一円を笑うものは一円に泣くといわれて育った身としては、置きっ放しにした犯人の大罪に腹がたってしまうので、これは寄付と位置付けた。
ああこんなところに寄付金が。
またしても、寄付金が。
誰のお金でもなく、それは降って湧き、地面から生えた、人類のためのお金。
洗濯機にひっそりと咲き、収穫の喜びすら与えてくれるもの。
ポケットに残留していた小銭なんかも、貯金箱に入れるルールにしている。
そして何かの折に、寄付をする。
それが案外、ちゃんとした額になっているのだから、どれだけだらしないんだ我が家......いや、そうじゃなくて、世のため人のため。
昨日、小僧の同級生がご近所の公共施設でボランティアをしているのを見た。
みんな大きくなっていて、男の子は精悍で、女の子は美人さんになっていて、何よりハツラツとしていて、ずっとそばにいる小僧では気づけない「青年期の清々しさ」を感じた。
話しかけるとちゃんと答えてくれて、それなりに照れたりもしていて、彼らの成長ぶりが眩しくてうれしかった。
今日一番最初の「うれしい」発見! 小僧の同級生が元気に大きくなっていて、地域のお役に立っていた、と、手帳に書いた。
昨日はその勢いで、うれしい発見が四つも続いて、ノートいっぱい、うれしい発見を書くことができた。
今年からほぼ日手帳を使い始めた。
荷物になるのだが、やっぱり手帳はいい。特に日記代わりになるのがいい。
そこにちょっとうれしかったことがあったときに書き込んでおいたら、TO DOリストの確認の時にさかのぼって読み返して、気持ちがほっこりした。
それで、ちょっとしたハッピーを書き留めるようにしてみようと思った。
ルールは簡単、大きな幸せじゃなくていい。特にそれだけではどうってことないようなことも、うれしいな、ああいいな、と思ったら書き留めておく。何もないのも寂しいので、すれ違いざますぐに忘れてしまうような、ちっちゃい幸福を探すようにもなる。
チャリン、チャリンと小銭を集めるように、うれしかったことを記録していこうと思う。
これが案外、まとまった大きさの幸せに育っているかもしれない。世のため人のためにはならないけど、老いて記憶が怪しくなってきた私自身のためにはなるもんね。