2010年03月22日

影響

私のメールボックスには、永久保存のファイルがある。
今日、コーチから頂いたメールが、そのファイルにしまわれた。

それは以前所属していた、少年団のコーチの、温かい激励の言葉だった。
厳しい別れの通過儀礼は団として仕方のないことで、それでもなお、小僧のことを気にかけてくださっていたことがよくわかる。
今日は、サッカースクールの大会だった。小僧は中盤でゲームを創るタイプなのだが、今日は珍しく前で得点を重ねた。だが、決勝戦には自らサイドバックを志願するのだった。
これは、少年団のコーチが、小僧に与えてくれたポジションだ。
絶対的な自信を持って挑める場所になっていた。
新しいチームでも志願したポジションはバックだった。
これこそが、コーチが与えてくれた自信なのだ。
団を辞めても、小僧の中で、息づいているものがある。
人は関係によってかわり、時間によって醸され、その影響が大きければ大きいほど、消えることがない。
こんな小僧を、息子のように想って育ててくださったことに感謝したい。
今、大好きだった先輩たちや、仲間のひとりひとりが無意識で享受している、幸せな時間を想う。
家族に例えれば、小僧は、家出したいと言ったわけで。
そして、一人離れてしまったわけで。
それでも、多分遠くにいても、ふるさとはふるさとであり、仲間はいつまでも仲間なんだろうと思う。
一時的には傷ついても、小僧だって、やっぱりみんなのことが大好きであることは変わらないだろう。そうでなければ、あの大事な局面で、サイドバックを志願しないと思うから。
「人を育てる」ことについて、私も熟考した数ヶ月だった。

それがいいか悪いかは、未来が決める。
どんなことだって、よかったことにできる人が、きっと勝者なんだと思う。

で、試合の後は、新チームの説明会でした。
今日は、さすがに移動だけでも疲れたなあ。
正直、ただでさえ時間がない私が、新しいチームは送迎しなければどうしようもない事態だったという現実に直面して、ちょっと呆然としています。
私のメイン仕事は「おかあさん」だった。
子どものために、どれだけがんばれるかが問われるなあ。

部活に忙しい娘ちゃんは、今日、それなりの成果。
どんなに遠隔地でも、中学生になればひとりで出かけていく。もうちょっとの辛抱なのかも。

子どものために、一生懸命働いていますか。
子どものために、一生懸命動いていますか。
自分に問いかける。
まだまだだ。もっと、もっと、パワーがほしいよ。


2010年03月22日 22:43