毎日の生活の中で、ああこれは!と思うことがたくさんある。
「うわー、かわいそうだね」
その声で彼女の指差す方向を見れば、ドロドロのぬいぐるみが池袋の繁華街にちょこんと座らされていた。
彼氏に教えている。ああそういうことに気づくか気づかないかが優しさなのかなのかなあ、なんて思ったところ、
「いやーん、ドロドロになっちゃってるね」
とまた声を上げる女子の声。男連れ。でも特に何をするでもなく。
「いやーん、見て見て。あの子、可愛いのにい」
と、またまた。またしても男連れで、やはり指摘だけで何もしないで通り過ぎる。
・・・優しさじゃないな。
「優しい私」のパフォーマンスなんだな。
とか。
人に見せる自分と、自分の知る自分のギャップ。
私も内臓器まで露出する趣味はないから、しまっておくべきはしまっている。
でも、できるだけ正直でありたいと思うし、多分、正直に生きている。
言いたいことを言う。
やりたいことをやる。
でも、それは「こう見られたい理想の自分」を、どこかに置き忘れてしまっているからかもしれない。とも、思う。
とか。
寝坊した朝、娘はあっという間にご飯を食べ、あっという間に出かけていった。見送る時、さすがに間に合わないんじゃない?と言うと、「人事を尽くして天命を待つ!」と言い残すや、もう姿がなかった。
一方、小僧は学校が近所であるため、急げば間に合う。しかし、動かない。「この時間でもうアウトでしょ。頑張っても遅刻は遅刻」と潔い。っていうか、諦めがよすぎ。っていうか、オヤジそっくりな合理性だな。てめっ、少しは子どもらしく焦れよ!!
そして疾風怒濤の娘は天が味方して間に合ったらしく、小僧は見事に遅刻した。
努力が報われる世の中であれ。と願う。
しかしそれは娘のような凡庸な、努力以外取り柄がない娘と一緒にいて、私自身がダメ元の努力をつとに好む傾向があるからだ。
与えられた性格は遺伝か環境か血液型か知らないが、自分に好都合な世の中を望むものなんだなあと思う。そして、自分に似た性格の子どもを、好ましく思うのだなあ。と知る。
とか。
小僧のサッカー練習に遅れそうだからと車を出して、練習場の少し手前で下ろす。
小僧は「ありがとう」と言ってドアを閉め、泰然自若、歩いて行く。サッカーはイングランド発祥のジェントルマンなスポーツかもしれないが、その落ち着きぶりにちょっとイラっとする。
子役だったらNGだろ、と思う。
いやいや、幸い彼は子役じゃなく、サッカー選手だ。この落ち着きぶりがゴール前で生きるのだ。と思い直す。
思い直して、でもだからってそれがトップレベルならともかく、期待してもなあ。と、さらに思い直す。
プロのサッカー選手になりたい、という夢は、いつ現実路線に修正されるのだろう。
「オレの夢はじじいになってもサッカーを続けること」
合理的な小僧はすでにプロの選択肢をもっていなさそうなのが救いだが、だったら1万円以上するスパイクなんかいらないんじゃないかなあと、ちょっと思ったりもする。
私はいつ夢を修正したっけなあ。情熱的な私にとってそれは苦しいことだったかというと、案外あっさりしていたな。いつかくる「戦力外通告」の日が、小僧の新しい誕生日だといい。
とか。
娘は太い。いや、体ではなく心が太い。
弓道大会で皆中を出した精神力を誇りに思う。まぐれかもしれないけど、それはそれとして。
娘には何もしていない。武道なんて、私にはわからないし、やったこともない。部活で勝手に練習して、師匠が勝手に叩き込んで下さって、大会の日にも塩むすび以外作らない。
親は、部活で疲れたときにダラダラと話を聞いてあげるだけである。
先日、全く違う競技人口の多いある競技で全国大会にお子さん二人を送り込んだアスリート親の講演を聞きにいった。
秘訣は「なにもしないこと。競技はコーチに任せて、コーチングに口出ししないことと、自主性に任せること、一試合ごとに一喜一憂せず、ニコニコ見守って信頼関係を崩さないこと、いざというときだけ力になること」。
ああ、娘に対してはちゃんと該当するわ、私は間違っていないのだわ、頑張って国体目指してねとホクホクして、ああ、しまった、小僧には正反対のことをしているかも。と真っ青になって反省した。
コーチはどういったの、こうしたほうがいいんじゃないの、誰々は何をこのぐらいやっているって、ジュニサカのDVDなんで見ないの、前回試合はこうだったけど今回はどうなの、勝てそうなの。集合は何時だから、お母さん何時に車出すね。
悪い親の典型じゃーん。こりゃ、小僧が伸びないわけだわ。
・・・けど、きっと全国大会アスリートの親じゃなくても、親って、きっと、全部において、手を出さずにただ見守るべきなのかもしれない。
たまたま才能ある子がそういう親の元で育って花開いちゃったんだろうけど、そんな才能がなくても、あのようなママに育てられたら幸せな円満な人格が育つんだろうな。
いるなあ。世の中には、素敵な人がいっぱいいる。
子どもがわかりやすい冠を持って帰るかどうかが親の成果みたいに思われがちだけど、実は冠なんかどうでも、その子が幸せな自立した大人になるよう、立派に育てられるかどうかが勝負なんじゃないかしら。ここは頑張って頑張って心配しない体質を鍛え上げ、「何もしない」ようにしたいなあ。
とか。
まだまだ日々雑感はあるんだけど、そろそろお昼の用意をしないと。
2012年01月23日 11:19HOME |
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