センター入試

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この寒い日に、今まさにセンター試験を頑張っている受験生がいるんだなあと思う。
更年期を迎えたおばちゃんは感情失禁気味なので、小さな頃からよく知っているご近所のなんとかちゃんが今センターとか思うだけで、泣けてきちゃう。
がんばれ、がんばれ。いい成果ができるように。いつもの実力がいかんなく発揮されるように。
なんとかちゃんの隣に座って、必死で鉛筆を走らせている子たち。その教室の熱気まで想像して、ドキドキしちゃう。
がんばれ、がんばれ。見ず知らずの受験生も。
この結果で一生は決まらないかもしれないし、いくつからでもやり直しはきくかもしれないけれど、そういう人生の真理はひとまず棚に上げて、今、この勝負が吉と出るように、祈っちゃうよ。

来年、お嬢はセンターを受けるのか、否か。
今日は模試日和だが、彼女は普通に授業を受けて、明日の大会に備えて普通に部活をする。らしい。
部活での自己実現はとても厳しい。そこに受験となれば、二兎を追うことになりはしないか、難しいのではないかと思っている。
昨日も進路について長い時間をかけて話しを聞いた。
一芸入試を推奨、経費お安めに早く安心したい親心をとりあえずは懐に入れつつ、お嬢の意向を聞く。

何者になりたいのか、まだわからない。
けれど、何者かにはなりたい。
だから、大学では勉強したい。
研鑽の中で、自分を確立したいのだという。

そうやって彼女の進路の希望を聞いていることが、案外、大学進学の道が思いっきりワインディングロードで、結局ドロップアウトを余儀なくされた私の青春泥まみれ時代を慰めているのかもしれないと思う。
「とにかくこの町を出られるなら、どこでもいい」
という育ちの悪い、逃げの姿勢だった、当時の自分。
私には、やりたいことがたくさんあった。何でもできる気がしていた。
でも、環境はそれを許さず、結局何にもできないんじゃないかという不安がいつもあった。
わき上がるエネルギーを持て余して、押しつぶされそうな不安に、常に腹を立てていた。
何より、家族と恋を断ち切りたかった。

そんな過去の一時代に、今お嬢が立っている。
しかし、自分史上、最も黒歴史を抱える思春期の私と比べ、天真爛漫なお嬢は顔こそ似ているけれど、私とは全く違う人なのだなあと話すほどに痛感する。
平常心で真っ向勝負。一切逃げないのは結構だが、そのほんのりとしたエネルギーが私にはよく見えない。
彼女の考え方や発想を理解するのは難しい。でも、理解したいと思っている。
暑苦しい押し付けがましい、何となれば情熱で焼き殺すほどの愛情にならないよう、細心の注意を払いながら話をひたすら聞いている。冷静に、冷静に。この忍耐が私の成長にもつながっていくはずだと思いつつ。

最後は自分だ。
私は自由を勝ち得るために、働くことを選んだ。
自分でお金を得て、衣食住をまかなうことの、なんと自由なこと。
思想、心理、構造、科学、歴史、法律、語学。
場所を選ばなくても、勉強はできる。
学びが、自分をどんどん解放していくことは快楽に近かった。
18歳の私は、もう小さな女の子ではなかった。
愛されなくても、死なない。
自分以上に、自分を愛する人はいない。
愛を欲しなくても、それにかわる力を得た。
不安を払拭するには、もっと力を蓄えたらいい。
働いて働いて、とにかく働いて、私は自由を勝ち得た。
私は私の主人である。誰にも隷属しない、私だけの人生。
自分一人で生きていくことは、とても気持ちがいいことだった。

そういう泥だらけの道をこそ選べ、裸足で歩いていって自分で靴を作れとは思わない。
でも、仮にお嬢がそういう場所にいったとしたら、それはそれでちゃんと自立できる年なのだということを忘れないでいたい。
最後は自分だ。
私には子どもに見えても、自分で決めた道を、もう立派に進んでいくことができる年なのだ。
だから話し合う、ではなく、話を聞く。
お嬢の選ぶ道を、理解して、応援するために。

とても小さかった彼女を初めてこの手に抱いたとき、確かに彼女は私の人生の一部だった。
箸を持たせて食べさせ、鉛筆を持たせて字を教えて、一緒に笑って一緒に泣いて、私の人生の一部は、いつのまにか私のすべてを懸けるほどに大切な者として成長していた。
最初から、彼女の人生の主人公は彼女自身。わかっているんだけどね。
あんまりにも一緒の時間が長くて、彼女の痛みも栄光も、ちょっと自分のもののように錯覚しがちになっちゃうんだよね。だから、余計な口出しもしたくなっちゃうんだよね。
厄介。ホント、そう。
親の厄介な所は、すべて愛情に起因しているのだ。
あんなに逃げたかった私自身の親についてすら、今では「単に子どもじみたいびつな愛の形だったんでしょう」
とわかる気がする。愛情の発露は難しい。許しきれなくても、わかる気はする。

ここから一年かけて、彼女は、準備して勝負するんだな。
そして、私は私の人生から、でかくなりすぎた彼女を、少しずつ追い出していくんだ。
自分の将来のために、一人で戦え。
がんばれ、がんばれ。
何万回もすぐ横で繰り返してきたその言葉を、来年のお嬢の大学受験では、かなり遠くからかけることにしよう。
きっと、泣きながら祈っちゃうことになるけれど、それは更年期のせいかもしれないし。