熱血演劇少女だった私にとって、わが子の学芸会には特別な意味がある。
小僧の小学校最後の学芸会、私は全学年を見ようと朝一から並んだ。
サッカーでインターハイに行ったパパが少年団のコーチを買って出るように、私が血潮を沸騰させて学芸会に行くのは当然のことのように思えるが、実は、私は小僧の小学校の学芸会を通しで見たことはない。
我が子が出る芝居を見落としてたとしても、あまり惜しくなかった。
小僧は、いつもその他大勢だからだ。
思えば、娘は目立ちたがりで、ずっと学芸会の星だった。
小4で娘がメドゥーサの役を勝ち取ってきた時には、ダブルキャストのママと衣装を選びにオカダヤまで行き、散々アイディアを出した。
そして、とてつもなく凝った素晴らしい衣装を作ってもらって、共有したものだった。←洋裁は苦手なの。
私は月影先生のように腕を組んで、メドゥーサの高笑いを特訓したのを覚えている。
最終学年では娘たちが書いた脚本で、演出も手がけた学園モノだった。
担任と大げんかしながら作りあげた大作と聞き期待していたが、特殊メイクも照明も音響も見せ場のダンスも、ダメ出しの嵐を飲み込むのが大変で、実は皆さんからさすがP子ちゃんとお褒めの言葉を頂いても、全くピンとこなかったのだった。
所詮、小学校の演劇はそれなりで、娘が英語劇団でやっている芝居や、商業演劇の質とは比べようもなく、私には正直、退屈だったのだと思う。
わが子が目立つ役でも、その出番だけ見れば、それで十分だった。
もちろん、私自身も学芸会では目立つ役以外、やったことがなかった。
主役を。脇なら笑わせるおいしいところを。
例えば、小学四年生の時には、主役の亀に選ばれ、私は亀をじーっと観察した。
今でも亀の歩き方なら完璧に真似できるが、擬人化した亀の役に、ミドリガメの生態がどれぐらい反映できたかは知らない。
しかしとにかく、生真面目に亀に、いや、北島マヤになりきる暑苦しさで、芝居をとらえていた。
それを見に来た母・ヨシコからは、必ず劇全体のダメ出しがあった。
厳しい評論家だった彼女は、祖母とともに都内の劇場の友の会会員でもあり、商業演劇のレベル以外は、おそらく私同様、退屈だったのだろう。
そんな祖母・母・私、そして娘に脈々と連なる「芝居好きの血」を分けていながら、小僧は小学校最後の学芸会に「衛兵11」の役だった。
衛兵!? それは、シェイクスピアの芝居なのか。
セリフは?
「『全然、脈なし』だよ」
・・・わずか一言のセリフに、命を吹き込まなければならない。
しかし、脈はあるのか。
小僧の台本を借りて、根っから芝居好きの私と娘は、読み合わせをした。
すると、驚いたことに小僧はセリフをすべて覚えており、所々でみどころガイドをいれてきた。いわく、
「ここは〇〇が歌う。安定感ある音程だけど、今声量で悩んでいるんだ。でも〇〇ならできるって、みんなで応援してるんだよ」
「この××のセリフの言い方は、最高に面白い。みんな笑っちゃうんだよ」
「意外に、▲▲のこの一言が効果的でさ」
「??さんの、このシーンの後の笑顔に注目だよ」
「このシーンの大道具は□□さんが頑張って作った。センスいいんだよ、色味とか」
......語る、語る。
それを聞きながら、なんだか、とってもいい学年なのねと思った。
小僧はたった一言でも、主役の子たちを敬愛しているのがよくよくわかる。
その他の仕事を厭わない子どもたちがたくさんいることも、台詞の数は少なくてもみんな懸命になりきって頑張っている熱意も、よくよくわかる。
そして、これこそがお芝居の醍醐味なんだよなあと思わされた。
みんなで作って、みんなでいろんな立場を考えて、みんなで楽しい。
きっと、全学年、そうやってお芝居を作っているんだろうな。
チームワークを何より大切にする小僧の優しい気持ちも、私には嬉しかった。
あいつのココがすごいと、我が事のようにほめて、友達の成功を嬉しがることができる。
その姿を見て、私は自問自答する。
子どもたちの応援団になりたいと思って、ずっと趣味でPTA活動をしてきて、結局高い成果を子どもたちに求めていたのか、私は?
どんな仕上がりであれ、頑張っている子どもたちがそこにいた。
小学生の芝居の中に息づく「すごいお宝」を、私は見逃していたのではないか。
小僧の芝居の出来が、突然、ものすごく興味深いものになった。
一瞬しか舞台に立たない衛兵に、娘の時とは全く違う長い長いお楽しみがあるのだと教えられたのだった。
委員会が同じママ友に、子どもの役柄と、別の学年に子どもがいればその見所ガイドも送ってほしいとメールしてみた。
すると、一年生から六年生まで、「ここ」は彼女のお子たちがこんなセリフを言うので見逃せない、という情報が集まった。
さらに、
「小僧くんには、二言目のセリフがあります。『火をつける?!』です」
と、台本を調べて教えてくれたママ友がいた。おかげで、私の心にも、しっかり火がついた。聞き逃さずにすむのもありがたかった。
退屈だったたくさんのセリフは、小僧以外の誰かの一生懸命なセリフだった。
小僧の大切な仲間の、私の大事なママ友の子たちの、珠玉のセリフを味わい尽くすというお楽しみが、天から降ってきた気分だった。
最後に気づけてよかった。
全部、見よう。朝一で、行こう。
そして当日、私は全学年のお芝居を見ながら、大いに笑って、大いに泣いた。
きらびやかな表舞台の似合う子がいる。
何をやってもうまくいくタイプは、親も鼻が高い。
裏方で頑張る優しさは、一見見えない。わかりにくい優しさを見つけられないのは親のミスなのに、見えていない親がダメ出ししてどうするのか。
脇で支える素敵な仲間を、一緒に愛でなくて、なんの親なのか。
小僧は地味だ。
何をしても地味だ。
だが、その地味さが、私に教えてくれる世界は深くて豊かなのだと思う。