ものすごくびっくりして聞けば、鼓膜再生術だったので、それはよかったと思う。
いや、本人にしてみれば耳の裏にメスをいれる大手術だし、大変なことだとは思うが、良性腫瘍で肺を手術していたり、軽く癌を患っていて定期検査を続けていたり、と、後ろに大病を抱えている人だけに、「東京の医大付属病院で手術」と聞くと、正直ビビったのね。
仕事が終わってから子どもたちをピックアップし、花を買い、車は一路病院へ。
途中でマックのアイダホバーガーセットを食べながら病院を目指す。
それなりにうまいんだけど、手がベトベトになって、ドライブスルーは運転手にはキツイわ。しかも、フレンチフライの入れ忘れがあって、しかし文句をいおうにもアイダホバーガーに挟まっている芋でもうお腹いっぱいだし、最近の太り具合は半端無く、この前友達の軽自動車の助手席に乗るのに腹がつっかえたし、むしろ芋抜き親切ありがとうドナルドみたいな記さえして、幸運なのか不運なのかわからない。
病院に着いた時には面会終了まであと30分。走れ、子どもたち。私は駐車場を探す。
迷路みたいな病院の病室をみつけると、手術を控えて絶食している母は、小さく見えた。いや、母の両脇に座る子どもたちがでっかくなっていたせいかもしれない。
P子は久しぶりに会えたおばあちゃんになつきっぱなしで、30分の大半を二人が話して終わった。何度目かの「面会時間終了のお知らせ」に追い立てられて、帰路に。
「俺は、あんまり出番がなくなっちゃったなあ」
と、ひたすら黙っていた小僧が言う。今、ホットな話題の中心は姪の産んだ長男坊(一歳)。福助12歳は、鈴木家待望の男の孫という王子様の地位から脱落しちゃったからね。
「どうやって来た? 混んでた?」
という小僧唯一の質問は、私が下田に着くと必ず父が私に最初に聞く質問だったので、なんだか私にはそれがおかしくて、血は争えないなあなんて思っていた。
二日目は手術当日。この日は目覚める前に病院へ。
ふっふっふっ、午後は母を独り占めだー。と思っていたら、手術が大幅に遅れて、終了予定より2時間遅れる。
それでも手術は大成功、リハビリは必要だがおそらくちゃんと聞こえるようになるだろうとのことで、こういう時に爺さん先生はキャリアの違うから、俺、こんなの軽い手術だし。みたいな貫禄が心強い。
局所麻酔の母は手術あけでも普段と全く変わりなく、病室に戻ってからすぐに二人で話が止まらなくなった。私は昨日余り話せなかったし、何しろお正月以来で久しぶりだし。
ケラケラ笑いながらノンストップの弾丸トークをしていたら、
「えーっと、スズキさん。病室ですし、まわりに患者さまもいらっしゃいますし、お話は談話室で・・・あ、術後でしたね、点滴もあるし、横になっていないといけないですね。ええーっと、ご面会の方はあの・・・患者様は手術終わったばかりですので・・・安静が望ましいんですね。ちゃんと休ませてあげてくださいね」
と看護師さんに優しく言われて、ハッとした。そうよ、ここ病院だし。術後だし。大部屋だし。
「じゃ売店で何か買ってくるよ。何がいい? 甘いもの、食べる?」
と聞いたら、
「んー、じゃサンドイッチがいい」
と言う。食欲もばっちり復活しているわ。さすが、入院前に雑草を全部始末して、薪割りして、自然薯掘ってその種芋を植えて、出発直前に洗濯物を干してきたというだけのことはある。今更ながら、ワイルドだろう?
プリンとサンドイッチを買って戻ったら、母が寝ていた。
彼女がうたた寝する顔は、何度か見たことがある。でも、こんなに無防備に横たわっている姿を初めて見た。ベッドの母はすごく小さかった。以前博物館で見たネアンデルタール人の原寸大模型並に、小さかった。どういう例えだ。この小さな体で、なんでもやってのける。寛大で強靭。たくさんの苦労を陽気に笑い飛ばしてきた彼女を、私は先輩として尊敬している。巨大化が止まらない東京の嫁(アタシだ)の気に入らないところがあっても、きっと、こんな風に笑い飛ばしてくれているだろうと思うと、気が楽なんだ。
軽く布団をなおして、夕食を待つ。このまま熟睡するなら、そっと帰るのもありだなと思って、置き手紙を書くことにした。ああ、最近ずっと手紙すら書いていなかったなあとあらためてご無沙汰を思う。それでも、変わることなく、お米や野菜を送り続けてくれる。こんなふうに、私は嫁や娘と接する年寄りになりたいと思う。ベッドに横たわっていると「でっかいなー」と思われるだろう点が母とは大違いだが、やっぱり話していて笑いが絶えず、ちょっとしんみりホロリとさせる話も腕も持っている、そんな人になりたいと思う。
夕飯を食べ、私も傍らで売店のおにぎりを食べて、それから帰路についた。
翌日隊員の日には兄が迎えに来るので、私の出番はない。
まだしゃべり足りないんだけど、それはそれでまた今度。
そういえば、実母にもしばらく会っていない。
認知症と診断されていたが、誤診ではなかったかというほど元気に復活している。重篤だった糖尿病を、インスリン注射と禁酒と食事療法と一日一万歩の運動を欠かさないことでかなり平常に戻した。するとあろうことか、認知症の症状が劇的に改善してしまったのだった。
人の体というのは不思議だ。
実母は決めたことを絶対に曲げない。
「治る」と自分で決めた以上、治るものとして気合と根性で努力を続けているのだった。その四角四面な生真面目さと、自分への厳しさがまわりへの厳しさにもなって、娘時代の私は実母が苦手だったけれども、そのおかげで、嫁ぎ先の義母の寛大さが身にしみるのかもしれない。
実母の認知症介護日記を書くつもりでいたのに「趣味の親孝行」すら、休眠状態に入って久しい。彼女もまた、働き者だ。
両方の母親が健在で、自立しているというのは、子どもにとって大変に喜ばしいことだ。このまま、まだまだ長生きしそうだというのも、安心する。
私も長生きしてほしいなあと思われる老人になろ?っと。
実母は「働かざる者食うべからず」の精神を私に叩きこんでくれた。義母は、その姿勢で家事の価値を教えてくれる。
うん、せいぜい働こうと思うよ。この体が動く限りね。