2011年05月02日

賢者の贈り方

お返しが下手だ、私。
プレゼントをいただくととても嬉しい。
だからうれしかった気持ちをお伝えして、何かお返ししたいと思う。
でも、そのお返しがとてつもなく下手なんだ。
マッチ箱ひとつでもいいから、頂いたらお返しをしなさいとしつけられている。だけどこの人は何を喜んでくれるかな、これはどうかな、いや逆にご迷惑かなと考えこんでしまい、時間ばかりが過ぎてしまうのだ。
基本的に消えものがいいと思っている。
花束、スィーツ、お酒。
私のギフトは、工夫がなくて、本当に気が利かない。
時期を逸してしまって、お返しができないことも多々ある。
こんな失礼な私だけど、許して付き合ってくれてありがとう。と、親切な人の身を案じて祈るぐらいしかできないけど、気が済まないので、心で手を合わせることだけは必ずする。
ちゃんとしたお祈りをしようと想うと、目の前にものすごくたくさんの行列ができてしまうけど、ひとりひとりに感謝する。いつも、ありがとう。幸せでいてね。と願っている。

先日、娘のとある成果に対して、「おめでとう」とお祝いの品を持ってきてくださった方がいた。
それは、娘が以前よりずっとずっとほしがっていたものだった。
しかも、娘がほしがっていたものよりずっと高級で上品なデザインだった。
そして、何よりタイミングが絶妙なのだった。
娘の喜びようったらなかった。そして、前よりももっと精進し、さらにメキメキ成績が上がっていくのだった。
親がかけるどんな言葉も、ご褒美も、すぐそばで見守ってくれる大人が褒めてくれる方が、子どもにとってはずっと信ぴょう性があり、客観性に富み、うれしいものなのだろう。
そういう人がそばにいてくれることが、子どもの資質を伸ばすのだ。
実にありがたい事であり、私もかくありたいと思っている。

先日、その方とご飯をご一緒する機会があったので、とりあえずシャンペンを買う。
日本酒にはハッキリと好みがあるし・・・小さいサイズなら重くない、でも貧弱?・・・。いや、大きなサイズだと逆に気にしてしまうかも・・・好みでなかったときにつらいかも・・・。頭の中で朝まで生激論会がグルグル始まっちゃいそうだったので、大きく頭を振って払拭する。
楽しい時間だった。
仕事も育児も楽しんでいる女性は、話題が豊富だ。その日初めて行くお店も、リサーチ済みだった。
あっという間に「さようならの時間」が来て、割り勘で支払いを済ませた。
店を出たあと、
「あのお店のスコーン、前回とっても美味しかったのね。これ、ちょっと食べてみてね」
と、今、支払いの時にそこで買っていたであろうスコーンを手土産に渡されたのだった。
そう言われたら受け取らないわけにはいかない、なんてスマートな渡し方だろうと感動する。
世の中には、本当にプレゼント上手な方がいるのである。
そういえば、彼女は、被災者に対する支援も早くて的確だった。
困っているお友達に対する慈愛も深い。決め手は、迷わない行動力なのかなあ。とうてい真似できないが、近づきたいと思う。

娘にその話をしたら、
「うわー、やっぱりかっこいいねぇ。いいねぇ、そういうの。彼女は別格だね。私の憧れだ」
と、嬉しそうに賛同してくれた。
「そういうふうになりたい」
というモデルケースが、ごく近くにある。
私自身はモデルケースとしてかなり赤点なのだけれど、親だけが子どもにとって身近な大人というわけじゃないからね。たくさんのモデルケースがあればいいと思う。

2011年05月02日 13:56