言い訳をしてみたり、過去の栄光にひたったり、逆に恥ずかしい境地に追い込んだり、「普段の自分」とは違う行動をとったりする。
突然、相手の人格が変わったら、何か大きなストレス下にあるのだと思う。
それはとんでもない状況が悪いのであって、その人が悪いわけではない、と思うようにしている。
大きなストレス下にあるのに、全く普段の人格のままでいる人はよほど器がデカイ=ストレス耐性の高い人か、後で何らかの爆発が来るのか・・・。
いずれにしても、「防衛機制」という概念は私の人間関係を円滑にするのに、とても役だっている。
私の場合はどうか。
頑張るところまで頑張ると、スイッチが切れたように眠ってしまうみたいだ。
眠れない時には、頭痛が起こる。何も考えさせないための防御本能だと思う。
最近では、頭痛が起こる前に強制終了のように眠気がくる。頭痛がひどすぎるとかえって眠れず、体力の消耗が激しくなり逆効果だということを、脳内司令塔も学んだのだと思う。
私はコレを「寝逃げ」と言っている。
そんな心理学用語はないけれど、絶対に逃げて心を守っているんだなあと思う。
ひとまず食べて寝る。
それさえ確保しておけば、人は何とかなる。と、思う。
少し嫌なことがあって、多分それは受け入れがたい現実だったのだろう、昨日から私は眠くて仕方がない。
今日もほぼ眠って過ごしたが、もう眠い。まだやらなければならないことがあるが、この眠気には勝てそうもない。
もう少し眠って、ちゃんと元気にならないと、うまく取り組めないことを、経験で知っているのだろう。
頭痛の前駆症状が出ていて、脅迫されているような気分だから、これはもう寝てしまうに限ると思う。
半世紀近く生きてくると、とりあえず「かわしかた」がうまくなる。
逃走術、とでもいおうか。
こういう年寄りの知恵みたいなものを、ちゃんと子どもに伝えていけたらいいんだけどな。
ただ、私の寝逃げ戦法が、必ずしも娘や小僧に最適かどうかは定かではないし、寝逃げシステムが彼らの脳内に組み込まれていなければ無意味だなあ。
つまり、人は自分でなんとかしなくちゃならないってことなんだろうな。
オーダーメイドで、心を守っていけ、ということ。
でも、これだけは共通していえるかも。
頑張り過ぎないことだ。
頑張ろうにも頑張れないとき、自分を許すことだ。
許して、私はもう寝ちゃうことにした。
そういうユルいおかあさんを許して欲しい。おやすみなさい。