毎日かあさん?そだっちまった編?

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西原理恵子さんの作品は、全部読んでいる。

毎日かあさん?そだっちまった編?を読んで、ああそうか、彼女の10年は私の10年でもあったのだなあと、なんだかしみじみする。
この人と同時代に生きられて幸せだなあ、というのは、いいエンターテイメントに触れた時に思う。落語や歌舞伎や芝居やミュージカルなど、一期一会のライブをことさら私が好むのは、そこに「今」があり、「今」を最大に慈しむことができるからだが、書籍も似たような世代の好きな作家をみつけると、そこに息づく「今」を楽しむことができるんだなと改めて思う。
毎日かあさんは、現役の女性バリバリで俗世を満喫しているエネルギッシュなサイバラの中の、優しい母性がクローズアップされている。黒い腹の中を隠さない正直な母親は愛らしく、逆に信用に足ると思わせる。
私はサイバラに比べるとまるで尼のような状態で、恋からもお金からもはるか遠ざかった生活ではあるが、毎日かあさんのラインは「あるある」の嵐で、実はそんな屁でもないありきたりのことこそが幸せじゃん!と痛感させてもらえるのが有難い。
うちの娘ちゃんと1つ違いのご長男は、うちの小僧よりずっと破天荒だ。同じダメ男子でも、どこかに可能性を感じさせるダメさ加減で、それを見つめる毎日かあさんの眼差しにまた、痺れる。
うちの小僧と同じ年のお嬢さんは、うちの娘よりずっと愛されキャラだ。同じこけし顔のはずなのに、なんでまたこんなにうまい育て方を、いやDNAには逆らえないということか、と才気あふれる言動に痺れる。
共通点は、同じ年とダメ男子とこけし顔。
それだけなのに、なんだか胸に広がる温かい何かをいつも一緒に味わっているような錯覚に陥る。きっと、何か一箇所共通点があったら、毎日かあさんワールドはぐっと身近な、「自分の話」になってしまうのだと思う。

・・・多分、それが西原理恵子という作家の、腕っぷしの、怖いところなんだろうな。

帯には「息子の背が、私を超えました」。とある。
私を見下ろす娘は、背比べをすると尻が私の背中にあたる。唯一ちいさい小僧も、すでに足はお父さんよりでかい。
わかりやすい子どもの成長はうれしい。
わかりにくい成長もうれしい。
食べて寝て、大きくなる。泣いたり笑ったりして、心もまた。
期間限定のこの幸せな関係を、ぎゅっと濃縮して気づかせてくれる、毎日かあさん連載10年第9巻・・・。ものすごいシンプルな感想だけど、「すごいなあ」そして、「この人と同じ時代に生きられて、よかったなあ」