2010年03月19日

改訂・セレクション顚末記

※すみません、言葉足らずのところを少し修正しました。

今、やっと書けることがある。
今、小僧はサッカー無所属だ。都市部で小学生がサッカーをやりたいと思ったら、どこかに所属しなければボールを蹴る場所はない。公園は基本的に球技禁止だし、校庭はどこかのスポーツ少年団が押さえている。
何より、一緒に蹴ってくれる仲間がいない。ほかの事はからきしでも、サッカーだけは真摯に練習してきた福助に、未経験の同学年は本気でサッカーをしようと誘ってはくれない。

無所属になったのにはわけがある。
うちの少年団が、セレクションを受けることを、認めていないからだ。志を持てば退部、再入部はならない。チームに残る子どもたちを混乱させたくないという理由であり、入団してからできた決まりでも、理解できなくはない。
それなりにチームに貢献したつもりでもあり、入団当時からチャレンジ後の残留希望を出してきたが、叶わないのならそれはそれで受け入れるしかなかった。今まで熱意あるご指導を頂いたことに感謝し、獅子は千尋の谷に子をつきおとすものだと、その厳しさも前向きにとらえた。
退団の挨拶には来なくてよいといわれたが、仲間に会いたいという福助と、記念品をもって私がのこのこ出かけていくと、コーチは校庭に入ることも許さなかった。仲間に囲まれている彼に、早く帰れといった。
私は大人だ。それはコーチの、未練を残させないための演出なのだと一生懸命思おうとしながらも、小僧の驚き、傷ついた顔が焼きついてしまい、切なくて何もいえなくなった。
「他の子を引っ張らないでくださいね」
とコーチに釘を刺される。怒っているような泣いているような表情だった。このコーチなしに、今の小僧はなかった。とても大事に育ててくださったと思う。でも、大事に育てなければならない選手たちは、福助以外にも大勢いて、今はその他の子達の気持ちを背負って門の前に仁王立ちしているのだ。互いに思いがありながらの別離だからこそ、その表情に痛いほどの気持ちを見て、またしても打ちのめされる。
「引っ張りませんよ、ライバル増やす気はありません。真剣勝負、激戦ですから」
と作り笑いで言うのがやっとだった。この言葉で、私たちはどこに向かおうとしているのか、決別と前進をしっかり自覚させられた。あまり話すと私が泣いてしまいそうで、ありがとうございましたと頭を下げて、小僧を促した。
小僧は監督とコーチに書いてきた今までの感謝をつづった手紙をポケットの中で握りつぶして渡さず、青ざめて一言も口をきかなかった。通りかかった仲間たちに公園サッカーに誘われたが、きっぱりと断って、全速力で家に向かって走っていった。
またいつでも一緒にボールを蹴れるもの、私たちは一生あの少年団のサポーター…という私の認識が大甘だったことを、思い知らされた、別れの儀式だった。

小僧は、某スクールの、「コーチ推薦を受けて飛び級でセレクションを受けられる」ことになっていた。これは栄誉でもある。だが、小僧はすぐにはセレクションに申し込めなかった。団を辞める規約は小三には思い枷だったからだ。
四年生に混ざって大きな大会で活躍している。祝勝会では、一緒につながリーヨを歌った。三年ではゲームメーカーとして信頼が厚い。何より、幼稚園時代から5年も一緒に球を蹴ってきたあうんの呼吸の親友リン君がいて、幼稚園仲間はみんな言葉が要らなくて、やつらと一緒のピッチに立てば無敵だと自負する連携プレイがある。
少年団の仲間と離れがたく、締め切り当日まで迷い続け、しかしあのユニフォームを着るために遠方のスクールに通い続けていたのだ、やはりどうしてもチャレンジしたい!とギリギリで、自分で出した答えだった。

結果は、ドラマのようにはいかない。小僧は不合格だった。
ま、ドラマティックに書いてはいても、その程度の実力ではあるのだ。

それから、選手である小僧と、エージェントと化した私は、新しいサッカーチームを探すことになった。
体験させてもらえば素晴らしいチームばかりでうっとりしながら、あえてアラを探すとそれなりに、どんなチームにも課題があることを知る。
来年、再度セレクションにチャレンジするとなると、やはりそれがどうしてもネックになる。四年五年掛け持ちになれば、関わる人も責任も重くなるだろう。といって、新しいチームに骨をうずめ、セレクションをあきらめるなら、泣く泣く団を辞めた意味がない。
だが、辞めるのも自由なスクールだけでは試合経験が積めず、決して最善のサッカー環境とはいえない。
セレクションの話を切り出して「どうぞ」と、いい顔をするチームはない。チームワークが大事なのは私も百も承知で、しかし、いけすかない質問を繰り返さなければならないことに、太い私でもさすがに胃薬が欠かせなくなっていった。
「福助のことを一番に考えるべきだ。伸ばしてあげなければダメだ。こんなにサッカーが好きなのに、無所属なんて!!」
と言ってくださるコーチや監督もいらして、期間限定でも構わないからうちで預かりたいとのお声には涙が出そうになった。……けれど、恩義を感じて、私が今度は小僧に圧力をかけ、やめさせないと言い出しそうで、それでは本末転倒なのだと自戒する。

来年、辞めるときに問題にならない場所。
定期的な練習と試合経験が積める場所。
自分より上手な人たちと研鑽できる場所。
コーチが経験豊富である場所。
来年、再度トライするセレクションに落ちても、そのままそこで続けていける場所。
できれば、将来を見越して、中学生、高校生のクラブチームももっている場所。
どこでボールを蹴っても楽しい小僧には、多分細かな事情はわからないと思うのだが。

やっとみつけた全部の条件を満たすチームは、一年飛び級のクラスのみだった。そして、やはりセレクションがあるのだった。自分がエースで大活躍というより、うまい人の中に身をおきたいというドM体質の小僧の希望を満たそうとすれば、試練は続くのだ。

前回の悔しい結末で見えてきた修正点を必死で補正して、小僧のサッカーは少し変わった。バスケで鍛えた切り替えの速さと、浪人時代に培った初対面の人と仲間になる方法を駆使して、小僧は一次から最終選考までテンションを緩めなかった。
クラスメイトの応援も大きかった。負けて悔しくて泣いたけど、僕は何度でもチャレンジする!と帰りのスピーチで語り、先生とクラスメイトが全員でがんばってと拍手してくれたという。「絶対に負けられない」と気合が入った。
最初のトライアウトのときに、大好物のオロナミンCを大量に差し入れしてくれたママがいて、頂いた手紙をお守りの中に入れ、残しておいたオロナミンCを飲んでこれまた気合が増すと笑った。リン君からもらった手紙は、一次のときから、すねあての中にしのばせている。
前回の不合格から数ヶ月、まともな試合には出ていないわけで、技術はリフティング以外、上がりようもなかったが、小僧は確実に、精神的に骨太になった気がする。
私なんかの何百倍も苦痛かもしれない、見知らぬ人とコミュニケーションをはかることも、小僧は自分のサッカー環境を獲得するために、それこそ痛々しいほどに毎回がんばっていた。
どうしてもやりたい夢があれば、どんなことでもできるんだなあ。
そんな努力を、私はしているだろうか。
100パーセントの力で小僧を支えただろうか。
最終審査の日は、私のスクーリングとかぶっており、私は自分の試験に手一杯なので、福助はひとりで電車とバスを乗り継いでいく予定だった。その事情を聞きつけたあるサッカーママは、遠方までわざわざ車出しをしてくれた。
たくさんのやさしい心配メールと、合格祈願メール。
サッカーのある星に生まれて、小僧は幸せ者だったけれど、そんな小僧のそばにいられて、私もまた幸せ者だと痛感した。

幸い、このチームからは合格を頂き、やっと四月からサッカーをする場所が整った。
今はまだ所属がないが、四月には恵まれた環境が福助を待っている。
ここ数ヶ月、神経はとんがっていたのだが、これでやっと私にも豊かな睡眠が訪れる。

支え続けてくれた友だちに、合格を伝える。全面的に協力してくれたサッカーママたち、吉報を待っていてくれた人たち、応援してくれた人たちにも、感謝を伝える。
そして団のコーチたちにも四月からの新しい進路を報告した。やがて時がたって、混乱も収まったら、またもう一度、親善試合で一緒にボールが蹴れたらいいと思う。
ずっと先でもいい。成長した福助を見て欲しいし、私の大好きな少年団の子どもたちの成長も見たい。だって、一緒にボールを蹴ったら、それはいつまでも続く仲間なのだから。

2010年03月19日 15:14