2009年05月26日

自閉症・秘密の花園

給食のとき、同じ班の子たちと、牛乳で乾杯したそうです。
いっぱい、いろんな人から「おめでとう」をいわれるのは、素敵なことだね。
生きていることを寿がれているというのが、うれしいやね。

おめでとう、福助。今日から、9歳です。

先日、東大で開催された「自閉症者が語る自閉症の世界」のシンポジウムに行ってきました。
重度自閉症と診断されながら、とんでもなく美しい文章をつむぎだす作家の、東田直樹さん。16歳。
彼の著書「自閉症のぼくが飛び跳ねる理由」(エスコアール出版 1600円)を読むと、重度自閉症者の中に広がる空間の凄さに驚きます。
彼らはアウトプットできないだけで、全部わかっている!!
壊れたロボットを操縦しているようだ、と、東田さんは語っています。
わかっている。だけど、うまくコントロールできないだけ。
その苛立ちはいかばかりかと思います。
彼らはタイピングすることで、キーボードでその内面を語ります。どこから見てもコミュニケーションが難しそうに見えるその特異な個性の奥に、輝かしい知性とユーモアを見つけたとき、私は迷いの森の奥に美しい花園に囲まれた、お城を発見したような気持ちになりました。
彼らは「うまくできないこと」を自覚し、場合によっては、恥じてもいました。しかし、最も大きな問題は彼らの恥ずかしさ以上に、「どうせわからないのだから」という前提があるばっかりに、健常者が、自閉症者にひどい対応をする愚かさ、恥ずかしさではないかと感じていました。
別の自閉症者の言葉に、こんなものもありました。
「靴紐が結べたとき、何かを成し遂げたかのように周りにいる人たちは歓喜の声をあげたけれど、靴ヒモを結ぶ事に、どんな意味があるのだろう。私からは、それがどんなにバカげた光景に見えているか」
みんなができることができないと、健常者はまず「それ」ができるようにと願います。
けれど、彼らには健常者に見えないたくさんのものが見えているのです。健常者にはとうていできないたくさんのことが、できるのです。私たちが知らない世界を、知っているのです。
ただ、それを私たちに伝えるすべがない人が、多い…というだけで。
「どうせわからない」「コミュニケーションできない」「一人がすきなのだ」という思い込みの怖さを、私も微力ながらお伝えする協力をしたいと思いました。

子どもの頃、リンカーンの伝記を読んだときのことを思い出しました。
奴隷市場で全裸の黒人の女の子が売られていることに、リンカーンは痛みを覚えます。でも多くの白人は、その当時に黒人とは奴隷市場で売り買いするものであり、自分と同じ「人」とは思っていなかったのでした。無知の思い込みは、互いの豊かさを否定しあう悲劇です。
黒人男性の前で、平気で着替えをする上流階級の白人婦人……これは、あまりに印象的過ぎて忘れられないエピソードでした。

なぜこんなことを書いたかといえば、その昔、全く何もしゃべれなかった頃の福助が、「この子はバカだけど」「何を言ってもわからないけど」という言葉に異様に反応したのを覚えていたからです。
オリジナル子守唄でした。
♪福助は かわいいんだもん (失敗したエピソード1)バカだけど、かわいいんだもん
福助は かわいいんだもん (失敗したエピソード2)ダメだけど、かわいいんだもん
だからみんなそんな福助が大好きさ  大好きさ だってかわいいんだもん

「ダメだけど」……その後に「かわいい」と続くのに、それでも嫌がったのです。耳を押さえて歯ぎしりしたり、自傷のように自分を殴りだしたり。
最初はさっぱり、わかりませんでした。
「バカだけど」の部分は変更することもあり、心地よく寝入ることも多かったからです。
でも、注意深く日常を観察していると、バカとかダメという言葉にはイヤに反応しているのがわかり、それで、私はネガティブな言葉を使うのをやめました。
たとえこの子が言葉を発することがなくても、コミュニケーションが取れないままでも、彼にはきっとわかるんだとあの日確信したことを思い出しました。

でも、とても恥ずかしい懺悔をすれば、福助が理解しているのは高機能だからで、精神遅滞を伴う重度の方たちも私たちの言葉を理解しているとは、シンポジウムに行くまで、想像すらしていませんでした。勉強不足でした。私の無知を、重度自閉症の皆さんに対して、申し訳なく思います。

「あの子、変だわ」
と思うとき、ただの深い不気味な森だけでなく、その奥に隠されている美しい花園とお城の存在を思い出してください。
たとえば、告知されて悲劇で泣いているお母さんがいたら、ぜひこの話を。そして、東田さんの著書を。
泣いていることで、彼らが悲しみます。見ていないようで見ている。そしてその記憶は消えない。親は、そんなことで子どもを苦しめちゃいかんのです。
全然泣くべきことではないのだという想いが、きっと、今は見えない秘密の花園を見つけるための方位磁石です。
たとえば、クラスメイトにそういう子が…と怖がる前に、どんな子どもも持っている可能性を、一緒に思い出してみませんか。私も一から、認識しなおしです

今では福助に、ふざけて「バカ」という言葉も使います。
「やめてー」と反応するところをみると、未だに嫌いな言葉であるようですが、笑ってスルーできます。
9歳の今、苦手なことももちろんたくさんあり、トレーニングは日々続いていますが、とりあえず学校でも日常でも全く困り感はないので、「障害」と呼ぶにはそぐわなくなりました。うん、自閉症という診断は「超個性的」という別名なのだと私は考えています。
幸い人よりできることがたくさんあるので、人並みにできないことには目をつぶってもらえるという、お得な人生を爆走中のようです。脳みその違う部分を使った発想はとてつもなく素敵で、「一家に一人自閉症」と思うぐらい、天然の面白さは一度味わうと強烈です。
日に一回は、腹を抱えて笑っています。私が長生きしたとすれば、福助の笑いによって免疫力が上がっているからだと思います。

長かったようであっという間の9年でした。楽しい毎日でした。
福助、生まれてきてくれて、ありがとね。


2009年05月26日 23:19