タイ文字を読む

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 サワッディー は、こんにちわ。
コップクン は、ありがとう。
マイペンライ は、どういたしまして、とか、気にしない、とか。

どの国でも、この3つの言葉と、はい、いいえ、おいしいあたりが現地語でいえれば、楽しい仲間がぽぽぽぽぉぉぉん。一週間ぐらいの滞在には事欠かなかった。

しかし、タイに初めて行った時に、とにかく全く英語が通じないディープな屋台で私たちは途方に暮れた。
文字も読めないし、注文のしようがない。
でも、そこしか食べるところがない。
市場のようなところで汁かけ飯があれば、指差しも可能だが、一応メニューのあるレストランに座ってしまった。
だが、メニューはタイ語だけ。
誰かが食べていればアレアレ、とか指差しも可能だが、そういう時に限って誰もいない。
ようやく相方が「そうだ、以前、タイレストランで「かおぱ」というものを食べたことがある!」と素晴らしい記憶をたぐりよせ、
私たちはようやくチャーハンにありついた。
でも、かおぱ、かおぱ、とピースサインを出して二人分を要求しているのに、相手は何やらフニョフニョした優しい旋律で
私達に畳み掛けてくるのだった。
ダメなの? 何でもいい、早く食べ物くれ。かおぱ、くれ。と、思ったのをはっきり覚えている。
今思えば、何のチャーハンにしますか? エビがいい? 鶏肉?みたいなオプションを聴いてくれていたのだった。
カオは、ごはん。
パットが炒める。
で、その後に、エビならグン、鶏肉からガイ、卵ならカイ・・・と、くっつけていけばいいということは、このあと、師匠から習う。
実にゆるやかな関係代名詞があって、前置詞はほぼなく、過去形も未来形も動詞に変化はない。
でも、類別詞はあって、一皿、二皿とつなげていく。
シンハービールを頼むときには、ビアシン、一本。大きい方がいいな。という言い方も、絶対に食べておきたい料理の名前も、師匠にみっちり仕込まれた。

初めてタイ料理を食べたのは、1983年だった。
取材でグリーンカレーを目にして、とてつもなく美味しいと思った。辛くて美味しくて、また食べたいと思った。
いつかタイに行こう、行って思う存分タイ料理を食べよう。
という夢がかなったのは、1993年だった。
しかし、当時、思う存分タイ料理を食べるためには、タイ語が必須なのだった。
それで、どうせあてのない滞在なのだし、と、バンコクでタイ語学校一ヶ月コースをとって、私は師匠に出会った。
このあたり、「アジアを食う」(双葉社刊・鈴木みそ著)に詳しい。

そして、2011年、すっかり錆びついていたタイ語を、再度始めてみた。
約20年前の目的は食べることにあったから、私は敢えてタイ文字を学ばなかった。
わずか一ヶ月ではたどり着けないし、必要もない。
でも、今度の先生は厳しく、タイ文字を読めることは大切だという。確かに、読めたらいいと思う。
そこを避けたら今度は何のためにタイ語を学んでいるかわからない。
明確な目的が将来移住のためなら、少しでも読めたほうがいいに決まっている。
難しすぎる文字との格闘が始まって、ヨタヨタ読み始めることになった。
苦しい。
難しい。
辛い。
ああ、でも、こんな時、マゾ体質であることがうらめしい・・・。

先にさっさと文字を習得した娘が、これから毎日タイ語で友達の名前を書いてくれるという。
タイ語の単語より、書きやすいし、読みやすい。
娘はタイピングを覚えるし、私は彼女の友達の名前も覚えられて一石二鳥、という作戦なのだが、これがなかなかどうして。

昔の、小学校1年生の教科書を読み始めた。
マーニーちゃんの物語。
ハナ・ハト・マメとか、サイタサイタ、サクラガサイタとか、そういう感じなのかもしれない。
桜が咲く日はくるのだろうか。
毎度、ハトが豆鉄砲食らったような顔になっていると思う。
早くも挫折しそうな気がするので、こうして、娘の全クラスメイトの名前を読み切るまでは頑張ると宣言してしまおう。
マイペンライ・・・こんな時には、まあ、気楽にね。とか、何でもないさ。ってなとこでしょうか。
これが私の一番好きなタイ語だな。
「タイ語で書くと文字化けするけど、マイペンライ
マイペンライ。マイペンライ。読み間違えても、マイペンライ。