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 2004-3-03
 

起きたら、 8時 55分だった。
「 P子ぉ、大変だっ、遅刻だっ、九時だっ」
飛び起きると、 P子は状況を知って、びぇーびぇー泣き出した。今日はおひな祭り、学校で何かあったらしい。
「泣いている暇があったら前進しろ ! 泣いていたらその分遅くなる。まず行動だっ」
鈴木家の母の教えは、常に実践的である。
眠い頭にはリンゴジュースだ。コーヒーよりリンゴの方が目が覚めると、ナショナルジオグラフィクスで読んだ。着替えはボタンの少ない物を、しゅたしゅた用意した。ああ、どうしてこんな危機的状況になると私はこう頭が冴えるんだろう。そして体が動くんだろう。連絡帳に「寝坊」と記入、顔をお尻ふきでごりごり拭いて、(おしりふき、という商品名は何とかならんか ? )髪の毛をあっという間に整える。すごい、私の天職は美容師だったんじゃないだろうか。ポニーテイルだけでは美容師にはなれないか。
9時に学校から電話があり、「まだ登校していないが」との問い合わせ。その十分後には自転車で校門に到着していた。

すまん P子。母ちゃん、目覚まし止めて二度寝しちゃった。明らかにP子の7時の目覚ましに期待して、かけ直しもしなかった。つまり自分でサバイバルしないと、この母ちゃんはあてにならない。というのが、本日の教訓である。

それでも 9時に起きられたのは福助の幼稚園の「おひな祭り会」に呼ばれていたからだ。今度は福助を起こして幼稚園に連れて行く。
未来に立ちこめる暗雲、ここんとこずーっと忙しくて忘れていた病名と現実をつきつけられ、へこむ。「集団」が苦手なんだよな、苦痛なんだよな。一見まともに見えるのに、他人は一切おかまいなしに自分の好きなことにしか興味を持てない。それが福助の強烈な個性。でも、人という字は支え合い。などと思いながら、私はずーっと福助だけを見ていた。いばらの道だなあ。ああ。

三月に入っていよいよいろんなことが、どわっと。心身ともに疲労困憊。
でも、まついなつきの保健室をのぞいていたら、「それでいいんじゃん、私」と、すっかり癒されてしまい、元気になる。まつい先生に幸あれ。まつい先生のごとくあれかし。しかし、あんな大きなおっぱいと、でっかい心は、今さら手に入れられないなあ。
落ち込んでいても仕方ないし。今までだって勝負のしどころは間違えていないんだし、ちゃんとサバイバルしてきたんだし、イザって時にはレッドゾーンでぎゅんぎゅん走れる自分の力を信じて、ぼちぼち、いこか。

 
 

 2004-3-04
 

父親の陰毛はどこまで許されるか。
保護者会でまわってきた、夫の恥ずかしい写真。いやん、全裸じゃないの。湯船につかる赤ん坊の娘を抱いて微笑む、まだ若い夫の股間が、なんというか、実に堂々と、いや黒々としているのだ。
「これ、ちょっとやばくない ?」
と、友達のお母さんから指摘されるまでもなく、ヤバいったらない。完璧ヘアヌードじゃん。そしてこの写真は、今日保護者会に着ていた 22名の母親たちにさらされたのであった。
派手な表紙ですぐに娘のそれとわかる小冊子は、必ずひそひそ話の対象になっていた。よほど面白いキャプションがついているのか、写真のセレクトがよかったのか、夫の漫画が話題なのか。などと勝手に想像して、まわってくるのを心待ちにしていたら、がーん。話題になっているのは、娘ではなく、夫の股間であった。多分。
「思い出のアルバム・私が一年生になるまで」というのが、国語の授業の課題なのだった。
アルバムから写真を勝手にひっぺがして、娘は 30枚近い写真を持っていった。一応、聞かれるままにそれは何ヶ月のときの写真だと簡単な説明を入れてあげた。しかし、さすがに 30枚からセレクトすれば、親の私ですら迷う。娘の場合は特に、自分の記憶にない物ばかりなので、アルバムだというのに順番はまったくバラバラ。しかも大人が選ぶよい写真とは微妙にずれているため、私としては面白いのだが、何も 12枚のうち 3枚も入浴写真を選ぶことはないだろうとは思った。ホームプールの水着姿と初めての海水浴とスイミングスクールの水中写真をいれたら、大半が「水」がらみじゃないか。そこが彼女の癒しのツボ、思い出の泉だったとは知らなかった。なーるほど、
「おかあさん、いい旅・夢気分 (テレビ東京 )は温泉案内が多いんだから、毎週見ようよ !!」と、力説するわけだ。子どもは子どもらしくアニメでも見ればいいのに。
残りの写真は、旅行の写真ばーっかりだった。自分でも「旅行が大好き」と書いている。それはいいのだが、記憶にないはずの旅行のキャプションがあるのに、肝心な産まれたときの状態とか、初めてのなんとかみたいな記録とか、いわゆる不可欠な部分はズッポリと抜けている。みーんなそういことをちゃんと書いているよ、 P子。母子手帳も貸し出して、記録に関しては母ちゃん、インタビューも受けたのに……全く一言も、反映されておらず。 P子は、ドキュメンタリーもノンフィクションも向かないし、当然ジャーナリズム系でもなく、学問のフィールド・ワーク系でもないのだなとわかる。つまり、単なる「旅行好きのお姉ちゃん」街道、まっしぐらなのだろう。
さらに驚いたのは、式典関係の写真を全く使っていないこと。七五三のだけで、それを表紙に使って、おわりだった。式とか、どうでもいい人だったのね、 P子。夫と同じだ。そういえば、夫の黒々写真にも、「ぽっかりうかんだおしりが桃のようで、おいしそうです」と、自分のお尻を見せたいがために選んだとしか思えないキャプションがついていた。酔うとカラオケで服を脱ぎながら「ストリッパー」を歌い、必ず尻を出す夫の DNAが確実に受け継がれているのだ。親子揃って見せたがりだったとは !! そうか、そういう意味では別におばちゃんたちの目に黒々がさらされたぐらい、屁でもないか、夫よ。なんたって、ちんげ教教祖だしな。

 
 

 2004-3-08
 

穏やかな休日。
娘が朝から「奥様は魔女」を見て、大喜びしていた。あれはやはり、名作だよな。私は子どもの頃、あんなお家に住みたいなあ、あんな旦那様が欲しいなあと思ったものだったが、夢は叶ったのだろうか。 誰に問うのか、私。
猿顔の漫画家亭主をダーリンと呼んで、上司はいないけどラリーのような人には猿テニスなどで会ったりして楽しくて、ホームバーこそないけれど宝焼酎4リットルボトルはキープしてあり、キッチンにはズラリ茶葉が並んで好みのお茶ならすぐに出せる。アメリカの郊外の建て売りと違ってスケールこそ小さいが、とってもとっても小さいが、その分掃除も簡単だし、私はこのお家が大好きだ。今はお友達から頂いた「冬の貴婦人・クリスマスローズ」もリビングで咲き誇っている。おしべがどっさり抜け落ちるのは私の手入れが悪いせい? 時々ママ・ヨシコが毒を吐きにやってくるのもご愛嬌、まあまあ半分ぐらい、夢は叶ったのかもな。

そして月曜日。
週の始めにもりもりお掃除をすると、大変に気持ちいいことがわかった。フローリングの水拭きだけでもずいぶん違う。ガラス磨きまで持ち出して、私はどこまでもやる。やるったら、やる。家族のシーツも洗ってぱりっと干し、一週間分の買い出しを大型スーパーでばりばり買い込み、なんかすごいやる気いっぱいの主婦みたい。平成新山も造成して、ついでに模様替えまでしちゃって、その家具も地下から二階まで、全部一人で運んだ。その間に、福助と一緒にお散歩し、郵便局で所用もすませた。腰が痛いけれど、この心地よい疲労感は何。
原因は簡単、単に仕事がはかどらないんです……。これは逃避だ。明らかに逃避だ。しかし、主婦としてはマーベラス。とってもお得な逃避であった。
さすがに休みなくこれだけ働くと腹が減ってならない。さて、ここで仕事を始めれば食欲は遥か彼方へ。ああ、なんかいいとこどりじゃーん。と思ったのだが、やるべきお仕事より空腹の方に意識が。腹が減っては戦はできぬと言うしね、などと言い訳しながらまたエプロンをしめて、タイカレー作っちゃった。作ったら、もちろんおいしそうなんだもん、頂いちゃった。新製品をどうしても味見したい、ひとたび味見したいとなれば我慢ができない、それが私(お蝶夫人のような口調だな)。私が私である限り、食べましてよ。それはもう、ひたすら食べて食べて食べ続けるのですわ。おやつなのに一食分軽く食べちゃったりして、今度は眠くてたまらない。ああ、逃げてる逃げてる。お外は春爛漫だし、ま、いいかー。……よくはないかー……。

 
 

 2004-3-10
 

「テレビからはバカになる光線が出ているんだよ」
と、昔よく言われた。確かに私はテレビの前でバカになる。正座してコマーシャルまで息を飲んで見つめているような始末で、二時間も見続けると目が乾いて痛いほど、とても疲れる。ごはんをたべながらなんて見られないし、テレビがついている場所でおしゃべりするのも苦手だ。忘我の境地、陶酔に誘う魔法の箱が、私にとってのテレビであり、それは今も変わらない習い性だ。

テレビの見せ過ぎは発語の遅れの原因になるかもしれないから、赤ちゃんにテレビを見せすぎない警告を !というデータを新聞で読んだ。
発語の異常に早かった P子は、確かにテレビを見なかった。一日せいぜい 1時間、今でもいいとこ 2時間見るか見ないかだ。しかし私がコントロールしていたわけではない。見ていればつけているし、集中が途切れれば消した。
同じ環境にありながら、福助はビデオ好きなため一日4時間近く映像を見ている。自分で設定できるようになったのは2歳のとき。今は、30分の「太鼓の達人」ゲームも欠かさない日課だ。さすがに私がコントロールしていないと、猿がらっきょを剥くごとくいつまでも見続けるので、強制介入する。
P子は、福助がビデオを見ていれば一緒に見るかと思えばそんなことはなく、勝手に机に向かって、たいてい、何か読むか書くかしている。
テレビ好きだから発語が遅れるのか、発語が遅れるような脳の構造だからテレビ好きになるのか、わかんないんじゃないかなあ。と、データには軽く突っ込みを入れてみたくなった。新聞記者は、記事にする前にそういうことを質問してくれないかなあ。

鈴木さんちでは、食事中にテレビを消す。
自閉症にとってはそれが不可欠な療育のひとつだが、福助誕生以前、それは結婚したときからの我が家のルールだ。というか、私は独身時代、自分のテレビを持っていなかったから、大人になってから長いことテレビを見ながら食事をしたことがない。
子どもの頃、私の家では食事中にテレビがついていたが、私はテレビを見ながらご飯が食べられない不器用な子どもだった。そんなことをしたら口の中に食べ物を入れたまま咀嚼も忘れてこぼすか、食べ物が口の中でうんこになるまでかみ続けたか、のどちらかだった。ちゃぶ台の上は生ゴミの山になり、父の雷が落ちた。だから、がーっと食べてしまって、食べてしまうまでは食事に集中して集中して、それからゆっくりテレビを見た。大人にとってテレビから出る光線は、確かに子どもをバカにさせるように見えただろうと、今なら両親の気持ちがよくわかる。
夫の実家に行くと、テレビはつけっぱなしだ。下手すると一日中ついている。夫は子どもの頃、こたつから首だけ出し亀のような状態で、日がな一日テレビを見ていたと言う。 (そりゃあ4歳までしゃべらなかったという伝説も当然だろう、という気がする)。
夫の実家での夕食は、だから、夫も、夫の姉の子どもたちも、一族全員がちゃんと食べられるのに、私と、私の子どもたちはやはり不器用で、固まって食べられないのだった。親子だなと思う。その姿があまりにもバカに見えたのだろう、テレビを見ながらの食事にも馴らした方がいいのではないかと姑に言われたが、世の中には慣れだけでは飛び越えられない高いハードルがあるのだと心で反論しながら、自分の食べこぼしを必死で隠していた。

私の食事が早いのも、テレビ光線を浴びたせいだ。
なんで女の子たちがあんまにちまちまお口に運ぶのか、彼女たちのお弁当が自分の幼稚園児の頃の量しかなくて足りるのか、それでもでっかいお弁当箱の私より食べ終わるのが遅いのはなぜなのか、さっぱりわからなかったものだが、どうやら原因はテレビにありそうだ。
私はとにかく食べて食器を運んでしまわなければ大好きなテレビが見られなかったから、「いただきます」というやいなや、アズスーンナズポッシブル、もう必死に、寸暇を惜しんで食べた。いやほとんど、飲んだ。今でも汁かけ系が大好きなのは、早く食べられるからだと思う。
中学生のとき、祖父母と 10日間一緒に暮らした。世の中にはテレビを消して食事をする家庭があることを初めて知り、またそれがどんなに豊かな世界かを知った。いいとこの次男坊だった祖父は、私に箸使いを厳しくしつけた。そのおかげで、とりあえず作法通りに食事ができる。その一年後に亡くなった祖父の最大の遺産は、私にとっては、この箸使いと作法だったと思う。世の中のじじばばは、孫を甘やかすばかりでなく、自分に自信のあるところをびしびし教え込んだらよろしい。その方がつまらないおもちゃや洋服を買い与えて一時的な関心を向けさせるより、ずっとあとまで残るいい投資だ。あの10日間がなかったその後の人生を想像すると、ちょっと怖いぐらいだ。
とはいえ、基本的に早食いの私の食べ方には品がない。
接待が苦手だったのも、誰かと一緒に食事をするのが今ひとつ苦手なのも、だから主婦たちのランチに付き合いが悪いのも、やっぱりテレビのせいだと思う。大好きなドラマ、「ザ・プラクティス」という法廷物を見ていて学んだんだけど、アメリカだったら立派に裁判として成立する気がするが、どうか。タバコの訴訟も、ドラッグの訴訟も、製造販売社責任だし。
テレビのせいで、早食いになった私。テレビのせいで、品がない私。訴えるべきは、メーカーなのか局なのか。テレビのせいでバカになったり、問題行動が身についてしまった人、集団訴訟しませんか。
テレビの見過ぎですか、そうですか。

 
 

 2004-3-12
 

夫と昔、「ザ・フライ」のビデオを見た。
夫の前カノは「もし、みそがひょんなことから蠅の遺伝子を持ってしまって、半分蠅人間になってしまっても愛せるか ?」の問いに、「だめー」と答えたのを知っていたから、私は自分の愛の深さを証明したいと思い、普段手を出さないジャンルの映画に、果敢に挑戦したのだった。
結果は、「だめー。絶対、だめぇぇぇ」であった。覚せい剤撲滅運動の政府公報並に、ダサイ私。この程度の恋心でうっかり結婚してしまった新婚の自分に悩んだ。でも、「みそはえ」は勘弁していただきたかった。ふきのとうのみそ和えなら、おいしいんだけどね。

しかし、福助ならべつに「蠅助」になったところで、最初はビビるだろうがやっぱり抱っこしてキスできると思う。多少、ちくちくするだろうけれども、ああ男の子だね。ってなもんだ。ドロドロになってもね、変な汁出してもね、だから蠅助になったところで、「何か問題が?」というのが、多分普通の母親の気持ちだろう。最初はビビるって、だからちゃんと言ってるじゃん。きれいごとは言わないよー。でも、慣れると思う。だって、蠅助になってもやっぱり、かわいい福助なんだもん。

ちょっといやなことがあった。
まあね、みんながみんな、障害に興味を持ってくれるはずもないしね。できれば、障害児とか福祉系は遠くにありて思うもの。私だって、「仮に蠅助になっても世界一かわいい福ちゃん」がいなければ、わからなかったことがいっぱいある。
見たことない蠅人間が突然現れれば、それはびっくりするだろう。
恋人でさえ抱けなくなるほどだったってことは、私も昔は「そっち側」の人だったわけで、偉そうに言う資格はないんだ。
けど、「みそはえ」は、今なら受け入れられそうな気もする。変な汁も拭きましょう。ちくちくも抜きましょう (抜いちゃダメ? ) 歳とともに、私の器も大きくなった物だなあと自画自賛したいわ。逆に言えば、いい大人が偏見丸出しにして「ああ、気持ち悪い。そういう人、ダメぇ」って言い続けてるのも、どうかと思う。
家族なんて半分他人だし、理想通りになんかならないよなあ。
自分の子どもだって、夫だって、親兄弟だって、いや、自分自身でさえも、いつ病気やケガで、ハンディ負うかわかんない。友達も含めてさ、大切な人が一瞬の油断で蠅人間になっちゃったとして、あるいは産んだ子が蠅人間だったとして、って、想像ぐらいできないかなあ。いや、そういうご苦労、いっこもないまま大人になった人もきっといるんだろうなあ。すごく希少価値で、それはそれで超ラッキーな人といえるかも。ああ、だから昔から「おめでたい人」というのか。けだし、名言だな。
福助が、ある人の目からは蠅助に見えたらしい。それはいい。どう見ようが勝手だ。
けど、そういう「ちょっと変」な子は、排斥して隔離すればよい、と言われているのを噂で耳にすれば、切なくてたまらなくなる。悲しいし、かなり不愉快でもある。その人の大事な人と、私のかわいい福助は、どこから見ても等価値なんだけどなあ !! 
いつかその人が蠅助サイドに立ったとき、過去に自分の吐いたつばが、天から降ってくるだろうから、そのときにわかるだろう。仮にラッキー続きであったとしても、老いて利かなくなる機能が出てくれば、少しはハンディキャップが、身にしみるはずだ。
同時に、長く生きていけば、経験が知性を磨き、想像力も育んでくれるかもしれない。
つまりは思いやりだ道徳教育だでマニュアル的優しさを叩き込むより、いろんな種類の人と触れ会い、考える機会と未知の経験をして、そこから想像力を磨くことこそ、誰でも生きて生きやすい社会を作る種だな。
ちょっとイマジンを思い出す。ジョンは、すごいなあ。って、友達かよ。
こんな日は布団をかぶって寝ちゃうが勝ちだ。

 
 

 2004-3-15
 

「こんにゃくって漢字、書ける ?」
母・ヨシコの問いかけはいつも唐突だ。天下一品ラーメンをすすりながら、なぜそんなことを問う?
彼女とは、細胞分裂の胎生期を含めればそろそろ40年のつきあいになるといのに、未だによくわからない。
そういえば先日、「蒟蒻畑」を買ったなあとじっくりパッケージを思い出して、書いてみた。私の記憶は基本的に画像処理型。だから突然新しく建物が建ったりすると道に迷うタイプだ。
「ろうぜきは ?」
これじゃないかなあ ? いちいち目をつぶらないと思い出せないのが情けないが、「国語」だけならとんでもない偏差値、しかしある意味数学がその対極のとんでもなさだったために国立大をあきらめた身に、何たる狼藉。割り箸を置いて、テーブルにさくさく書いて、
「あってる ?」
と聞いてみた。
「うーん。忘れちゃった」
……あーのーなー !! 手元、見てないだろ、くぉら。にっこり笑ってさっさとひとりでラーメンをすすっている母・ヨシコ。憎めないキャラではあるが、この「不思議ババア」は……。彼女が姑でなくて本当によかったとする。

母・ヨシコを田無の駅まで送ったあと、 P子も福助も後部座席で爆睡。私も咳止め薬の眠気と戦いながら家路を急ぐ。今日も母ヨシコに託児してちょっと遠くまで取材に行っていた。ここのところ物理的に睡眠時間が少ないので、とにかく早く寝たかった。到着後 P子に声をかけ、福助を抱きあげフラフラしながら玄関を開けた。ばびょーん、ぐぇー。と、今まで聞いたことのない獣の鳴き声がするので急いで福助をベッドに置いた後、駐車場に戻ると、P子がうずくまっている。
「どどど、どうした」
「うう。手を。手を挟んだ」
左手で勢いよくドアを閉めたら右手がドア部分に残っていて……ということらしい。え。どうやって ?
この人とは胎生期を含めれば丸7年を越えるが、予測がつかない行動に関してはもう全く予測がつかないのだった。寝ぼけていたのかもしれない。いや寝ぼけていなければ、ありえない事故だ、普通。
まず冷やす、みるみる青くなり、ふくれてくる人差し指。「折れてるといけないから」と、念のため割り箸で副木をあて、三角巾を小さく切って包帯代わりに縛って、とにかく冷やす。明日病院に行こう。と言ったが、痛くて眠れないと泣いているので、救急で病院に。
青ざめて震える痛がり方はヒビぐらいいっちゃったかなと思っていたが、レントゲンを見ると素人目にも全く大丈夫。不安そうなP子に、先生の診察前だけど見たところ平気よと言ってみたら、突然ケロリと豹変したのだった。あの痛がり方は何 ? ねぇ、 P子、あれ、なあに ? まぼろしかい ?
金属製の副木をあて包帯をぐるぐる巻いて、(なんだ私のやったことと同じじゃん ) 鎮痛剤をもらって、5000円なり。まあね、私はどんなに目を凝らしても、骨は透視できないし。安心料、安心料。と思いながら、もはや普通と変わらないP子に、何となく納得できないのだった。もちろん P子は、鎮痛剤も飲まずに寝た。

  仕方ない、これが私の子どもなのだ。昨日あれだけ親を喜ばせたんだから、こういうことでトントンかなと思う。
日曜日は一年がかりで仕上げた英語劇の発表会。
ホンダのアシモ (初期型 )みたいなぎこちない動きではあったが、それが足の悪い女の子がおそるおそる歩き出すという彼女なりの役作りだったのだろう。もう、クララが立った瞬間、そこがツボの私としては涙が滝のようだった。
朝から夜まで劇場にいて、娘にメイクしたり衣装チェックしたり飲み物をあげたり、わざわざ来てくださったお客様からのプレゼントを預かったり。「習い事」としての英語劇だから、華やかな世界ごっこにすぎないのだが、そのマネージャーごっこは、高校時代演劇部だった私には、それなりに楽しい一日なのだった。
ただ、メイクはするよりされる方がいいなあ。舞台は見るより出る方が何倍も楽しい。ゲネプロ (最終リハーサル)の時、一番前で台本を握りしめ、娘の動きに合わせて一緒に表情を作り、一緒に台詞を言い、一緒に歌いながら、小一に覚せい剤打つような真似しちゃって、こいつはこれからずーっと板の上にあがり続けたいと思うんだろうなあと思っていた。
本番では、大きな舞台の上に立つ、光の中の小さな小さな彼女を見ていた。
ダメ出しでスリッパを投げたい気持ちと戦いながらも、もうそれは彼女のお芝居であって私の芝居ではないのだからだまって見守らなければ。と、思う。仮に私と似た道を行くとしても、彼女は彼女であって、私の延長ではないのだ。と、三回のステージ、毎回鼻をばりばりかみながら自分に言い聞かせていた。感情移入しまくって、目が腫れたけど。
しかしまあ、私はさすがに自分でしめる車のドアに手をはさんだりはしない敏捷な子どもだったので……大丈夫、まるっきり別人だな。うん。

 
 

 2004-3-20
 

お花見の予定だったのに、雨。しかも、雪が降りそうな寒さ。
数週間前にもういいかとヒーターをしまいかけて、「三寒四温」とサザエさんに教えられた。しまわなくて、本当によかった。そして、サザエさんは実に日本のいろいろを教えてくれるとてもいい教科書だと思った。
ところで、花見弁当を担当してくれる予定だった友人宅に、ご飯を食べさせてもらいにいく。ここの奥さんの手料理はヘタなレストランよりずーっとおいしいのだ。才色兼美かつ料理上手、彼女にはどこか欠点がないとおかしいのだが、とりあえず穴がない。あ、なんか誤解を招く小野小町発言。逞しいご子息と麗しいご息女を産んでいるので、欠点、という意味で穴がないのである。このHPを読んでいないと知っているのでなんかすごいことを書いているか、私。しかし、いつか重大な欠点が発見されたとしても、私は多分彼女が大好きだ。あの抜群な手料理がある限り、いつまでも仲良くしたい。
吉祥寺時代のお隣さんが、なんともすばらしい夫妻で、引っ越してなお、未だにおつきあいがあるといのはありがたいことだ。前は宴会して酔っぱらってもすぐ隣に帰ればよかったのだが、今回は車のため、私はお酒を我慢する。それでも楽しいんだから、実のところお酒なんていらないのかもしれない。
ご主人は生粋の名古屋人かつ国際人である。ご実家は超がつくほどお金持ちで、自身も優秀なビジネスマンでありながら、たとえば 1000円値切るために家電量販店二軒をはしごして交渉した話を絶妙な笑い話にして聞かせてくれる。このゲーム感覚の駆け引きを楽しめるところが、我が家のツボと一致する。我が家の場合は、最近では切羽詰まっているという点が微妙に違ってきたかもしれないが。
気がついたらすでに夕食の時間、ほぼ丸一日、二家族でたっぷり遊んでしまった。
居心地のいい家というのが、あるのだなあと思う。
ホスピタリティー、というか、居心地のよさをつくりだす人の力というのも、あるのだなあと思う。ただ単に気が合うだけかもしれないが、多分彼らはどんな種類の人とでもきちんとうまくやっていけるご家族なのだろうな。ちょっと異星人気味の福助も、とにかく楽しげだった。二歳年上の美人なご息女を勝手に「バニー」と愛称をつけて呼び、さんざんなついていた。P子もバニー(仮称)と、兄バニー(仮称)と仲良く遊び、「泊まりたい」と珍しくだだをこねた。帰りがけに、福助は「バニー、早く靴、はいて。一緒にいこうね」と、手を離さず、やっと車にくくりつけたら、何度もグッバイといいながら眠りに落ち、起こすと第一声は「バニーは ?」で泣き、なんというか、花見のはずが、Kご一家を満喫した春の一日であった。

 
 

 2004-3-21
 

うぃーっす。
声がちいさーい。うぃーっす。
大きな声で、ご冥福を祈ります。ささやかに、喪に服した一日。
私たち世代で、ドリフの洗礼を受けていない人はいないからなあ……。土曜日に逝ったのか、長さん。なんだか、悲しい。日本中の同世代がきっと、ちょっと悲しい。明日はワイドショーとか、見ちゃうなあ。

 
 

 2004-3-22
 

きょうは、おかあさんがおしごとのひだとゆうので、 P子はふくすけのベビーシッターをします。
けど、おかあさんはちっとも、だいどころにいきません。いつも、ごはんをたべるところで、おかあさんはパソコンをうちます。けど、「きょうはさむいねー」とかいって、リビングにすわったままです。
ねむいからひるねしようかなとゆったのに、「あ」と、とつぜんおきて、「ごめん、ちょっと見せて」と、ディズニーチャンネルからワイドショーにしてしまいました。
「いかりやちょうさん」とゆう人のことを、ぜったいに見なきゃいけないのだ。と、いいはり、テレビを見ていました。 P子は見たこともない人でした。「しりあい ?」「いや」「すきな人 ?」「べつに」といっていました。じゃあ、なんで見るんだろう。
「うるさいなー、いつもおかあさんはテレビを見てないんだから、たまには見せてよ」と、いいます。いつもみないんだから、きょうも見ないでいいのに。と思ったけど、そんなこというと、おかあさんにどなられるので、だまっていました。
そのあと、おかあさんはガチャガチャ、チャンネルをかえて、「なんだこれ」とひとこといったまま、ぎんこうごうとうのえいがにはまり、そうなるとおかあさんは、だいぶつとおなじでうごかないから、 P子はふくすけとずっとずっとあそびました。
「あー、おもしろかった。スペーストラベラーっていうのかー」タイトルをしりたかったらしいです。タイトルもしらないでずーっと見ていたのも、さすがおかあさんです。
そのあと、おかあさんはやっとだいどころにいってパソコンをつけました。けど、「あーそーっか」「おどるだいそうさせんのかんとくなんだ」「ちばニュータウンだったのかぁ」などといっているので、たぶんおしごとはしていません。でも、ごはんもつくってくれません。わがやは、このさき、どうなるのでしょう。

てなことを、 P子なら書きそうだなと思った。私は小四のとき、我が家の実情を生き生きと作文に描き出し、父親と母親からこっぴどく怒られたので、この程度なら許容しようと思う。っていうか、仕事がまるではかどりませんの。寒いし。眠いし。福助の幼稚園道具一式がなくなってて、ちょっと青いし。それなのに日本映画、面白いし。おかしいなあ、仕事となればすぐにレッドゾーンに入れられる自信があったのに、この暖気運転は一体……。

 
 

 2004-3-25
 

時々、身体中の筋肉がぺきぺきっ。と、つる。腹筋だったり、脚だったり、肩だったり、いろいろな箇所、一カ所だけが、前触れもなく。
「うわあ、肉捻転だっ。肉捻転がやってきたっ」と、勝手な病名を名付けて嵐が一過するのを待つ。まさにぐぉぉぉぉぉーっと瞬間痛くて、しばらくするとけろりと治っちゃうの。痛いときはそれこそシャレにならないほど痛いが、滅多に起きないし、あまりに時間が短いため、病院に行くまでもなく。
ある書籍によれば、原因は水分とミネラルの摂取不足らしいんだけど、今までこんなことなかったのにくしゃみして腹筋がつるほど私の筋力は弱っていたのか !!と、老化を感じる。
昨日はそれが、右の胸筋で頻発した。そのたびに、いててて。と、胸を押さえるので、さすがにゴビ砂漠よりもドライなP子も、だんだん心配になったらしい。
「大丈夫?」
「ぐげげげ」 ( 悶絶)
そりゃ、心配だよな。痛みが終わって、
「あー痛かった」
と言うと、 P子が決意したような顔で私を覗き込んで、
「死なないの ?」
と、聞く。
「んあ。大丈夫だよー。お母さんは不死身だ」
「 P子ね、知ってるよ。お母さんが死にそうになったら、冷蔵庫の横だよね」
「ああ、そうね。よろしくね」
冷蔵庫の横には、私の遺言状があるのだ。リビング・ウィルの宣言書と、葬儀の指示と、夫と子どもに最後の手紙がある。これは二十代から、毎年更新されてきた。混乱を避けるため必ず破棄してきたが、捨てないでとっておけば過去の私の決意や変遷と出会えたのになと、ちょっと惜しく思う。
「ねぇねぇお母さん、今は「ゆいごんじょう」、開けてないよね ?」
「え、なんで ? あのさ、 Pちゃん。あの「ゆいごんじょう」は、本当に死にそうになったときと、死んじゃったときって言ったじゃん ?」
……どうも合点が行かない顔をしているP子。
けろりとよくなったのが、何か変かな ?
「一応、念のため言っておくけど、あれを開けたからって、病気が治るわけでも、お母さんが生き返るわけでもないっていうのは、わかってるよね ?」
「ええーっ。そうなのぉ ?」
そりゃ、そうだよ。
P子は苦しいときに「ゆいごんじょう」をあければ、痛みは退散、即時、私が生き返ると信じていたらしいのだ。本当に危機一髪で、ええいって遺言状を開いてみたけど煙も出ない、って言うのじゃなくてよかったよね。悲しみもひとしお、葬儀じゃ笑うしかなくなり、 P子の心はさらに砂漠化が進んだことだろう。何でもわかっているように見えるんだけど、まだやっと一年生が終わったところだったんだね。ひととおりのことがわかるまではそばにいて、面白い誤解で笑わせてもらおう。
でも、そんな魔法の「ゆいごんじょう」があったらいいね。

 
 

 2004-3-27
 

「ついこのアイパー状態」を、パソコンで初めて味わった。
ついこのアイパー、とは、いしかわじゅんさんのアシスタント氏が、徹夜続きのもうろうとした頭でペンを握っていて、ネクタイだかなんだかに模様の代わりに書き込んだメッセージである。半覚醒状態というか半睡眠状態で、だから「ついこのアイパー」の意味は多分、一生謎のままだ。
っていうか、おそらく全く意味はない。
夕べと言うか今朝方と言うか、ぱこぱこキーボードを打っていて、私は船を漕いだ。ふんわーん。と頭を振ったところであわてて目を覚まし、画面上の訳の分からない文字の羅列を見て、キーボード打ちながら寝ていたんだと知る。即座にセーブし、ベッドに入り、ぐぉぉぉぉーと眠りの世界にさらわれていく瞬間、「ああ、ついこのアイパーだった」と、もう十年以上前に聞いた実にどうでもいい、解明の糸口さえない、すっかり忘れていた、そしてそのまま忘れっぱなしにすべき謎の言葉を思い出したのだった。いしかわじゅんさんが「第一回・猿テニス協会強化合宿 in 河口湖FIT」に向かう車の中で、そんな話で私たちを笑わせた。確かに、ネクタイの模様に「ついこのアイパー」はないよな、花札の「あのよろし」 (あれは何か意味があるんですか ? )じゃないんだし、そんな粋筋のネクタイをしめるのには覚悟がいるだろう。のちに「フロムK」でも、「ついこのアイパー」ネタを読んだような記憶がある。しかし、なんでもない一生闇に葬られていたはずの、いしかわじゅんさんとその一味しか理解できない意味のない言葉が、いや生みの親のアシスタント氏も、育ての親のいしかわさんですら、すでに何十年も前のことだから忘れているかもしれない「ついこのアイパー」という言葉が、私のまさしく「ついこのアイパー状態」によって、鮮やかに蘇ってしまったのだ。
意味がない、言葉。
過ちによって生まれ、笑いとともにすぐに消えてしまった、シャボン玉のような言葉。
しかし意味がない命などないように、意味のない言葉にも、命を吹き込んでやりたい。
ああ、ゴーストライターをやっていると、人間、変わるものね。きっと「ついこのアイパー」という言葉は、自らの言霊で、私に呼びかけたに違いないのだ。
これから「トランス状態」を、このサイト上は「ついこのアイパー状態」という語句を用いて書くことにする。
そんなことを解説している暇があったら、寝た方がいいのではないかと、ちょっと思う。仕事の息抜きに、 HPの日記を書いている私。キーボードをたたいていれば幸せなんだから、安上がりだなあ。

 
 

 2004-3-27
 

「ああ、鈴木さんですか。新幹線 OO五号の予約なんですけどぉ、禁煙席はとれなかったんですね」
と、電話口でさんざん待たされたあげくの開口一番が、これだった。
「で、喫煙ならとれますけどぉ、どうしますか」
「喫煙席なら結構です」
「じゃあグリーン車か、そうじゃないなら別のになりますね。どうしますか」
「今、出先からなんで、わかりませんけど」
「じゃあ、ひとつ前の便でぇ。あー、これだと一時間ほど駅で待ってもらうことになりますけど、これなら禁煙がとれますから」
「あの、ちょっと待って。ずっと以前から予約を入れていたので、今日になって切符がとれないっていわれても困るんですけど。しかも駅で待ち合わせ一時間って何ですか。どういうことですか。子ども料金があるの、わかります ? 子連れでそんなの、いいわけないじゃないですか。かなり、感情的になっちゃうんですけど」
「でもぉ、確約じゃないんですね。 (ちっ)みなさん、チケットが欲しいわけですから、そうなった場合はあきらめてもらうしかないわけですよ (はぁ)」
なんだなんだ、今の舌打ちとため息は ?
あのなー、お姉ちゃん。なんで申し訳ございませんがいえない!
本当に朝いちでとったの?
じゃあなんで電話がかかって来た記録が10時半になってるの?
「確約じゃないんで」じゃなく、努力したけど意に添えませんでした、ごめんなさいと言うんじゃないか、普通の旅行代理店なら。
ああまったくもー、旅行代理店に頼めばよかったよ。旅行関係の民間企業はどこもものすごい競争にさらされているから、サービスがいい。
なのに JRのびゅうプラザは、何 ?
もし、自分の仕事に誇りを持っていて、とれなかった無能さを恥じるなり、努力が報われなかった不運を嘆くなりするなら、その旨を伝えればじゃん。「力及ばず」と、謝っている相手に、怒るつもりはないよ。
でも、 GWの連休初日、激戦覚悟だからこそ、JRのびゅうプラザまで足を運んでだよ、事前予約入れておいたのに、「プロの名にかけて努力したけどダメだった」というのが全く、伝わってこない。
とれないことは責めない、でも、それで
「あんた、とれないのは私のせいじゃないのよ、まったくおばちゃんはうんざりだわ。発券してるだけなんだから、とやかく言わないでよ。文句があるなら時刻表、みなさいよ、自分で所要時間でも何でも調べりゃいいでしょっ」
っていうのがありありなんで、腹が立つのだ。
もともと、先日JRびゅうプラザにいって、だいたい何時までにどこどこに行きたいんだけれど、乗車券と特急券を頂けますか ?と言ったときから、ひどい態度だったのだ。自分で時刻表を見てくれと言う。見方がわからないと言ったら、あからさまにうんざりされて、びっくりした。一応インターネットで検索したかすかな記憶を、
「記憶違いならごめんなさいなんだけど……新幹線 OO 5号と特急××3号が、つなぎがよかったんじゃないかと思うんだけど」
といったら、「わかってるんなら言えよ」とばかりに舌打ちされたのだ。おいこら。
窓口にはきれいな姉ちゃんじゃなくて、いくら時刻表を見てもうっとりしてられるような鉄マニアを置けよ、JRもよ。旅人の情熱を刺激するような、鉄マニアを。飛行機で吐かないなら、私は飛行機を使うぞ。くぉら。
結局、多少到着時刻が遅れても、せめて一時間待ちじゃない別の提案はありませんかと聞いたが、「ありません」といわれた。こら、女、プロとしての恥を知れ。

その後、改めて、所要時間最短の新幹線の名を夫に調べてもらう。それを伝えてみようと電話をした。お出かけの電車をわざわざ降りて、電話をかけ続けたのに、ちっとも通じない。商売繁盛、結構ですな。
仕方なく、その 6時間後、JRびゅうプラザに立ち寄り直接交渉。
所要時間がもっとも短い、連絡のいい便を提示する。客がこれをくれ、というんだから、さっさと発券すればいいのに、「それでは到着時間が違いますけど」「いいんです、所要時間が短いことの方が大事ですから」「でも、そうするとこの特急券が使えませんよ?わかってます ?」と、どうでもいいことにこだわる。別に私はどうしてもその「特急なんとか 3号」に乗りたいわけじゃないんだよ、マニアじゃないんだから。目的地に早く着くことが大事なの。といったら、
「そうですか。じゃあ、この特急券なんとか3号と、一本前の新幹線は、キャンセルしていいんですね ?」
と不機嫌そうにいわれた。あーたーりーまーえーだぁぁぁぁぁ。特急券キャンセルする分、こっちの財布は傷まないんじゃあ ! ラッキーなんじゃあっ。
このときの窓口担当は、それでもさっき電話口に出て来た姉ちゃんとは別人だったので (声でわかる)あんまり責めてもいけないだろうと思った。まだこっちの方がマシだ。少なくとも、私の意向を汲んで、時刻表を喜んで見つめ、特急電車に対する愛がある。
その他、こちらからは復路も含めて複数の提案をし、キャンセル待ちも指示して、後日チケットをとりにくることにした。彼女のプロ根性なのか、時刻表への愛があるのをいいことに、かなり面倒な指示をしたりもしたので、帰り際、「お手数をおかけしました、どうもありがとうね」と言ったら、「いいえ、いいんですよ」といわれた。
耳の錯覚かと思った。
あーのーなぁぁぁぁ。まだお金は払っていないが、客は私だ。ありがとう、は、お前が言うんじゃあぁぁ !! 商品買ってもらって客からありがとうって言われて、「いいえ」って何だ? JRがそんなにエラかったとは知らなかった。ちくしょう、空路にすればよかったな。

 
 


 2004-3-30
 

歳月が熟成させる味わい、というのがある。
しかし、すみません、育ての親・いしかわじゅん大巨匠 (またおおげさな冠)から「ちょっと違うぞ」とメールを頂きました。以下、その部分だけ無許可抜粋。

「ついこのアイパー」は、セリフだ。原稿を渡して、戻ってきたのを 見たら、フキダシの中の俺の書いた鉛筆書きのセリフにペン入れがして あって、それが「ついこのアイパー」だったんだ。もちろん、俺は そんなセリフ書いてなかったけど。
 ネクタイは、また別の話だ。ネクタイの柄を描かせたら、寝ながら 描いて、ずーっと下のコマの方までネクタイの柄を続けて描いたんだよ。 長いネクタイみたいに。


わははは。やっぱり生身のネタの方がおもしろい。
こうやって読むと、風化しない笑いだったんだなあ。記憶の端にひっかかる、というのは、こういうものなのだろう。勝手に改ざんしてしまってごめんなさい。>いしかわさん。
おほ。眠ってなくても「ついこのアイパー」なお脳をもつ、あたし。

 
 

 2004-3-31
 

異物をいれてはいけない、というのは、体内でも機械でも、常識である。テニスと仕事のときだけいれるコンタクトレンズでさえこわごわな私が、好んで異物をいれるはずなどないということを、まず宣言しておきたい。

ちとからのM銀行に行った。
ケーブルテレビの支払いがうちのメインバンクからは引き落とせないというので、仕方なくその口座を使っている。だからいつも残高は100円単位だったが、ここのところ期日に銀行にいけず、支払いが遅れてるぞ通知が来るようになったので、この際まとめて一年分、口座に入れておくことにした。
ATMで作業するのを見ていたら「硬貨」という欄をみつけた。財布には小銭がうなっている。「硬貨はは80枚程度まで」とシールが貼ってあり「そんなに数えられるんだ」とびっくりして、財布の小銭をわしづかみにして、とりあえずその口座にぶち込んだ。
つまり、私はその銀行に預金したのである。預金者であり、立派なお客さんである。
機械が止まった。
連絡して、待って、機械をあけて作業している文句の声を、機械越しに黙って聞いていた。
やがて初老の行員がやって来た。怒っている。まあ、機械の後ろであれだけ悪態の限りをついていたのだから、相当何か問題があったのだろう。あんまりお行儀のいいもんじゃないなあ、聞こえてるぜぇと軽く突っ込んだりしながら、3分位、待った。
「すみません」
と最初に謝ったのは私だ。何か私に不備があったのだと言うことはすぐわかった。
ざるの中には、通帳と外国のコインと、ハッピーコイン (お守り )が入っていた。ああ、つまりの原因はこれか。
「あらコイン、入っちゃってたのね、異物ですね、ごめんなさい」
と多少取り繕う笑顔で、私は言った。しかし、行員は笑ってくれなかった。
「そうですよ !! 気安く考えてもらっては、困るんです」
私はものすごい剣幕で叱られ、びっくりした。どんなに重大な罪をおかしたのかわかっているのか、この ATMを壊したら器物破損でお客様に修理代を請求し、弁償してもらわなければならないとまで言い、そもそもいくら入金したかもわからないのも困る、数えて確認してから入れるのが常識だみたいに言われ、
「今後、気をつけてくださいよっ」
とまで言われて、行員はぶりぶりしながら、さっさと消えた。
仮に、男のケツの穴に異物を突っ込んだとしても、こんな言い方をする男はいないだろう。異物を入れる趣味はないので、知らないが。
私は預金した。その預金にたまたま異物が混じっていただけで、それも故意にではなく間違えたことを謝りもしたのに、なぜこんなに叱られなければならないのか。
最初、あっけにとられ、だんだん私は腹が立ち、最後は返事をする気にもなれなかった。ネームプレートの名前をにらみつける。もし子どもたちが銀行内で走り回っていなければ、その場でちょっと待てと文句を言ったのだが、とにかく明らかに子どもたちは他の客の迷惑であり、そんな躾けもできていない私が行員にくってかかるのも、と、一度は鞘をおさめたのだった。
しかし、おさまり、つかない。子どもの躾けと行員の躾け、私は子どもには責任を持つべきだが、では行員の責任は誰が持つべきかを考える。いい大人が、自分の銀行の機械を大事に扱えと喧嘩を売って来たのだ。その機械はそもそも誰のためのものなのか。自分たち行員が楽をするためか。それを客は恭しく使わせていただけというんだな。ばかやろー、取引停止だ。二億円の貯金と一億円の投資信託に外資預金を引き上げる、などと言えたら、頭取真っ青だろうに。しかし M銀行はメインバンクでもなければ、メインバンクに入っている預金額は3桁ほど違ってもいるので、恫喝はできない。
帰宅しお茶を飲んで落ち着いてから、電話をする。
「弁償しろといわれたが、その根拠は何か。では仮に弁償金はいくらなんだか教えてもらいたい、どこに弁済義務が書かれているのかも提示せよ。大書してあったにも関わらず私が違反したというならばともかく、故意ではないミスに対して、預金者を責め、弁償させるという根拠のない脅迫をしたのはどういうことか。納得できない言われ方だったので、あそこまで言われた理由を知りたい」
ひとつひとつ正して、結局、電話口で行員、平謝り。
外部には出していないなんとかという規約で弁償してもらうことはあると書かれているに過ぎないこと、とてつもなく悪質なもの以外、弁償させることなどないこと。外国コインが混ざることを悪質だと考えたわけではないこと、しかし入金したはずの金額が入金されていないとクレームがつきつまりによる事故で謝罪しなければならないことも多いため気をつけていただかないと我々としては困ること、弁償義務がないのにあるかのように言ったのは脅迫のつもりではなく言葉足らずだったこと、異物を入れるなと勧告する提示義務を怠って感情的に叱ってはいけないこと、
「すべて、申し訳ございませんでした」
……だってさ。おばちゃんをなめんじゃないわよ。
しかし、ひとつひとつひもとくと、アンタが怒っていたのは、全部「自分の都合」なんじゃん。と、話しながら半ばあきれてしまった。要するに、私はあたられたわけだ。すべて自己完結し、その狭い世界観だけで、立場忘れて客に甘えるんじゃねぇ !! と言いたい。私よりずーっと社会経験も積んでいて、夫よりずーっといい給料を得ているだろう日本を代表する金融機関の行員がこういうレベルなのか。大人だと思ったから上司に言うのではなく本人と話したが、ちゃんとママに叱ってもらうべきなのか。商いの基本を一から叩き込むべきなのか。 ねえ、この社会の「サービス」って概念は、大丈夫なのかしら ?

もちろん、私は異物を入れたことに対して改めて謝罪し、今後、二度と異物を入れないようにしたい旨、申し上げました。

 
 

  
 
日記
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