エマージェンシーは、そこそこ深刻なエマージェンシーだった。
あたたたた。
子どもが一段落すると、親の介護なんだなあ。
本日、弟と再度、対策前の研究会議。まずは知識の共有から。
明日は、嫁婿交えて対策会議。四人で文殊の、いいアイディアが出てくるといいんだが。
来年度はPTA改革をもくろんでいたんだが、ちょっと厳しいかもしれないなあ。
でも、本当に必要な仕事だけにしていかないと、母親業にかかる負荷が大きくて、仕事と両立ができない後輩たちがいっぱいいる、これもそれなりに緊急事態のように思う。
三歳児神話は、単なる神話だった! って厚労省だかが改めて出しているのだから、母親教育の場としての任務は終えていい。いや、終えるべきだ。むしろ子どもを守る、子どもと楽しむ方向だけにシフトして、軽減化を!
理論武装のためのいろいろな知識や資料も収集して、来年度を楽しみにしていたんだけど、ここで私自身に足かせがつくかあ。長に立候補するのは厳しいかなあ。あと一ヶ月、様子を見よう。
やりたいことが思うようにできないのは、つらい。
でも、思うようになるばっかりでも、つまんないからね。
コレぐらいのハンディでちょうどいいのかも。
いつも、難攻不落の事態が起こると、ワクワクするところがある。さあ、工夫しろ!って、頭の中がぐるぐる回転する感じがきっと大好きなのよ。
私は家事もろくにできない役立たずだけど、変なアイディアを出させたら豊富なのだ。
家事が上手にできたほうがずっといいんだけど、こんなときにはちょっと便利。
人が生きてれば対立する意見ってのはあるわけで。
意見は対立しても、その人は別に敵じゃないしね。そこんとこ、混同する人も少なからずいるし、だから意見を匿名で…とか、代理で…とか、陰でこっそり…という、私には理解困難な奥ゆかしさが、母親業界にはよくあるけれど、もちろんそういう気持ちも汲んだ上で、「気持ちいい場所」にしたいんだよ、PTA。
幸い、合理的な若い衆が、PTAの現場に入ってくる頃合だし。そこはそれ、私がそんなにがんばらなくても、案外なるようになるだろう。
そう、なるようになる。
でも、人任せにしないで、することをする。
できれば、その機に乗じて、やりたいことをやる。
やらなきゃならないことなんか、きっと生きてる上で、ひとつもないんだよなあ。
子育ても、介護も、なんとなくその辺りがぶれなきゃ大丈夫な気がする。
介護は、親友のあり方を見ていて、教えられたことがある。
介護している姿を見せるのは、最高の教育なんだってこと。
多分、子どものために貯金するよりずっと、あるいは老後のために貯金するよりずっと、いい結果になる。情けは人のためならずだなあと、彼女が育てた優秀でやさしいお子達を見ていて、つくづく思うんだ。
来週末は大学のテストなんだけど、今回は特に、全く準備がなっていなくて、ちょっとイライラする。
でもまあ、母の病気はいわば「実践的学びの場」だ。本当はこういう事態に備えて、学ぶべき福祉や心理に付随する学問なんだよな。たまたま順番が違っているけど、私の場合は、20代が働き盛り、もとより順番が違っているのも仕方ないよね。
ここでしっかり介護の基本を押さえておけ。という、天啓だと思って取り組もう。
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