卒業

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私はみんなで一緒のことを繰り返し努力し練習して、それをご披露するという状態があまり得意ではありません。
みんなにとって「簡単な努力」は、それが簡単にはできない私にとって、とても苦痛だからです。

そんな私でも、48年間、得意なことだけを武器にバリバリやりたいことができてそれなりにお金も稼ぎ出し、お役にもたててきたわけで、世の中の懐の深さってのはすごいもんだなあと改めて思う次第ですが、それはまた別のお話。

卒業シーズン、あの呼びかけというか、別れの言葉というか、集団で声を張る、アレがどうにも苦手です。
自分の小学校時代からなので、多分あれが好きで好きで涙流して見守るような状態には絶対にならないのだと確信していました。
それでも大人ですから、まあ、じっと聞いてはいられる。

2013年3月25日。
小僧の小学校の卒業式でした。
最近の流行だと思うのですが、子どもたちは一人一人未来の抱負を語ってから卒業証を手渡されます。
4年前の娘は、「見たいこと、聞きたいこと、食べたいもの、行きたい場所。やりたいことがたくさんあります。これからの新しい毎日がとても楽しみです」と、実に彼女らしい言葉を朗々と述べ、後に来賓から絶賛されましたが、小僧はその辺、実にシンプルでした。
期待するほうがどうかしていた。
大風呂敷を広げるでもなく、小学生らしく、地味に、小声で、早口に
「プロサッカー選手になって、見ている人に感動を与えたいです」
と語り、パタパタと卒業証書をもらいました。
プロサッカー選手志願6人中、最も感動とは無縁で、最も無理っぽい発言態度でした。
でもそれでいいの。それが、小僧だから。

そして、私の苦手な「卒業の言葉」が始まりました。
小僧、例によって出番は一言だけ。
まあ、そういうものです。
徹底的に脇役キャラなんです。
でも私自身が余り得意でない集団マスゲーム的な「卒業の言葉」には思い入れがないので、全然かまわないわけです。
「がんばった、運動会」「(せーの)運動会」
みたいなのを聞き流しながら、ああこれはいよいよ私の小学校PTAの卒業式でもあるんだよなあという想いがよぎりました。
「がんばった、PTA?」「PTA?」「夕食が半額お弁当の日々が続いた?。家族は限界に近かった?」
とか、
「苦しかったサッカーセレクション?」「セレクション?」「競争率何十倍という難関を突破できず、落ちたときには泣きました?」とか、自分で脳内パロディーを繰り広げていたら、突然ツボにはまってしまって、号泣モードに突入。
苦しいことがあるたびに、いつも校長先生やPTA仲間やサッカーママや、相談室の先生や昔の友達たちがそばにいてくれました。支えてもらった数々の言葉と優しい笑顔が脳裏に流れてきて、涙腺決壊、やだもう大変な事態に。
また、来賓席には苦しい事態を救ってくれた先輩ママ達も座っていたりして、目があって微笑まれたりしたらもう怒涛の涙で。おーいおい。白いハンカチにはマスカラがくっきり魚拓されていました。

「ゆうこさんが泣いている時、ご主人が優しく語りかけていて、いいご夫妻だなと思いました」と後々ママ友からメールを頂いたのですが、なんのことはない、やっぱりこういう集団演舞みたいなのが苦手な相方が、
「おっ、おっさんの声」とか「歌の高音がなぜ出ない?」
などと茶化していただけで、これは多分、鈴木家の内緒の真実です。

着付けの帯結びは相方の担当、いわば相方の作品なので、崩れていればちょっと手直しする。ただそれだけのことだったのですが、それを見て、
「鈴木家、本当に仲良しだね」
とやはり勘違いされました。うん仲良し! と満面の笑みで肯定しておきました。うん、別に仲悪くはないしな。

ことほどさように基本なんでもいいように全面肯定の私ですから、勘違いも多分に入っていそうですが、まあ実に小学校生活でございました。
小僧のおかげで山あり谷あり、ジェットコースターみたいな小学校生活だったと思います。
私の男運は、「そういうこと」になっているのかもしれません。

去年は相方の連載も雜誌4ページ分しかなく、本当に生活が苦しくて、がんばろう東北、がんばろう鈴木家、という未曾有の事態を経験しました。
相方は相変わらずボランティアを続けていましたが、私はボランティアと親孝行の趣味をパートに切り替え、もう一年休学を決めて、さらにフルタイムの仕事を探したりもしました。
入院治験の話に乗ろうとしたり、不動産屋さんとご相談したり、小僧の卒業を機に引越すべくこっそり都営住宅を探したり。
子どもたちはそれぞれお金のかからない進路を目指し、ペットボトルなど買おうものなら水道水を飲めと激怒され、私はスーパー別半額シールが貼られる時間帯に詳しくなりました。
そんな日々でも、ちょっとネジが足りないという点で共通している鈴木家は笑いが絶えませんでした。結束の堅さはむしろ逆境でこそ生きる一年間であったような気がします。

とりあえず電子書籍様のおかげで、ここ二ヶ月で相方はキンドル伝道師の称号(笑)を頂戴し、あと一ヶ月を乗り切ればなんとか底をついた家計のマイナス分の補填が始められそうです。
区にも延滞金をあわせての支払いができます。
まだ原稿料を40万円分しか寄付できていない、東北復興の約束の寄付も送れそうです。
進学を希望していた娘が、身売りも就職もせずにすみそうです。

今年一年が経済的には最もしんどかった一年だったけれど、この小学校時代の六年間、それぞれがそれなりにしんどかったのよね、と言えば言える気がします。
まあなんにしても、命までとられるわけじゃなし。
生きてれば、なにかいい事があります。
ごはんは美味しいしさ。
子どもたちはかわいい。
この卒業を機に、私も心機一転のつもりですが、多分未来にもそれなりにしんどいことが待っていそうです。
それでも、新しい毎日が連なっているということが、すごくうれしいじゃありませんか。
またいろいろな人と関わりながら、いろいろな局面で助けてもらって、いろいろな場所で私も頑張って、泣いたり笑ったりする明日を迎えるのでしょう。
終わりは、始まりの別名。

そんな卒業式の雑感でした。