時折、目の奥がものすごく痛くなる。
しばらくは目を開けられないほどで、これはなんとなくマズイ痛みだなあと思っていたら、緑内障の記事があり、「しまった、それだわ!」と思う。
もともと眼圧が高い。
眼底が汚い。
痛みがあったらすぐに病院にいけ、と、眼科で言われていたことを思い出す。
私の左目はほとんど見えていないが、それでも矯正視力は出るので運転ができる。本も読めるし、芝居も見に行ける。買い物もできる。小僧のサッカーや、お嬢の弓道を応援できる。相方の漫画も読める。
私は基本、大変単純なおバカさんなので、本当に気づかないことがいっぱいありすぎるのだが、実は福祉を学び始めるまで「中途障害」の多さと苦しさについて、考えたこともなかった。
ある日突然。
あなたにも私にも。
障害者になる可能性は等しくある。
以前、障害児は健常児にとって迷惑だから養護施設に一律隔離して欲しいとあからさまに言う方がいて、その方がいつかハンディーを負った時に、天に唾した形で帰って来ないといいなあと思ったことがあった。
偏見は人を鋭く斬るが、返す刀で必ず自分を同様に斬ることにもなる。
できるだけフラットに、客観的に、緩く、優しくあることは、自分自身の保険にもなっていると思う。
今は障害者の心理から、支援の方法までひと通り大学で学んだものの、それでも時折自分の身に振りかかった時に、正直、それを受け入れるまでの逡巡については想像しきれないところがある。
偏見とはまたちょっと違う、当事者としての苦悶である。
支援者であることと、当事者であることは、天と地ほども違うことを、想像の中ですら思い知る。
本当に大変なのは、当事者の方たちなのだ。
そして、先天性と中途障害では、これまた残存能力において、大きく差があることも考えると、本当に切なくなる。
私には翼がないから、今、そんなに不自由は感じない。だが、普通に翼があって人はみな自由に空を飛べていたのに、それををもぎ取られたのだとしたら!
およそ一年前、頚椎症と診断された。
手術することを前提に検査入院したときには、「寝たきり」がちらついてちょっとぞっとしたけれど、どこかで自分は大丈夫なんじゃないかなあと信じていた。
今でも痛みと痺れはずっとある。結構洒落にならないレベルで、ある。46年生きていれば多少ポンコツにはなるのだ。
排尿コントロールができなくなったら、潔く手術を受けなければならないが、理学療法で痛みと付き合っていくという、ものすごくライトなハンディキャップを負って、これは当事者であることを常に自覚しつつも、まだ私が役立てる場を探せる、天の声なんだなと思うことにしている。
でも、目だけは、根拠のない自信を持つ訳にはいかない気がした。子供の頃から、メガネをかけなければ水中にいるような視野だ。あまり自信の持てる分野ではないのだ。
意を決して、眼科に行く。
果たして結果は、「老眼移行期の神経痛」であった。緑内障は大丈夫だった。
老眼、って、あんまり喜べたアレじゃないけれど、それでも疲れ目にビタミンB12点眼で攻撃をかまして、なんとか痛みを凌げそうなのは有難いと思った。
さあ、勢いに乗って、次は甲状腺をやっつけよう。
頚椎のMRIにでっかく写りこんだ白い影を追求しなくちゃね。特に困った症状はないので後手後手だったが、最近声がかすれて、出なくなってきたことだし。
しゃべりすぎるなよ、って、天の声かしら。
というわけで、でっかい病院に行ってきた。検査検査の日々か待っている、らしい。
どんと来い!だ。
40代の女性はどうしても家族が優先で自分の体調管理が甘くなります。
どなた様も、健康チェック、しっかりね!
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