2009年11月19日

親子喧嘩

人のこと、さんざん文句言ってるくせに、自分のことは思いっきり高い棚の上なんだ。
文句言うなら、言った分か、それ以上、やってくれよ。
やって、結果を見せてくれよ。
胸に手を当てて、考えてみな。あんたは、一体、どれだけのことをやってきたの?
ルール、都合よく捻じ曲げて。恥ずかしくない?
借り物の言葉で道を説いてるけど、それだけのことを言えるほどの人なの?

いやー、若い頃にね、大人に対して、よくそんな風に思っていましたよ。
だから、そんな大人にだけはなりたくないと思ってきました。
だけど、今の私はどうか。
当時の私が、今、自分の首を絞めてきます。「そんな大人になりたくない!」と、青さ丸出しで、ちょっとがんばりすぎてしまうわけです。
サボっている他人は私に関わってこない限りどうでもいいんですが、サボっている自分は許せなくなっちゃうのね。
過去の自分が、未来の自分を責めるとは思ってもみなかった。
私は何であんなにいろんなことに腹をたてていたんだろうかなあ。
理想が勝っていたのかもしれません。
その理想に追いつけなくなるとは、露ほども思っていなかったのね。自信満々だったのね。

うちの娘ちゃんのすごいところは、決してそんな風に私にくってかからないことです。穏やかです。
いや、それはまだ未熟なだけで、いつか生意気な理想がやってくるのかな。
その理想を身近な大人に重ねて、腹を立てたりもするのかしら。

娘ちゃんに対して、私は実にしょっちゅう、棚の上にいろんなものを置いて、叱りつけている気がします。娘ちゃんの部屋の魔窟状態を責める前に、自分のクローゼットの中にいるモンスターと戦え。と、思うもの。散らかす妖怪を棲まわせているもの。多分、繁殖しているもの。
でも、クローゼットのドアを閉めて、見ないことにして、娘ちゃんを叱ってる。
自分の結果が出せていないのに、人の仕事ぶりを責めるなんて、アンフェアだなあ。
大人だから許されると思ったら、それは昔、自分がとても嫌った大人たちと同じです。
今は平然と叱りつけていても、いつか露呈します。
自分の大きさは替わらない。
そのときは自分の大きさ以上に見せかけられても、絶対にばれるもの!
ばれたときに、本当に恥ずかしいもの!!

やるべきことをやろう。
それは大人の務めだ。
家事も片付けも、ヘタだし、いやだけど、がんばろう。と、今さらながら戒めます。
それから、感情に任せて叱り付けてしまいがちな娘ちゃんに、ちゃんとごめんねを言おう。
穏やかな彼女に甘えることなく、ここから、やり直しのつもりで。


2009年11月19日 23:51