あけました

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お正月が永遠に続けばいいのに。
と思うのは小学生だけじゃないよ。おばちゃんもだよ。
でも、世の中は甘くない。明日から平常営業になります。

考えてみると、もう月に何回かしか更新していないわけですよ。
ツイッターで呟くと、それで案外満足しちゃう。
年をとって減っていくものって、髪の毛とか恋愛の数だけじゃなかったのね。
もう、面白いこともそんなにはない。
厳密には、結構面白がっている瞬間瞬間があるのだけれども、それを思い出して再構築する記憶力がない。
なんどもなんども反芻する思い出はアウトラインが明快です。
私の整形外科の担当の先生は超イケメンくんだったため、異様なまでにトキメキがあるのですが、その彼がすっと右手を差し伸べて、
「手を握ってください」
と、私をじっと見て言うわけですよね。
ずきゅーーーーん、ときて、ええええええ。とか、わたわたする。
だって、「手を握ってください」なんて、言われないんですから。若い男性からなんて。じじいからですら。私が圧倒的にモテる小学生は、手をつないで〜程度ですし。
で、わたわたしつつ、先生の手を握る。と、
「もっと、強く。強く握ってみて」
とか、言われちゃって、うわー、うわーといつになく張り切ってしまい、リンゴを割るほどの握力を発揮しちゃったりするわけです。これはさ、おばちゃんの悲哀といってもいい。
去年一番のトキメキが、イケメン先生の「手を握ってください」でした。
(なので、なんどもなんども反芻して、ピカピカに磨き上げています)。
この検査でわかるのは頚椎に異常なし、危ないのは私の精神の方っぽいじゃん......。

喪中です。
正直、義理姉のいない正月って想像もできなかったんだけれど、いなくなかった。
物理的にはいないんですよ、亡くなったんだから。
でも、存在がね、ありあり。
そこに座って、笑っているみたいな。
笑顔だけがある、みたいな。チェシャ猫か?
姉の持ち場は、姉と同じ顔して姉より髪が黒い姪1と、姉と同じ顔して姉よりはるかに丸い姪2が、しっかり補填していたし、時々彼女らの呼ぶ声が姉そのものだったりして、「ひゃーそっくりだねぇ」なんて笑いあうので、あまりさみしくなかったです。もっと思い出して泣いたりするのかと思っていたわ。
ただ、姉の好きだった箱根駅伝は東洋大学2連覇ならず、一緒にテレビを見る人もないまま、義理兄がひとりこたつで、身じろぎせずに鑑賞していたのが印象的でした。
姑は、姉の分も頑張らなくちゃならないのでやたらと元気です。
ちょっとこわいぐらい、元気です。
12月は東京に滞在して白内障を手術し、それが大成功して、輝く明るいビジョンも手に入れました。
自分の隠居していた離れを全改築して、少しでも快適に生活しようとしています。......子供を失ったという悲しい現実に押しつぶされないように必死で戦っているのかもしれないから、及ばずながら援護射撃を試みたりしています。
ある時プツンと糸が切れてしまわないように、今年は下田詣を増やそうっと。幸い、お嬢が3月にはもう、海外研修から直接大学に「入植」するので、応援もサッカーだけになっちゃうしね。

入学、というよりは入植という感覚で送りだすのは、お山をひとつ切り開いて、6000人の多国籍言語が飛び交う...という大学をお嬢が選んだから。
親子でオープンキャンパスに出かけて行ってみているので、ありありと想像できるわけです。耳抜きしながら山道を登り、大学でバスを降りた途端、いきなり聞こえてくる言語が英語ばっかりだった瞬間は、かなりビビったけどね。オーキャンは、行っておいて正解でした。
実にお嬢らしい、ユニークな大学を選んだものだと思います。
お嬢に「そこ」を勧めてくれた担任の慧眼に感謝です。
勉強すればしただけちゃんと見返りがある......逆に言えば、勉強しなければ授業も英語で受けられない、第二国語も取れない、留学できる程度に育たなければ卒業もできないというグローバルな基準の設け方も、モチベーションを保つにはいいシステム。
合格通知を受け取るや否や、鼻血吹くぐらいの勢いで勉強していて、受験は終わったんじゃなかったのか、一緒に寄席に行こうと思っていたのに。と、もう母親なんて完全に蚊帳の外です。
そういうところなんだよなあ。
戦うんだなあ、彼女は弓をPCに持ち替えて。
そういう人だったんだなあ。血かな。
本州から出る時点ですでに海外に送り出す感覚で、寂しいったらないわ。

整形外科のドクターにときめくというばばあティックな喜び以外にも、ちゃんと胸をときめかせて、寂しさを埋めないと。
戦いましょう、私も。ここがふんばりどころ。
今週末には「大人弓道部」の部活動も待っていることだし。
幽霊部員のママさんコーラス部に昼カラ部、入院騒動で休部中だったお散歩組に、12月は結局一回も通えず8000円をみすみす支払ったマシントレーニングも再開させないともったいない。
日常が返ってくるということは、地味なお楽しみもみっちりつまって戻って来るということ。毎日をしっかり生きて、謳歌しましょう!