13歳、ティーンエージャーの仲間入りをする娘ちゃんのリクエストは、携帯電話でした。
もちろん、私は確固たる信念を持って、携帯電話を買い与えていませんから、その信念の再確認をしました。
携帯電話は便利です。
でも、その便利さが、未熟なうちに与えられてしまうことを、私は危惧します。うちの娘は、一般的な中一女子に比べて極端に幼い部分がありますから、私はまだ携帯を差し出す気にはなれません。
携帯は、インターネットの端末でもあります。情報リテラシーについて私自身ですらまだ未熟な知識なのに、指導もせずに私が保護しなければならない者には、渡せません、責任が取れません。
「オートマの軽だから誰でも運転できるよ」みたいな話ですが、仮に運転は上手に出来ても、娘に関してだけは、まだ無免許に等しい人間だと、私は思っています。
ルールもマナーもエチケットも、これから学ばないとね。
同時に、危機管理能力がないまま、危機回避の魔法のリモコンを与えることを危惧します。
どんなトラブルに巻き込まれるかわからない、そのときに携帯ナシでサバイバルできなければ、携帯を持つ資格はないのだといってみました。
例えば、不慮の出来事で、まちあわせに遅れる。携帯がない。そんなときにどうするか。
今、目の前で人が倒れている。携帯はない。何をすべきか。
携帯がない者同士の待ち合わせで、考えられるトラブルは何か、そのリスクをどうやってマネージメントするか。
誰かに答えを仰がなくても、自分で判断して自分で行動を起こせるようになるまで、私は娘を「不便」の中で、鍛えたいと思っています。
どこかに行くとき、最初に地図を見る人であって欲しいのです。
誰かに自分の行き先をゆだねるのでなく、自分で行きたい場所を選べる、行くだけの財力と自立心がある、そんな人になってほしいのです。
だから私は、割と心を鬼にして、携帯を買いません。
あれば私に好都合だなあと思っちゃう弱い気持ちをくっちばって、クビを真横にブンブン振るのです。
不安神経症的に電話をかけて、誰かに確認したり、解決を求めるのは間違いです。
電話一本で、気軽に約束を反故にしてしまうような利便性は、いつか大きな信頼を失う結果に影響しそうで怖いのです。
今、そこにいる人より、メールの住人に急いで返信すること…。気遣うべき人の、優先順位がわからなくなるのではないかと、小心者の私は怯えます。
できるお子さんをお持ちの方は、いいんです。
でも、うちの娘は間抜けだから。
楽なほうに流されるタイプだからこそ、時代に逆行するのも親の務めなのです。
携帯で指示を仰ぐ前に自分で考える人に、約束を気軽に変更する前に痛みを持ってベストを尽くす人に、会えないときには何をしているか確認する前に想像を働かせ、機転をきかせ、一人の時間を充実するすべを知っている人に……なって欲しいな、おかあさんは。
と、言いました。
不便は、不幸じゃない。
私のスクーリングの日、娘にお弁当を買うのを依頼したものの、自宅に電話するとP子はまだ帰ってきていない。帰宅が遅れると電話があったという小僧。それを聞いて、激怒しそうになった私に、
「しょうがないよおかあさん。おなかがすいたほうが、何でもおいしいからさー。七時半ごろには帰れそうだと連絡があったから、まあ八時までは待ってみるよ」
と、小僧がいいました。
これはね、携帯を持たないメリットなんじゃないかな、P子ちゃん。
もしあなたが携帯を持っていたら、どうなっていたと思う?
娘は、わかったよ、もういいよと苦笑いで納得してくれました。
私と相方は、なぁぁぁぁぁぁぁぁんにもない不便なアジア放浪で、なぁぁぁぁぁぁんにもないからこそ、ずーっとずーっとしゃべり続け、一年かけてお互いの理解を深めました。
普通の男女なら、多分、そんな手間はかけなくても一緒に添い遂げるのに問題はないのでしょうが、何しろ超がつくほど勝手な二人です。私たちには不便なそういう通過儀礼が、どうしても必要だった気がします。
初手の一年、テレビでも新聞でも、PCでも何もかも揃っていたら、きっとお互いにそっちに没頭して、都合のいい時だけ一緒にいて、それはそれで便利で幸せと錯覚をしたかもしれないけれど、きっと脆い関係だったことでしょう。知り尽くした上で互いを想い合う、豊かな情を抱くには至れなかった気がします。
不便じゃなければ見えない豊かさというものがある。
成長痛には和式トイレでかがむストレッチが効果抜群。これ、成長痛が近年増えたために調査してみた人の、経験則を活かした研究だとききました。
有機野菜でおなかに虫を飼うと、花粉症が緩和されるとか。
粗食の時代には、メタボリックシンドロームなんて誰も気にしなかったのよねとか。
……だからといって、草なぎくんが「いきなり!黄金伝説」でトライしたみたいな、武士の時代の暮らしは到底自分には出来ないし、文明はロボコンフリークであることも含めて、大好きですが、それでもいつでもどこでもどんなときでも、私は強くありたいし、笑って暮らしていけたらいいなと思っています。
不便たれ!というのは、現代社会に生きている以上、無理なことかもしれないけれど、我が家にはいろいろな手かせ足かせがほとんどなくて、さらに学校は輪をかけて自由で、のほほーんと今だけをみつめている娘ちゃんだけに、親が作り出す不便や多少の理不尽が、大人になるための自立へのエネルギーになってくれればいいなと思っています。
そんな話をダラダラ娘ちゃんとしていたら、0時を超えてました。
娘ちゃん、お誕生日おめでとう!
ステキな大人になってください。
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