お嬢の方は球技大会。中学時代は小学生と合同で、仮装だ応援合戦だとエンターティメント性の高い体育祭だったが、高校になると保護者の見学は禁止になる。
けれども当人達はそろいのクラスユニフォームを作り、二日間にわたって大いに盛り上がるから、おそらく本質は小中高と変わらないのだと思う。
高校三年、今年が最後の体育祭になるお嬢の張り切り具合は異様だった。
ものすごーくいいチームに恵まれたらしく、何日も前から本当に楽しそうで何よりだった......のだが、あいにく自主練で肩の筋肉を傷めてしまって、リカバリーにはつとめたものの、当日は涙をのんで見学と相成った。
みんなで油性ペンでサインし合うユニフォームの胸元には、誰に書かれたのか、大きく「見学」とある。
それでもピーカンの夏空の下、試合にはでられなくても汗びっしょりでチームのための下働きができ、クラスが一致団結して結果も伴い、担任の涙まで見たとあっては、さぞ思い出深いものになったことだろう。
小僧の方は、中学生らしく伝統的な競技が満載で、俊足だけが取り柄の小僧の面目躍如であった。
小僧の名前をクラスの応援団にコールされたときには、私が嬉しさにぞくぞくして鳥肌が立った。
あのコールは、期待の現れ。小僧の存在価値が認められている、ということ。
まさしく今、小僧には確固たる居場所があるんだなあということが、有り難くてならなかった。
実にいい中学校にご縁があったと思う。
おそらく学校名は「人もうらやむような」という訳ではないかもしれないが、あの中学は一人一人が活躍する場所を作り出してくださる数々の演出があって、それぞれの場所で輝くお子さん達を見ていると、その姿はまさしく人もうらやむ眩しさなのだ。
勉強の得意な子は勉強で、音楽や美術の得意な子はその分野で。
学童期の万能感がしおれていく中で芽生える中学時代の自尊心は、一生を形成する大事な基礎だと思う。
正直、この体育祭での有姿だけで、中学時代の親孝行は満了。という気持ちになった。
体育祭や文化祭といったイベントはその学校の特徴をよく表すと思う。
姉と弟は中学から私学だが、校風もルールも授業内容も全く異なっている別々の学校に進んだ。
が、今回気づいた共通点に、「先生が愛おしそうに、また誇らしそうに、生徒の写真を撮りまくっている」というものがあった。
先生方が楽しそうな学校は、たいていよい風が吹いていると思う。
いよいよ受験生は、学校選びが本格化する時期。
受験を乗り切るためにも、ちゃんと「好きな学校」が見つかるといいと思う。好きは目標になる。目標を持った子は、強い。
相思相愛になるといいのだが、仮にそれがかなわなくても、結果的に最もよい出会いになるような学校選びができるといいな。と思う。
大学受験の志望校は親が口を挟めなくなることもよくよくわかったので、中学高校までが二人三脚なんだろうな。
うちの場合は無理をしなかったので、受験という名の二人三脚はとても幸せな競技だったように記憶している。
一等賞は確かにうれしい。
でも、一等賞ばかりが人生の醍醐味というわけでもなく・・・ね。
子ども達にとって大変に思い出深い一日は、私にとってもうれしい、思い出深い一日。
ああ暑くて熱い、楽しい一日だった。