うわ。
もう五月は半分以上過ぎているじゃないか。
書きかけのまま推敲しないで放置していた、原稿。
本日5月19日にアップします。さて。
家の話をする。
家の中の、部屋の話だ。
今は中2の小僧が幼稚園児童だったころ、保護者会で近況を問われて、記録的な数のゴミ出しを報告したことを覚えている。
吉祥寺の戸建て賃貸からここに引っ越した時はまだ小僧が生まれたてで産毛も生えていなかった。
産後の興奮もあったのか衝動的にこの家を買ってしまって、引っ越しは当然おまかせパックでお願いしたところ作業員さんたちが丁寧にちゃかちゃかと段ボールにつめてくださった大半が意味不明なゴミだったという状態だったので、とにかく捨てに捨てたのだった。
ソファーが欲しいねと言いつつも、壁面書庫を作りたい欲が優先して、新しい家具を買う経済的な余裕はなかった。
バブル全盛のときに独身の相方が買った高級ティーテーブルと革張りのイスだけをダイニングにおいて、ドアが小さすぎて入らなかったダイニング用の家具もご婚礼家具もライティングデスクも書棚も、全部全部売ってしまった。
産毛が生えてきた小僧のベビーベッド代わりにと暫定的にもらった教会のベンチ二脚。
それが十四年経った今もリビングに鎮座ましましていると言えばご想像できると思うのだが、我が家のインテリアは間に合わせのチグハグで、実に貧乏臭い。
引っ越しのたびに荷物を半分にしてきた。
独身の頃の私は葛飾北斎ばりに実にしょっちゅうお引っ越しをしては、ごっそり捨ててきた。
お嬢が中学入学のときに「小学生箱」を作って、タイムカプセル的段ボールを天袋に入れたのも覚えている。全く大切にされずベッドの隙間で人生の大半を過ごした世界一不幸なネグレクト・ポポちゃんがその段ボールの中で余生を送っているはずだ。私が躊躇なくポポちゃんをゴミぶくろに入れたところ、
「おかあさん、だめ! ポポちゃんは捨てない!」
と頑張る不思議な深情けを娘に見たので、よく覚えている。
自分の愛蔵書に、読みたい家事育児の本が増え、そこに子どもの絵本まで買い付けている訳で、書庫の本はすぐに溢れ出した。
狭い床に単行本文庫本の摩天楼ができはじめ、このままではもう一冊も本が買えない事態に、泣く泣くもう読み返さない本から小さな段ボール24箱ほど古本屋さんに引き取ってもらったのもよくよく覚えている。何人もの作家をコンプリートで揃えていたのだが、最も好きな三冊だけを残して古本屋さんに送った。
本棚をたっぷりあけてまた本が買えると喜んでいたのだが、我が家では一気に電子書籍化が進んでしまって、最もお金をかけた愛する書庫にも今はあまり立ち入らなくなっている。
お嬢が中学入学と同時に独り部屋を強く望んだ。
最も日当りのいい部屋をパソコン作業のために真っ暗にして使っていた相方の仕事部屋を、お嬢の部屋にする。
一方で、相方は書庫の横のパニックルームのような天井の低い、全く日のあたらないDENの地下室を仕事部屋にした。
そこはそれまで、家財道具の物置であり、それでも隣は書庫になっていて私の机と私のPCが置いてある、私だけのひきこもり空間だった。
物置の物は整理して壁紙を張り替えて仕事部屋風にし、相方の机とPCを置く。
みるみる私の空間ではなくなり、せめてもその横の書庫が私の場所のような気がしていたのに、書庫で私が遊んでいる気配を相方が嫌い、私はひきこもり先を失った。
私の机は撤去されて、ノート型PCで家庭内ノマド生活をはじめ、それはそれで全部が自分の家なのだから、と不足は感じなかった。
私と子ども達二人の聖域だったリビングの脇の小さな和室は、小僧だけの部屋になった。
産毛どころかいろいろな毛が生えてきた小僧が、生意気にも「入ってこないで」と言うようになって、今やふすまは閉めっぱなしだ。
子どもの部屋にも、相方の仕事部屋にも、書庫にも自由には入れない。私の居場所は相方のベッドが置いてある寝室と、みんなでご飯を食べる台所と、台所とつながったリビングだったが、どこも私以外の人のニーズが常に優先される、私一人の場所ではなかった。風呂とトイレは憩いの場所だけど、古い中古の戸建て一軒家のそれなりの水場だから、半日いても快適という場所ではなくて。
仕事は「おかあさん」だったけれど、自分がもう一度大学生になったのを機に、寝室に自分の安い机を置いてみた。
だが、時間が不規則な相方が眠っているときに、パソコンのキーボードをたたくわけにはいかない。提出済みの私のレポートは全部手書きだ。
PCで作業したればリビングに行けばいいのはわかっている。
ダイニングには家族共有のPCもあったのだから、食事が終わってダイニングに教科書と参考文献を持ってきて陣取ればよかった。でも、子ども達はすぐ隣でテレビを見る。テレビの音が聞こえない寝室では、どんなに興が乗っても途中で寸断されるいらだちを繰り返さなければならない。
これが仕事の原稿でなくて、本当によかったと思った。PTAや町会のボランティア原稿ですら手の抜けない私だから、お金に換わる原稿だったら責任のあまり憤死していたかもしれない。
私には自分だけの場所がなかった。
主婦は皆そんなもの、といえばもちろんそれが普通だとも思う。だが、普通の専業主婦は24時間夫と一緒には暮らさない。
レポートは書かない。ブログを趣味にしている人は多くても、日に数時間PCの前でたたずまない。
ずっと、第三者が不可侵な空間を維持する為に、私は青春時代の稼ぎの大半を家賃につぎ込んできた。家は仕事場であり、私の城であり、私の要塞であり、私自身の夢の具現化だった。独身時代から、食費を削っても分不相応な部屋を借りていたと思う。
おかあさんにジョブチェンジして、しばらくはそれでよかった。でも、子ども達の手がかからなくなって「おかあさん」だけではいられなくなってくると、水中でエアが切れそうなダイバーのような焦りを感じた。だんだん、苦しくなってくることを夢想して、すでに苦しいのだ。自分だけの居場所がないから深呼吸ができないのだと、泣きそうになるのだ。
相方と話をした。
私たちはお互いにかなりの深度でわかり合えていると自負しているが、話し合いなしにはお互い何一つ通じないエイリアンであるとも思っている。
だから、話す。
とにかく思っていることは話さなければ理解されない前提で暮らしているので、まず滅多に喧嘩にはならない。
そして相方が英断を下した。
もう、家族全員そろって食事をする機会は少ないのだから、ダイニングテーブルは必要ない。
台所のカウンターでもリビングでも十分食事ができる。ダイニングは、君の専用スペースにすればいいよ。俺の仕事部屋や客間の和室を子供部屋に変更したように、ダイニングを君の部屋にすればいい。
こうなるとダイニングキッチンはまずキッチンから物を最小限にしなければならない。
本当は築23年、壊れてしまったはめ込み式の電子レンジにはとほほな気分でもあり、ヒビだらけの人工大理石もある意味哀れで、システムキッチンそのものをなんとかしたい気もしたが、来年お嬢は大学生になる身、小僧は特待生ではなくなった身、ささいな手間はかからない分お金がかかる。
相方の協力のもと、システマティックに調理ができるように、器具も食器も厳選した後、動線を考えて収納大革命。・・・引っ越してきたときにこうしていたなら、私の十三年間の炊事はきっともっと楽だったよなあと、失われてしまった時間を少し悔いてもみる。
ダイニングが私の部屋になる以上、教科書をいれる書棚が必要だ。
プロに頼んで書棚を作ってもらうわけにはいかないので、通販の化粧合板の。でも、これは小僧が得意の技術家庭の能力を発揮し、簡単に組み立ててくれた。
安っぽいけど、温かい。
私には、ずっと価値ある物である。
リビングも配置換えをした。
ダイニングにあったテーブルとイスと、教会イスをどうコラボするか。
まずは長年家具の後ろにあったホコリとカビを徹底的にやっつけ、間に合わせの家具を、数日がかりで全部統一して塗り直してみた。
ローボードの金具をはずしてニスをていねいに、二度塗りする。
いただきものの教会イスはヤスリをかけてから別の家具に合わせた色のペンキを二度重ねて塗って、ローボードと同色のニスで仕上げ。
もともとがしっかりした作りの年代物だから、なんだか高級感あふれる雰囲気になってうれしかった。
本当は仕上げに、床にワックスをかけたいところだが、これはまたあとでのお楽しみに。
かくして、リビングとキッチンとダイニングの大改造が終わり、三畳弱の私のスペースができあがった。
引き出しの奥はいくつもまだまだ未整理なままではあるけれども、私は自分だけの空間をもって、快適な毎日を送り始めている。
一番奮発したのはグリーン。
パーテーションは冷暖房効率を著しく悪くするので、腰掛けた時に目の高さになるポトスとヤシを買って机の横に配した。
多肉植物なんかも、飾ってみた。
ひところ、家中がどこもカオスだったのだが、一階が落ち着いたので、ゆくゆくいい感じで集約されていくだろう。
ちいさなちいさなホームオフィスができたら、仕事の習慣でとりあえず毎日掃除をする気になり、それはついでにキッチンに、リビングに、玄関に、とカビが胞子を飛ばすようにじわじわ飛び火して(どんなたとえだ)気持ちが新鮮な今はまだ、片付けるのが全く苦痛ではない。
問題があるとすれば、自宅に引きこもっていろいろなことがしたくて仕方なく、今までのルーティンワークがおろそかになることだ。
でもいいじゃないの、幸せならば。うふふん。
......そういうわけで、ブログも長いこと放置しっぱなしでございました。
お楽しみにしてくださっている全国十三人ぐらいの皆様、申し訳ございません。
PCにつないでこそのホームオフィスなのにね。
大会があったり、風邪をひいたり、友達にあったり、親孝行したり、ここしばらくいろいろあったんだけれども、それも追々ご報告して参ります。
ああ三畳弱の空間が、私には無限の彼方に思えるわ。
100坪のプール付き別荘より、三畳のマイスペース。別荘にはそもそも全く興味ないんだけどさ。
おいくら万円するかわからない革のソファーや海外旅行よりお高い家具より、ペンキ塗ってリメイク。その時間そのものが価値になる。
さて、明日はカーテンをみてこよう。
ここのところ行きつけてるホームセンターに行って、シリコンスプレーと黒板ペンキってやつを買ってこよう。
小さめに見える幸せだけど、不可侵の空間を持てた独立感は大きい。
結局、満足って、今自分にとって最も必要な物や時間や場所を手に入れるってことなんだなって思うの。それは案外、簡単な気がする。