2009年03月16日

夢は大往生

私の手帳は三月が切り替え時です。
私の名前やら連絡先やらを書き込んだ後、今年も、尊厳死宣言を書き込みました。

どんな状態でも生きていくことが尊いことは、義父から学んでいます。
愛する妻になかなか「さよなら」をいえなかったとみえて、植物状態に近い状態になっても、舅は五年もの間、生き続けました。二人にしかわからない意思の疎通。おばあの声にだけ、確実に違う反応。それは、ちょっと素敵な愛でした。
おじいがそこにいてくれることが、家族の強い絆と、生きる力になっていたことを、ついでに私たちが伊豆に帰る求心力でもあったことを、私はよく知っています。
伊豆の温泉に詳しくなったことも、おじいの与えてくれた財産です。行くたびにいろいろなところに入ったからね。
だから、どんな状態でも生きるということ‥‥それは、すばらしい生き方だと思う。
しかし、死に方として、私はせっかく丈夫に生まれてついているのだから、死んでなお、あますところなくフル活用してもらえたらうれしいと思っています。
鯨のように、捨てるところがないほどに。
臓器は全部全部提供したい。
臓器提供の部分としては認められていないようですが、白髪ひとつない髪(多少薄毛)すら、カツラに使ってくれたらいいと思います。このたっぷりついた脂は、何かの燃料にはならないでしょうか。
私の死が誰かの命につながり、誰かを幸せにすることができるなら、残される子どもたちもそんなに嘆かずに済みそうな気がしています。

青空を仰いで、つい先日亡くなった友人のことを想います。
今日は、親しい友人が、また自分の知人を亡くしたことをweb日記に書いていました。
痛くて苦しくてつらくて悲しすぎる。別れは、残酷です。きっとそれがどんな別れ方であれ、本当に納得の行く別れなど、ないのかもしれません。
この先、友達が全員死ななければいい。尻尾が八つに割れるまで、生きながらえればいいとさえ、思います。

臓器提供の意思は明確ながら、実のところ、私は憎まれっ子として世にはばかりたいと思います。
夢は大往生です。
公園のベンチで日向ぼっこをしていて、孤独な自然死で召されるのが理想。そのぽっくりは、多少周りにご迷惑をかけそうですが、予定では私はいい加減長生きしているため、室内で孤独死だと誰からも発見されない気がします。お外で逝くというのが、手っ取り早くていい感じです。
娘と息子だけが、ひっそりと密葬してくれればよく、この際、通知なんかも一切出さないで、なんとなくどこかでずーっとしぶとく生きている感じの方が、私らしくていいかもしれないと思っています。
「ゆう子さんはきっと忙しいんだろう、だから連絡がないんだろう、全く失礼な人なのは変わらないなあ、きっとどこかで元気に走り回っているんだろう‥‥」と、思われたいです。
そして実際は、天国街道爆走中!みたいなね。
あるいは、私が大好きな友人を、基本的に全部看取ってから死にたいです。じじい友達は大丈夫そうなんですが、ばばあ友達が曲者です。割と、しぶとそうなのばかりだよ。
別れがつらくてつらくて仕方ない私ですから、あんな思いを友達にさせることは、極力、避けたいと思います。元気でがんばって、がんばって、最後まで生き残らなければと思います。

そのために、健康的に生きていきたいと思っています。
日々、歩いてます。お酒も飲みすぎません。ご飯も腹八分にしました。お日様を浴びて、にこにこ暮らします。
突然別れがきても大丈夫なように、いつでも好きな人には好きだと伝えようと思います。
正直に。
届くメールがとても私を勇気付けてくれるように、私の言葉も、そうであればいいと思います。肉体が滅びても、子どもたちを支える言葉を何か、残せたらいいと思っています。

手帳に書かれた予定は、早くもぎっしりです。
楽しそうなこともあれば、楽しいことばかりでもなさそうなイベントも満載。しかし、そのどれもが成長の糧であることは間違いないわけで。何があろうと、私は自分を自分に恥じない生き方をしたいと思う、その方向さえ間違えていなければ大丈夫な気がします。
夢の老衰を迎えるまでの間、長い長い道のりです。

2009年03月16日 02:29