をA子さんとすると、私のブログを見たA子さんが、「なぜ私の秘密をばらすのでしょうか」と深刻にクレームをつけてこられたのだが、当然、私は彼女の秘密なんか知る由もなく、A子さんが今そういう境遇にあったとは知りませんでした。もちろん、今後も大人の判断で知らなかった聞かなかったことにします・・・と申し開きをするしかなかった。しかしその善意の下品な第三者によって、私はA子さんの秘密を知ってしまい、なんとも気まずい思いをしたことがある。

なんとなくめんどくさくなって、以来私の身近に起こる面白い出来事が書けなくなっていってしまった。

勝手に思い込んで傷ついちゃったものはさておいたとしても、私がみたものきいたことも、誰かを傷つけるかもしれないと思うと、まともに意見すら発信できない不自由さを感じるようになった。

自主規制の壁である。

そこにもってきて、変わった個性を持って生まれてきた、ネタの宝庫の小僧の話が書けなくなった。小僧は今、漫画家の息子であることすら隠して、普通の生活を営んでいるからだ。

とても愉快なお嬢の話も、思春期を挟んでプライバシーに触れるような話は一切露出することができないだろうと思うようになった。

つまんないわ。

ホルモン大戦争もあって、もうブログも閉鎖でいいかなあと思っていた。

けど、今日、諸般の事情でそれが誰かが限定されると困るけど、私の大好きだった若き友人に、どうしても捧げたい言葉があって、pcの前に座っている。今読んでいる方の中で、もし該当する人がわかっちゃったとしても、どうか武士の情けで「違う人だね」と見逃してくださいとお願いして、私はブログを書くことにした。

Yさん、私は何に対しても一生懸命な貴方が大好きでした。

なぜ、あのグループを去って行ってしまったのか、詳細はわかりません。でも、私が淋しい以外、特に大きな混乱もなく、あのグループは活動を続けていますし、リーダーも、周りのみんなも特に変わりません。変わらないことが、逆に貴方を傷つけるかもしれないけれど、貴方の存在感はみんなよくわかっていましたから、じわじわとボディーブローのように「どうしたらよかったのか」を考えていくとは思います。

もしも自分の存在を賭けて、グループの問題点をリーダーに対して指摘していたのなら、それは必ず改善されるはずですし、私だけでなく大勢が、やがて感謝することになるでしょう。

大人の事情だけを全面に出してやめたのなら、誰も貴方のことを悪くいう人はいない現状が、理解できます。

Yさん、どういうやめ方をしたのだとしても、どうか活動をあきらめないで下さい。貴方の理想を、捨てないでください。

私は、若いころ、これは職場での話ですが、すごく苦手な上司がいました。セクハラ野郎でしたし、本当にいけ好かないやつで、私はそいつが大嫌いでした。ある日、そいつと喧嘩して長いこと持ち歩いていてくしゃくしゃになった辞表を叩きつけた時、社長にも副社長にも部長にも慰留はされましたが、やめてサッパリするんだ!と霧が晴れた思いでした。

でも、その会社の部署は何も変わりはせず、私の生活だけが苦しくなったのでした。

数年が過ぎて、私はある程度仕事で成功していて、そいつとある出版社のパーティーでバッタリ会いました。

そいつは私を自分が発掘した、自分が育てたんだとみんなにひと通り自慢した後で、こっそり私に謝ってきました。

「あの時はすまなかった、どう考えても、俺が間違っていた」

そいつに土下座させれば私の勝ちだと思って、寝食忘れて励んできた私が迎えた待ちに待った仇討ちの瞬間だったはずが、特に溜飲が下がるわけでもなく、ああ最後はまあ順当に正義が勝つってことなのね、と思っただけのあっけない終了でした。

彼を恨んでいた日々は、一体何だったんだろうなあと思うぐらいの。

うーん、案外そんなもんなんなのかもな、って。

以来、私はあんまり人を恨むことをしなくなりました。エネルギーを効率よく使うためです。恨むエネルギーは、不快な分、ロスが多い。

仕事でもそうでなくても、コミュニティーがあれば、当然合う合わないはあります。

しんでもない先輩が、所属する団体に射た時には、私は語録を作りました。「こんなことを現実にいう人がいるんだなあ、これはいかつネタになりそう」と思い、信じられない指示が飛ぶたびに

「いただき!」

とほくそえんでいました。おかしいよ、ここが変だよ、WHY JAPANESE PEOPLE、と思った時が、コレクションタイムです。

そしてそれは、ここで内容を開示できないのでアレですが、ゆくゆくちゃんとお宝になります。人のふり見て我が振り直せ、でね。あとは、飲み会のネタとして割と有効。

Yさん、貴方はきっとどこにいっても即戦力というか、そのグループのマスコット的立ち位置だと思います。今回のことで経験値が増えた分を、どうか別のグルーブでさらに活かして下さいね。

本当はもっともっと、いろいろな話をしたかったよね。

力になれたらよかったと後悔しきりでもあります。

今は傷ついているかもしれないので、本当はがんばれなんて言っちゃいけないんでしょうけど、私は敢えてがんばれと言いたいです。だって、Yさん、あなたは本当に実力があるんだもの。だから、がんばって。世のため、人のために。