「あ、ポンカンだ」
と、相方が果物売り場で指を指す。
「スズキ ポンカンさん」
ニコニコ笑いながら、私に言う。
「はーい」
当時の小僧を真似して、私は無邪気に手を挙げて、二人で同時に笑いあう。
小僧はいろんなことが遅かった。ハイハイをなかなかしないので、歩けない可能性まで疑っていたら、つかまり立ち以降ハイハイとヨチヨチ歩きをすっ飛ばして、一気にダッシュで走りはじめた。
しかもそのダッシュは早かった。幼稚園では先生が彼を捕獲できないほどに、早かった。
一度「方法」を獲得すると、ズンズン能力を発揮する。
ただ、その獲得は、普通とかなり違っている。
獲得するまでの時間も、想像もつかないほど時間がかかるか、ほんの一瞬か、である。
自分の中でタイムリミットというのもあるらしく、獲得しないまますっ飛ばして終わる「普通にできるはず」のこともある。ハイハイ以外にも言葉や遊びや、結構あった気がする。
「スズキ福助さん」「はーい」
呼ばれたら手を挙げてお返事をする。
そんな「普通」が、小僧には難関だったことがある。
そこで我が家では、そんなことを真剣に、特訓したのだった。
私が「スズキ相方さーん」と、呼ぶ。相方が「はーい」と手を挙げる。
私が「スズキP子さーん」と、呼ぶ。姉が「はーい」と手を挙げる。
私が「スズキ福助さーん」と、呼ぶ。姉が小僧の手を持って、はーいと掲げる。
よくできましたー! と小僧の頭を撫でる。
相方が私を呼ぶ。
「スズキおかあさん」「はーい」
「スズキ福助さん」操られて「はーい」。
よくできましたー!
血の汗流せ、涙を拭くな。目指せ、100万回。
そして、やっと、「名前を呼ばれたらはーい」と手をあげられるようになった。
「スズキ福助さーん」
「はーい」
やったああああ。家族中が大喜びしていれば、小僧だってうれしい。
「スズキ福助さーん」
「はーい」
うわあああ、またできた、できた。田舎から送られてきていたポンカンも心なしかテーブルの上で輝いている。
「スズキP子さーん」(おっと、お嬢、フェイントだね!)
「・・・・」
小僧は得意げに黙っている。すごいすごい、ちゃんとわかってる。福助、わかってる。
「スズキポンカンさーん」
お嬢のまさかのフェイント二連発だった。そのとき、
「はーい」
勢いよく手をあげた小僧、まさかの自分の名前間違いだった。福助と、ポンカンさん。文字数しか同じじゃねぇし。
そうか、お前、ポンカンさんだったんだなと大笑いになり、小僧もつられてケラケラ笑った。
以来、しばらく「おーい、ポンカンさん」などと呼ばれていたりする小僧なのであった。
その発達のバランスの悪さは、今も多分、余り変わっていない。
複雑なはずの球技も、競技のルールも、ただ見ているだけで習得できるし、正確でもある。
けれど、一輪車には乗れないし、逆上がりもうまくは出来ない。区内全域の生徒が競う連合運動会でもそこそこに活躍するジャンプ力を誇りながら、多分跳び箱はうまく飛べていない。マットの前転すらできているのかどうか。
参観日に唯一、見に来い! という科目が体育なのに、絶対に見に来ないでくれ!という科目が体育の中の器械体操だったりするのである。
漢字は練習したことがないが、読み書きに困ったことがない。
しかし「この絵を見て、主人公の気持ちになって感想を言いましょう」という設問には「髪型が変だなあ」と、作者が見たら泣くようなことを大まじめに書いてしまう。
計算はかなり複雑でも解く。途中のやり方が分からなくてすら、感覚的に答えが合うという。
なのに、図形は平行四辺形をひしがたと読み替えただけで、フリーズして解けなくなる。
絵画は展覧会に出される作品を根気強くねっちり描きこむのに、工作はゴミと間違えて捨てられても文句は言えない。
音楽は実はびっくりするほど歌がうまく、ハモもガンガン入れられるほど音感がいいのに、家族以外の人前ではまず歌わないから全く評価すらされない。
なんとなく、親から見ると「惜しい!」タイプの君、なのである。
しかし、親ばかを外して端から見ていると、能力が高いのにサボっているのか、能力が低くて大変に難儀な状態にあるのか、さっぱりワケがわからない。
発達過程のバランスが悪すぎるせいなのだが、これを全部平均にならそうとしたところでどうせ無理だと思うので、私はすでにきっぱりあきらめている。
私だって、上手に家事はできないわ。
ポンカンさん、は?い。が、ちゃんと小学校に入れば自己と他者の区別もつくようになった。誰君は何が得意、すごいのは何君、と、自己の延長なのか全面的に友達自慢をする癖は未だ直らないが、自慢のお友達とは軋轢もなく、実に楽しそうだ。
変なタイミングも、ずっとソレしか知らない彼にとっての「普通」なので、ズレた感じは生きていく上でのハードルにはならない。違和感までは想像もできないが、本人は至って上機嫌に生きているし、深刻に苦悩するのはサッカーのワザと、美少女への初恋が全くスルーされたことぐらいで、その他のことで悩んでいる感じはない。
そんな小学生生活だったので、ことさらに心配もしなくなって久しい。
「できない」ことを責める人はいなかった。
男子なんて、バカだから。
男子というだけで、子育ては大変だから!
っていうか、大変じゃない子育てなんか、ないから!!
愛のバカ自慢大会ができる親ばかママ友が、周りにたくさんいてくれたのも、幸いだった。
「できる」ことを認めあえるまわりの寛容な環境が、「ポンカンさん」を、しっかりと一人の少年にしてくれたのだと、いい出会いに感謝するばかりだ。
今、イベントにはすべて「小学校最後の」という冠がつく。
サッカーの仲間も、学校の友達も、地域の仲良しさんも、一緒にべったり過ごせるのはあと少しの時間なんだなあと思う。
正直、すごく寂しい。私が。
新しい世界が待っているんだなと覚悟が必要になる。
小僧は、小僧の仲間や友達は、どんなふうに変化していくんだろう。
でもさ、もしも今は想像もつかない苦しみにいつか見舞われることがあっても、どんな難問でさえ、必ずいつか解決する気がしているんだ。
「ポンカンさん」「はーい」って。
いつも心に太陽を。だね。