2009年06月18日

スポーツ系育成ママ

私の友人には、スポーツ系育成ママさんというカテゴリーがあった。
運動神経のよい子どもを持ち、将来その分野での活躍も視野に入れて、親子鷹タイプのママさんだ。その競技で娘や息子を生かすための、一番よい場所をよく知っている。

「このままがんばれば、結果もついてくると思うし、大変だと思うけれど、通い続けて欲しいと思います」
とコーチから声をかけられた、ある競技の(競技名は秘匿)をやっている子どものママからメールがあった。
「ねぇ、どう思う? これは選手コースに残れる可能性が高い、という意味だよね? ね、どう思う? 熱意のあるコーチが、じっとみつめてそう言ったんだよ、どう思う?」
メールを打つ指に、熱い鼻息がかかったであろうことが容易に想像できる、生き生きした文章だった。知る限り、その子の能力も高そうだから「うん、多分そういうことだと思うよ」と答えた。
私だって、小僧が選抜されるかどうか、試合の度に不安がある。
スポーツ系は学力系とは違う大変さがあるのだ。
数値化できる競技はいいが、そうでなければつけられる点は「人」による。
入りたいチームがあるが、そのセレクションの受験者数は笑っちゃうほど多い。権威ある人に大丈夫だといってもらえたら、どれほど安心するか。もしも関わったコーチが「結果はついてくる」などと福助にいってくれたなら、それはプロポーズだと受け取っていいんですね!と、私なら絶対にいい方向に考えるだろう。

でもほんの少し彼女より先輩ママである私は、過去の事例で猜疑的にもなるのだ。
その内容は決して特別扱いを示すのではなく、コーチのスクール営業トークって可能性もあるから……ぜひとも選手コースに迎えたい逸材というのが真意であるよう、祈るような気持ちになる。

小僧が4歳の頃、ソフトテニスで遊んでいる姿を見て、あるスクールの人がスカウトに来た。選手育成をしていると名刺をくれたのだ。うわー、スカウトだ、やはりわかる人には小僧の才能がわかるのね!なんてほくほくしていたら、そのスカウトは別の子にも声をかけまくっていたのだった。
青山を歩いていて、娘がモデルクラブにスカウトされたこともある。でも、登録料、授業料が必要なアレに違いないと名刺にはコンタクトしなかった。親の心を気持ちよくくすぐる、珠玉のトークに揺れそうにはなったけれどもね。

小さな子どもを持つ親の目は、曇りに曇っている。
なんたって、自分一人じゃ用も足せなかったでっかいいもむしみたいな者が、歩けて走れて、人を感動させているのだ。天才だと思うのは当たり前だ。……育児に夢中になっていればいるほど、いいカモになることも、自戒しなければならないんだよなあ。
女心をもてあそぶ、みたいな、今では死語と化した表現があるが、親心は弄ばれやすいカモ。

それだけ、親は不安なんだってことだよなあ。子どもの学力だって、全国模試で計って、偏差値みたいな頼りないものをよりどころにしたりする。しゃべっていれば、その子が賢いかアホかは、よーくわかるってもんなのに。
けれど、カミングアウトすれば、私だって、くもんの全国学力考査の結果で子どもたちの学力を見るまで、かなり大きく誤解していたようだから、とりあえず都合のいいその偏差値をよりどころにすることにしたし、サッカーコーチの一言一言に至っては、もう、一喜一憂しまくっている。
「自分はできると信じた者だけが、できる」
と言ったのは誰だったか。偉人だったかもしれないし、私だったかもしれない。要は、信じる力は絶対に必要ってことなんだけど……。
相手は自分のこと好きなはず…と信じ込んで、自信を持って告白して、玉砕〜。という人を見たり、片方は完全に遊びなのに、片や結婚結婚と盛り上がっていたりしているケースがあったり、野心を抱いて田舎から出てきたが、やっぱり田舎に帰っていった人も複数見ていると、盲信の怖さと信念の強さのバランスの難しさを思うんだよね。

スポーツ系育成ママの難しさは、選手は自分じゃないけど、自分の延長みたいな自分の子どもだ、ということだ。曇れば玉砕しやすいジャンルだし、曇らせまいとがんばれば必要以上に厳しくなる。母親として子どもとの距離感の中でも、最も難しいところに足を突っ込んでいると思う。
同志よ、ともにがんばろう! 子どもが自分の手で得る、栄光を支えるためだけに。


2009年06月18日 14:43