宿題

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「良い出し」をする。
という宿題が学校から出された。これは親に対する宿題だ。
「ダメ出し」ではなく、「良い出し」。
「良い出し」とは? 沸騰したお湯に鰹節を泳がせて、引き出し昆布の・・・その出汁じゃなく。

その人のいい所を「いいねー」と言う。
出した結果を評価するのではなく、ありのままのその人を褒める。
出来れば抱きしめて言う。

「宿題だから、協力して!」と言って、まずお嬢を抱きしめた。
でかっ。
私より、はるかにでかい。そして、細い。
「大きくなったねぇ」
「・・・一つ目は、そこ?」
お嬢は怪訝そうな顔をしている。
「えーっとえーっと。首、長くてかっこいい」
「・・・外見だけ?」
「洗い物を毎日こなしている」
「それはどうかなあ、褒めていないなあ」
「あっ、んー。んー。射型がきれいだよね」
「・・・それはちょっとうれしいかな」

成果主義にならない、当たり前のいいところって、案外むずかしい。
私は比較的ホメホメ星人だが、いかに出した成果を絶賛してきたかを改めて痛感する。
結果を褒めると、結果を出そうとして頑張るが、逆に言えば結果の出なかった時が怖いし、結果が出せない局面では頑張れなくなるのだ。心理学のデータも知っているのに、実践に応用するとなるとなかなか難儀なのね。

小僧を追い掛け回して抱きしめる。
「大きくなったね」「サッカーがんばってるね」「本当はすごく頭がいいんだよね。まだ発揮されていない才能があるね」
小僧は何も言わずに風呂に行ってしまった。

おとーさん、おとーさん。
久しぶりにギュッとハグすると、なんだかやけに細い。棒きれのようだが、大丈夫か。
相方は相方で、私をとつてもなくでかく膨らんだ物体に感じたようで、心配になった模様。
「えーっと、えーっと。マッサージがうまいよね」
先日、右肩が上がらなくなっていたのを見かねて、割りと簡単に治してくれたのだった。
パソコンも、建ぺい率の目隠しとかも、家電も、私の肩も、修理担当はおとうさん。
「あのさー、おかあさんさー」と、お嬢。
「これ、相手を褒めているようで、お母さんに都合のいいことを並べているみたいだよ。私の洗い物といい、お父さんのマッサージといい」
と、厳しいダメだしが。
なんだよー、お前。そこでダメ出しかよ、おかあさんの「良い出し」をしろよー。ほめられて伸びるタイプなんだからさー。と思う。
いやまて。批判精神も、成長の表れ。お嬢、大きくなった。背だけでなく。
こういう、ネガティブシンキングをポジティブに変換することをリフレーミングというらしいことも、今日学んだこと。

結局私の宿題はちゃんと終わったけど、終わってみれば、誰もおかあさんにお返しの「褒め言葉」は、くれないんだよなあ。

だから、自分のことは自分で褒めちゃうもんね。
えらい、私、エライ!! 例えばさ・・・と、自画自賛が始まったら、実は、とどまるところなく湧いてくる言葉。
だって、私以上に私を愛してくれる人はいないんだから、私は力の限り自分を愛さないとね!!と思って、ずーっと生きてきたんだもん。かなりポンコツだけど、ハードルを低くして、自分が大好きなんだよ。
そして、その低いハードルだからこそ、たいていの人のことは大好きになれるというのも、わりといい副産物だな。大抵の人は尊敬に値すると本気で思っている。
何かしながらテレビを見れるとかね、鶴が折れるとかね、りんごの皮が薄く剥けるとかね、ピーラーで指を切らないとかね、ガラスのコップを毎月割らないとかね・・・素晴らしい才能です。私にはできない。

そうか、私が周りの友達に恵まれていると常々思えるのは、私の一般的な生活能力が著しく低いからだったのか。ちょっと壊れている私に、みんなは優しい。
寛大な家族とお友達に感謝だ。ハグだ。いつもありがとうね!! 幸せだ?。

なんというか、いつもながら多幸症気味な文章だけれども。
まあ、いいか。
母親が常に幸せってことは、その家が平和ってことだよ。ふふふ?ん♪