昨日、都庁で非実在青少年問題についての集会がありました。ぼくも行ってきました。
知っている人は、すでにいまさら、という感じがある問題ですが、知らない人はまったく知らないのが今回の特徴でしょう。
産経新聞は「東京都の2次元児童ポルノ規制にちばてつやさ
んらが反対の記者会見」
というタイトルで、取り上げています。
またここでズレが大きくなっているように思います。
集会での発言内容は、コデラのブログで小寺さんが細かく書き出してくれていますので、ここを読むと、今回は何が問題で、何に漫画家が憤っているのかがわかると思います。
小田島隆さんのピースオブ警句でも取り上げられています。(登録しないと先が読めませんが)
全体像はたけくまメモがわかりやすいです。
今回こうして文章を書いていても、うまく伝えられないなあ。と思ってしまうのは、問題がウェハースのように多層化していて、一つ一つはわかりやすくて問題がないのに、大きく眺めてみると問題は解決していない。ボクシングで言うと、各ラウンドは圧倒的なのに、判定では負けそう。という不思議な状況になっているからではないかと思います。
それだけ規制賛成派の掲げる「子供をポルノから守る」という理念は強く、説得力があるわけです。
規制反対派の漫画家たちは「子供をポルノから守る」ことに反対をしているわけではありません。そのお題目をかかげて、めちゃくちゃな条例を作るやり方に、反対の声を上げているわけです。
そのおかげで、活動や声明がとても政治的になってしまいました。
漫画家個人が
「描きたいものは自由に描かせろ!」と言うと、
「幼女の裸を描くことが自由なのか!」という反論をされてしまうからです。
個人的に幼女の裸を漫画で描くのはどうもなあ、と思っていても「それでも描く自由がある」と思っている漫画家が(自分ももちろん含め)多いので、その先の議論は複雑になっていきますが、今回の問題はここではありません。
これは議論としてはとても面白く、表現の自由とはどこまで認められるのか。というのはここらの領域で行われるものだと思います。そしてここでは児童ポルノ規制派がとても強くて、正直、表現の自由は劣勢だと思ってます。
今回の問題はもっと単純で「18歳未満と見えるものを規制対象とする。何が良くて何が悪いのか、具体的なものはこれから決める」という曖昧な条例、これはありなのかというところです。
きちんと国会で議論をして通すのではなく、世間的に(マスコミ的にも)関心の薄い都条例で成立させようとしている状況を放っておいていいのか。
止めるためにはどうしたらいいのか。ということを識者が壇上に立ち、問題点の整理をした集会です。
反対の声を増やしていかなければなりません。
個人というより集団の論理。政治的というのはそういうことです。
集団でなにかをする、というのが自分はとても苦手で、政治的なる活動は生理的に嫌いです。漫画家はきっとそういう人が一般人より多くいる業界でしょう。それでも今回多くの漫画家たちが声をあげているのは、この条例が相当やばいからです。
規制するのが大好きで、内容なんてよくわからない。というような人間が「子供たちのため」と言いながら興味のない漫画を品定めするようになる、という未来を危惧します。
これはひっかかるかもしれない。と、読者の方向ではなく役人の方向を見ながら作品を自主規制してしまうことを危惧します。
賛成派は「普通に描いている漫画家には影響がありません。ハレンチ学園もセーフです」と言いますが、それを役人自身が判断している点がすでに問題です。
警察が曖昧に広範囲に判断できるようなルールを作ってしまってはいけません。
今回漫画家たちが言っていることは「自分たちに権利をよこせ」という主張ではありません。
「縛るルールを勝手に都合良く作るな」という話です。
今回この条例が通ってしまうようなことがあっても、拡大解釈をさせないために、どんな漫画に網をかけたのか、監視することが必要になると思います。
具体的にどんなことをしろ。ということは言いません。ただ、むやみに規制に反対しているのではない。ということを知っていてください。
自分は(きっとプロアマ問わず表現者は)どんなくだらない漫画でも、覚悟を持って描いています。
楽しんで読んでくれる読者に向けて描いています。
都庁のくそったれのためではなく。
矢面に立って活動をしている諸先輩方、作家、弁護士、政治家、などに敬意をはらいます。
鈴木みそ