なんでも一生懸命な人。
そういえば聞こえが良くて結構な話ですが、簡単にいえば手を抜く方法を知らないからで、一日が終わるとたいてい疲れ果てているわけです。
これが終わったら、もう小学校にいかないんじゃなかったっけ?
これがボランティアの最後のイベントじゃなかったっけ?
受験は、もう終わったんだよね?
弓道大会は、サッカーの試合は、一体いつ終わるわけ?
・・・相方から詰問されるたびに、それはとっくに終わってて、今は次のが始まっている。と、思います。
つまり、終わりはない。いわば、忙殺の無間地獄であります。
先日、帰宅後リビングでぐったりしていたら、なんかこう、ふわーっと自分が幽体離脱したようになって、ああなんだかとっても気持ちがいいけど、こりゃこのまま死んでしまうんじゃないかしらと一瞬青くなったことがありました。
疲労しすぎて、脳内麻薬が駄々漏れに出過ぎちゃったものと思われます。
すぐに寝たので事なきを得たのですが、最近の疲れ方はちょっと異常。寄る年波には勝てないということでしょうか。自分が一日にこなせる仕事量も、著しく減っています。私の寝室は、いつの間にか衣装部屋のようになっているのですが、片付ける時間と体力と気力が、もうピクリとも湧き上がって来ません。
マッサージに行くと、背中を押した先生は必ず、「鈴木さんはいつも力が入りすぎです」とおっしゃいます。
なんだこの鉄板は。指が立たない、という状態です。
きっと、不器用すぎて、日常生活でテレビを見ていても突然襲ってくるかもしれない見えない敵と戦い続けているのでしょう。
前世があるとしたら、私はきっと、忍びの者か何かだったのでしょう。いや、いっそ鉄板焼きの鉄板だったりするのかもしれません。
鉄板が過ぎると、腰が痛くて動けなくなります。
相方は、これを体の中の市民の声だと言います。
もう動けないぞー、おおー!
腰は我々市民が占拠した、おおー!
すみやかに、横になれ! おおー!!
相方は、二種類の私を飼育している感覚に襲われているに違いありません。
普段は落ち着きのないネズミやリスが回転する車を回し続けるようにせわしなく行動しているのに、ある時間帯からピタッと動かなくなるワニや亀のようないきものに変化するわけです。
時々、相方の忍耐強さに感謝しています。実に優秀な飼育委員さんだと思います。
今日、娘の最も得意な種目の大きな競技会が終わりました。
強化選手の選考に影響するものだと聞いていました。
万全で臨むための準備をそばで見ていましたし、部活も自主練も、徐々に安定していく記録を毎日聞いていました。
満を持して当日を迎え・・・結果は、個人でまさかの予選落ちでした。
弓道は4回弓を引きます。
的はどこに中(あたっ)てもいいのですが、そのアタリの数を競うのが試合です。
その中で、個人の記録と、3人一チームの団体の記録をとります。
個人は最初の立ちで4回矢を射って、何本中るか。
大会ごとに決勝進出のためのハードルがあり、今日は二本あたれば決勝でした。
団体戦はその個人の記録を、三人の合計数で競います。つまり、12回引いてチームとしていくつ中るかで、決勝に進むわけです。
娘の引いた初矢は誰よりも早くまっすぐに飛び、しかし、枠をかすめて的をハズレました。
二矢目は修正をかけたものの、的より気持ち上でした。
後がなくなり、三射目は真ん中に当てましたが、最後の一射がやはり枠で、結果は一中。
私は観覧席に入ってからずっと息を詰めて見ていて、最後に大きく深呼吸した時には、「惜しい!」とのため息混じり。想定外の結果でした。
彼女は弓道に関してだけは成績優秀なのですが、以前、一度大きくコケたことがありました。
その時、私は控え室に飛んでいって彼女を抱きしめて慰めましたが、その結果、気持ちが萎えてしまって、次の立ちでは気持ちの切り替えができなかったという経験があります。
だから、今回私は観覧席を後にする時、彼女と会わないことにしました。
一中では個人では上が次がありませんが、強風でみんなが不調ですから、何が起こるかわかりません。団体の仲間が結構当てていましたから、私には団体予選通過をあきらめる気はありませんでした。
娘の学校の弓道部は男女とも安定して強いのです。
創立して若く、同好会から始まったので学校からも特別な支援を受けられず、弓道場は悲しい外観、極寒の内装ですが、いつの日か学校を代表する部にしようと部員は日々頑張っています。
観覧席付近にいた部員に「何かあれば電話を」と伝言を頼みました。
修正も調整も、親の仕事ではありません。部内はいい雰囲気ですし、顧問は任せて安心な人格者、保護者も結束が硬く、みんなが我が子のように応援します。
電話がかからなければ、私は時間を見て男子の応援に観覧席に戻り、団体戦に期待をかけるつもりでした。
弓道場から100メートル離れた場所で電話が鳴り、電話口の娘は号泣していました。
もう上に行けない、終わった、団体も私が一中では準決勝進出はありえない、みんなにも申し訳ない、ああもうだめだ、つらい、どうしよう。
私ができることは、ただ話を聞くだけでした。
素晴らしい射だったと思う、いいものを見た、ありがとう。と言って電話を切り、彼女のこの大会に賭けてきた頑張りを思ってふいに涙が止まらなくなり、涙で気が緩んだのか、その場に座り込んでしまいました。
決壊してしまった涙腺と腰痛の突然の謀反。
気持ちは一緒に戦っていたのだと思います。
私のこの精神力の弱さが彼女に影響したのだろうか。おにぎりにつけたメッセージがよくなかっただろうか。昨日の夕食が、あるいは、私が左足からブーツを履いたのが、お社をくぐるときにきちんとご挨拶しなかったのが......。
私が見に行かなかった試合で、彼女は優勝しています。
息詰めて見ていることが、もしや負担になったのでは。げんをかついで、今日は行くべきではなかったのかも。
しても仕方がない後悔でいっぱいになりながら、彼女を元気づける夕食のメニューはなんだろうと考えることで払拭して、やっとの思いで車を運転して帰ってきました。
私には強化選手の云々はわかりません。でも、彼女の夢のカタチが壊れたのはわかりました。泣きじゃくる声は壊れた夢の鋭い破片、私の心をギジギジにひっかきまわし、心底胸が痛みました。
帰宅してすぐ、団体の準決勝進出決定の知らせ。
強風で思わぬ成果が出なかった学校が続出したせいでしょう。
でも、泣きはらした目と動かない腰と、ゲン担ぎもあって、あとは同じ弓道部の親応援団からメールを待つ観戦となりました。
ここでもやはり、息を詰めて深海に潜るような感覚で。
小僧と相方に遅めの昼食を作りながら、食べながら、......何を作ったか味がどうかなんて覚えてもいない......背中を鉄板にして娘のコトばかり考えていました。
動かない腰なのに何かしていなければいられず、トランポリンに乗ったら最悪だったので、お百度参りの感覚で踏み台昇降をしたりしました。
P、皆中!
メールに踊る文字。
皆中は、4回引いて、全部当たったことを意味します。
修正は、顧問の先生と仲間の力なのでしょう。初回、足を引っ張った彼女が、チームに貢献できた瞬間でした。
まわりの仲間の頑張りもあり、団体で決勝進出。
そこでまた、P、皆中! うちの学校、入賞確定だよ。とメールが入ります。
大舞台で8連中は、なかなか立派な成績でした。
個人予選落ちという汚名返上に十分だったかどうかは素人にはわかりません。でも、その記録は、潰えたと思っていた夢を首の皮一枚でつなげてくれたかも...と思いました。
ここで、ようやく深呼吸。
深海に潜っていた感覚から、やっと肺呼吸ができました。
幽体離脱はなくて、ちゃんと「生きている!」と実感できた時間でした。
弓道は、不器用な私には絶対に向かない、背中がバリバリになるしんどい競技です。
なぜ娘が弓道にとりつかれているのか、おそらく完璧には理解できないと思います。
それでもずっとそばにいて、彼女の見る夢や語る夢を聞くのは幸せです。
想像もできないほど強靭な精神力を持った娘は、まだこれからたくさんの試練を喜んでこなして、さらに強くなっていくのでしょう。
さて、これから、娘の好物を作ります。
帰宅したら、最初に「あの部屋はなんですか、部活の前にまず魔窟を何とかしなさい」と言いたい気持ちをぐっと堪えて、開口一番は「おめでとう!」と抱きしめましょう。
もう、私よりだいぶ背も高くなっちゃっているんですけれども。
彼女の笑顔は、私の一日の疲れをきっとふっ飛ばしてくれると思います。