もっと知りたかった

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ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃

西行の辞世だという。
先日、春爛漫、桜吹雪の舞う喜多院に行ってきた。
高校時代の友人と、恩師Jに献杯して、とても静かな花見をした。
父が亡くなったのも桜の頃だった。
昔の彼氏が亡くなったのも、桜舞い散る季節だった。
こんな季節に旧友たちを集わせる演出を心憎いと思い、私もできるなら春に逝きたいと思った。
恩師もまた恩師らしく、当時の懐かしい顔を集めて、桜に見送られて荼毘に付された。
三十年の歳月はたったけれど、それは卒業式を思い出させる光景だった。

昨日、その恩師Jを偲ぶ会が有志で開催されていた。
でも私は日常生活に追われて、所沢に行けなかった。
まあそんなことでとやかく言うような恩師Jでもないしね。だからこその、細く長いお付き合いだった。

恩師Jはマスコミに籍を置いていたが、社会人で再度大学生になり、三十代後半で思うところあって教壇にたった人だ。
社会人が大学生になることの面白さを授業で聞いたのがずっとどこかにひっかかっていて、私は多分いま、学生なのだと思う。
悩み多い私の高校時代を「だって俺には他人事だもん」と斜に構えて面白がりながら、的確なアドバイスをたくさんもらった。
「お前は何か勘違いしている。書け。書くことでしか、お前の問題は解決しねぇんだよ」
書くことを仕事に選び、迷った時にはいつもそんな言葉を支えにしてきた。
私がコンプリートで揃えてある作家の作品は恩師Jがその面白さを教えてくれたものばかりだ。
当然、彼も掌編を書いていたようだったが、それは日の目を見ずに親しい人のもとに引き取られていったと葬儀で聞いた。

師の作品を電子書籍で出版できないかなあと、書評家として一本立ちしている友人と話していた。
四十九日が終わったら、ご遺族に話しに行こうかと思う。

ご葬儀でみんなが口々に話していたのが、「もっとJと話しをしたかった、もっと彼を知りたかった」ということだった。
私も、蕎麦をごちそうする約束が天国に持ち越されたままの残念な気持ちを抱えていたが、蕎麦よりも彼の話がごちそうだと知っていたから切ないのだ。
約束を果たしたくても、もっと知りたい恩師Jがいないことが、つらいのだ。

私は市井の人が大好きだ。
たくさん有名人をインタビューしてきたが、市井の人だって十分魅力的だと思っていた。
何度か姿勢の人のインタビューシリーズなどを企画したが大手出版社には相手にはされなかった。
関わりをもつということ、何かを残すということ。
そんなことをぼんやり考えていた。

どうだろう、私にインタビューされてみたい人はいないだろうか。
それを私が記事または本にするのはどうか。電子書籍で。
もちろん、プロとしてしっかりした仕事をする。
つまりは自費出版だ。
私が、あなたの話を聞き、あなたの生きてきた道を形にする。書くことで。

なんとなく、そんなふうに人とかかわる仕事がもう一度仕事にならないかなあと考えている。
日常生活に追われてはいても、書くこと、好きだし。