うわーん。
楽しかったんだよぉおおおん。
高校時代、バスケットをやったのは、一年の体育のときだけだから、えーっと、えーっと、もう30年ぶり!
びっくりだなあ。なんだ、30年ぶりって。
30年ぶりだったけど、ちゃんとフリースロー2本とも決めたよー。ドリブルシュートもな!
さすが、私。小学校時代、四校親善ポートボール大会・優勝キャプテンだったのである。自慢。
しかし証拠写真は、出せない。
あの夏の日、私は昭和の香り漂う、女子運動短袴、すなわち、なつかしのちょうちんブルマーで出場したからである。トーナメント戦を快進撃する、ちょうちんブルマーズ。(ニューサンフラワーズという名前でエントリーしていたけれども)。
あの頃、運動自慢の女子はちょうちん!!という変なローカルムーブメントに乗っかって、最新型ではなく木綿の黒ちょうちんで挑み、しかもなぜか記録写真が白黒であるため、いつのだよこれ!という写真が残っている。いやもう、あんまりにもあんまりなので、絶対にお見せできないが、でぇぇぇぇぇぇっかい優勝旗をおし頂いている写真が、まだアルバムに残っているはずだ。
優勝旗はすっごく重くて、予選含めて、何日間か、何試合かを走りぬいたせいで、夕方の表彰式にはひざかがくがくしていたのを覚えている。
長じて、このちょうちんブルマーズからは、異種目だけど、オリンピック強化選手が出ている。国体選手も出ている。……そら、強いわ。優勝は、私の力じゃないのだけが、残念である。
「福助、おかあさんの活躍はどうだった?」
と聞いてみる。
「足、遅っ!と思った」
と笑いながら、それでも小僧もすっごく楽しかったらしくて。
【卒団記念・親子ミニバスケットボール大会】は、あの頃の私たちの百倍上手な子どもたちと一緒に遊べる、格好の時間だった。
それから、少年バスケ部の、卒団式。
腰と頚椎はいかれていても、運動そのものも久しぶりでも、それでもこの卒団式には、とっても参加したかった。遊びは本気でやれ!というのが、鈴木家の教訓である。ただ、コートを走るだけでも、小僧をわずか一ヶ月間の間に、かわいがって鍛えてくださった先輩や、小僧たち「がんばれベアーズ」と一緒に、とにかくボールを回したかった。もちろん、もうちょうちんブルマーズではないから、最初の5分間はともかく、二度目の五分はもう走れない!ったら、走れない。
あとどのぐらい?と思って時計見たら、残り3分50秒だった。
まったく、小学生の心臓って、すごいのねん。
ものすごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉく、楽しかった。わかってるおかあさんはわかってて、ちゃんと盛り上げの声援を送ってくださるし。
それから、心温まる卒団式へ。
笑っちゃう子あり、泣いちゃう子あり。
後輩から先輩へ、先輩から後輩へ、色紙と同時に、定型ではない言葉を送りあう。質素だけれど、とてもハートウォーミングな会だった。
「福助君は、僕としては、すごい才能だと思うので、このままサッカーだけでなく、バスケットボールもずっとずっと続けて欲しいと思っています。応援しているので、がんばってください」
と、手取り足取り教えていただいた男子先輩に目を見て言われたら、勢い、「はいっ」って答えちゃうよね。
というわけで、福助、来年もバスケ部続行決定!
式典前の大会があまりにも楽しすぎたから、反対する言葉もなかったよ。母部も作って欲しいぐらい。
それにしても、福助、サッカーとの両立は可能なのか。
「元祖・がんばれベアーズ」の六年生が抜けたあと、「がんばれベアーズ・パート2」の三年生しかいない男子部。果たしてでこぼこ六人で、来年度はどうなるのか……。カミングスーン!
最後の男子部の試合で、区から楯を頂くほどの成績を残した先輩たちは立派で、その薫陶で、三年も燃えている。
男女混合の先輩からの寄せ書きには、たくさんのお褒めの言葉。わずか1ヶ月だったのに、本当にかわいがってくださったんだなあ……と思えて、母として、ちょっと泣けた。種目の差なのか、指導者の方向性か、強さを標榜する横割り多人数のサッカー少年団では、こうはいかないから。
スポーツを通じた縦社会の交流。試合中は厳しい言葉で喚起させつつも理念を抱いた、優しく正しい指導者と、楽しさ第一でどこまでも寛大な、しかし運動神経抜群の先輩方に恵まれた。
「君は、君のままでいいんだよ」
「その才能、特技、個性を活かして、がんばってね」
「君に、期待している」
そんなことを、後輩にさらっと言える12歳は、ステキすぎる。
自分の進路も、堂々と語って、んもう! お兄さんたち、ステキなんだから。
そういう空気を味わえたことが、本当にありがたかったと思う。
翌日、体中の筋肉図が描けるほど、明確に各筋肉が痛くても、それだけの価値のある一日だったと思う。
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