煮え切らない小僧に、煮え煮えになる。
何のためのスポーツ少年だ。
決断力だ。大事なのは決断力だ。
修造なら、五秒で決めるぞ。
と、グツグツ煮立ってくる。
小僧の選択は、多分正しい。
完全にリスクを回避している。
さすが、ガチ守りの福助である。
それは、正しいんだろう。大人びてさえいる結論である。
『カテゴリーを越えてまで、サッカーのセレクションは、受けない』
セレクションを受ける前に、今いるチームはやめなければならない。そういう規約なのだ。
やめたら二度と戻れない。そういう暗黙の了解だという。
もちろん、私も少年団は大好きだ。
強い意志でもって、やはりこのまま団にいたいというなら、大歓迎だ。共に、都大会出場を目指そう!と力が入るってもんだ。
しかし、小僧、選択肢がネガティブに過ぎないか。
もともと上を目指すんじゃなかったのか。
そのために、わざわざ遠くのスクールに通っていたんじゃなかったか。
「オレにとってサッカーは遊びじゃないから。そのチームに入って、日本一になるんだ」
と語った小僧を見て、泣いたよかあさんは。
あのでっかいお口は、なんだったんだい。
落ちたら浪人。と説明されて、小僧、迷った。
強いチームでベンチを暖めるより、少年団のエースの方が、きっと気持ちもいいのだろう。
来年なら、カテゴリーは越えない。
来年のセレクションなら、勝算ありと踏んで、今年は団での活躍を計算したのかもしれない。
冷静だよね。ゴール前でもいつも冷静な男だよ、小僧は。
しかし、敢えて言いたい。それでも男か!
男は負けると思っても、勝負だろうが。
夢があって、可能性もあるなら、なぜ賭けないのか。
と、私の中のやくざな熱い血潮が逆流する。
同時に、いかに愛するチームでも、こんな小さな子どもに背水の陣を与えて、チャレンジ精神に歯止めをかける団の大人たちは、一体何を考えているんだと、八つ当たりしたくなる。
それを親心と呼ぶなら、間違いだ。
思い切って挑戦して来い、ダメだったらもう一度戻っておいで。
というのが、大人の器量じゃないのか。
なぜ、いえない?
ルールはルールである。
どんな悪法でも。
そこにいるのだから、従わなければならない。
たとえ入団後に出来上がった規約だとしても。
だから本当に文句を言うべきなのは、団に対してではない。
小僧に対してなのだ。
いや、本当のところは、自分自身に対して腹を立てているのだ。
そんなヤツだと、どこかでわかっていたはずだ。私が育ててきたのだ、ヘタレも含めて、期待はずれは自分の責任だ。なのに、勝手に期待を膨らませて、理想を描いてしまって、それが叶わないからと煮えていたら世話がない。
小僧に対する期待値は大きい。それは私だけではなく。
けれど、その実力を発揮せずに、安全なほうへ、安全なほうへ、小さくまとまろうとするのだ。
その精神構造は「慎重」と評価するには、あまりにかっこ悪いじゃないかと煮えてしまうわけだが、これだって親の勝手な激情だと、よくよくわかっている。
彼の人生は彼のものなのだ。わかってる、わかってる、わかってるんだ!
わかっているから、微笑もうと思うのだ。
けれど、その送迎のために費やしてきた自分の時間や労力や、周りにかけてきたご迷惑やいろいろを思うとき、本当に心底がっくりするのである。
そんなヘタレは、プロはおろか、日本一になど、なれるもんかっ!と、大人気なく呪いの言葉を吐いてしまうのだ。
小学生が、下方修正をかけた夢なんか語ってどうするのか。実現のために一年費やし…なんて計画的で冷静では、つまらないのだ。男は、漢とは、だなあ!!
私がこんなんだから、小僧がそんなんになるんだろうか。
そういえば、娘ちゃんもやけに冷静沈着、感情など凪のようだ。
父親似だ。
私だけが、マグマな血潮どびゃーっっっで、ビッグウェーブである。私だけが、漢である。
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