2010年01月06日

私のマーチン・ミニアコ

ギターを買ってもらった。
これが四台目だ。
母から買ってもらったマーチン⇒コンビ組んでた須藤君と取り替えっこしたキャッツアイ⇒引越しで大破⇒元彼が置いていったヤマハ⇒子どもたちが遊んでて大破⇒そして今日のマーチン。

去年の相方からの、私へのお誕生日プレゼントは、なんと手製のルーレットだった。
それをまわしてプレゼントをゲットするという、大変にギャンブルなものであったのだが、そこで当てたのが、ギターだった。
パジェロがよかったのだが、まあ、タワシでなくてよかった。(もちろん、タワシの可能性もあった)。
並んでいる目録、シロモノ家電よりは、ギターは自分のもの!という感じで喜ばしい気もするのだが、中年のおばちゃんだし、なぜに今さらギター?という気はしていた。
お琴だって、忙殺されて休部中だ。
ギターは幼稚園の謝恩会で「なんでだろう」を弾いて以来だから、もう3年は触っていない。いや、その謝恩会の時だって何十年ぶりに引っ張り出している。
ギターは、左指がタコ化するし、爪は深爪になるし。ピックが飛んでしまうから使えない私は、マニキュアがぬれなくなるし、そもそもFがうまく押さえられないし。
そういう不謹慎な心持ちであったため、特に積極的に買いに行こうとは言わなかったのだが、本日、娘が、
「明日は新年の射会。新大久保の皆中神社に初詣に行く」
 と言い出し、それならば新大久保に楽器屋さんが!そういうことなら車で行こう!と、とんとん拍子に一家でお出かけモードになったのだった。
新大久保は、思い出の地である。
百人町に住んでいたのだ。
ご近所でその昔、銃撃戦があったりしたのだ。泥棒に入られたのもここだし、自転車を盗まれたのも、聞き込み捜査にこられたのも、出張マッサージ嬢が間違えて入ってきたのも、タイ語で注文するとタイ料理の出前が届いたのも、ここだった。なつかしいマンションを訪れたりした後で、私たちは楽器屋さんに行き、迷いながらも、マーチンのミニアコースティックギターにしたのだった。
ギターを弾いていた中学時代高校時代に比べると、幅が1.8倍増量になっている今、ミニアコはウクレレにしか見えないのではないかと危惧した。だが、これが、細っこい娘や小僧が抱えるとちょうどよい。私が弾かなくても、彼らが弾くなら、投資として価値があるかもな。インテリアとしてもかわいいし、邪魔にならないし。という、再び不謹慎な気持ちも、ちょっとあっての選択だった。

ところが、帰宅して弾き始めたら楽しくて止まらなくて、これがどうしましょうまったくもう!だったのだ。
夜も更けて、あとは楽譜を見て過ごし、左指をジンジンさせながら、相方と音楽の楽しさについて語っていてこんな時間。
相方、ありがとう。
そして、中学時代の私、ありがとう。よくぞ練習しておいた!伴奏オンリーだが、歌う分には十分だ。
例えるなら、「観光旅行に行くには困らない英語」レベルのギターだけど、スリーフィンガーができなくなっていたり、相変わらずFの音が悪かったりもするけれどもだ。久しぶりの楽器は、楽しいったらないのだ!!
ただ、最後に買った楽譜が1995年だったので、最新歌本も一緒に買ってみたのだが、この楽譜の字が小さくて見えないんだ。
歌いたい曲は拡大コピーかな。それもまた、40の手習いっぽくて、いいかもねー。

2010年01月06日 01:16