演劇部で培っただけではない、身体と感情のコントロールが。
それがウソをつき続けて無理をかけるようではいけないので、本当の自分の欲求はどこにあるのか、それをどう逃すのか、あるいは叶えるために具体的にどうすればいいか、「自分自身」についてもよくよく追究してきた。
心理学なんてものにはまってるのも、おそらく自分をより知るためだと思う。
ストレスはたまりやすい方だから、できるだけマメに撃退する方法をとる。
私のストレス撃退方法は実に多彩で、多趣味なのもそんなところに起因しているかもしれない。
なのに、最近変だ。
3.11が近づいて、たくさんの追悼番組や記録番組を録画した。
常に心は共にあるという意識、復興を祈る気持ちを維持するために、もちろん今までだって定期的に録画してきた番組は見てきたのに、なんだろう、今は、見るのがつらい。
見ると体調も、気持ちも、ちょっとだけおかしなことになる。だから、五分でやめる。
バカな私には、一年経ってやっと、私には現実だと認識できたのかもしれない。
この一年、どんな思いで被災者の方々が暮らしてきただろうと思うと、動悸が激しくなって呼吸ができなくなる。本当に胸が痛む。物理的に痛む。
特に子どもを亡くされた親御さんの話は瞬間で涙腺が決壊して、しばらく立ち直れなくなる。
底知れぬ恐怖感に飲み込まれそうになって、ぞっとする。
弱いんだ。
人一倍、怖がりで臆病なんだ。
どんなに鼓舞して、どんなにコントロールして平静を保ち、がんばろうニッポン! と明るく支援を続けているつもりでも、やがてくる大地震や、放射能汚染、いざそのXデーに、私はまともでいられる自信がない。
生身の自分が問われるその時に、私の中の醜さは、どんな風に現れるのだろう。などと考えると、もう趣味も何も手につかない。
ずーっと暗雲が立ち込めているわけではなく、ちゃんと気持ちに切り替えをして日常生活を送ろうと心がけている。
でも、時々襲ってくる、コントロール不能なこのえもいわれぬ恐怖や不安は、どうやって始末したらいいんだろう。
イライラしたり、泣きそうになったり、不安定な。
楽しいことで打ち消すのではなく、単純に撃退するのでもなく、ちゃんと言葉にして、ちゃんと怖がって、少しづつ学んで、安心していくしかないのかなあ。
がんばっておられる、被災者の方たちに申し訳ない。