明らかに検査入院が必要なのだが、入院するぐらいならその場で死ぬという。
採血だけで、帰ると泣き出す。子どもなら泣きながらでも血を採ってくれるのに、大人は患者様だからそうもいかない。
誰にも迷惑はかけないから!
もういつ死んでもいいんだから!
放っておいてよ、あんたの声を聞くと、母親を思い出して、死にたくなるのよ!! 顔もみたくない。帰ってよ!
そういう時点で、すでに周りのものを不幸に陥れて、迷惑をかけまくっているなどということに想い至らないのは、認知症の手前だから仕方ない。
病気が言わせていることだから。
わかってはいても、病気になって丸裸の生き方の中心部分が剥き身になっているわけで、そのときの心の叫びが、切ない。
私は、タイムリーにも、その分野を今、学んでいる。
75歳を過ぎたら、人間の大半は認知症を患うのだという覚悟もあった。
知識が自分の防具になっているが、無防備に病人に近寄っていたら、介護者はズタズタにされるわ。そういう間の悪い人の方が、むしろ多いだろう。
心の準備としての認知症の知識は、母親教室で出産やおむつや母乳のことを学ぶのと同様、大事なコトかもしれない。
認知症そのものは仕方ないことであり、正直、本人は至って幸せそうだ。小さくなって、よろよろ歩く母は、かわいくさえある。
では、何が不幸なのか。
「楽しく生きること」をしてこなかった老人の、総決算時期、大赤字になっている人生のツケに直面しなければならないことが、つらいのだ。
自分の人生をしっかり生きないと、終末、勘定が合わなくなるのよな。
それで「隠し切れない本音」が建前をぶち破って洪水を起こしたとき、見てはいけないものを見てしまって、ぞっとするのだ。
母ヨシコは、率先して祖母・トミに搾取されてきた。トミのために尽くしてきた。
当然母・ヨシコは、私にも精神的な奉仕を要求し、それが親孝行だと説いていたが、私はそんなアダルトチルドレンはごめんなので、自分に連鎖が及ぶのを避け、母・ヨシコとはうーんと距離を置くことで、健全にサバイバルした。
愉快で快活で、女傑だったトミが死んで数年。解放されて、結果がコレでは、かわいそうでならない。博愛の人、母・ヨシコ。慕う人も多いだけに、壊れていく姿をあまり見せたくない気がするのは、私の虚栄心なのだろうか。
まだ初期だから、薬でなんとかなるかもという希望がある。
68歳なのだ。まださほどの年齢ではない。
問題は、薬なんか大嫌いと公言するところで、その薬を飲むと約束させるまでがまた、一苦労だった。
今、世界中の薬学従事者に、感謝する。私にとって、あの小さな薬の粒が、唯一の頼みだ。
母・ヨシコは、すでに薬を取り出すことができないことがあるので、大きなピルケースを買って、全部出しておいた。念のための紙おむつやらシルバーカーを買って、大車輪でたまっていた家事を代行して、感謝の言葉の後、捨てられたものと壊されたものへの恨み言を聞いた。私は笑ってやり過ごして、とにかくまた来るからと大急ぎで帰った。
帰宅する車の中で、一瞬、大声で泣いた。
さあ、戦いだ。もう泣いてなどいられないのだ。すべきことを書き出して、すべきことをしていくのだ。
長年、さほど親しくなかった弟と互いの存在の力強さを再認識する。
トラブルは、悪いことばかりでもない。
そんな小さな幸せをきちんと寿ぎながら、突然すぎてまだよくわからない暗い道、目的地をきちんと設定して、対応していこう。
明けない夜はない。
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