今年から趣味に『親孝行』というのを加えている。
介護、とかいうと重くなっちゃうので、これは趣味・親孝行なのだと思って行く。趣味だから、嫌なら休めばいい。途中で投げ出してもいい。母ヨシコは、介護すべき対象ではなく、趣味の先生である。
そんなスタンスだと、あまり気にならなくていい。
先週の親孝行は、母ヨシコと『ALWAYS三丁目の夕日64』を見て、たくさん昔話を聞く。だった。
これは楽しかった。
入試休みだったこともあり、娘も連れていく。
母ヨシコはとにかく上機嫌で、映画が何を刺激したのか、もうあまりにもおいしい天然ボケの言葉が炸裂するから、私は尻を捕まえては強引に笑いに持ち込み、娘P子をヒーヒーいうほど笑わせ続けて、三人とも笑いっぱなしの一日になった。
なぜだか大量のいちごとチョコレートを持たされた帰路、娘P子が言った。
「おかあさん、おかあさんの家族って、みんなみんな、かわいそうだったんだね」
いや、同情されるようなことは何もないけど?
「そうかな。おばあちゃんは悲しい人だよ。おじいちゃんはかわいそうすぎるし」
P子は真顔だった。驚いた。
ただ笑い転げていたP子は、笑いながらちゃんと、私の父も母も自己憐憫の塊だということを見抜いていたみたいだ。私の中3の頃より、ずっと賢いではないか。
「おかあさんが子どもの時代から、ずーっと、あのスタンスだったんだよね?」
んー、そうだね。私の両親は残念ながら、ものすごくお子ちゃまだったし、百万回も同じ不幸話を聞かされて育ったねぇ。
「・・・そっか。大変だったね」
急にP子に電車の中でよしよしと頭をなでられて、一人でこっそり背負ってきた重い荷物が、すーっと軽くなった気がして再度びっくりした。
趣味のタイ語も読み書きで抜かれたが、趣味の親孝行も、娘のほうが格が上だった。
でもまあさ・・・私は娘に言う。
「悪いことばかりでもないんだよ。『成功は自分のおかげで、不幸は必ず誰かのせい』って大人を見て育つとね、反面教師で、ああ私は潔い生き方をしたい!って思えた。常に責任は自分でとると決めてたから、案外楽だったと思うよ。他人を恨まないし、他人にふりまわされないし、さっさと18で家を出て、やりたいことをやって、そこからずーっと30年間、めっちゃ楽しいしさ」
決定的に欠落しているものも大きいし、育ちの悪さは否めないんだけど、その喪失感を凌駕するものって、ずっとあとから、ご褒美みたいに手に入ることがあって、これまたハッピー。例えば、こんなふうに、イイコイイコされたりさ。それが、ものすごく幸せだったりね。
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