うちのPちゃんが編み物をしたい。というので、ちょっと教えてみた。
うわー、ざっと30年ぶりぐらいだ。
ちゃんと覚えているもんだなあ。
でも、私はマフラーぐらいしか編んだことはない。家庭科の課題のベストを仕上げたときには、女である事を大変に恨んだ。だって、男子は楽しそうに木工ですよ!のこぎりを引きたかったんだよ、私は。
けど、案外楽しいもんだったのかもしれないなあと、娘のぎこちない手元を見ながら思う。
尋ねられて、「こうやればいいんだよ」と教えられる種目も、中学生相手ではもう激減している。
大正生まれの祖母・トミの世代には、いつも手を動かしているというのが日本人の正しいあり方で、着物のたたみ方だの、針の持ち方だの、ベンジンでシミを抜く方法だのを仕込まれたものだった。
母ヨシコは、昭和高度成長期の正しい主婦らしく、暇があれば編み物をしたり、刺繍をしたり、洋裁をしたりしていたから、やはり手仕事の好きな人だったんだろう。
そういえば、私も見よう見まねで、幼稚園や小学生の頃は、刺繍や編み物や、フェルトマスコットを作ったものだった。
でも、そのうちにテレビだの本だのラジオだの部活だの、「もっと楽しいこと」が見つかってしまい、そういうことはしなくなっていった。気がつくと、母ヨシコも、仕事ですっかり忙しくなってしまっていた。
この不況でスローライフが戻ってきたら、またいろいろなお茶の間で、母親が娘や息子に手仕事を教えたりするんだろうか。
こういうのって、いいもんだなと思う。
私が母に無理やり教えられて嫌だった書道より、ずっといい思い出として手仕事の思い出が残っていることに、初めて気づいた。
ある意味、「何の役にも立たない」ぐらいの、贅沢な技術の伝承である。そんなのが、案外、よかったんだろうな。
そういえば小僧は「家庭科部」だ。理由はわからないが、嬉々としてやっている。
この前はぬいぐるみのボールを作っていた。
次は編み物に挑戦する。
私はとても不器用だから、本当にろくでもない技術なのだが、それでも教えられることがあるなら、ちゃんと教えておこうと思う。作ったもののクォリティーよりも、そういう時間そのものが豊潤なのだ。
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