年度末

  • 投稿日:
  • by
年度末なのに、手帳を買っていません。
家族全員の予定がわかるよう電子化して、手帳と併用していたらダブルブッキングやら見落としがあり、一本化すべきと思ったからなんですが・・・一抹の寂しさが。

手帳は、書庫においてあります。日記代わりでもあります。
私はiPadと昵懇だし、眠る時すら寝入りばなに鼻っ面を殴られるDVを繰り返されても尚、手放せない愛機だけれど、電力が切れたらおしまいというはかなさが、どこか信用ならない。
無尽蔵にあると思っていた電気は、二年前の3.11でその対価をしっかりと主張しているので、いろいろと怖がりな私は、最新の何かに対して腰が引けてしまうみたいです。

キンドルは便利。寝落ちしても、私を殴らない。
もしも老眼でなかったら、ナイトキャップ代わりの本は、ずっと紙の文庫本で事足りたでしょうが、夜の暗がりでも光を放ち、文字の大きさが変えられる「未来の本」が、私には大きな革命でした。
相方がキンドルで出版を始めて、まだアメリカの歳入局のハードルが飛び越えられずにアマゾンからの支払いをまってもらっているため相変わらずの緊迫財政難ですが、とりあえず未来に希望が持てるので苦境を乗り越えられそうです。
区に待ってもらっている税金や保険の支払い、学資保険からの借金をなんとかできるのはいつなんだろうと考えると憂鬱になりそうですが、なに、働くに追いつく貧乏なし。
健康なこの体一つで、いくらでも頑張れます。
キンドルが携帯並みに普及するといいなと思いながらも、私自身手帳が恋しいように、紙の本はまだ当分廃れないんだろうなと思っています。
世の中は変わっていくけれど、変わらないものってのも、またたくさんあって。

年度末の予定はぎっしりです。
そのいずれも、お別れ会ばかりです。
昨日は都合10年間のPTAの最後の運営委員会でした。笑いあり、真剣な論議あり。そして互いに拍手で成果をたたえ合う、すばらしい最終回。
二年前の3.11以降、ボランティア精神が根付き、絆を意識するPTAの言動を感じることが多くなりました。震災の大きな犠牲はあまりにも痛く、私の中に終結はありません。私達の日常に、小さな愛や思いやりや、そのための行動という形で、多大な影響を及ぼしていることに感謝しながら、被災された方々と、常に共に歩く気持ちを忘れてはならないのだと思っています。
いい小学校PTA生活だったなあとしみじみ思うけれど、不思議と寂しさはありませんでした。
これで終わり、というわけではないから・・・なのかもしれません。

年度の終わりには、本当にたくさんのお別れがあります。
一緒に過ごした時間は宝物で、一緒に活動した仲間たちの存在は特別で、私の中で一生消しようがない、素晴らしい思い出。そういうキラキラしたものがぎっしりあって、お別れ会はそれを並べてみる贅沢な状態に近い気がします。
やった分のご褒美をもらっている感じ。
ありがたいな。ただただ、たくさんの関わりを有難いと思います。

では、今日も行ってきます。今日は最後の委員会と、PTA室の撤収。