私の仕事は専業主婦である。
専業主婦と言うのは、 専業で家事と育児を生業としていることであって、 時々内職もするし、 昼寝もテニスもHPの更新もするが、 基本的には家事と育児が、「私のお仕事」なのである。
だから私にしばしば発せられる、「何で仕事しないの」という質問は、 かなり失礼ではないかと思う。
これだけははっきりと言っておく。
母親にとって、特に育児は、それこそ命がけである。
私は家事が下手なので、ここで育児に限定させていただくが、 有能な専業主婦なら、家事に関しても命がけかもしれない。
専業主婦のほとんどは、そうだと思う。
「いいえ、私は家事にも育児にも断固、無責任」
という専業主婦がいるかもしれないので、一応ほとんど、 ということにしておく。
たちの悪いか弱い動物のような赤ん坊を、全うな人間にするのだ。 子供ひとりをきちんと育て上げるのは、一大事業に匹敵する労力だろう。
確かに、うちのぽてちん福助が人類を救う大発見をしたり、 人々に至福の時間を与えるとは思えない。
アメリカ人になる予定の娘が、 いくら高額納税者になったところで日本国には全く 貢献しないだろう。
これまたはっきり言えることだが、うちの子供達に 期待はできない。一大事業として投資しても、回収の見込みは全くない。
しかし、人の生きていく価値は、どれだけ金が 稼げるかにあるわけではないだろう。
子供達がにこにこ笑って うまそうに納豆御飯を食べる。その存在が、私を幸せにする。 私も子供達を幸せにしたいと思い、欠かさず納豆を買い置きする。
特売3個パック118円の納豆御飯で買える幸せは、安物だろうか? 偽物だろうか。
社会に貢献するのは確かに偉いと思う。 いっぱい稼いで、いっぱい納税して、 それが国を動かし、たくさんの人を助けているのも、すばらしい。
けれど、それだけが意義ある生き方ではないだろう。
私は今すっぴんで、まゆげだけかいて娘の幼稚園に自転車で迎えにいく。 自転車の前後に子供を積載して、都合100キロ近い荷重に 自転車がきしんでも、サンダルばきで猛然と風を切る。そんな自分を
私は結構かっこいいと思っている。
やがて母親業を卒業したとき、私はまた経済活動を伴う仕事を始めるかも しれない。けれどだからといって、私の価値はかわらないのだ。
もちろん53キロだった20代の頃と、10キロ以上増えた今の、人としての 価値もかわらない。豚肉なら、高くなるけどね。
主婦の仕事は、無償の仕事だ。
それは、生き甲斐に満ちた、立派な尊い仕事なのだと、私は思う。
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