吉報

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雪の朝、メールが鳴った。
今日はいつもより早く家から出さなければならない。子どもたちを急かしながら、食卓につかせてメールを読む。
合格!
それは合格の吉報だった。とんでもない難関校の。

おそらく、昨年、最も一緒にいる時間が長かった友人から、素敵なメールが届いた。
彼女の頑張りも、手にした栄光も、運命の翻弄も、そして辛酸も、近くで見てきた。
私は特に何ができるわけでもないのだが、すでに彼女の子は親戚の子感覚になっていて、一緒に喜び一緒に涙し、なんだかめまぐるしく感情を共有してきた。
そして今年の吉報。
本当にうれしい。
すごくうれしい。

彼女は、数日前に亀戸天神に参拝に行ったという。その時に小僧の合格祈願もしてくれたという。
亀戸天神は、江戸川区在住だった私の祖母が、毎年必ず私を連れて行った場所だ。私にはお参りする場所というより、藤棚と飴細工が印象的な思い出の場所だった。
もうすでに記憶にはないようだが、お嬢も小僧も、ひいおばあちゃんと会うときには亀戸天神→トイザらスというルートだった。
小僧は、小僧にしては上出来の合格を勝ち得ている。
そして今回の吉報。
亀戸天神、やるなあ......。
って、そこじゃないわ!!

私はクリスチャンだが、明治神宮にも皆中神社にも白濱神社にも烏山神社にも、かなり定期的に行く。谷中墓地めぐり、とげぬき地蔵通り歩き、父や祖父母が眠る日蓮宗の菩提寺にも行く。
八百万の神やたくさんの仏教がある国に生まれ、父方の祖父は僧侶だったことも合わせて、バラエティーに富んでいるこの国の宗教観が大好きだ。
何かを祈願する、そういう行為が、大好きだ。
気持ちを頂いて有りがたく、嬉しく思う。大いなる目には見えない力を介在させた人と人のつながりは、なんて原始的で、直接的なんだろう。
人事を尽くして天命を待つ。
合格通知は、天命の一つなんだと思う。その学校で頑張れ、という。
人事を尽くした彼女に、素晴らしい天命が与えられたのだと思う。
おめでとう。本当におめでとう。4月から、新しい場所で頑張って欲しいな。

昨夜、家族で受験の話題になった。
「もし私があそこに落ちてなかったら、どうなっていたかなあ」
娘にも、国立不合格の挫折がある。
けれど、結果的に第一志望にしたいかもというほどに惚れ込んだ私学に通って、実に楽しそうに毎日を過ごしている。
あの学校でなければ、おそらく、弓道との出会いはなかっただろうし、「月刊弓道」に掲載されることもなかっただろう。私は「月刊弓道」という雜誌を知らずに生涯を終えただろう。いや、それはいいのか別に。
それなりの成績が保てているのも、教科書を使わない勉強の面白さを教えてくれた先生方や、バラエティーに富んだ、特出した才能あふれる学友との出会いが大きい。
つまりこれが娘の天命だったのだろう。

もちろん、ゴールはまだまだずっと先だ。エンディングまでは本当に長い道のり。
大学に入っても、成人式を迎えても、仕事や家庭や子どもを持っても、それすらほんの一段落。喜びをかみしめてお祝いした後、また次の章に入っていくわけで。
それって、明確な目標に向けて、いつでも軌道修正できるってことでもある。
勝ったり負けたり。負けたり勝ったり。
そこが、人生のいいところだなあ。

今日は雪で、受験生の足に影響が・・・と、朝のテレビではしきりに報じられていた。
どの受験生も足元に気をつけて、全力を尽くせますように!