と、偶然ザッピングしていてそのまま釘付けになった「炎の体育会TV」を見て思った。
彼にはテニスへの畏敬の念がある。
それを愛と呼ぶのは簡単だけれど、その愛は半端なくエネルギッシュで、見ている者をも愛で満たしてくれる。
後人を指導するという使命感がある。
二十四時間、何がテニスの指導に使えるか、常に熱い血潮をたぎらせ考え続けているからこそ、的確かつ効果的な指導ができる。
素晴らしい。
気がつくと、私は正座して修造の御姿を拝見し、滂沱の涙を流すのだった。
こんな風に強烈なご指導を受けたなら、その競技から一生離れられなくなる。
どんな辛い局面も、それがその競技以外だとしても、きっと乗り越えられる。
ああなんで私は今、こんなに年をとっているのだろう。ラケットを持った小学生になって、修造のもとに飛んでいきたい。
修造、ああ、ラブ修造。
うちには未熟なアスリートがいる。
金髪ジョガーと、弓道娘と、サッカー小僧だ。
ジョガーはセルフコーチングだが、あとの二人のご指導はプロにお任せして、家庭ではもっぱら健康管理をする。
健康の三本柱は運動・休養・栄養。
10年間、ウェルネス系の仕事をしてきた過去がこんなところで生きてくるから、めぐる因果は糸車である。あれ、使い方が違うな。
しかし問題なのは、私の知識を子どもたちが本気では信じていないことだ。
修造の説得力はウィンブルドン出場という栄光にあるが、無冠の私には何ら説得力がない。
過去の雑誌はひところ営業用に使っていた記事以外残していないし、私が語るわかりやすい栄養学や、わかりやすい体の知識や、健康雑学は、彼らにとっては「それが物心ついた時からの普通」の環境だから有り難みもへったくれもない。
それはそれは情熱的に、成長ホルモンを葵の御紋として「寝ろ」といったところで、ははーっ!とひれ伏すのはそれがエライことを知っているという共通概念を持つ人だけで、現代のゲームや漫画の誘惑にはかなわない。
ああ、修造がいてくれたら。きっと、テニス以外の競技でも、修造なら説得して寝かせられるに違いない。
私がいっそ修造だったら!
そうだ、修造だったらどうするだろう・・・。
そういえば、「修造イズム」はひところ私の愛読書であった。彼のどこまでも前向きで前のめりな頑張りを、私は尊敬している。修造のように、ではなく、修造そのものになりたいと思う。
私は心のなかに、修造を住まわせようと思った。
私自身は指導者ではなく、支援者だけど、それでも迷った時には修造ならどうコーチングするか、どう導くかを考える。
本当は修造アプリが欲しい。困ったときにご神託が聞けて、励ましてくれるアプリ。
「寝ない奴は、寝なければいいんだっ!」
と、修造の声で言われたら、そうかそういうものか、よしイライラしないで私だけ先に寝ようおやすみ。と思えるかもしれない。
「宿題は選手の仕事! 手伝わないのが親の仕事!」とかさ。いや、そんなことおっしゃるかどうかわからないけども。いいの、妄想の修造は叫ぶの。仁王立ちで。
声掛けのタイミングを練習できるゲーム付きなら、私もタイミングを外さないトレーニングができる。
そして、朝は修造の声で起こされたい。どんなに早くても、さあ今日も一日頑張るぞと気合が入るだろう。
「朝です、おかあさん。お弁当よろしく!」
うぉぉぉぉぉ握ろう、炊きたての熱い飯を! 熱い情熱で!!
アプリがない今、妄想の修造を心の中に。
そして、リフレイン。
彼の爽やかで熱い声を、何度でも繰り返して、自分を鼓舞しよう。
あれれ、アスリートの親としてどうこうではなく、やっぱり自分に欲しいみたいだ。
修造から向けられる、「がんばれ」という力が。
韓流スターではなく、ジャニーズでもなく、私に今必要なのは修造だった。
......こういうアスリートやアスリートの母って、多い気がする。