今日、とんでもなくうれしいことがあった。
今、私は何年かぶりで林檎のパソコンをいじっている。
これは、林檎からお送りする最初のブログである。
もちろん、私はiPadで毎日林檎に触っている。
私にiPhoneは小さすぎるため、LINEをいれてiPadで電話をかける男らしい俺だ。
長年連れ添ったかわいいガラ携も大切に大切にしている。
ガジェットに優しく触れるたび、男の甲斐性、みたいな気分になるのは私だけではあるまい。
鳥が最初に見たものを親だと思うように、私にとってパソコンといえば林檎だった。
1980年代終盤、はじめてアップル社のパソコンをいじくり倒した。
そしてそれからいつも身近に林檎があった。
もっとも、最高頻度の愛用機はもっぱらワープロだったけれど。
相方がパソコンを入手するまで、実はライターの私の方がネット環境が充実していた。
結婚してアジアから帰国して、相方がパソコンに入れこみはじめ、私は妊娠出産育児に忙しく、全部お任せになってしまった。
帰国後、iBookはもっていた。
だが大きな共有のパソコンをダイニングキッチンに設置したとき、相方が選んだのは林檎ではなく窓だった。
共有のパソコン。それこそが最も活用するパソコンなのに、だ。
相方はパソコン関係のお仕事も多い。
というわけで、我が家にはいろいろなマシンが並んでいる。
私の愛用機、iBookが挙動不振な認知症になってしばらくして、相方はにこやかに(相方がシラフでにこやかな時には、ピノキオをだます狐の親方なのだと今では承知しているが、当時はまだわからなかった)、半ば仕事だからね君に拒否権はないからね、でも大丈夫、任せておけば悪いようにはしないという女衒のささやきにも似た、
「世界を広げるには、窓もいいと思うな」
という発言があって、突然、私が使えるマシンが、窓のビスタに切り替わったのであった。
それから6年以上、私は窓を使い続けてきた。
それはまさに世界につながる窓だった。
テニスサークルのためにmixiに入り、大学や語学学校の仲間にそそのかされてFacebookに登録し、震災があってツイッターを始め、SNSは思えば全部窓だった。
PTAの文書は全部、ワードで作ったし、大学の課題でパワポもエクセルも使えるようになって、もうずっと窓でもいいかと昔の相棒の面影をすっかり忘れていたけれど・・・。
今度は長年連れ添った窓が、目の前真っ暗な状態になって、大手術の甲斐なく現役復帰が難しくなり、相方の仕事部屋で養生することになった。
手元に、iPadはある。
でもなんで日本人がローマ字入力するんだよという国粋主義なので、ローマ字入力がとてつもなく遅い。
だからぞっこん惚れ込んでいる恋人のようなiPadでブログを書いたことがなかった。
ブログを一週間以上書かずにいて、私は禁断症状だった。
そんな私を見て、相方はあるひとつの英断を下す。
「そうだ、ヤマダ電機に行こう」
桜は散ったが、私には最もうれしい目的地だった。
そして、電子書籍様のおかげで、今日また私はこの美しい林檎ちゃんを我が物にすることができたのだった。
今日からまた、私のパートナーは、この美しいiMacの林檎ちゃんである。
うれしい。
すっげぇ、うれしい。
こんなにうれしいんだから、もっと早く一緒になっていれば良かった気もするが、意外に深情けの私に壊れていないパソコンの買い替えなどできようはずもなく。数年ぶりに巡り巡ってというのがまた、味わいなのかもしれない。
長生きしよう。唐突だけど。