2010年04月11日

四十九日法要

ここんとこ、毎日四時間ぐらいしか寝ていなくて、いよいよ自分が自分じゃないみたいに疲れている。
こんなときは大学生であることがちょっと恨めしい。
明日は車で行くの、やめよう。
でも、車で行かないと飲まされちゃうんだろうな。明日は、父の納骨の法要がある。

あんなに読経も花も寺も嫌がっていた父に、我ながら理想的な葬儀を最期にプレゼントできたなあとほくそ笑んでいたのだが、葬儀の翌日、「あれじゃあ兄貴が浮かばれない」と泣きながら電話が入り、プレッシャーに負けて喪主だった私の弟が檀家の寺に行き、経を読んでもらい、戒名をつけた。
野辺送りをしていない人は…といろいろ脅かされたようで、私が寺に出かけていたら大喧嘩だったなと思う。穏やかな弟でよかった。
私のお墓の前で泣かないで下さい〜って、読経をバックに、腹式呼吸で歌ってたぞ、オラ。
疲れ果てていて、イースターにも教会に行けなかったのに、明日は正座で読経を聞く。
神社仏閣に流れる清らかな空気感が好きだからお参りは大歓迎だが、死を恐怖に結びつけるやり方はどうにも好きになれん。
無骨な父が、千の風になって華麗に舞っているのはどうしたって想像できないが、もはや一直線に魂は天に昇って、今や大好きだったママと再会し、がっちり抱きしめられているだろうと想う。
あんなじじいになっちゃった父だけど、きっと天国でおばあちゃん(享年29)は、息子が来るのをずーっと待ちわびていたと思うのだ。
母親なんて、我が子以上に好きな人はいないのだし、ちょっと説明するのは難しいのだが、私はなんか「よかったねえ」とさえ思う。
親友を次々亡くして、いよいよ一人でテレビを見たり本を読んだりしながら酒を飲んでいた現世より、ずっといい。それこそ、ご冥福ってやつなんじゃないか。
そう思えるような、きちんと精一杯な生き方をして、そう思えるようなポックリした死に方をしたんだから、もう飾りだの供養だの、どうでもいいように思えてならないのだ。

ま、やりたい人が気の済むようにやればいい。私は明日、ただ座っているだけだ。

一生懸命やっていることに、どうしても別の一生懸命が絡むと、ややこしい。
一生懸命の方向が違うからぶつかるだけで、うまく整理すれば、想いはひとつにできるのだろうが、たいてい、一生懸命すぎて互いに余裕がなくなるのね。

母ヨシコは、義理の妹の名前を覚えていなかった。
電話をかけて打ち合わせをしたくても、自分ががんばっている話ばかりをくり返す。
悲しくてかわいそうで大変なのは、自分だけなんだなあ…。思春期の子どもみたいだ。
今から二十年ぐらい前に、同じ話を繰り返し始めた祖母をボケたなあと言い、私がああなったら容赦なく注意してね!と言われていたので、「それ聴いた」「はい、三度目」などと合いの手を入れていたら、逆鱗に触れた。こんなところも、思春期の子どもみたい。

私の記憶を総動員して、やっとおばちゃんの名前を思い出し、手紙で不義理をわびる。
今は亡き、父の弟の、そのお嫁さんであるおばちゃんに、父の死を報告するのを忘れていたという大ポカである。
おじちゃんのご葬儀にも呼ばれなかったしなあ。携帯にも電話番号入っていなかったしなあ。まあ、いいんじゃね?という気持ちと、父の兄弟がお知らせぐらいしてくれるだろうと甘えていたのだが、通知ぐらいはこちらで出すべきだったのである。
もう、今日なんで、マジごめん、なんだけどね。
弟は新学期が始まっててんてこ舞いだし、離婚している母は法的には全く無縁の人になっているわけだから全く使えないし、父に新しい家庭でもあればよかったけれど、離婚家庭の子どもという立場は、こんなとき、非常に厄介だわ。
「あんたたちには絶対に迷惑はかけないから!」
と立派に別れた母ヨシコだったけど、むしろあのとき、
「迷惑かけることになるかもしれないけど、ごめんね」
って言われてたら、今、納得がいったかもな。

人はそんなにずーっと立派じゃいられないもん。
どんな人だって、助けが必要なときはくる。
介護を必要としても崇高な人って、きっと人に対して敬意を払える人なんだと思う。
ちゃんと自分の弱さを知っている人なんだと思う。

四十九日法要は、ごく身内だけのささやかな会だ。
たいしたことはできない。
だが、せめても礼を尽くしたいと思い、全身全霊をこめて、手紙を書く。
で、プリンタが壊れる。
楽しみにしていた「わが家の歴史2」を録画にして、ごく短い文章の中に思いの丈を込めた。なまじ、文章で食っていたことがあるだけに、手が抜けない。
私は私の持ち場で、一生懸命、故人を偲ぶ。あとは宗教戦争に関与せず、だ。

いかん、こんな時間!
睡眠時間、確保ぉぉぉぉ!!


2010年04月11日 00:53