明日からは先生も走る、師走でごわす。
イベント終わってから気が抜けないようにちゃんとアルバイト入れてるのに、強烈かつ複合的な風邪が私を襲って、一昨日、昨日は死んだように寝ていました。また、寝れるんだな。いくらでも寝れる。
三日前の夜、がくーんと全身痛で動けなくなり、食事もとらずに寝るところから始まって、そこから徐々に回復していく感じが面白かったです。
観察する。
とにかく、なんでも観察する。
と、ささやかな発見がいくつも連なって、大抵のことは面白いわけです。
痛みは観察のしようがないと思っていましたが、それなりに数値化して、ぼんやりとでも前回と比較していくと、気持ちとの関係性だったり、ヤバさの度合いだったりが少しずつ見えてきます。
同じ「眠い」でも、種類が違ってくる。
「今、痛い人」には、観察を勧めても、ちっとも響かないかもしれませんが、痛みも種類や箇所が変わっていくので、夏の朝顔やひまわりよりも繊細にチェックしてみてはどうかしら。
いや、みんなすでにやってるのかな。
我発見せり、みたいに得意げなのはどうなのよ、って話かも?
看護師さんは時間毎に体温や尿の回数を測りに来るし。
体調管理は大人の常識。
大人になりきれていないのか、私はどうにもわからなくなっちゃうタイプなんですよねえ。
戦場だったら首を切り落とされて、胴体だけ気持ちで走っていくんだろうと言われたことがあったわ。ニワトリか。
その昔、
「痛み止めを与えてない!? まともに耐えられるわけがないだろう、何やってんだ!」と、医者が看護師に激怒した、その患者は私です。
いや別に、耐えられるしと、ヘラヘラ笑っていて、医者に怖がられましたね。
痛みにはすごく弱いのよ。しっぺすら、ダメ。歯医者では泣いちゃう。しかも、しょっちゅうどこか痛いのよ。悪いところは、頭だと思う。脳疾患、とかじゃなくて、「頭が悪い」のよね。
その分、ど根性で乗り切って、極限ふれるともうわかんなくなっちゃうクチ。
強いのか弱いのか、わかんない。
で、いままではわかんない、で終わっていた。
今回、わかんないからこそ観察すると、少しだけ見えてくるという発見でした。
小さな発見で、ご存知かもしれなくてもさ、なんかこう、私は嬉しくてさ。
嬉しいと伝えたくて、どうしようもなくなっちゃうのね。コドモか。
そういえば、最近、職場で・・・おっと、具体的なお話は世界発信出来ないんですが、「あれ、どうしてこうなのかな」という状態になると、すぐに観察スイッチオン!にしてました。
すると、そこからいろいろな情報が見え隠れし、「家政婦は見た」的な面白さがあるんですよね。
対象のキャラが立ったところで、妄想で補っていくと、私のたいていのご立腹はスーッと収まっていくという寸法。
中年でバイトするっていうのは、もう職場の華でもなんでもないわけよ。キャリアや知識はブランクばっかりだし、こうなると勝負どころは「寛大な母性のようなもの」ぐらいしか、売りがない。
あとはくまの着ぐるみのような、この温かい体型と。
でも私の器は、体に反比例してとても小さい。
なので、『愚直なまでに正直であれ、全力で尽くせ、上機嫌でいろ。そういう者に人は侵害しない』という経験則で、器量の小ささを補っているわけです。
上機嫌スイッチが入るためには、観察スイッチを入れる、という、ピタゴラスイッチのような仕掛け。
自分のことから、他人さまのことまで、観察モードで生きるって、意外に楽しい。
今年も残す処一ヶ月、さてさて何が見えるかなあ。
世の中の動向なんかもちゃんと見て、与えられる仕事だけでなく、ちゃんと仕事を創りだしていけるようにしよーっと。
観察して、発見して。
代わり映えのしない日常も、人生至る所、冒険であります。
そして、いつでも初舞台。稽古不足を幕は待たない。
ううう、アドリブ下手なんだけど。