2009年04月07日

祈り

新学期。
あまりにすばらしすぎた担任の先生に別れを告げるのは、本当につらかった。
クラスのママたちもまた、とんでもなくいい人ばっかりたせったから、クラス替えが、本当に切なかった。

もう多分放っておいても、福助を発達障害だと思う人はいない。
人は環境に恵まれて、自信を持って生きていくだけで、こんなにも成長するものかと、思い出しては強運を寿ぎ、しかし、たいてい全く思い出さないで毎日をすごしてきた。

今度の先生も、キャリアがあり、器量が大きそうだと思う。
過剰な期待は禁物だが、福助はとにかく運がいい。今まで知り合ってきた友達も、その保護者の方たちも、先生方も、そうそう望めないほどいい関係を築けた方ばかりだ。福助が今日あるのは、まさに福助に関わってくれた一人ひとりのお力なのだと感謝せずにはいられない。有難い友達に恵まれてきた、だからきっと大丈夫、今度もきっと大丈夫だと、自分に言い聞かせながら、パソコン前に座って文章を打つ。

明日提出する身辺調査書のようなものに添付するために、私は「福助取扱説明書」を書かなければならなかった。正直、気が滅入る。
これを過剰の注文だと……私を異形のモンペだと……思わないでほしいと、それはもう祈るしかない。

指示は端的にお願いします。
比喩やいやみは通じません。
視覚優位の彼には、指示と予定の板書をお願いします。
その他、個性を障害にしないために、お願いしなければならないことは、山のようにある。
……それは、特別支援の対象でなくても、低学年の子どもたちにとっては助けになることばかりだが、毎日のこととなると、ちょっとしたテクニックと忍耐が必要だ。書きながら、申し訳なさで押しつぶされそうになる。お願いするという負荷は、実に苦しいのだ。
けれど伏してお願いすることで、福助が少しでも快適に過ごせるなら、何でもする。
知識と経験は人を豊かにする。誠意は必ず伝わる。福助と関わることが、ただ与えるだけでなく、何かを感じる一端になるのだと信じて……、私はお願いする。
そのためにすべきことがあるのなら、本当に、何だってする。
ジェネラリストにはなれなくても、スペシャリストになる可能性があるということを……、彼らの持つ一風変わった特徴を……、違和感ではなく、面白がってくれるような、そんな先生でありますようにと祈りながら、私は書く。覚悟を決めて、書く。

そして、福助だけでなく、全国の福助と同じ星の人たちにとって、すばらしい出会いがありますように!!と祈る。
この時期、新しいことに慣れるまで時間がかかるタイプのお子さんは本当に大変だと思うし、親もやるべきことがたくさんあるけれど……、がんばろうね。がんばっている貴女を、人は絶対に責めたりしない。がんばろうね。私もがんばるよ。


2009年04月07日 00:08